野反湖1泊記
日常
先の週末、野反湖に行く。
群馬県吾妻郡中之条町(旧六合村)に位置する。
昨今ニュースで話題になっていた八場ダムの更に奥地。
野尻湖ではなく野反湖だ。
35年前、高校1年の夏休みにクラスの有志で湖畔のバンガローに泊まったことがあった。
当時、クラスの担任は自分が所属していた美術部の顧問。その担任が企画したと記憶する。
ツッパリ、ズベ公が全盛期の4流私立高校にあって石の下の虫のような存在だった自分。
どうでもいい3年間だったが、何故かこの野反湖キャンプだけは記憶に残った。
そういえば、初めての漫画作品(学漫の機関誌)もここの風景をモチーフにしたっけな?
珍しく拘りがあったのだ。
めったに出歩かず、飛行機すら未だ乗った事もない自分が何故か再び訪れたいと思っていた稀有な場所。
ネットで検索していたら急に行きたくなって趣味の実践も兼ねて赴く事にした。
上野から特急で長野原草津口へ。そこから1日2便のみの村営バスに乗り換える。目も回りそうなワインディングロードをひたすら北上。
そして5時間かけて辿り着いた富士見(野反)峠。
晴天に恵まれ、そこから見下ろす野反湖はまるでチベット高原のごとき絶景である。

実は野反湖は人造湖で、東京電力が昭和31年に作った野反ダムが堰き止めて出来た湖。
元は尾瀬ヶ原みたいな湿原が広がっていたという。今ほど環境問題に煩くなかったので、戦後のどさくさに紛れてやっつけで作ったダムらしい。
群馬県内なのに野反湖の水は日本海に流れ込んでいる。
要するにここは本州の分水嶺なのだ。
恐ろしいほどの僻地なので開発の手から免れて、人工的なものは殆ど見えない。
送電線、民家諸々視界に入ってこないし観光地にありがちな、ボートや売店施設もない。
あるのは湖北端に位置するロッジ位なもの。
キャンパーにとっては「知る人ぞ知る」秘境らしい。
だが、天候の変化は激しく、あっという間に曇ってきた。
今日、泊まるバンガローまでは湖畔の遊歩道を1時間半かけて歩かねばならない。バスはすでにない。
日が暮れる前に辿り着こうと、ひたすら歩く。
週末というのに誰一人出会うことのない遊歩道。

音は笹原を抜ける風だけだ。異様な静けさに人恋しさと恐怖を感じる。
実はこの辺り熊が出るらしい。
そんな山深い場なのに何故か風景は多摩湖を彷彿とさせる。
近くで見ると西武ドーム周辺と変わらないのだ。だからこの遊歩道を上がればすぐに西武多摩湖線で家に帰れると錯覚してしまうのだ。
白樺の木が妙にショーウインドーのディスプレーに見えたりして奇妙。
ふと、一人で歩いているのに誰かが後ろから付いてきている気配がする。
しかし、振り返っても誰も居ない。周囲数キロは無人なのに。
恐ろしい。
とにかく、この本州奥地で一人とぼとぼと歩いているとどんどん寂しさが込上げて来る。
「なんでこの歳で己は一人なのだ?」と。
そんないつものネガティブ妄想がより増幅され、ガクガクブルブルしてくる。ラジオから流れてくる加藤登紀子の曲もまたそんなネガティブ志向を助長する。
恐ろしい。
それに、いつ笹原から熊が飛び出すか解らないのだ。熊除けの鈴など持っていないし。
失禁しそうになりながら這い蹲って歩く。
もうどうにでもなれだ。
湖畔に立つ二つの樹が仲のよい夫婦に見える。
マトモな人間ならこの歳になればパートナーがいるはずなのになぜ自分は独りなのだとますますネガティブ回路に電流が流れ出す。
湖面がグニャっと曲がって己を嘲笑する幻覚が現れた。
これはまずい。

