「ザ・コーヴ」アカデミードキュメンタリー部門受賞。これも因果応報だ。

報道
03 /09 2010
スーパーの惣菜売り場に行くと、お寿司が山と積まれている。
本格的な寿司ネタがパック詰めにされて普通に商品として扱われるようになったのはいつごろからか?
自分が子供の頃、昭和50年代くらいまでの頃は、寿司がスーパーに並ぶなど想像すら出来なかった。
寿司は頑固な親父が仕切る老舗寿司屋の専売特許と決まっていた。
それがいつしか「回転すし」やら寿司チェーン店が出来、いつのまにかスーパーにまで扱うようになった。
スーパーで鮮魚を売ること自体そんなに歴史は長くないだろう。
今日これだけ膨大な鮮魚市場が膨らんだわけだが、果たして日本人がかつて程、寿司を含めた鮮魚を消費するようになったとは聞かない。
自分からすると寿司や刺身は人並みに食べるが率先して好きだというほどでもない。寿司屋などめったに行かない。回転すしなど生涯で入ったのは1,2度程度。それも付き合いだ。
いずれにしろ、これだけ鮮魚市場が増えているのだから漁獲量もそれ相応に拡大しているのだろう。
だが、その獲った魚は本当に的確に消費され、無駄は無いのだろうか?

先日、アカデミー賞ドキュメンタリー部門で、日本のイルカ漁を批判した映画「ザ・コーヴ」がオスカーを獲得したという。
これに限らず、シーシェパードによる南極海捕鯨妨害活動やクロマグロ取引規制など、日本の漁業、水産に対する非難が日を追って高まっている。
そもそも当の日本人が差ほど魚を食べなくなってきているというのに、日本の行政当局がいつまでも従来の水産方針に固執する理由はなんなのか?
既得権益固守だけのために、その結果日本の国益を損ねているという感覚はないのか?
鯨、イルカ、クロマグロ、そもそもそんな魚肉類が今の日本の食卓にどれだけの頻度で並ぶというのか?
これが無くては生きていけない日本人などどれ程の数だ?
恐らくこれらの魚肉摂取年間ゼロという日本人も少なくあるまい。
結局、これらを捕獲することに固執して得る利益より、不利益のほうが余程大きいことは子供でも解る。
鯨、イルカは論外としても、クロマグロでさえ殆ど口にすることはない。大抵「マグロの刺身」というのはメバチマグロとか品種が違うそうである。
どこかの寿司チェーン店がクロマグロを目玉に商売を展開して、クロマグロ漁獲に規制がかかると困るとかテレビで紹介されていたが、そもそもそんな貴重な魚を商品の材料に扱っている感覚の方がおかしいんじゃないのか。
こういった店に並ぶ客層も民度が低そうで「日本の恥」を世界に晒しているようなものだ。
外国から見たら「犬を食っている民族」と差ほど変わらぬ目で見られているのだろう。
兎角、日本の水産業は西欧の規準からして「野蛮で残酷」と見られている。
それぞれの国にはそれぞれの風習があって食文化も違うのは当然であって、それを他の国からとやかく言われる筋合いは無い。
鯨類が家畜の豚、牛などより「生命の価値」が高い根拠など何処にも無い。所詮生きていくためには「殺生」は付きものだ。
だが、絶滅危惧種を平気な顔をして食らっている様はどんな理由を付けようと「文明人」とは言えまい。
日本人だって他の国の人間が絶滅危惧種を食らっている様を見れば「野蛮な野郎共だ」と思うに違いない。
「ザ・コーヴ」の受賞が発表された瞬間、アカデミー会場では歓声が上がり、総立ちで祝福していた。
すなわち、彼らにとっては「野蛮人ジャップの悪行を暴き、世界に知らしめた偉業」を称えたのだ。
日本人が「あれは盗み撮りで事実と反する」などど反論したところで「神聖なイルカ」を「大量虐殺」していることには変わりない。昔、同じような情景を撮影されて世界から非難を食らったことがあったが、その教訓を日本人はまったく忘れているのだ。
そもそも、そこまでしてイルカや鯨を大量に殺さなければいけない理由が存在しないにも拘わらず、いつまでたってもイルカ、鯨漁に固執するからこんなことになる。
この受賞がきっかけでますますジャパンバッシングが広がり、トヨタのみならず他の日本製品不買運動が起こってもなお、鯨、イルカを獲り続ける理由はどこにあるのか?
その理由はさっぱり解らぬ。
これが日本古来からの文化というならばインカなどの生贄の儀も文化として保護すべきだ。
日本の行政府はそこまでして堅持すべき文化というならばそう主張して、そこで発生する不利益も受け入れよと全日本人に説得しなければならないだろう。
だが自分は御免被る。
お断りだ。
めったに食わない絶滅危惧種のために日本人の立場と地位を犠牲にされたらたまったものではない。
此処に到って鯨やイルカを食う理由はなんだ?
そろそろそんな因習が「恥」だと自覚したほうがよい。
小学校の頃、世話になった「鯨の竜田揚げ」は美味しかったが、現状況を鑑みれば無理して欲する理由は何処にも無い。
日本にはもっと守るべき「未来志向」の事業があるはずだ。
自分も日本人だが、和歌山の太地町漁民や南極海捕鯨業者やクロマグロを扱う寿司屋の利益だけのためにその他諸々の不利益を被りたいとはさらさら思っていない。
太地町漁民は必死になって、この「ザ・コーヴ」上映をさせまいと「妨害工作」しているようだが、そんなさもしい行動は北朝鮮、中国と同レベルである。
イルカ漁が正しいかどうかは別として日本人の野蛮さを象徴するターゲットにされたことの自覚位は感じるべきだろう。

