小学44年生の春
日常
一昨日の暖かい日、自費出版原稿を入稿の際、印刷所最寄の南武線駅近くにある小学校校庭にふと目がいった。
散る桜の花びらを追っかけて何人かの女子児童が駆け回っている。
確か数年前、新海誠の作品で「秒速5センチメートル」というのがあって、これは桜の花弁が落下する速度だったようなことを思い出す。
地面に落ちる前に桜の花びらを掴むと何かいいことがあるかのように女子児童は必死になってソメイヨシノの花びらを追っかける。そういえば新宿御苑でもそんな光景を目撃したので、流行っているのだろうか?
そんな小学校の休み時間の光景を眺めていると何だか自分のろくでもない当時のことが甦ってきた。
今週の伊集院光の深夜ラジオでも話題になっていたが、ひとつは野球のグローブのこと。
自分の世代は「巨人大鵬玉子焼き」の時代で、小学男子は漏れなくグローブを所持していた。
野球のグローブは昭和30年代生まれの男子にとって必須アイテムだったのだ。昔のものは硬くて自分にフィットさせるまではかなりの時間を要したのを思い出す。
年季が入れば入るほど自分の身体に馴染んできた。
未だに自分の手元には40年程前、親父に買ってもらったそのグローブがあり、今でも現役で使える。まさか半世紀近く経ても使っているとは、買った当時想像もしなかったろう。
少年用グローブだったので大きさも小さい。しかし今でも十分に使用に耐えうる。
子供の頃、身体で覚えたスポーツは久しくやっていなくとも、すぐに甦ってくる。
何事も幼少の頃に何を覚えるかで人間決まってくるものだ。
もう一つ、その校庭の光景から思い出されたのは、確か小学校4年生くらいだったか、クラスで二人一組になって鶏の卵を孵すという理科の授業があった。
機械的に組まされた相手は、特に仲がよかった訳でもないクラスメートの女子。
無作為に選ばれた有精卵を孵卵器にいれ、それぞれのコンビが指名された卵の成長記録を担当するみたいな授業。
数日後、クラスで最初に生まれた卵がなんと、自分と女子とのコンビが担当したものだった。
他のクラスメートは変に囃し立て、「お前らの子供だぞ」とかからかってきた。
そもそも当時から女子に相手にされたこともない存在感ゼロの自分が「卵が最初に産まれた」というだけで、クラスメートの女の子との仲を云々されることが奇妙であり、その鶏の雛が恰も、女の子との間に生まれた自分の子供なんていう「ありもしない現実」に戸惑いながらも、心の奥底で不気味なときめきを感じていたことも確かだった。
無論、当時はどうして子供が出来るかなんて知らなかったし、Hなことを考える年齢にも達していなかったのであるが。
それはさておき、そんなこともあって妙にコンビ相手の女子児童が気になり始めた。
もっとも相手の女子クラスメートはこちらをキモイ冴えない馬鹿男子と見くびっていたから、他のクラスメートのからかいにも迷惑千万の表情をしていた。
その後、その生まれた雛がどうなったか覚えていない。
コンビを組んだ女の子とも仲良くなったわけでもなく、どちらかというと嫌がられていたのでこちらもいつしかどうでもよくなっていた。
そんな他愛のない事が急に思い出されたのだが、思い出したところで一銭にもならず、楽しくもない。
40年以上前の話だから、名前も顔もどんな人間だったかも覚えていない。
ただ、朧げに迷惑そうな表情だけは微かに残っている。
そう、異性に関して思い出されるものはすべてネガティブな事ばかり。
その子がもし普通の人生を歩んでいるのなら今頃、結婚し息子娘が二十歳を迎えていることだろう。
一方、こっちは相も変わらずマトモな通過儀礼もなく「小学44年生」として、未だ独身として燻っている。
桜の花びらを追っかけていた女子児童はチャイムがなると一斉に教室へ帰っていった。
そう、小学生は今も昔も45分単位で10分間の休みを挟みつつ細かな時間を区切って生活している。
そんな「決められた時間」の中で思い出が作られてきたのだ。
日本の小学校は12歳、6年生まで。
しかし、ここに50歳、小学44年生の自分が居る。
いつまでたっても初等教育の場から卒業できない哀れな絶望独身男性として。
父兄よりも歳を食っている小学生だ。
ふと、自分もチャイムに合わせて、教室に走って行きたい衝動に駆られる。
しかし、そこに自分の居場所はないのだ。
可愛い女子児童に掴まれることもないまま地上に落ちて朽ち果てる桜の花弁の如き惨めさよ。
嗚呼、小学44年生。哀れなり
散る桜の花びらを追っかけて何人かの女子児童が駆け回っている。
確か数年前、新海誠の作品で「秒速5センチメートル」というのがあって、これは桜の花弁が落下する速度だったようなことを思い出す。
地面に落ちる前に桜の花びらを掴むと何かいいことがあるかのように女子児童は必死になってソメイヨシノの花びらを追っかける。そういえば新宿御苑でもそんな光景を目撃したので、流行っているのだろうか?