35年ぶりに訪れた野反湖でこんな思考に陥るとは思いも寄らなかった。
いや、寧ろ必然が?
己の立ち居地を考えれば何処へ行っても考える事は同じなのだ。
悔しかったら家族連れで来て見ろ。惨めな自分!と己が己を罵るうちにやっとロッジに到達する。
時刻は18時前。
カウンターでチェックインしてバンガローの鍵を預かる。
その前に食事をしなければ。
朝から何も食べていないのだ。
キャンプ場だから食堂など当然なかった。
無論自分は一切キャンプの用意などしていない。なぜなら元々持っていないから。食事をどうするか一切考えずに1泊を決めた事にここで気が付いた。
とにかく旅行など殆ど経験がない。学校の修学旅行程度しか記憶にない。
あと、せいぜい誰かが企画した旅に付いて行くだけ。
自分が企画した独り一泊旅行は、半世紀生きてこれが初めてだった。
さあ、困った。どうしよう。
無飲無食で2日間過ごすか?流石にそんな訳にもいくまい。
途方に暮れていると、幸いロッジの売店にキャンパー用のカップラーメンが置いてあったのでこれで凌ぐ事にした。
お湯は自由に使えるらしいので、ロッジの休憩所で独りカップラーメンを啜る。

そもそもキャンプ場に来て、カップラーメンをロッジで食べる客など皆無に等しいのでカウンターの管理人も不思議そうにこちらを見ていた。
もしかすると自殺志願者と思われたかもしれない。
時々、家族連れで来た子供たちが通りかかり、独り寂しくカップラーメンを啜る惨めな男をじっと眺めている。
恐ろしい!
50で独身だということがどれだけ惨めか、そのイタイケな視線が突き刺さる。
ちくしょう!
俺は見世物ではない!
否!
これは見世物なのだ!
絶望独身男性が如何に惨めかということを後世に伝えるための教育的シチュエーションなんだ!
そう自分に言い聞かせる。
もそもそと食べ終わったカップラーメンを片付けると、自分の泊まるバンガローへと向かう。
当然、35年前の面影はなく、皆新築されたものだ。
途中の炊事場で、楽しそうな家族連れの姿を見る。
自分よりずっと年下の父親が子供と少し遅い夏休みの思い出を作っているのだ。
楽しそうにはしゃぐ子供。美しく優しい母親。そして頼もしい父親。
まさに幸せな家族のカタチがここにある。
男人生50生きればこの位は当たり前に所有出来得る「無形財産」だ。
しかし、そのすべてを自分は持っていない!
右を見ても左を見ても楽しそうな家族連れがはしゃいでいる。
「パパ!ママ!ご飯が炊けそうだよ!」
「よし!ボウズ!お前が火から降ろしてみろ。おーい!ママ。食器の準備だ!」
「パパさん。おいしそうね。楽しみだわ」
そんな家族団欒を眺めていると炊事場の飯ごうがグニャッと曲がって、己に語りかけてくる。
「お前は何しに来た?ここは幸せな家族連れが幸福を確認するために来るところだ!お前のような絶望独身男性が赴くところじゃない!家で引き篭もってネットでもやってろ!さもなくば熊に食われて死んじまえ!この人生の敗北者!ガチョーン!」
自分は「ひい!」と叫んで、その恐ろしい妄想に追われるようにバンガローに飛び込む。

