7月も末
日常
商業原稿脱稿の後、すぐに他の依頼原稿や自費出版原稿に。息つく暇もない。
とはいってもただ筆が遅いだけ。
猛暑続くが昼間は敢えて冷房を切る。汗をかいて暑さに順応することで夏バテを回避。
クーラーに頼ると外気との差が著しく体調不良になる。トタン屋根2階が仕事場なので室温は37C位になるが順応すれば結構平気。但し夜の蒸し暑さと虫の大群には耐えられないので夜だけはエアコン入れる。
今夏もメタリックグリーンに輝くアオドウガネが大量に灯火に飛び込んでくるようになった。
従来から居るコフキコガネを押しやり、この数年で勢力を拡大したようだ。網戸がないので大軍になって蛍光灯に群がり、原稿の上まで這いずって来る。外に放り出してもキリがない。そのうち体中に集られそうだ。
芸人さんの芥川賞。
仕掛けたのはどこかの文学誌編集の人だとテレビでやっていた。その人が粘り強く執筆依頼したとのこと。
これが何処まで本当なのかは解らない。
いずれにせよ、この芸人さんの所属事務所とか出版社の多角的総合戦略の下に練られたプロジェクトであった事は想像に難くない。
この芸人さんはその企画の駒の一つに過ぎない。
芸人さんの夢の体現とか野心とか、心情とか、そういうものとは違う、単に「仕事」として請け負ったひとつに過ぎなかったのだろう。
ひたすら文学賞を目指している無名の文学青年には無縁な到底手の届かない「大人の事情」で作り上げた芥川賞受賞。
受賞した芸人さんは、これからもあくまで大手芸能事務所所属のひとりとしてやっていくのだろう。
大江健三郎や村上春樹みたいに政冶や思想信条に踏み込んだり、リベラルな集会で主義主張を述べたりはしない。
そんなことをしたらテレビで芸能活動出来なくなる。
良くも悪くも文学者である前に、テレビタレントなのだ。
だから、例えこの本の内容が優れていた文章であったとしても読む気は起きない。
この芸人さんが大手マスコミと縁を切って、人知れず世捨て人となれば別だが。
『徳川夢声戦争日記』。昭和18年暮れまで読み進む。
興味深かったのは戦局が悪化した昭和18年後半になっても競馬場は盛況だったようだ。
著者が京王線で満員の競馬客に揉まれて閉口する描写がある。客は戦局の事などお構いなく、あの馬はどうのこうのとか、今と大して変わらぬ競馬談義に終始していたという。
結局、マスコミが流布する「戦争中は挙国一致で軍国一色に染まっていた」なんて嘘で、大日本帝国の命運なんて眼中にない国民もうじゃうじゃいたのである。
吃驚したのは文中に「サイゼリア」が出てきたこと。無論、昭和18年にファミレスがあった訳ではない。たまたま同じ名前の店舗があっただけのことだが、文中にその店名がでてくると、今現在の描写と錯覚してしまい、不思議だった。
コンビニになぜ2リットルの紅茶ペットボトルがないのだろう?
こればかりは解せない。
とはいってもただ筆が遅いだけ。
猛暑続くが昼間は敢えて冷房を切る。汗をかいて暑さに順応することで夏バテを回避。
クーラーに頼ると外気との差が著しく体調不良になる。トタン屋根2階が仕事場なので室温は37C位になるが順応すれば結構平気。但し夜の蒸し暑さと虫の大群には耐えられないので夜だけはエアコン入れる。
今夏もメタリックグリーンに輝くアオドウガネが大量に灯火に飛び込んでくるようになった。
従来から居るコフキコガネを押しやり、この数年で勢力を拡大したようだ。網戸がないので大軍になって蛍光灯に群がり、原稿の上まで這いずって来る。外に放り出してもキリがない。そのうち体中に集られそうだ。
芸人さんの芥川賞。
仕掛けたのはどこかの文学誌編集の人だとテレビでやっていた。その人が粘り強く執筆依頼したとのこと。
これが何処まで本当なのかは解らない。
いずれにせよ、この芸人さんの所属事務所とか出版社の多角的総合戦略の下に練られたプロジェクトであった事は想像に難くない。
この芸人さんはその企画の駒の一つに過ぎない。
芸人さんの夢の体現とか野心とか、心情とか、そういうものとは違う、単に「仕事」として請け負ったひとつに過ぎなかったのだろう。
ひたすら文学賞を目指している無名の文学青年には無縁な到底手の届かない「大人の事情」で作り上げた芥川賞受賞。
受賞した芸人さんは、これからもあくまで大手芸能事務所所属のひとりとしてやっていくのだろう。
大江健三郎や村上春樹みたいに政冶や思想信条に踏み込んだり、リベラルな集会で主義主張を述べたりはしない。
そんなことをしたらテレビで芸能活動出来なくなる。
良くも悪くも文学者である前に、テレビタレントなのだ。
だから、例えこの本の内容が優れていた文章であったとしても読む気は起きない。
この芸人さんが大手マスコミと縁を切って、人知れず世捨て人となれば別だが。
『徳川夢声戦争日記』。昭和18年暮れまで読み進む。
興味深かったのは戦局が悪化した昭和18年後半になっても競馬場は盛況だったようだ。
著者が京王線で満員の競馬客に揉まれて閉口する描写がある。客は戦局の事などお構いなく、あの馬はどうのこうのとか、今と大して変わらぬ競馬談義に終始していたという。
結局、マスコミが流布する「戦争中は挙国一致で軍国一色に染まっていた」なんて嘘で、大日本帝国の命運なんて眼中にない国民もうじゃうじゃいたのである。
吃驚したのは文中に「サイゼリア」が出てきたこと。無論、昭和18年にファミレスがあった訳ではない。たまたま同じ名前の店舗があっただけのことだが、文中にその店名がでてくると、今現在の描写と錯覚してしまい、不思議だった。
コンビニになぜ2リットルの紅茶ペットボトルがないのだろう?
こればかりは解せない。