いずれにしろ、こんな状況を生んでいるのは、無能な日本文化行政の結果であることは明らか。
オリンピックにしろアカデミー賞にしろ、日本のスポーツ文化が如何に無為無策に陥っているかをよく表している。
今回のアカデミー賞でも日本の次期基幹産業(といわれていたはずの)であるコンテンツ事業のひとつであるアニメーションは一つも受賞していない。
いや、受賞はおろかノミネートすらされていないのだ。
その一方で日本批判の映画はオスカーを受賞した。
コンテンツを育成する施設、事業予算を削った結果がこのザマである。
日本を世界に発信するという「国益事業」を蔑ろにし、旧態依然の古びれた因習に基づく水産既得権に固執した挙句、世界から「日本人は野蛮だ」という一方的非難の集中砲火を浴びているのだ。

本当に日本が漁業既得権を守りたいならもっと賢い手段を模索したらどうだ。
ここまで批判に晒されているのは、それを担当する行政府が馬鹿で無能であるからに他ならぬ。
馬鹿の一つ覚えのように南極海に出かけていって、とても国益になるとは思えぬ「調査捕鯨」を続け、イルカ漁の悪しき因習を放置したり、絶滅危惧種を食い物にしている業者を黙認しているから、欧米の環境団体から恰好の標的とされてしまうのである。
正直なところ今回アカデミー賞受賞した「ザ・コーヴ」を観たい気持ちはあまりない。
胡散臭いプロパガンダ臭がするのは否めないし、この映像がどれだけ「真実」に近いのか確かめようもない。
だが、己の主義主張を貫くためのチャレンジ精神は否定すべきものではない。
「盗撮」すら敢行し「不正義(彼らにとっての)」を世に知らしめる活動力には見習うべきものがある。

今回のイルカ漁批判映画受賞に日本行政府と和歌山の漁民たちが何も学ばず、ひたすら「上映妨害」に奔走していたら、日本の立場はますます悪化の一途を辿るだろう。
そんなことをしたらグーグルに規制をかけようとした中国共産党と同じである。
アカデミー賞自体を批判したところで何も始まらない。
アカデミー賞は世界にメッセージを伝えるうえで最も強大なイベントである。それを味方に付けた彼らが賢かったのであり、それを「敵」にまわした日本人がマヌケだっただけなのだ。
その間抜けっぷりが日本人ながら笑えてしまう。
今回の受賞劇は、この日本の間抜けっぷり、無能っぷりが焙りだされた面において愉快痛快だったのである。
この映画自体の価値は正直、どうだっていいのだ。

だからこそ、こちらの主張を訴えたいのならば、同じ手段でこちらの「正当性」を描けばよいのだ。
そのためのコンテンツ産業なのだ。
宮崎駿あたりが捕鯨を日本の伝統文化として上手くアレンジしたアニメ作品を作れば、それを「政治力」でショービジネス化し国際市場に太刀打ちできるような規模で提供して、アカデミー賞受賞でもすれば欧米人だって捕鯨に対する感情を変換させる可能性だってありえる。
そういう戦略も日本の国益を守る観点から必要になるだろう。
ところがなんだ。
事もあろうに、新政府はその手段の象徴であった国立のコンテンツ施設の予算を破棄し、自らの手で葬り去ってしまったのだ。
己を守る有効な武器になるうるコンテンツ産業の未来を自ら放棄しているのだからね。
まあこんな調子ではジャパンバッシングは永遠になくなるまい。
愚鈍で大馬鹿連中が行政の上にいるうちは日本に未来なんてあろうはずもない。
因果応報である。
馬鹿には馬鹿なりの結果しか付いて回らない。
世界から更なる批判に晒され、日々日本の国益が損なわれても知ったことか。

さて、この状況下で当の行政府はどう対処するつもりか?
さしあたり予定にあるのはまたぞろ「事業仕分け」だそうである。
あの元クラリオンガールが例によって紅衛兵よろしく「造反有理」をがなりたて、日本の未来と希望を奪う「文化大革命」ごっこを繰り広げるとか。
馬鹿も極まれりだ。
この期に至ってまだこんなことやってんのか?
笑いが止まらないね。

太地町漁民もイルカ大量殺害なんか辞めて、代わりに生簀に無能与野党議員を放り込んで銛で突くのは如何か?
こっちのほうが余程溜飲を下げられるであろう。
これなら環境団体から批判は来ないから安心だよ。
題して「ザ・無能」
もっともアカデミー賞は獲れそうもないが。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/