バンガローの中は薄嫌い裸電球のみ。
備品はゴザと寝具だけ。
キャンパーであれば、それで十分であろうが、自分はキャンプ用品何一つ持ってきていないから素で泊まるだけ。
携帯も繋がらない(auのみ可能)場で気晴らしのメールすら出来ない。
もっともメールする相手も殆ど居ないのだが。
コンセントもないので、たとえノートパソコンがあったとしても大したことは出来ない。
これじゃまるで独房だ。
この薄暗い「独房」の中で三角座りをしてじっとしているだけ。
一泊6000円を払って「刑務所」体験か?
やりきれない。
35年ぶりに訪れた野反湖。
独りになれば何か画期的な発想や閃き、感慨などが満ち溢れてくるかと期待したが、出てくるものは自室に引き篭もっている時と同じネガティブ妄想のみじゃないか!
そうだ!
どんなに離れても「ココロの中」の禍々しいモノは自分と一緒に付いて来る。たとえ何万光年旅したところで結果は同じだ。
さっき、遊歩道で感じた「追跡者」は自分そのものだ。
情報ネットから隔絶された場所にくるとますますその「自己完結」したネガティブ思考がこの「独房」のような閉塞状況で増幅され耐えがたきモノになってくる。
独り旅なんてものは「青臭さ」が残る20~30代で済ませておくものだ。
それ以降は妻を娶り、子を作って家族で行くものである。
あるいは、人生の通過儀礼をすべて済ませ、子育ても一段落した初老の紳士淑女が悠々自適にハイキングと洒落込むためにこのような場所が用意されているのだ。
それが真っ当な人生じゃないか。
この歳で男一人一泊なんてそれこそ自殺志願者だ。
誰からも必要とされていない者が死ぬために来ているようなもの。
ここにくれば、いつものネガティブルーチンから解放されるかも思ったら逆に増幅されるとは皮肉なものだ!
「独房」の肌電球の下、おぞましい思考に苛み、時間がゆっくり過ぎていく。
野反湖は標高1500m以上なので夜半になると夏でも冷え込んでくる。上着など用意していないから惨めさが増幅される。
悶々としていても埒が明かないから寝る事にする。
電球を消すと真っ暗だ。
静寂がすべてを包み込む。
暫くすると夢を見た。
自分の下半身に見たこともない巨大な水疱がブツブツと発疹している。
なんだ?これは!と起き上がるとバンガローの隅に会った事もないOL風のスーツを着た知らない女性がニヤニヤ笑って座っているのだ。
恐ろしい!
「グギャアア」と叫んで起き上がるが、無論夢なので誰も居ない。
35年ぶりに訪れた美しい野反湖畔で見た夢が「病気」と「恐ろしい知らない女性」の姿だったとは何と情けないか。
自分には霊感なんてないので「お化け的恐怖」は感じなかったが、ただ情けなかっただけ。
これが予知夢だったら最低だ。
もっと自分の人生をポジティブに向かわせるような経験をしたかったのに、結局はネガティブを増幅させるために来ただけだったのか?
なんなんだ!ちくしょう!
嗚呼、絶望。
やがて夜明けが迫るとソラリスステーションのごとく窓の外が輝きはじめる。
朝焼け。そして日の出。

しかし、自分の人生には日の出は来ない。
高校時代に見た同じ野反湖の朝とはあまりにもかけ離れた「辛い」朝だった。
晴天もつかの間、暫くすると雨が降ってきた。
冷たい雨だ。

