またひとつ「日本終了」の光景

報道
01 /24 2011
先日、どこかの民放で1968年の東大闘争安田講堂攻防戦を振り返るエピソードみたいなのをやっていた。
当時は大学進学率15パーセント。そのエリートが大学施設を占拠し、世の不合理に対して学生運動に身を投じた背景を占拠した側と取り締まる側両面から取材していた。
占拠している学生も東大生。取り締まる警察の幹部も東大卒。
結局、2日間で占拠は解かれ、学生は検挙される。
だが、これだけ実力行使に訴え、火炎瓶や投石、不法占拠に加担したのにも拘わらず、殆どの学生が執行猶予だったという。
当時、この騒動に加わった元学生がインタビューに答えていたが、法曹界のエリートみたいな身分になっていて、あの頃の「犯罪行為」が己の出世街道に差ほど悪影響を与えていなかったことを印象付ける。
進学率15パーセントしかなかった当時の大学生は貴重な人材ゆえ、「この程度」のことで人生を潰される事は無かった。
1960年代の大学生は己で時代を作り、世間もそれを許したのだ。いや、許さざるを得なかったのだろう。
彼らを全部実刑にして投獄したら日本は成り立たなかった。
それだけ大学生は貴重だったのだ。

今日、テレビで秋葉原歩行者天国再開のニュースを観る。
至る所に監視カメラ、警戒の警官に見回りの市民グループが歩行者に目を光らせる。
パフォーマンス、自己表現、集会、ビラまきなどは一切禁止。
息苦しさ満点だ。
かつて、1960年代には首都のいたるところで学生がデモ隊を編成し、シュプレヒコール、投石、角材乱打で街は騒然となっていた。
しかし、彼らの行動は新しい時代への躍動と看做され、メディアは挙って好意的に伝えた。
彼らは英雄であり、新時代への松明、先導者ゆえ、如何なる不法行為も許された。そしてたとえ警察に捕まったとしても執行猶予ですぐに社会復帰出来た。

だが、今の秋葉原で社会の不正と不条理を訴えたらどうなるか?
単に声を発しただけも警察に取り囲まれ、逮捕されよう。
そしてマスコミに秩序を乱す「テロリスト」として名前を晒され、危険人物にリストアップされ社会的地位を抹殺される。
この人物が大学生だったら就職は永遠に破談、実刑で1年くらい投獄され、一生をドブに捨てたような惨めな人生に甘んじなければならぬ。
1968年当時の大学生と比べると、このあまりの価値の落差はなんだ?
この事実を知れば如何に現代日本の若年知識層が冷遇されているかが解ろう。
劣化した守旧的価値観の下、日本は奈落の其処に落ちていくのだ。

今日の秋葉原を眺めると、社会を更新すべき価値観を有する若年層より、既得権に固執する年代層が支配的であることは誰の目にも明らか。
もはやそこに「変革」なんて要素は一切存在しない。
ラーゲリーかゲットーの如く、「囚人」としての若者が家畜のように秩序正しく歩かされているだけ。
一切の反抗は許されず、反抗即ち人生の破滅である。
大人しく「服役」するしかないのだ。

もっとも、再開された歩行者天国の映像を観ていると、若いといっても精々20代後半が関の山。
1960年代に「改革」を叫び闊歩していた二十歳前後の姿など何処を探しても見つからない。
そもそも改革を担う世代そのものが消失しているのだ。
もう、全てが手遅れである。
奇しくも中国にGDPで抜かれたという報道の翌日。
なかなかのタイミングであろう。

破滅に向かって堕ちるだけの日本。
今日の秋葉原歩行者天国の光景は「日本終了」の一断片に過ぎない。


あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/