新年度の妄言

日常
04 /04 2017
新年度が始まった。
東京の桜は3月21日に開花宣言されたが、一日になってやっと「満開宣言」。
ところが実際はまだ五分咲きにも未たず。標準木とのギャップが著しい。
気温が低い日が続いたため、桜の開花はなかなか進まず、先週今週の夜桜見物はまるで耐寒修行。
やっと4月2日、気温も上がってお花見日和。新宿御苑に出かけてみた。
正午前の新宿門は行列が凄い。
海外からの観光客が相変わらず多く、様々な言語が耳に入ってくる。
新宿御苑もまだ全体として4分咲き程度。でも木によっては満開に近い。今年は歪な開花状況だ。
その満開の桜の下にレジャーシートを敷く。
IMGP2273a.jpg
近くには中国の大学生グループが大学の横断幕まで掲げて陣取っていた。テントまで張っていたが警備員に注意され渋々畳む。
昭和時代なら日本大学生の専売特許みたいなことを今は中国人大学生がやっている。
日本の青年グループというのは本当に目立たない存在となった。
彼らはどこへ行ったのか?
休日なのに今、何をしているのだろう?
最近は学費捻出にも苦労していると聞く。自分で稼がないと学費すら間々ならないとか耳にする。
だから休みはバイト三昧なのか?
中国人大学生が御苑の花見で宴に興じ、日本の大学生はコンビニでバイト?
少し前だったら立場は逆だった。
もはやどちらが「先進国」だか解らない。

テレビでは恒例、「入社式」の様子が流されている。
社会人一年生。
毎年、この時期になって呟くのだが、会社組織の「歯車」として順応する才覚がない自分にとって「サラリーマン」ほど縁遠い職種はない。
薄ら寒い背広に煩雑なネクタイ。靴底がツルツルの革靴を着せられ、人に頭を下げるだけの仕事のために満員電車に揉まれる日常は「拷問」にしか映らなかった。「安定した給与と将来保障」というスローガン以前に、人間として耐え難かった。
特に自分が新卒だった1980年代初頭はまだまだ「終身雇用」「専業主婦」の時代で、そこから外れると人間扱いすらされなかった時代。
進学、就職という通過儀礼の度に「自分」を捨て去ることを強要され、「経済一兵卒」として鉄砲玉にされるしかなかったのだ。
基本、今の日本も大きくは変わっていない。
リクルートスーツを着た新人サラリーマン1年生が「経済一兵卒」を理解し、滅私奉社、手柄は上司、ミスは自分が被り、いざとなったら給与も休日も返上という覚悟を背負い、その試練にどれだけ耐えられるかが勝負なのだ。
そんな覚悟を背負ったとして、かつての唯一の幸せ人生コースである結婚、出産、子育て、定年退職、安定した年金生活が待っているとは限らない。
更には労働環境の改善とか「プレミアムフライデー」で金曜半ドンとか「育休」なんて超一流企業だけの話。
9割方の新人1年生サラリーマンは苦行だけが待ち受けている。
とはいえ、他にまともな選択肢はないのだから耐えるしかない。
新卒採用を選択しなかった新卒者は、結局今でも日本社会において「人間扱い」されることはない。
「2等市民」として冷遇されるのが現状だから労働条件が過酷でも自分の性格に合わなくとも新卒採用に縋りつくしかないのだ。

結局、御苑の花見で垣間見た「日本の凋落」が、この社会人1年生界隈にも感じられてしまう。
宴に興じる中国人青年たちの未来は明るい。
一方、同じ頃、バイトで学費を稼ぐしかない日本人青年に希望の未来があるとはとても思えない。
今の彼らは桜が咲く前に散っているのと同様なのだろう。

BSで『新世紀エヴァンゲリオン』旧作劇場版「まごころを君に」を放映していたのをチラッとみる。ラスト部分の陰々滅滅とした独白が延々と続くシーンに己を投射した日々からもう20年が経ってしまったのだ。
絶望的世紀末に浸っていられた季節も終わってしまい、それでも世界は動いている。
どこへ逝くのか、誰も知らないまま。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/