もはや、この場に長居する意味もないと悟り、11時半の村営バスに乗り込む。
乗客は自分独り。
夏休みも終わったのでお客が少ないのか、あるいは殆ど自家用車利用のお客ばかりなのかは知らない。
バスの運ちゃんが手持ち無沙汰に話しかける。
聴けば自分と同じ50前後の人。
ちゃんと結婚し、娘もいるとか。
そんな世間話をしつつ、長野原草津口に到着。
「下界」は猛烈な残暑。
これから日常に戻っていくのだと書きたい所だが、結局何処へ行っても同じだと悟ったのでそんな感想もなし。
これだけ拘りがあった場所であったのに、得られたものは「絶望の再確認」。
お土産もなし。買ったものは空腹を凌ぐためのカップラーメンと飴のみ。
そこら辺のコンビニで売っているようなものでね。
我ながら素晴らしい。
結局、自分は旅の楽しみを得る事のない人間なのだ。
何処へ行ってもヒキコモリの延長でしかない。
己の惨めな人生を確固としただけの野反湖一泊記であった。
群馬県吾妻郡中之条町(旧六合村)に位置する。
昨今ニュースで話題になっていた八場ダムの更に奥地。
野尻湖ではなく野反湖だ。
35年前、高校1年の夏休みにクラスの有志で湖畔のバンガローに泊まったことがあった。
当時、クラスの担任は自分が所属していた美術部の顧問。その担任が企画したと記憶する。
ツッパリ、ズベ公が全盛期の4流私立高校にあって石の下の虫のような存在だった自分。
どうでもいい3年間だったが、何故かこの野反湖キャンプだけは記憶に残った。
そういえば、初めての漫画作品(学漫の機関誌)もここの風景をモチーフにしたっけな?
珍しく拘りがあったのだ。
めったに出歩かず、飛行機すら未だ乗った事もない自分が何故か再び訪れたいと思っていた稀有な場所。
ネットで検索していたら急に行きたくなって趣味の実践も兼ねて赴く事にした。
上野から特急で長野原草津口へ。そこから1日2便のみの村営バスに乗り換える。目も回りそうなワインディングロードをひたすら北上。
そして5時間かけて辿り着いた富士見(野反)峠。
晴天に恵まれ、そこから見下ろす野反湖はまるでチベット高原のごとき絶景である。


実は野反湖は人造湖で、東京電力が昭和31年に作った野反ダムが堰き止めて出来た湖。
元は尾瀬ヶ原みたいな湿原が広がっていたという。今ほど環境問題に煩くなかったので、戦後のどさくさに紛れてやっつけで作ったダムらしい。
群馬県内なのに野反湖の水は日本海に流れ込んでいる。
要するにここは本州の分水嶺なのだ。
恐ろしいほどの僻地なので開発の手から免れて、人工的なものは殆ど見えない。
送電線、民家諸々視界に入ってこないし観光地にありがちな、ボートや売店施設もない。
あるのは湖北端に位置するロッジ位なもの。
キャンパーにとっては「知る人ぞ知る」秘境らしい。
だが、天候の変化は激しく、あっという間に曇ってきた。
今日、泊まるバンガローまでは湖畔の遊歩道を1時間半かけて歩かねばならない。バスはすでにない。
日が暮れる前に辿り着こうと、ひたすら歩く。
週末というのに誰一人出会うことのない遊歩道。

音は笹原を抜ける風だけだ。異様な静けさに人恋しさと恐怖を感じる。
実はこの辺り熊が出るらしい。
そんな山深い場なのに何故か風景は多摩湖を彷彿とさせる。
近くで見ると西武ドーム周辺と変わらないのだ。だからこの遊歩道を上がればすぐに西武多摩湖線で家に帰れると錯覚してしまうのだ。
白樺の木が妙にショーウインドーのディスプレーに見えたりして奇妙。
ふと、一人で歩いているのに誰かが後ろから付いてきている気配がする。
しかし、振り返っても誰も居ない。周囲数キロは無人なのに。
恐ろしい。
とにかく、この本州奥地で一人とぼとぼと歩いているとどんどん寂しさが込上げて来る。
「なんでこの歳で己は一人なのだ?」と。
そんないつものネガティブ妄想がより増幅され、ガクガクブルブルしてくる。ラジオから流れてくる加藤登紀子の曲もまたそんなネガティブ志向を助長する。
恐ろしい。
それに、いつ笹原から熊が飛び出すか解らないのだ。熊除けの鈴など持っていないし。
失禁しそうになりながら這い蹲って歩く。
もうどうにでもなれだ。
湖畔に立つ二つの樹が仲のよい夫婦に見える。

マトモな人間ならこの歳になればパートナーがいるはずなのになぜ自分は独りなのだとますますネガティブ回路に電流が流れ出す。
湖面がグニャっと曲がって己を嘲笑する幻覚が現れた。
これはまずい。