そんな小学校の休み時間の光景を眺めていると何だか自分のろくでもない当時のことが甦ってきた。
今週の伊集院光の深夜ラジオでも話題になっていたが、ひとつは野球のグローブのこと。
自分の世代は「巨人大鵬玉子焼き」の時代で、小学男子は漏れなくグローブを所持していた。
野球のグローブは昭和30年代生まれの男子にとって必須アイテムだったのだ。昔のものは硬くて自分にフィットさせるまではかなりの時間を要したのを思い出す。
年季が入れば入るほど自分の身体に馴染んできた。
未だに自分の手元には40年程前、親父に買ってもらったそのグローブがあり、今でも現役で使える。まさか半世紀近く経ても使っているとは、買った当時想像もしなかったろう。
少年用グローブだったので大きさも小さい。しかし今でも十分に使用に耐えうる。
子供の頃、身体で覚えたスポーツは久しくやっていなくとも、すぐに甦ってくる。
何事も幼少の頃に何を覚えるかで人間決まってくるものだ。
もう一つ、その校庭の光景から思い出されたのは、確か小学校4年生くらいだったか、クラスで二人一組になって鶏の卵を孵すという理科の授業があった。
機械的に組まされた相手は、特に仲がよかった訳でもないクラスメートの女子。
無作為に選ばれた有精卵を孵卵器にいれ、それぞれのコンビが指名された卵の成長記録を担当するみたいな授業。
数日後、クラスで最初に生まれた卵がなんと、自分と女子とのコンビが担当したものだった。
他のクラスメートは変に囃し立て、「お前らの子供だぞ」とかからかってきた。
そもそも当時から女子に相手にされたこともない存在感ゼロの自分が「卵が最初に産まれた」というだけで、クラスメートの女の子との仲を云々されることが奇妙であり、その鶏の雛が恰も、女の子との間に生まれた自分の子供なんていう「ありもしない現実」に戸惑いながらも、心の奥底で不気味なときめきを感じていたことも確かだった。
無論、当時はどうして子供が出来るかなんて知らなかったし、Hなことを考える年齢にも達していなかったのであるが。
それはさておき、そんなこともあって妙にコンビ相手の女子児童が気になり始めた。
もっとも相手の女子クラスメートはこちらをキモイ冴えない馬鹿男子と見くびっていたから、他のクラスメートのからかいにも迷惑千万の表情をしていた。
その後、その生まれた雛がどうなったか覚えていない。
コンビを組んだ女の子とも仲良くなったわけでもなく、どちらかというと嫌がられていたのでこちらもいつしかどうでもよくなっていた。
そんな他愛のない事が急に思い出されたのだが、思い出したところで一銭にもならず、楽しくもない。
40年以上前の話だから、名前も顔もどんな人間だったかも覚えていない。
ただ、朧げに迷惑そうな表情だけは微かに残っている。
そう、異性に関して思い出されるものはすべてネガティブな事ばかり。
その子がもし普通の人生を歩んでいるのなら今頃、結婚し息子娘が二十歳を迎えていることだろう。
一方、こっちは相も変わらずマトモな通過儀礼もなく「小学44年生」として、未だ独身として燻っている。
桜の花びらを追っかけていた女子児童はチャイムがなると一斉に教室へ帰っていった。
そう、小学生は今も昔も45分単位で10分間の休みを挟みつつ細かな時間を区切って生活している。
そんな「決められた時間」の中で思い出が作られてきたのだ。
日本の小学校は12歳、6年生まで。
しかし、ここに50歳、小学44年生の自分が居る。
いつまでたっても初等教育の場から卒業できない哀れな絶望独身男性として。
父兄よりも歳を食っている小学生だ。
ふと、自分もチャイムに合わせて、教室に走って行きたい衝動に駆られる。
しかし、そこに自分の居場所はないのだ。
可愛い女子児童に掴まれることもないまま地上に落ちて朽ち果てる桜の花弁の如き惨めさよ。
嗚呼、小学44年生。哀れなり