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1972年のドラマ『ありがとう』

映像鑑賞
07 /16 2010
BSで1970年代前半のドラマを放映していたので何となく観る。
タイトルは『ありがとう』。
なんだか院長一家と看護婦たちの話のようだ。
石坂浩二とか相良直美とかチーターとか出ている。初放映当時は視聴率50パーセントを超えたときもあったとか。
サッカーワールドカップ並だ。
当時、自分はまだ小学校6年か中学に入ったばかりの頃。
家ではなぜか民放ドラマに縁がなく、この番組もまったく観ていないし、その後何回かあったであろう再放送の記憶もない。
だから自分にとっては「新作ドラマ」と同じ感覚だ。

あの頃、13歳の自分から見ればドラマの中の「若者」や「大人」は当然ながら年上で、これから自分が歩むであろう人生の先輩であり、いずれ似たような経験をするんじゃないかという対象であった。
そして、今、50歳の自分からすると当時の石坂浩二も相良直美もみんな「年下」。
過ぎ去った「自分の青春時代」の物語として観ているのだ。
でも何一つこのドラマに出てきたような体験はしなかったけどなあ。
思えば遠くへ来たものである。

それはさておき、40年近く前の日本のドラマを観るたびに思うのは、やっぱりテンポが速いというか余裕がないというか、選択肢の限られた狭い通路を無理やり駆け足でよじ登っているような閉塞感で一杯となり、とにかく息が苦しくなる。

特に色恋沙汰が香ばしい。
貞操観がまだ支配していた頃だから、恋愛即結婚だ。
当時は処女信仰が当たり前の時代。初恋が結婚相手も多かったろう。
「好きな人」できたらそれ即ち「プロポーズ」であり、結婚が若者と親の絶対的終着点で、そのためだけに日常がまわっている感じ。
更には人のプライベートに土足で干渉し、人間関係を引っ掻き回す。
意思疎通不足が誤解を生んでそれがまた物語を盛り上げたりする。

子供は子供であり、大人は大人であり、男は仕事であり、女は家庭であり、貧乏人は貧乏で、不幸者は不幸で、金持ちは金持ちという「格差」が明確で、厳格な「通過儀礼」がすべての登場人物に試練を与えるというか・・。
片親だったり、訳ありだったりする一方で、お手伝いのいる裕福な家庭では人を顎で使ってみたり、もうなんか容赦ないのだ。
適齢期を過ぎた独身女性が「結婚相手はいないの?」と同僚女性に尋ねられ、絶望の淵でさめざめと泣くシーンなど今では「貴重な記録映像」である。
小道具や舞台も貧相で、今のレベルで考えると部屋の中の備品も貧弱極まりなく必要最小限。
黒電話のみが通信ツールとして孤高の輝きを見せているのが印象的。
それに20代が今に比べ異様に老けて見え野暮ったい。
みんな「おばさん」だ。

そう、40年前はこんなものだったのだ。
スポンサーがカルピスだったのか、場面場面で全員カルピスを飲む滑稽なシーンもあったが、考えてみると当時はソフトドリンクなんて数えるほどのアイテムしかなかった。
あと、朝飯を作るシーンで揉めたりするが、当時は3食いちいち自炊するのがスタンダードで食事準備の場面が結構キーポイントだったりする。

だが、しばらく観ているとなんだかすべてが滑稽に見えてきた。
40年後の今、実はこれらすべての事象は「必要のなくなった」ことばかりだということに気づく。

2010年。
もはや、貞操観など日本の女性から完全に喪失しているから、恋愛イコール結婚などいう図式は存在しない。
恋愛と結婚を直結して悩む若者がいたら、それはもはや絶滅希種だ。
核家族すら崩壊してしまったので親が子の結婚や将来を思い悩むことすらなくなった。
「縁談」なんて死語に近い。
結婚が人生において必須科目でなくなったのだ。
だからそんな忌々しい「通過儀礼」に悩む必要もない。
人のプライベートに首を突っ込むような愚かしい行為は廃れたし、下手をすれば訴えられるから「関知せず」がディフォルト。
携帯メールが必須の今日において「行き違い」や「誤解」は生みようもない。
必要な情報はネット経由で入手出来るので「無知」故の騒動は成立し得ない。
大抵の事は家の中で一人で処理できるし、お腹が空けば近所のコンビニやファーストフード店に行けばよい。
24時間営業のスーパーもある。
自販機には多種多様のドリンクが並び、カルピス系飲料も数え切れない。
今時、原液を水で薄める者など稀だ。
「不幸」も「幸福」もいつしか曖昧となり、人生の大きな目標は喪失して「夢」など誰も抱かなくなった。
ぬるま湯のような日常に一人でもなんとか生きていける時代に詰まらぬことで齷齪したくはないのだ。
「幸せな結婚」など御伽噺の世界。

そう、結局のところ、1970年代前半にこのドラマの如く葛藤していたすべての事象は、今、まったく無意味となった。
故に今、『ありがとう』の様なドラマは一切成立しない。
最初の5分で終わってしまおう。
こんなふうに。

病院院長の息子石坂浩二、きょうも13時に起床。
まずはメールチェック。コンビニで朝食を買い、部屋に引きこもり1日中パソコン。
時々メールチェック。家族とは一切会話なし。
寝る前にメールチェック。アダルトサイトで性欲処理。
そして寝る。
相良直美もチーターも自分の部屋で同じような日常を過ごし、少しづつ老いていく。
この繰り返し。
台詞は一切なし。勿論、会話、歌も唄わない。
その代り、時々「舌打ち」「ため息」「奇声」が何回か入るが。

これが2010年版『ありがとう』だ。
1972年当時、50パーセントもの視聴率を稼いだ悲喜交々の人間ドラマの根幹要因が、40年後にはどうでもよい馬鹿馬鹿しい徒労の類でしかなかったと悟ることになるとは誰が予想したろう。

でも世の中、そんなものである。
情報革命によってメンドクサイ雑事が全部とっぱわれてしまったのだ。
まあ鬱陶しい人間関係なしでやっていけるのならこれでいいじゃないか。
これこそがリアルな2010年ホームドラマの根幹であろう。

40年の歳月が日本を如何に変えていったかが如実に解るドラマ『ありがとう』。

そういう意味では正に「ありがたい」。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/

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