1月末の妄想健忘録

日常
01 /31 2017
2017年も、すでに1月が終わろうとしている。

昨年は劇場版のアニメーション作品に秀作が多く、興行的にも成功して日本映画界は活況だったというニュースが流れた。
新海誠氏の『君の名は。』の記録的ヒットは、もはや社会的現象にまで昇華してしまい、新海作品の映像美的評価より「大衆に媚びた俗なヒット商品」として記憶に刻まれてしまうのは些か残念。
ツイッターでも呟いたが『君の名は。』ヒットに対する、思想的バイアスの掛かった「映画人」の極端な偏向コメントが香ばしい。
まだジブリアニメが黎明期だった頃も映画評論誌に同様のコメントを載せていた「映画人」が少なくなかった。
アニメを観るのは劣等人種みたいな書きぶり。
恐らくそういった類の「映画人」は「格下」のアニメが質、興行共に実写邦画の上を行くことに我慢ならないのだろう。

1970年代頃、日本映画は斜陽で、ATGのような低予算で作られる「貧乏、不幸自慢」のごとき、黴臭い作品が数多く輩出された。そんな頃に思想的バイアスのかかった「映画人」が幅を利かせ始めた。
それら「映画人」は一種の文化大革命的紅衛兵気取りで、日本映画を先鋭的閉鎖的自己完結の袋小路に追い込んでいった。
これらの「映画人」が推す作品の大半は、観賞後の後味が悪いものばかりで、それは当然興行的に成功するはずもなく、当時は「こんな暗い作品、人に見せたいと思うならば、料金を払ってもらうどころか、むしろ映画館前を行く人に監督が金を配って『どうか俺の不幸自慢話を観ろ』とでも勧誘したらどうか」とまで思ったほどである。
こんな状況であるから、邦画は質、興行共々長期間に渡って低迷し、その間隙を縫って、宮崎駿等のアニメ作品が勃興してきたのは当然の成り行きなのだろう。
にも拘らず、ここに至っても尚、化石のような紅衛兵気取りの「映画人」が幅を利かせ、アニメ作品興行成績好調の理由を「客が悪い」とまで罵っても自分の居場所があるというのは、ある意味、恵まれた世代なのだなと。
本家中国ではそんな人間は一掃されているというのに、日本映画界には尚、文化大革命を信じて疑わぬ者が生きていられる環境があるのには吃驚する。

現天皇陛下の退位について時々、ニュースが流れる。
仮に生前退位された後、次に即位するのは浩宮皇太子殿下。
浩宮皇太子は自分とまったく同じ世代であって、そんな世代が背負っている「抗えぬ頸木」について時折、思うことがある。
自分の世代における青春期の恋愛、結婚観というものは、一般青年において痛々しい事例が少なくなかった。
結婚がちょうど「お見合い」から「自由恋愛」に移行する端境期に当たり、己自身で異性を娶る能力を問われ始めた時代。
当時の青年に「恋愛能力」に長けた者などほんの僅かしかいなかった。
大半は、「どうしてよいかわからなかった」のである。
一方、当時の女子は結婚が「自由恋愛」に移行しつつあったにも拘わらず、あくまで経済的社会的には男子に100%依存する事には変わりなく、自分の嫁ぎ先もそれが唯一の「物差し」であった。
終身雇用、専業主婦が唯一の選択肢だった時代であるから、たとえ恋愛能力がなかったとしても、職場内での「実質的なお見合い」によって大半の者は救われていたが、その流れに乗れなかった男子は悲惨そのものだった。
最初の恋愛に敗れたら、人生自体が破綻するという危機感に煽られて、当時の青年は「純愛」なるスローガンを妄信して酷い目に合い、心を壊した者も多かったことは想像に難くない。
女子はただ待っているだけでよかったが、男子はその未熟な恋愛観で不毛な闘争に嵌り、自滅していった。
勝者は一人。女子はその勝者たる男子の下に嫁ぎ、専業主婦として一生添い遂げればよかった。
一方、負けた男子は惨めに退散するしかなく、一生結婚出来ない呪いに苛まれた。

