2023年、櫻の季節巡る
日常
2023年、今年もお花見の季節が遣ってきた。
早速、19日と22日に新宿御苑に赴く。
東京の桜開花は早く、19日時点で5~6分咲だ。
まだコロナ文革前とは比べものにはならぬが外国人客も戻ってきて、コスプレ撮影等、意気揚々と桜見物を楽しんでいる。
一方、地元日本人はコソコソと身を丸め、未だに無意味なマスクをして覇気もない姿でうろついているだけ。それも高齢者ばかりが目立つ。
発展する北東アジア諸国の後塵を拝する惨めな国を象徴する姿が哀れだ。
この3年間、コロナ文革という忌まわしいプロパガンダによって壊滅的な打撃を受けたこの国の文化、サブカルチャー。
今年になってやっとコロナ文革のヒステリックな嵐も遠ざかりつつあるが、もはやこの文革以前の世界には戻ることはない。
ただですら衰退の途にあった日本。
コロナ文革はこの流れを更に加速させ、滅びの日を近づけさせた。
超少子高齢化は怒涛の如く進み、回復の見込みは潰えた。
行政府は口先だけで「異次元の対策」とか宣わっているが、もはや何の効果もない。
少子化対策は金銭のレベルでは絶対に解決しない。
お金をいくらつぎ込もうとも、誰も子供を産まないし、育てない。
「貧乏子沢山」
乏しい社会であればあるほど人は子供を産む。
戦後の混乱期に何故ベビーブームが起こったのか?
今と比べたら経済状況は雲泥の差で劣悪。
治安も公衆衛生もひどかった。
にも拘らず、人々は子を産んだ。
これは魂の問題である。
もし、本当に少子化対策を本気で取り組むのなら「産めよ増やせよ富国強兵」というスローガンしかない。
生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれてこそ、人は子を産み、育てる。
そのスローガンを掲げる事がタブーというのならもう何も期待するな。
滅びに任せるがよい。

去年の年末だったか。
NHKで銀河テレビ小説『まんが道』の再放送をしていた。
これが初放映されていたのは1980年代後半だったろうか?
全く見た記憶がない。
いや、観ていたはずだったのだが思い出せないのだ。
断片的に何か記憶に残るシーンもあったのだが・・。
それはさておき、改めてこの『まんが道』を観ると漫画家を目指すスピリッツの息吹に愕然として、モニターの前から這いずり逃げ出そうになる。
この闘争の熱い意志無くしてこの「道」は貫けないのだという事を改めて思い知ったと同時に、これは若き人間こそが実践できる特権でもあるのだということにも気が付いた。
還暦を過ぎた今、理屈では「吶喊あるのみ」の姿勢はあるものの、加齢と環境の変化がその意志を尽く挫く。
一部の売れっ子漫画家を除き、還暦を過ぎても商業誌で現役バリバリの者は少ない。
描き続ける環境が侵食され、どう生きるかの選択を迫られる時がヒタヒタとやってくる。
決断の日は近い。
しかし、この世界に潰しは効かない。
己の道を突き進むしかないのだ。
今更この道を外したとて、タカラの「人生ゲーム」同様、最後は有り金全てルーレットに載せて運任せの博打に頼るしかない。
その成功確率は0.00001%も満たない。
終りである。
「人生ゲーム」同様「貧乏農場」行きで惨めな老いを曝さねばならぬ。
結局、漫画家という生業は「勝利か死か」の二分しかない。

結婚を果たし、嫁を娶って子を育てた同世代の者との会話はもはや耐えがたきものとなった。
子は既に独立し、結婚出産の話題で持ちきりだ。
還暦を子供に祝ってもらったとか、孫が生まれたとかの自慢話に華が咲く。
一方、妻も子も設けられない還暦過ぎた独身絶望男性は惨めだ。
そんな彼らが吐露する会話は聞くに堪えない。
80代の親を60代の息子が面倒を見る老々介護に体力、精神力を奪われ、未来に何一つ残せるものはなく、マスコミが加勢するフェミファシストの残忍な攻撃に毎日晒されて袋叩きに合ってるのだ。
特に年金などの恩恵に与らないフリーランス独身絶望男性は本当に「死ぬこと」位が唯一の希望となりつつある。
同世代の漫画家が人知れず鬼籍に入った便りを聞くと心底「嗚呼、羨ましいなあ」と思うことが増えた。
この先、良いことなど全く期待できず、ただ体力、気力の衰えと衣食住環境の悪化だけが確約された酷い人生しか待っていない。
体力、気力が絶望的に衰える前に、帝国陸海軍が起死回生を図った「菊水作戦」の如く、己をここまで追い込んだ「敵」に対する特攻攻撃を仕掛け果てるのも一つの選択肢かもしれない。
それが絶望独身男性に残された唯一の「希望」となる。

