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戦争映画評

映像鑑賞
02 /20 2019
ロシア映画「鬼戦車T-34」のリメイク版が昨年末本国で封切され、ヒットしているようだ。

日本では『ガルパン』が流行り、アメリカでも『FURY』という戦車が主役の映画が公開された。
近年はこうした第2次大戦を下地にしたリアル志向の戦争映画やTVシリーズが流行る傾向がある。

先日、第二次大戦のロシア戦線を扱った『ジェネレーションウォー』というドイツのテレビシリーズを1話分だけ観た。

製作年は2013年。そんなに古くはない。
日本のNHKで『坂の上の雲』が製作されたのが2009年頃だから、それよりも新しい。
ほぼ『カルパン』と同時期。
枢軸国側から描いた第2次世界大戦ものは珍しい。
連合国側が描いた作品では、ドイツ兵は「標的」のように扱われ、身も蓋もないが、これはその「標的」が主人公だから、それなりのリアリティーはある。
ドイツ人俳優が演ずるから、当然ドイツ兵はドイツ語でしゃべる。この当たり前な描写がハリウッド映画にはないので、それだけでも価値がある。
戦闘シーン等も当時の兵器を忠実に描いていて、なかなかクオリティーは高い。

しかし、ストーリーは相変わらずバイアスのかかった「ナチス」全面否定の造り。
登場人物もまるでアメリカングラフィティーに出てくるような「リア充」。
「悪事」は全部、SSと秘密警察に擦り付けて、国防軍は潔癖みたいな描き方に変化はない。
日本のATG映画に出てくるような中途半端なポルノまがいの描写もあって辟易。
「女」を出す戦争映画は碌なものにはならない典型。
ドイツ産『スターリングラード』も似たようなもので、戦争映画として最低レベルの出来だった。
日活ポルノに戦闘シーンを混ぜたような映像ばかりで観ていて馬鹿馬鹿しくなる。
戦後ドイツの屈折した精神がこんな無価値な似非戦争映画を生む。
『ブリキの太鼓』然り。観ていて不快感しか残らない。

先日、NHKBSで「ヒトラー演説の魔力」というドキュメントを視聴した。
当時ナチズムに心酔したヒトラーユーゲントが90才を越えても尚、若き頃の熱狂を反芻している姿を見て、これこそが「戦時下ドイツの真実」ではなかろうかと思う。
若い時に何かに熱狂するというのはそれが例え邪悪な類いのものだったとしても生きる支えになるのだなと。
今のドイツではそれを「全否定」することが国是だから、彼らは公の場で「青春」を吐露することすら許されないのだ。
だから、この『ジェネレーションウォー』を始めとする数多のドイツ産戦争映画も戦後、捏造された「ナチス全面否定」の思想に染まった「フィクション」でしかない。
本来ならば、ナチス思想に染まった熱い血潮に満ちた若者が、何の疑いもなく突進する様子を描くことが真実のドイツ戦争映画として必須なのであるが、「ナチス全面否定」が強要される以上、永遠に「真実」は描けず、ポルノまがいの似非戦争映画しか作れない。
これがドイツの現状なのだ。
その点では、まだロシア産の戦争映画のほうがドイツ軍を「正確」に描写出来ている。但しあくまで「憎むべき敵役」としてだが。
だから、ドイツ人自らが表現するリアルな第2次大戦映画は永遠に作れないのである。
祖国に殉じていった勇猛果敢なSS戦車兵、擲弾兵他数多のドイツ兵はアメリカやロシア産の映画で散々に「標的」にされるだけの「馬鹿で惨めで残酷な悪役」としてしか描かれない。
ある意味、気の毒だ。
まあ、日本も似たような状況にはあるので、結局まともな戦争映画は「戦勝国」にしか作れない。
映像の世界も「勝てば官軍。負ければ賊軍」なのだ。

『けものフレンズ2』と『ケムリクサ』

映像鑑賞
02 /20 2019
映像感想諸々。
一昨年、一世を風靡した『けものフレンズ』。
ファンの皆が期待した続編はアニメ版の実質的生みの親であるT監督が不可解な理由で降ろされ、実に後味の悪い形で別のクリエーターに引き継がれた。
監督が交代しても、キャラクターや音楽、声優等は踏襲されているので事情に疎い者が見れば『けものフレンズ』の続きであることに疑問は持たぬだろう。