浩宮殿下も、恐らくそんな「純愛」なるスローガンを妄信した一人なのかもしれないと思うことがある。
当時の一般庶民の恋愛、結婚観が皇太子という立場の人間に当てはまるかどうかは知らない。
しかし、少なくとも妻となる人に「全力でお守りする」と宣言した以上、その地位や立場の如何に拘わらずその「呪縛」から逃れることは出来ないのだ。
だから、浩宮殿下はある意味、妻の望むことは全て受け入れるしかない人生を選択した。
もし、万一、妻が皇后という重責を望まなかったならばどうだろう。
浩宮皇太子は自分の立場より、妻の希望を優先し、天皇即位を辞退しなければならない。
生前退位が一代のみならず、全ての皇位継承者に採択されたなら、浩宮皇太子は妻のために皇位を返上する可能性もゼロではなかろう。
いや、そんな法律が出来なかったとしても浩宮殿下は妻のために即位を放棄し、どこか知らない国へ夫婦共々逃げて行くかもしれない。
それが己の人生全てと信じきっているのだ。浩宮殿下は己が妻に捨てられてしまうのが心底恐ろしいのだろう。
だからこそ現天皇陛下はそれを心配し、目の黒いうちに生前退位し、浩宮の行く末を案じたのではなかろうか。
そんな気がしてならない。

記憶媒体で使っていたMOの在庫がそろそろ底をつく。
ある人から御好意で譲っていただいた中古MOも使い果たした。
MOはかつて日本ではメインの記憶媒体として普及し、将来にわたって生産され続けると信じていたのに何たることだろう。
そういえば国産の旅客機就航がまた随分と先伸ばしされたニュースを聞いた。
更に、大手電機企業が原子力関連で大きな損失を出して存亡の危機にあるとか。
日本のIT,航空、エネルギーという基幹的産業の先細り感は尋常ではない。
もう、何を作っても、国際的スタンダードにはなれない空気が漂う。
あるのは今後何十年も処理し続けなければならない原発事故の後始末だけ。
日本の原子力関連のプロジェクトは尽く失敗する。
古くは原子力船『むつ』の廃船に始まり、福島第一原発の壊滅的事故に高速増殖炉『もんじゅ』の廃止に至るまで枚挙に暇がない。
つまりこれは日本の最終防衛システム構築を阻害するため、何者かの策謀が介在しているのかも知れぬ。
核武装に繋がるあらゆる試みを破綻させる罠が。
そう考えないとどうにも不自然すぎる。


先日、久しぶりに銭湯に行った。
湯船の壁にテレビが設置され、ちょうど19時のニュースが流されていた。
20日に就任したアメリカ合衆国の新大統領が矢継ぎ早に新たな大統領令を出して混乱する様子が湯気の向こうに映る。
荒唐無稽に近い政策が「現実」化されるに従い、だんだんと世の中が窺い知れない滑稽な終末に向かって動き出しているような予感に囚われる。
テレビで、ある経済評論家がこんなことを行っていた。
「あの新大統領がドイツやEUには言及せず、メキシコ、中国、日本だけを不平等な貿易相手国として非難するのは、偏狭な白豪主義者の現れ」だと。
基本、恐らくそうなのだろう。
あの大統領はもしかすると些細な事で日本に向けて核ミサイルを発射するつもりかもしれない。
1980年代的時代錯誤な日米の貿易不均衡を持ち出すのは、言い掛かりを見つけ、イエローモンキーをやっつける口実が欲しかっただけかもしれぬ。
「アメリカ第一主義」のためなら現実はどうでもよい。
中国も憎いが、あの国は核武装国。おいそれと核ミサイルをぶちこむと報復される恐れがある。
一方、メキシコは隣の発展途上国。塀を築くだけでどうにでもなる。
でも日本はかつてアメリカに殴りこみをかけてきた国。
「リメンバーパールハーバー」である。放置するのは危険だ。幸い日本は核武装していないから報復される恐れもない。
そこで、言い掛かりをつけて日本に核ミサイルをぶち込むと。
日本が消えればアメリカから日本車も消える。
「アメリカ第一主義」はこれで一つ果たせる。目に見える成果としては大きい。
実に単純だが、それを体言化するのが新大統領のやりかただ。
日本人が何千万人死のうとも知ったことではない。カーチス・ルメイと同じ。
実際、そこまで至らなくとも、安全保障のパートナーは降りるだろうことは想像に難くない。
更に日本が独立して核武装化するのを阻止するため、六ヶ所村の再処理施設の占領や空爆も辞さないだろう。
米軍が撤退し、核も奪われれば、今度は中国が日本を核攻撃し、この地上から抹殺しようと画策するだろう。