神宮外苑の神聖なる樹木が数千本単位で伐採され、醜悪な高層マンションを林立させる再開発計画が進行中だという。
この神をも恐れぬ破壊行為は断じて許されてはならない。
SDGsとかいう嘘と欺瞞に溢れたプロパガンダを謳っておきながら、現実には環境破壊を推し進める邪教の輩に唆されて帝都の森を破壊する行為は天に唾することと変わりない。
ただですら、ヒートアイランドで耐え難き夏の暑さが拡大の一途をたどっているというのに、それをさらに悪化させる都市樹木伐採と守銭奴亡者の阿片窟である高層マンション建設は悪魔の所業。
それを夏の打ち水でごまかせると思うのか?
この神聖なる帝都を汚す事業に加担する現都知事と地主は帝都民の敵、万死に値する。
日本本土を覆いつくそうとする太陽光パネルや風力発電機に地球環境を改善する効力など一切ない。
むしろ森林を破壊することで酸素供給源を失い、八百万の神宿る聖域を破壊し、人々の居住環境を劣悪化させることは昨年夏の熱海土砂崩れの例を挙げるまでもなかろう。善良なる民の里を奪う行為に他ならない。
このような所業に手を染めた輩は、遅かれ早かれ完膚なきまでの神罰が天から下るだろう。
覚悟すべし。

WBCで日本が優勝したという。
「WBC号外求め駅前に殺到する群衆」との報道に「プロレス力道山の試合を観るため駅前街頭テレビに殺到する群衆」が妙にシンクロする。
日本人は何時の時代も「出来すぎの大勝利」に心酔する。
超大国相手に完勝した日本海海戦や真珠湾攻撃然り・・。
コロナ文革でスポーツ観戦も壊滅的な打撃を受けていた日々が続いていたところにやっと一筋の光が射しこんできた出来事だった。
これが「出来すぎ」であったとしても、日本中が湧いたのはコロナ文革の抑圧社会より、よっぽどマシだったからだ。
祭りは人々にとって必須の行事である。
それをコロナ文革は奪ってきたのだ。
WBCはその悪事に対する反撃の狼煙にもなった。
コロナ文革によって完全に祭りとしての役割を潰された東京オリンピックの代わりとして、このWBCは異様な盛り上がりに成功した。
だが、果たしてコロナ文革以前の「光」を取り戻せる起爆剤となるかは解らない。
世はもうすでに「破滅」に向かって走り出しているのかもしれぬ。
WBC日本チームの「活躍」が恰も「出来すぎで没になってもおかしくない野球漫画」であるとすれば、「ロシアが勢い余って核ミサイルを全世界に発射して最終戦争が起こり、人類文明絶滅」というチープなC級ディストピア漫画も「現実」となりえるのだ。
新宿御苑の桜は今年も咲く。
そして来年も「最終戦争」で人類が絶滅しても咲き続けるだろう。

早速、19日と22日に新宿御苑に赴く。

東京の桜開花は早く、19日時点で5~6分咲だ。
まだコロナ文革前とは比べものにはならぬが外国人客も戻ってきて、コスプレ撮影等、意気揚々と桜見物を楽しんでいる。
一方、地元日本人はコソコソと身を丸め、未だに無意味なマスクをして覇気もない姿でうろついているだけ。それも高齢者ばかりが目立つ。
発展する北東アジア諸国の後塵を拝する惨めな国を象徴する姿が哀れだ。
この3年間、コロナ文革という忌まわしいプロパガンダによって壊滅的な打撃を受けたこの国の文化、サブカルチャー。
今年になってやっとコロナ文革のヒステリックな嵐も遠ざかりつつあるが、もはやこの文革以前の世界には戻ることはない。
ただですら衰退の途にあった日本。
コロナ文革はこの流れを更に加速させ、滅びの日を近づけさせた。
超少子高齢化は怒涛の如く進み、回復の見込みは潰えた。
行政府は口先だけで「異次元の対策」とか宣わっているが、もはや何の効果もない。
少子化対策は金銭のレベルでは絶対に解決しない。
お金をいくらつぎ込もうとも、誰も子供を産まないし、育てない。
「貧乏子沢山」
乏しい社会であればあるほど人は子供を産む。
戦後の混乱期に何故ベビーブームが起こったのか?
今と比べたら経済状況は雲泥の差で劣悪。
治安も公衆衛生もひどかった。
にも拘らず、人々は子を産んだ。
これは魂の問題である。
もし、本当に少子化対策を本気で取り組むのなら「産めよ増やせよ富国強兵」というスローガンしかない。
生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれてこそ、人は子を産み、育てる。
そのスローガンを掲げる事がタブーというのならもう何も期待するな。
滅びに任せるがよい。