2月半ばまで、シリーズ半分の6話までが放映された。
結局のところ、「ジャパリパーク」という奇跡の「神殿」から創造主を追い出し、その「神殿」を乗っ取った新たな支配者が「経典」だけはそのまま使って教義を続行しているという印象は拭えない。
ディストピア感も創造主の世界観を単に劣化シミュレートしているイメージ。
器だけが継承され、中身はまったく違ったものとして作られている。
いわば、店構えは変わらないがオーナーによってカリスマ料理長が更迭されてしまい、急遽派遣された新任料理長がレシピだけ見よう見真似で作ってみたが、味がまったく別物になった飲食店のようなものか?
当然、今まで「この店の味」に魅了されて通っていた客から反感を食らうのは避けられぬし、実際不評が目立つ。

作家性が強い創作物の続編は本人にしか作れない。
他者がどんな作り方をしてもそれは「別物」。
それを無理矢理「大人の都合」で前作とリンクさせれば自ずと軋みが生まれる。
だから『けものフレンズ2』は新旧作り手、ファン共々誰も幸せにしない。

だが彼等に罪はない。
罰するはその「都合」を編んだ者にある。
『けものフレンズ2』が前作とはまったくリンクせず、世界観もキャラクターも声優も別で、単独オリジナル作品として放映されていたら、こんなに悪評は付かなかったろう。
しかし、カリスマ性を有する作品を、本人の意思に反して「続編化」すれば、前作の支持者(信仰者)から反感を食らうのは必至。
比較するなという方が無理な話。
『けものフレンズ2』は、誰がどんな作り方をしようと「火中の栗を拾う」事に等しい。
結局、『けものフレンズ2』製作スタッフも、前作T監督同様、「大人の都合による悪しき続編化」の犠牲者であることには違いない。
このような前提がある以上、多くの視聴者にとって『けものフレンズ2』が今後、どんな展開になるにせよ、心から楽しんで鑑賞することは難しいだろう。

一方、『ケムリクサ』。
T監督が「ジャパリパーク」という楽園から追放され、心機一転、一から作り上げたオリジナル作品。
過去に製作した自主アニメが元になっているようだ。
初音ミクが歌うエンディングは謎解きが含んでいるのかも。
こちらもまだシリーズ半ばの6話目。
スポンサーCM版動画もアップされている。

ディストピア感がビジュアル的にも水準高い。
舞台設定も、朽ち果てた廃墟の未来で現世に生きる異形の者達と共に「自分探し」の旅をするという点で『けものフレンズ』を踏襲している。
またストーリーの流れがゆっくりで、登場人物の語りがメインに話が進む。
タルコフスキーの映画『ストーカー』のそれと印象が似ている。
完成度高いSFだがマニア受け。
『けものフレンズ』にあったダイナミックレンジの幅の広さがなく、視聴者を選ぶ。
自分の知る連続TVSFアニメの中では『電脳コイル』に近いか。
作品として水準は高いのだが『けものフレンズ』にあった視聴者を巻き込むわくわくドキドキ感に欠ける。
動物園とのコラボ企画とか、鉄道スタンプラリーとかの「遊び」企画が、まだ『ケムリクサ』はない。
例えればメインストリートにあった飲食店から追放されたカリスマ料理長が、路地の奥にこじんまりと知る人ぞ知る店を独立させた感じ。
確かに味は伝説的なものが継承されているが、「一見さんお断り」な雰囲気もあって、かつて開けて明るい店構えでの楽しい雰囲気を知る客からは敷居が高いと感じるかも。

まだ両者ともシリーズ半ばで結論を出すのは早いが、『けものフレンズ2』はカリスマ性を喪失した凡庸な作品としてすぐに忘れ去られそうだし、一方『ケムリクサ』は、一部の「信者」だけが崇拝する「知る人ぞ知る」作品で終わってしまうのかもしれない。
結局、『けものフレンズ』第一作が如何に絶妙な配合で凡庸アニメの中にマニアックなエッセンスをブレンド出来た稀有なヒット作品だった事を改めて思い知る。
やはり『けものフレンズ』第一作は奇跡だったのだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/