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花見

日常
04 /03 2009
今年は先月末に開花宣言してから急に寒くなったため、いつまで経っても2,3部咲きで例年のような綺麗に咲きそろわない。
だから何だかフケみたいで汚い咲き方だ。
とはいえ、例年のごとくお花見だけはもう3回も行った。
付き合い事は苦手なのに何故か花見だけは嫌いではない。主賓が天然の桜だからかもしれない。
先週の土曜日は花見の掛け持ちだった。
昼は同人の知り合いと新宿御苑。夜はラジオ関連の知人と中浦和の公園。
そして今週は学生時代のサークルの腐れ縁とで井の頭公園。
いずれも寒くて暖を取りつつの花見。
井の頭公園周辺は女子大も多く、昼は女性グループが多く居た。
その中で40代後半独身男3人がもさもさと平日の昼間にレジャーシートで宴など、一歩間違えばホームレスと変わらない。
出てくる話題も4半世紀前在籍していたサークル同輩の消息位のもの。
すでに息子娘が大学生になっているのもいる。つまり、周りで宴に興じる二十歳前後の若人と同じ世代が息子娘ということ。
逆に観れば親と同じ年齢の大の男が平日昼真っから花見をしているのである。
なんと惨めなことか。
それを察したのか周りの若人は我々3人から心なし距離を置いているようだ。
アルコールがかなり回った頃、同席していた独身ニートTがいきなり隣の女子大生グループに声をかけ始めた。
勿論、女子大生たちはこちらを「汚物集団」と認識していたので、声をかけられても完全無視。そしてそそくさと撤収していった。
恥の上塗りとはこういうことである。
ただでさえ「塵」扱いされているというのにその「塵」から声を掛けられた訳で女子大生からすれば屈辱的な辱めを受けたに等しい。
こっちまで巻き添えのなるのは御免こうむりたかったので、Tに対し「変質行為は一人の時にやってくれ」と諭したが聞く耳は持たない。
Tは言う。
「今頃、あの女子大生たちは俺たちの事をキモイキモイと噂しているに違いない。俺たちは女子大生の日常における話題のひとつを提供し存在意義を示したのだ。キモイと言われてウレシー」
結局、50近くになる独身ニートにとって桜の宴ですることといえばそんな自虐的迷惑行為位のもの。
頭にきたのでいっそやるのなら全裸になって女子大生グループに飛び込んで失禁せよとアドバイスしたが、そこまでの勇気はないらしい。
今頃、娘息子のために働いている同輩と比べ、何とみっともない人生か。
この辺りにも「格差社会」が見え隠れする。
折りしも新年度で新入社員の話題がテレビラジオから聞かれるが、自分たちの世代では大学卒業後、就職するのが当たり前の時代。
「通過儀礼」が明確だったので卒業後就職と同時に人が変わったように「会社人間」となった者もまだ多かった。というよりそれが当たり前だったのだ。
でも多分、今の新卒者にとっては卒業即「会社人間」にはならないのだろうな。
会社に入ったらゲームもネットもアイポッドも私用携帯も捨て会社のためにすべてを捧げるなんて若者は恐らくいない。終身雇用が終焉した時代に会社に身を捧ぐなんて発想自体なかろう。
「100年に一度」の金融危機なんて経営者やマスコミは騒ぐけれど、だから会社にご奉仕しなければ生きていけないなんて思っておる大卒者も居ないはず。
結局自由な時間を捨てなくともソコソコ生きてはいけるから就職結婚子育てなんていう「通過儀礼」はなくなったのだ。
だからフレッシュマン諸君は入社式でさも悟ったように「100年に1度の金融危機」云々垂れる経営者にこういってやればよい。
「無能な経営者だから大損したんだろ。この等辺僕!俺たちは若い!お前は100年に一度というが、お前は100年生きたのか?いい加減なこと言うな。マヌケ!」
これで内定取り消されても大したことはないのだ。今の時代ではね。
70年代オイルショックの頃は危機に対応しなけりゃ将来がない訳だからみんな必死になってトイレットペーパーやらネオンサイン消灯に躍起になったものだが、この「金融危機」では下々の者は至って冷静というか、もう諦め切っているから誰も慌てない。
慌てたところでどうせ将来の夢など叶わず、終身雇用、結婚、出産なんていう「安定した中流家庭」など遥か過去の夢。。
ならば慌てず騒がずじっとしているほうが賢いのだ。
「100年に一度」なんて騒いでいる連中は一握りの金融ゲーマーの口車に乗って大損を食らった無能な財界人がその損失のつけを下々の懐から取り戻そうと躍起になっているだけ。
そんな企みにまんまと騙されるほど人々は間抜けではなくなった。
車ももう豊かさの必須アイテムではなくなった。いらないものはいらないのだ。
なくては生きていけない時代ではない。だからデジタルテレビは普及しない。
改変期、地上波テレビにチャンネルを合わしてみると何処もかしこも4半世紀前のドリフターズやお笑いバラエティーをリピートして放送している。
今やもう新しい創造をテレビに望めなくなったのはこれを観ても明らか。
結局、希望は過去にあって、未来はただ衰退だけだから結局「希望」のあった過去の遺物に頼るしかないのだ。
過去を振り返ることが唯一の希望ならば、もう誰も未来を見ない。
胡散臭い「金融危機」も実際ありもしない「未来の金脈」を追い求めたからで、そんなのものは最初から幻だったのである。
新たな価値観が生まれない限りジリ貧は続く。
少子高齢化、自殺者年間3万人以上の世の中だ。
そんな時代に旧態依然とした既得権益者だけが得をする「欧米金融システム」に乗っかったから馬鹿をみた。
この現状で「会社人間」になることは自殺行為に等しい。
釈迦力になったところで既得権者に搾るだけ搾り出されて捨てられるのがオチだろう。
だからみんな諦めに近い冷静さを保てるのである。
今は「深く静かに潜航」する者が賢い。
財界人や無能政治家がメディアを通して流布する世迷言を信じることは身を滅ぼすのと同意語だ。
既成概念を超越した「何か」が動き出すまでじっとしていればよろしい。
北朝鮮のロケットに右往左往する日本の「小者」ぶりはなんと愚かしいことか。
パトリオット配備など大っぴらに公表してどうする?軍事常識的に考えてありえない。ピクニックのつもりか?
ただのデモストレーションならばやっていることは北朝鮮と同レベルだ。
そのうち、世界情勢が変わってオセロみたいに国際社会で孤立するのは日本の方になることだって考えられる。
あんなの放っておけばよい。本当に脅威と思うならイスラエルがイラクの原子炉を空爆したように先制攻撃すればよい。
自国を自分の力で守れないからみっともないデモストレーションを始めてしまうのだ。
何もかも惨めったらしくて辟易する。
もっとも「高度経済衰退期」に入った日本に期待すること自体間違っているのだが。

アルコールもなくなったので40代独身ニート男3人は花見を終え、とぼとぼ吉祥寺駅に向かう。
周りは20代前後の若者で溢れている。彼らにはとりあえず「若さ」という武器がある。
だが、妻も子も経済力もない50近くになろうとする独身ニートに、残された人生を生き抜く方策はあるのだろうか?
くだらない戯言をぶつぶつ垂れる事位は出来るかもしれない。
しかし身体が動かなくなった時が最期だ。
もはや、面倒見てくれる人も介護人を雇うことも出来ぬ独身ニートに残された道はない。
2009年の桜は貧相だ。
その貧相さが己の人生の合わせ鏡のように感じて恐怖が襲う。
あと何年、桜を見ることが出来るだろうか。
恐ろしい。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/