モノ言えぬ家畜と絶望独身男性の運命は同じだ

報道
05 /19 2010
宮崎の口蹄疫禍が今頃になって全国的に騒がれ始めた。
汚染拡大防止のため、汚染区域周辺の家畜を片っ端から処分するとか。
もはや「焦土作戦」の様相を見せ始めた。
野火の延焼を食い止めるため敢えて火を放って緩衝地域を作るのと同じようなものか?
当事者の農家にとって国が補償する処分は放置するよりはベターなのだろう。
家畜は生産物であって愛玩動物ではない。
だから所有する家畜を処分しても損失にならなければ、農家にとってはありがたいのかも。
政府が殺処分した家畜を高く買い取ってくれれば願ったり適ったり。餌代も浮く。

だが家畜といっても生き物であることに変わりない。
何十万頭の家畜が感染拡大防止のために処分されるのは、家畜にとってはジェノサイドと同じだ。
鯨やイルカのように「同情してくれる人間」もいない。
豚や牛は人間に食われるために「生産」されている訳で遅かれ早かれ「屠殺」されてあの世行きとなるのだから、結果的には食肉として処分されるか、感染防止のために処分されるかの違いだけだ。
口蹄疫はウイルスで感染するそうで感染力も強く、食い止めるのは宿主の家畜をすべて処分しない限り収まらないとか。
放置すれば日本の畜産業は壊滅するらしい。
イギリスでも過去に何百万頭も殺処分して口蹄疫蔓延を防いだとか。
しかし口蹄疫自体は人にうつらないし、その食肉を食べても大丈夫なようだから、なんでここまで騒ぐのかと不思議に思うが多分畜産業の常識からしたらここまでしないと治まりがつかない事例なのだろう。
つまり「生産性」が悪化するから処分するのだ。
病が家畜の生死に関わるかなんて農家にとっては関係ない。
質のよい食肉を生産するという目的に適わぬ家畜は存在意義はないのだ。
その範疇にない家畜はゴミ同様。
赤字を出してまで商品価値のない家畜を飼育する生産者などどこにいるか?
だから口蹄疫に罹った家畜は粛々と処分される。
彼らに「命の尊厳」もへったくれもない。
「生産性」という不文律の下に「大量虐殺」は正当化される。

しかし、これがもし絶望独身男性の身に降りかかったらどうであろう?
たとえば、「独身絶望男性は社会の害悪であって犯罪者予備軍だ。児童ポルノ愛好者もこの分野に多い。よってその存在は健全な社会にとって危険な病原菌である。質の悪い人間は同じ人間であっても生きる権利はない。よって直ちに殺処分しなければならない」
もしこういった法令が出来たら、日本中の絶望独身男性は、宮崎の牛や豚と同様に殺処分の対象になろう。
口蹄疫に罹った牛や豚自身が致命的な病気に成らないのだから殺すまではしないでくれと人間に哀願しても、聞く耳は持たないと同様に、絶望独身男性が独身ニートというだけで殺されるのは理不尽だと説いても殺処分は実践されるだろう。
決まり事とはそういうものである。
全国各地に自衛隊が巨大な穴を掘ってそこに絶望独身男性を放り込み、殺処分する。
そんな時代が来ないとは限らないのだ。

物言えぬ家畜と絶望独身男性の運命は同じだ。
殺処分は他人事ではない。
いつ自分も口蹄疫に罹った家畜同様に殺処分されるか警戒したほうがよい。
生かすより殺したほうが利益になって国も補償してくれるとあれば、宮崎の畜産農家同様、喜んで同胞を殺処分場に差し出すであろう。
世の中はそんなものである。
絶望独身男性は家畜以下と思っているキチガイもいる。
豚や牛並の存在だとね。
そんな人間が国を司る要職に就いたら恐るべきジェノサイドが始まろう。
この口蹄疫禍は日本絶望独身男性の未来図でもある。

しかと心得るべきだろう。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/