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師走の空しいキーワード

日常
12 /02 2010
師走。
「エコポイント」「ラジコエリア拡大」「実写版ヤマト」「イクメン」云々。
そんなキーワードがラジオ、新聞、テレビから流れてくる。
そして車窓から眺める風景のように、自分には何のかかわりも無く過ぎ去っていく。

「エコポイント」とはなんぞや?
てっきりただでテレビをくれるのかと思ったら結局買わされるのか?
にも拘わらず、なんで家電量販店に客が群がるのだろう。
あれを観るとテレビを買えるだけのお金を持っている人がまだまだ多いのだなと思う。
「エコ」を出汁に使った詐欺まがいの安売りにあっさり乗っかるのもどうかと思うが、そこまでして新しいデジタルテレビを買い求める「意欲」というのはなんなのだろう?
自分の部屋には1979年製のテレビが現役だ。
ビデオ端子すら付いていない代物。勿論リモコンもない。
だがちゃんと映るので実用上これで十分。
デジタル化されたとて新しくテレビを買う気も余裕も無いから恐らく来年7月以降はそのまま部屋のオブジェだ。
他にどうしようもない。
テレビに拘わらず、もう電化製品と称されるモノを買いたいという欲求が起きない。家電量販店に行っても欲しいものはゼロ。
たとえ購買欲が芽生えるとしても、もうそれを購入するために資金を回す余裕がない。
欲しいものが無くとも機械はいずれ故障するものだからいずれは更新しなければならないが、それすら間々ならない。
先日、25年間使っていたオーディオアンプが故障してしまったのだが、もう買い換える余裕がなくどうしたものかと悩む。
「エコポイント」騒動で家電を買い換えている人々とはもはや「人種」が違うのだろうな。
だから自分にはもうまったく関係のない他所の出来事だ。

「ラジコエリア拡大」ってなんぞや?
12月からパソコンで聞けるラジオの聴取エリアが広がったそうだ。
意味不明。
自分はラジオリスナー暦40年近くになり今でも1日8時間はラジオを聴いているが「ラジコ」なるものにアクセスした事が一回もないし、したいとも思わない。
「パソコンでラジオが聴けて便利です」って理解不能。
ラジオなど部屋に2,3個位転がっているだろう。それなのになんでわざわざパソコン起動しなきゃいけないのだ?
家には無線機含めて数十台ラジオがある。
だから敢えてパソコンで聴く必要性を感じた事など唯の一つもない。
「パソコンで作業しながらラジオが聴けます」
聴けないよ。パソコンやってると脳が視覚に偏ってラジオに集中できないからラジオをBGMにするのは無理。
パソコンはラジオの敵だ。ノイズ源でもある。
だから「ラジコ」が「ラジオ革命」なんて発想がさっぱりだ。これを宣伝している者は実際ラジオなんて聞いていないんじゃないか?
ラジオはアンテナを建て、己の技で遠距離受信をして嗜むものだ。
ネットを経由したらもはやラジオではない。
そんな「ズル」をしてまでラジオを聴きたいとは思わぬ。
ネットから流れてくるものは所詮電話回線に依存しているその他諸々の「混沌なる有象無象」の類でしかない。
「ラジコ」でラジオを聴く人は「リスナー」ではなく単なる「ネットユーザー」だ。。
本当にラジオを聴いているのか疑わしい。少なくとも自分の知る「ラジオ」の世界とは程遠い。
100円ショップで売っているAMラジオのほうがまだ信用できる。
だからこれも自分にとっては関係のない「他所の世界」の出来事だ。