35年ぶりに訪れた野反湖でこんな思考に陥るとは思いも寄らなかった。
いや、寧ろ必然が?
己の立ち居地を考えれば何処へ行っても考える事は同じなのだ。
悔しかったら家族連れで来て見ろ。惨めな自分!と己が己を罵るうちにやっとロッジに到達する。
時刻は18時前。
カウンターでチェックインしてバンガローの鍵を預かる。
その前に食事をしなければ。
朝から何も食べていないのだ。
キャンプ場だから食堂など当然なかった。
無論自分は一切キャンプの用意などしていない。なぜなら元々持っていないから。食事をどうするか一切考えずに1泊を決めた事にここで気が付いた。
とにかく旅行など殆ど経験がない。学校の修学旅行程度しか記憶にない。
あと、せいぜい誰かが企画した旅に付いて行くだけ。
自分が企画した独り一泊旅行は、半世紀生きてこれが初めてだった。
さあ、困った。どうしよう。
無飲無食で2日間過ごすか?流石にそんな訳にもいくまい。
途方に暮れていると、幸いロッジの売店にキャンパー用のカップラーメンが置いてあったのでこれで凌ぐ事にした。
お湯は自由に使えるらしいので、ロッジの休憩所で独りカップラーメンを啜る。

そもそもキャンプ場に来て、カップラーメンをロッジで食べる客など皆無に等しいのでカウンターの管理人も不思議そうにこちらを見ていた。
もしかすると自殺志願者と思われたかもしれない。
時々、家族連れで来た子供たちが通りかかり、独り寂しくカップラーメンを啜る惨めな男をじっと眺めている。
恐ろしい!
50で独身だということがどれだけ惨めか、そのイタイケな視線が突き刺さる。
ちくしょう!
俺は見世物ではない!
否!
これは見世物なのだ!
絶望独身男性が如何に惨めかということを後世に伝えるための教育的シチュエーションなんだ!
そう自分に言い聞かせる。
もそもそと食べ終わったカップラーメンを片付けると、自分の泊まるバンガローへと向かう。
当然、35年前の面影はなく、皆新築されたものだ。
途中の炊事場で、楽しそうな家族連れの姿を見る。
自分よりずっと年下の父親が子供と少し遅い夏休みの思い出を作っているのだ。
楽しそうにはしゃぐ子供。美しく優しい母親。そして頼もしい父親。
まさに幸せな家族のカタチがここにある。
男人生50生きればこの位は当たり前に所有出来得る「無形財産」だ。
しかし、そのすべてを自分は持っていない!
右を見ても左を見ても楽しそうな家族連れがはしゃいでいる。
「パパ!ママ!ご飯が炊けそうだよ!」
「よし!ボウズ!お前が火から降ろしてみろ。おーい!ママ。食器の準備だ!」
「パパさん。おいしそうね。楽しみだわ」
そんな家族団欒を眺めていると炊事場の飯ごうがグニャッと曲がって、己に語りかけてくる。
「お前は何しに来た?ここは幸せな家族連れが幸福を確認するために来るところだ!お前のような絶望独身男性が赴くところじゃない!家で引き篭もってネットでもやってろ!さもなくば熊に食われて死んじまえ!この人生の敗北者!ガチョーン!」
自分は「ひい!」と叫んで、その恐ろしい妄想に追われるようにバンガローに飛び込む。