日本は今でもアメリカの妾として生きる選択肢しか持っていない。
だがアメリカの新大統領はもうそんな妾を囲う気はなく、さっさと捨てたいのだ。
にも拘らず、日本の世襲宰相は祖父の代から対米追従という家訓以外に選択肢を持つ術がない。
捨てられると解っていてもアメリカの袖にしがみついて「私を捨てないと言っておくんなまし!」と哀願するしかないのだ。
結局、日本はアメリカに捨てられた挙句、対岸で手薬煉引いて待っていた中国に嬲り殺しにされる運命だ。

世界は遅かれ早かれ弱肉強食の嵐に揉まれる。
もはや誰も自分の国のことしか考えない時代となった。
生き残るためには己を脅かす相手にはありったけの核兵器を使用して闘争するだろう。
数年後、この地球に文明が残っているとすれば、アメリカ、ロシア、中国、インド、イスラエル、イギリス、フランス位のものだ。
地表は暫く核汚染で荒廃するが、核シェルターに潜み、何とか国として生き残るだろう。
さすがに核武装国には核兵器は使わぬ。共倒れになることくらいはまだ知恵が廻る。
しかし、核を持たぬ国は完膚なきまでに滅ぼされて、生き残っている者も石器時代並みの生活を強いられる。
少し前だったら、こんな未来は荒唐無稽だったろう。
しかし、2017年、実際に荒唐無稽な政策を実践する大統領が現実に現れたのだ。
だからこんな世界もきっと来る。
そして日本はこうして滅びる。

近いうちに、いまの生活が夢のようだったと嘆く日が来るだろう。
核で焼かれた街を徘徊し、ぼろぼろになった身で死んでいくのだ。
「ああ、コンビニの灯りが懐かしい」と呟きながら。

いつ、頭上に核の閃光が輝くのか、そればかりを心配する日々が来たのである。
湯船の湯気が核爆発の蒸気に見えたのは決して幻覚ではない。


先日、コンビニで立ち読みした週刊誌にミニマリストの事が載っていた。
モノをもたない生活。「ごみ屋敷」の対極にある何もない部屋に住む人。
以前にもブログか何かに記したが、一見何もかも捨てているように思えるが、実際はweb上に「モノ」を変換しただけ。
依存対象が3次元物質から質量ゼロのドットとダッシュに移っただけで本質は変わらない。
むしろ依存する情報量は増えているのかもしれない。
であればまだ「ごみ屋敷」住人のほうが誤魔化しがない分、信用できる。
真のミニマリストを目指すなら、携帯もスマホも捨て、webの依存からも断絶しないとだめだろう。
これからはweb依存からの解放こそが求められる時代が来る。
だからむしろweb依存のミニマリストは欺瞞にしか映らない。
真のミニマリストは、自分の本籍も捨て、名も捨て、そして肉体も捨てて存在そのものをこの世から消し去らなければならない。

JR東日本がこの時期恒例、スタンプラリーを開催していたので参加。
週末の山手線や中央線を廻る。
ふと、妙なことに気が付く。
一駅ごとスタンプを押すために電車を乗り降りするのだが、その電車全てが満員なのだ。
座れることは稀で、とにかく混んでいる。
どの電車、どの電車、10両編成すべての車両が満員だ。学校、職場が基本的に休みなのにこれだけの人が、どの電車にいっぱいに乗っている事実。
急に恐ろしくなった。
どこからこんなに人間が沸いて出てくるのか?
大凡、50回近く乗り降りしたその電車全てが満員で人間だらけ。
もしこの人間だらけの東京に核爆弾が落ちたら、その分の屍が転がるということだ。電車の中に限ってもだ。
それを悟ったとき、恐ろしさで失禁しそうになって、一目散に電車から飛び降りる。
空想上の「かめはめ波」は中国の核ミサイルには何の役にも立たぬ事実。

以上、1月末の健忘録終り。



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あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/

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