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蟻塚と映像の世紀

映像鑑賞
10 /27 2015
急速に日本に普及しはじめた「ハロウィン」。
週末、駅前の商店街アーケードに行ってみると子供たちのみならず、大人も仮装して練り歩いていた。
お店の店員も、子供たちから「トリックオアトリート」とせがまれると、普通にお菓子をあげている。
数年前には存在しなかった光景だ。
外国人からすると本場のハロウィンはもっと静かだという。
子供だけが嗜むお祭りで、日本のは異質だとテレビとかで伝えられているが、それは違う。
日本でハロウィンが普及するずっと前の20年位前、ハロウィンの日に外国人たちが酔っ払ってJR山手線内で大騒ぎした事例を覚えている。
ハロウィンは子供だけのお祭りというのは、たぶん建前なのだろう。

日曜の夜、NHK総合で巨大な蟻塚のことを放映していた。
社会性昆虫の生態は人間社会の縮図だ。
蟻社会には兵隊蟻がいる。なぜ居るかというと、外敵の侵入を防いだり、勢力を拡大したりするために存在する。
それは種族を維持するための必須条件のひとつだから、その存在理由を問うことは愚問に近い。
なぜならそれは「空気」みたいなもの。あって当たり前だからだ。
この前、世論調査で自衛隊に対する好感度が高まっているとかのニュースを耳にした。
なんだかおかしい。
軍隊に好感も反感もない。
蟻社会と同じく、軍隊は好き嫌いで存在意義を計るものではなく、動物がその社会性を維持するための必須要素。
日本は、70年前の敗北で、軍隊を「絶対悪」視することを強いられた。
軍隊を何か特殊な存在として遠ざけてきたから、自衛隊を「好き嫌い」で計るのだ。
「軍隊」の存在意義を考えずに70年、過ごせたことはある意味、奇跡だったのかもしれない。
それは憲法のおかげでもなんでもなく、お金で誰かに代理戦争してもらった賜物に過ぎない。
だが今や台所事情が苦しくなって、自前で身を守らなくてはいけなくなってきただけのこと。
もはや好きも嫌いもない。
兵隊蟻の存在が当たり前のことに気がついたに過ぎない。

その動物番組が終わって暫くしたら「新・映像の世紀」が始まった。
第一回目は第一次世界大戦を扱っていた。
毒ガス、アラビアのロレンス、アメリカの財閥・・。様々な思惑と謀略が折り重なって、夥しい犠牲者を生んだ世界大戦が起こった。
でも社会性動物にとって戦争は、その営みのひとつに過ぎない。
社会性動物としての「不要な体」を捨て去らない限り、戦争のない世界はやってこない。
つまり「人間」をやめない限り戦争は繰り返される。
蟻も人間も、その社会性を維持する限り、己のテリトリーを守るため、争わねば生き残れない。

自分たちは、あの巨大な蟻塚に蠢く蟻の一匹に過ぎない。
飛行機から眺めた巨大都市はのっぺらとした大地に広がる水平方向の蟻塚そのものだ。
天変地異や戦争で、その蟻塚が壊される日を思うと恐ろしくて眠れなくなる。




あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/