去年の年末だったか。
NHKで銀河テレビ小説『まんが道』の再放送をしていた。
これが初放映されていたのは1980年代後半だったろうか?
全く見た記憶がない。
いや、観ていたはずだったのだが思い出せないのだ。
断片的に何か記憶に残るシーンもあったのだが・・。
それはさておき、改めてこの『まんが道』を観ると漫画家を目指すスピリッツの息吹に愕然として、モニターの前から這いずり逃げ出そうになる。
この闘争の熱い意志無くしてこの「道」は貫けないのだという事を改めて思い知ったと同時に、これは若き人間こそが実践できる特権でもあるのだということにも気が付いた。
還暦を過ぎた今、理屈では「吶喊あるのみ」の姿勢はあるものの、加齢と環境の変化がその意志を尽く挫く。
一部の売れっ子漫画家を除き、還暦を過ぎても商業誌で現役バリバリの者は少ない。
描き続ける環境が侵食され、どう生きるかの選択を迫られる時がヒタヒタとやってくる。
決断の日は近い。
しかし、この世界に潰しは効かない。
己の道を突き進むしかないのだ。
今更この道を外したとて、タカラの「人生ゲーム」同様、最後は有り金全てルーレットに載せて運任せの博打に頼るしかない。
その成功確率は0.00001%も満たない。
終りである。
「人生ゲーム」同様「貧乏農場」行きで惨めな老いを曝さねばならぬ。
結局、漫画家という生業は「勝利か死か」の二分しかない。

結婚を果たし、嫁を娶って子を育てた同世代の者との会話はもはや耐えがたきものとなった。
子は既に独立し、結婚出産の話題で持ちきりだ。
還暦を子供に祝ってもらったとか、孫が生まれたとかの自慢話に華が咲く。
一方、妻も子も設けられない還暦過ぎた独身絶望男性は惨めだ。
そんな彼らが吐露する会話は聞くに堪えない。
80代の親を60代の息子が面倒を見る老々介護に体力、精神力を奪われ、未来に何一つ残せるものはなく、マスコミが加勢するフェミファシストの残忍な攻撃に毎日晒されて袋叩きに合ってるのだ。
特に年金などの恩恵に与らないフリーランス独身絶望男性は本当に「死ぬこと」位が唯一の希望となりつつある。
同世代の漫画家が人知れず鬼籍に入った便りを聞くと心底「嗚呼、羨ましいなあ」と思うことが増えた。
この先、良いことなど全く期待できず、ただ体力、気力の衰えと衣食住環境の悪化だけが確約された酷い人生しか待っていない。
体力、気力が絶望的に衰える前に、帝国陸海軍が起死回生を図った「菊水作戦」の如く、己をここまで追い込んだ「敵」に対する特攻攻撃を仕掛け果てるのも一つの選択肢かもしれない。
それが絶望独身男性に残された唯一の「希望」となる。

神宮外苑の神聖なる樹木が数千本単位で伐採され、醜悪な高層マンションを林立させる再開発計画が進行中だという。
この神をも恐れぬ破壊行為は断じて許されてはならない。
SDGsとかいう嘘と欺瞞に溢れたプロパガンダを謳っておきながら、現実には環境破壊を推し進める邪教の輩に唆されて帝都の森を破壊する行為は天に唾することと変わりない。
ただですら、ヒートアイランドで耐え難き夏の暑さが拡大の一途をたどっているというのに、それをさらに悪化させる都市樹木伐採と守銭奴亡者の阿片窟である高層マンション建設は悪魔の所業。
それを夏の打ち水でごまかせると思うのか?
この神聖なる帝都を汚す事業に加担する現都知事と地主は帝都民の敵、万死に値する。
日本本土を覆いつくそうとする太陽光パネルや風力発電機に地球環境を改善する効力など一切ない。
むしろ森林を破壊することで酸素供給源を失い、八百万の神宿る聖域を破壊し、人々の居住環境を劣悪化させることは昨年夏の熱海土砂崩れの例を挙げるまでもなかろう。善良なる民の里を奪う行為に他ならない。
このような所業に手を染めた輩は、遅かれ早かれ完膚なきまでの神罰が天から下るだろう。
覚悟すべし。

WBCで日本が優勝したという。
「WBC号外求め駅前に殺到する群衆」との報道に「プロレス力道山の試合を観るため駅前街頭テレビに殺到する群衆」が妙にシンクロする。
日本人は何時の時代も「出来すぎの大勝利」に心酔する。
超大国相手に完勝した日本海海戦や真珠湾攻撃然り・・。
コロナ文革でスポーツ観戦も壊滅的な打撃を受けていた日々が続いていたところにやっと一筋の光が射しこんできた出来事だった。
これが「出来すぎ」であったとしても、日本中が湧いたのはコロナ文革の抑圧社会より、よっぽどマシだったからだ。
祭りは人々にとって必須の行事である。
それをコロナ文革は奪ってきたのだ。
WBCはその悪事に対する反撃の狼煙にもなった。
コロナ文革によって完全に祭りとしての役割を潰された東京オリンピックの代わりとして、このWBCは異様な盛り上がりに成功した。
だが、果たしてコロナ文革以前の「光」を取り戻せる起爆剤となるかは解らない。
世はもうすでに「破滅」に向かって走り出しているのかもしれぬ。
WBC日本チームの「活躍」が恰も「出来すぎで没になってもおかしくない野球漫画」であるとすれば、「ロシアが勢い余って核ミサイルを全世界に発射して最終戦争が起こり、人類文明絶滅」というチープなC級ディストピア漫画も「現実」となりえるのだ。
新宿御苑の桜は今年も咲く。
そして来年も「最終戦争」で人類が絶滅しても咲き続けるだろう。