「実写版ヤマト」とはなんぞや?
12月1日から封切りされたようだ。
先日の伊集院光のラジオでも取り上げていたが、試写会を見た伊集院の知り合いが口をそろえて言った感想「思ったほどクソじゃなかった」は興味深い。
1974年だったか?最初のテレビシリーズをリアルタイムで観て心打たれ、その後の続編劇場版も映画館に観に行った記憶もある自分だからそれなりに思いいれは強い。
自分の世代でこの「宇宙戦艦ヤマト」の洗礼を受けていない者のほうが稀有だろう。
今回の映画は、それをリニューアルして実写化したものだとか。
ジャニーズのメンバーが主人公らしい。ある程度最初のオリジナルに沿ったストーリーとのことだがよく知らない。
得てしてアニメ作品の実写化は劣化コピーに等しく、「見るに耐えない代物」に仕上がる場合が多い。
だから「思ったほどクソじゃなかった」というのは多少は見ても損はしないレベルということだろうか?
だとしても「血湧き肉踊る」気持ちには程遠い。
学生時代、「スターウォーズ」や「2001年宇宙の旅」リバイバル上映が矢継ぎ早に続いた時、心躍らせて映画館(テアトル東京がまだあった)に足を運んだ頃が懐かしい。
もう、そんな好奇心の躍動は錆付いてしまったのか、観たいという欲求がまったく上がってこないのだ。
その上、映画代だってただではない。一本の映画を見ることにすら財布の中身を気にするほどアクションが取れない状況が恐ろしい。
余裕というものがいつしか消えている。
これが、仕事が忙しいとか他に激しく優先することが控えているのならまだしも、そんなものが一切無いのに「余裕がない」とは如何なる状況なのか?
暗澹たる気分に襲われてますます映画どころではなくなっている。
だから「実写版ヤマト」も別の世界の他人事になってしまった。

「イクメン」とは何ぞや?
朝日新聞のコラムみたいのがあった。読んではいない。
「イクメン」はイケメンが訛った言葉かと思いきや、育児に勤しむ父親のことだそうだ。
男性親が育児するのはそれぞれの家庭の事情で自由にすればよいし、他人がどうこう言うことではないが、マスコミがキャンペーンみたいに推奨扇動する理由が解らない。
というか鬱陶しいだけ。
街行く子供を抱っこした男性を見て最初に浮かぶ言葉は「気の毒」だ。
男なのになぜ赤ちゃんを抱いていなければならぬのか不憫でならない。
子供は母親に抱かれるのが幸せで、そうじゃない家庭は不幸なんだという昭和40年代に刷り込まれた「常識」で育った世代の自分からすると、父親が子育てする状況は即ち「かわいそうな家庭」に他ならない。
それを「よい行い」とするマスコミは不幸を奨励しているのか?
理解しがたい。
もはや「専業主婦」が死語となり、母親が仕事に出るのが「常識」となってしまった現在、父親が育児するのはいたって普通であることは理解できるが、それを「イクメン」なんてオシャレな言葉で恰も「正しい行い」かの如く扇動する目的はなんだ?
それともレジャー気分で育児する父親になれとでもいうのか?
仕事の時間を割いて育児に勤しむというのは相当生活に余裕のある家庭だろうと想像出来よう。
年収1000万円位あって父親も朝10時に出社して16時頃帰れるのなら「イクメン」もありかもしれないが、そんな家庭はどれだけあるか?
「父親は仕事、母親は家事育児」と相場が決まっていた時代に生きてきた自分からするともはや耐え難い。
恥を忍んで育児する父親像しかイメージできない自分からすると「イクメン」なんて強制収容所の囚人に「労働は自由への扉」と嗾けている標語にしか思えない。
もっとも、結婚すら出来ない絶望独身男性にとってはお伽話の世界。
子供を設ける機会すら喪失している男に「イクメン」など語る資格すらない。
だからこれも「他所の世界」。
自分には関係ない。


まだまだ様々なキーワードが師走のメディアを駆け巡るが、その殆どが自分に無関係で興味も湧かぬ「他人事」ばかりだ。
自分が歳をとった証かも知れぬ。
もう、世の中の主流からは「お呼びでない」のだ。
男五十路を過ぎれば一家の大黒柱として、子供もそろそろ成人を迎えよう。そしてそれを養うだけの経済力を持ち合わせているのが当たり前の世代。
そのすべてを持っていない50代独身絶望男性にとって「エコポイント」「ラジコエリア拡大」「実写版ヤマト」「イクメン」すべて縁がないのも頷ける。
そんな男、世の中は相手にしないのだ。
2010年の師走キーワードはそのことを再確認したに過ぎない。
来年は更に自分にとって無縁のキーワードが増えていくのだろう。
ああ、辛い。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/