バンガローの中は薄嫌い裸電球のみ。
備品はゴザと寝具だけ。
キャンパーであれば、それで十分であろうが、自分はキャンプ用品何一つ持ってきていないから素で泊まるだけ。
携帯も繋がらない(auのみ可能)場で気晴らしのメールすら出来ない。
もっともメールする相手も殆ど居ないのだが。
コンセントもないので、たとえノートパソコンがあったとしても大したことは出来ない。
これじゃまるで独房だ。
この薄暗い「独房」の中で三角座りをしてじっとしているだけ。
一泊6000円を払って「刑務所」体験か?
やりきれない。
35年ぶりに訪れた野反湖。
独りになれば何か画期的な発想や閃き、感慨などが満ち溢れてくるかと期待したが、出てくるものは自室に引き篭もっている時と同じネガティブ妄想のみじゃないか!
そうだ!
どんなに離れても「ココロの中」の禍々しいモノは自分と一緒に付いて来る。たとえ何万光年旅したところで結果は同じだ。
さっき、遊歩道で感じた「追跡者」は自分そのものだ。
情報ネットから隔絶された場所にくるとますますその「自己完結」したネガティブ思考がこの「独房」のような閉塞状況で増幅され耐えがたきモノになってくる。
独り旅なんてものは「青臭さ」が残る20~30代で済ませておくものだ。
それ以降は妻を娶り、子を作って家族で行くものである。
あるいは、人生の通過儀礼をすべて済ませ、子育ても一段落した初老の紳士淑女が悠々自適にハイキングと洒落込むためにこのような場所が用意されているのだ。
それが真っ当な人生じゃないか。
この歳で男一人一泊なんてそれこそ自殺志願者だ。
誰からも必要とされていない者が死ぬために来ているようなもの。
ここにくれば、いつものネガティブルーチンから解放されるかも思ったら逆に増幅されるとは皮肉なものだ!
「独房」の肌電球の下、おぞましい思考に苛み、時間がゆっくり過ぎていく。
野反湖は標高1500m以上なので夜半になると夏でも冷え込んでくる。上着など用意していないから惨めさが増幅される。
悶々としていても埒が明かないから寝る事にする。
電球を消すと真っ暗だ。
静寂がすべてを包み込む。
暫くすると夢を見た。
自分の下半身に見たこともない巨大な水疱がブツブツと発疹している。
なんだ?これは!と起き上がるとバンガローの隅に会った事もないOL風のスーツを着た知らない女性がニヤニヤ笑って座っているのだ。
恐ろしい!
「グギャアア」と叫んで起き上がるが、無論夢なので誰も居ない。
35年ぶりに訪れた美しい野反湖畔で見た夢が「病気」と「恐ろしい知らない女性」の姿だったとは何と情けないか。
自分には霊感なんてないので「お化け的恐怖」は感じなかったが、ただ情けなかっただけ。
これが予知夢だったら最低だ。
もっと自分の人生をポジティブに向かわせるような経験をしたかったのに、結局はネガティブを増幅させるために来ただけだったのか?
なんなんだ!ちくしょう!
嗚呼、絶望。
やがて夜明けが迫るとソラリスステーションのごとく窓の外が輝きはじめる。
朝焼け。そして日の出。


しかし、自分の人生には日の出は来ない。
高校時代に見た同じ野反湖の朝とはあまりにもかけ離れた「辛い」朝だった。
晴天もつかの間、暫くすると雨が降ってきた。
冷たい雨だ。

もはや、この場に長居する意味もないと悟り、11時半の村営バスに乗り込む。
乗客は自分独り。
夏休みも終わったのでお客が少ないのか、あるいは殆ど自家用車利用のお客ばかりなのかは知らない。
バスの運ちゃんが手持ち無沙汰に話しかける。
聴けば自分と同じ50前後の人。
ちゃんと結婚し、娘もいるとか。
そんな世間話をしつつ、長野原草津口に到着。
「下界」は猛烈な残暑。
これから日常に戻っていくのだと書きたい所だが、結局何処へ行っても同じだと悟ったのでそんな感想もなし。
これだけ拘りがあった場所であったのに、得られたものは「絶望の再確認」。
お土産もなし。買ったものは空腹を凌ぐためのカップラーメンと飴のみ。
そこら辺のコンビニで売っているようなものでね。
我ながら素晴らしい。
結局、自分は旅の楽しみを得る事のない人間なのだ。
何処へ行ってもヒキコモリの延長でしかない。
己の惨めな人生を確固としただけの野反湖一泊記であった。