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デジタル化は「泡沫の夢」

パソコン
06 /04 2010
マックのハードディスクが満杯になったのでいつものルーティン通りにMOにバックアップを取ろうと思い、ふと気が付いた。
「もうMOでのバックアップは無駄ではないか」
1999年に初めてマックを購入し、バックアップにはMOと外付けハードディスクでずっと対応してきた。
バックアップメディアでは最も信頼性がおけて日本での普及率も高いMOを使っていさえすれば長きに渡って大切なデータを保存続ける事が出来ると。
しかし、2010年の今、もうMOを積極的に記憶メディアとして使おうとしている人はあまり聞かない。
原稿の版下入稿とかではまだまだ主流のようだが、一般ではもう殆ど誰も使っていない。
わずか630MBしか入らないのに1枚500円以上するのではないか?結局量産されなかったから価格も下がらないまま。
メディアもドライブも何時まで生産し続けられるか判らない。
メディアの寿命よりもドライブや読み取り方式が廃れ、結局読み出すことが出来ない事態が迫っているようだ。マックでフォーマットされたMOはウインドウズでは読み取れないし汎用性にも乏しい。
記憶容量も少なく、コストパフォーマンスが悪くなったメディアはMOに限らず、フロッピーディスクも淘汰されようとしている。
あれほど「MO」を信頼し、数多のファイルを記憶させていったのにこのままではただのプラスティックの円盤だ。
確かレーザーディスクも同じような感覚で廃れていった。
「半永久的に鮮明な画像でお気に入りの作品を手元に置ける」という「信仰」のもとに買い集めたLDも今やジャケットを眺めて映像の記憶を反芻するだけ。
結局のところ、デジタルメディア(LDは正確にはデジタルではないようだ)という類の短命さから学習するにあたり、そういったものに下手にお金を掛けると結局馬鹿を見るということだろう。
カセットテープからMDやDATに楽曲データを移行して、カセットを捨ててしまった人も多かろうが、結局、生き残ったのはカセットのほうでMD、DATを再生しようにもドライブがなくなってしまう時代が来る。
ハイビジョン映像で記録された貴重な記録や数々の「最新デジタルメディア」に残されたあらいる「文化遺産」もいずれドライブがなくなるから再生が不能となる。
結局、マイクロフィルムやアナログテープ、35mmフィルムで記録しておいたほうが「長持ち」するという皮肉。
「デジタル信仰」に煽られて元のアナログメディアを破棄してしまい、再生できない「死んだデジタルメディア」の山だけが残るという時代が来るかもしれない。
現在、主流のCD-R,DVD-R,ブルーレイ、USBメモリーなどのスマートメディアもいずれは例外なくMOと同じ道を辿ろう。
ある意味、「デジタル化」は人類文化遺産の喪失を意味しているのかもしれない。
数年後ごとに更新される「最新デジタルメディア」にこの全部の「デジタルデータ」を移し代える労力と工程上に生ずるデータの劣化を考えるとデジタル化は次世代に文化を受け継ぐ手法としては決してベストとはいえない。
最近はネット上でデータをバックアップするオンラインストレージというのがあるらしいが、これも果たして万能なのか判らない。
メディアに頼ることはなくなるだろうが、ファイル形式などが時代遅れになって結局将来、読み込めなくなる可能性もある。
こうなるとデジタル化させたものを長きに渡って保存させておく行為自体が、もはや破綻しているのではないだろうか?
そんなものに大金を叩いて保存させても数年後には読み取れる方策がなくなってしまうのであれば、こんな馬鹿馬鹿しいことはない。
結局は新しい記録メディアを投入するIT企業の意のままに投資しつづけない限り「デジタルデータ」は継承出来えないのだろう。
ipadだって「新しい書籍のカタチ」と持て囃されているが、所詮持っても5年だろう。
「紙に変わる新たな書籍のビジネスモデル」などという「信仰」は胡散臭い。速まって「紙」の書籍ビジネスを放棄し、ipad形式にすべて更新したところであっという間に廃れるから大損である。
所詮デジタルには質量がない。
価値があるのはそのプラットホームであって、そのプラットホームが刷新されるごとにフォーマットも最初から全部作り直さねばならない訳だ。
そんなことをしていたら本屋も出版社も利益どころの話ではない。新プラットホームごとに全部元から作り直しである。
「紙」で構成された元来の書籍フォーマットはもう何世紀にも渡って受け継がれており、出版社も本屋も読者もそのフォーマットを受け継いでいたから「安定したビジネスモデル」が確立した。
しかしipadみたいな「電子書籍」は数年毎にフォーマットが変わってしまうから将来を展望できる営業活動は保障されない。
また読者にとっても新しいプラットホームではもはや書籍を読み返す事すら出来ない。新方式になる度に新たに購入を強いられる。
「紙」の本を裁断してデータ化する人が居るが危険だ。本来の書籍ならいつでも読み返せるが、データ化したらそのリーダーが壊れたらおわり。データーを新しいリーダーに取り込めるとは限らないし、取り込めるとしてもお金と労力を強いられよう。
ipadも数年経ったら3DOやVHDのようになっているかもしれない。
結局、儲かるのは電子書籍プラットフォームを更新し続けるIT企業のみだ。
それを知ってかアップルなどはipadで配信する「電子書籍」に制限をつけて検閲まがいの事まで始めているという。
伊集院光もラジオで危惧していたな。
結局のところ、「電子書籍化」というのは世界の文化、芸術、風俗すべてを、増長するIT企業に委ねてしまうという危険性があるのだ。
すべてがデジタル化され、その閲覧が限られたIT企業の開発したプラットフォームのみでしか見られなくなったとしたら、ある意味恐ろしい。
デジタルに疎い一般の人も薄々この事に気が付き始めている。
デジタル化というのは、雲をを掴むような話で、そのような一瞬で霧散するものにすべてを置き換えるのは無謀すぎる。
結局、質量のないものに恰も価値があるように見せかけるシリコンバレーの錬金術に過ぎない。
対価は質量のあるものに生じる。
質量のないものにお金を掛けてはいけない。タダがデジタルの不文律。
そんなデジタルに取り込まれた数多の企業は遅かれ早かれすべて破綻するだろう。
そして最後に世界の富はアメリカIT産業の懐に収まると。
しかしこの「デジタル錬金術」もいずれは行き詰る時が来る。
原子力が万能エネルギーでなかったのと同じように。

デジタル化は、ある意味「泡沫の夢」なのだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/