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自衛隊観閲式を観る

旅、訪問記
10 /28 2013
27日、陸上自衛隊朝霞駐屯地で行われた自衛隊観閲式に出向いた。
知人のご好意で余った入場券を分けていただいた。幸いに他に予定もなかったので台風一過の好天にも誘われて出撃す。
最寄り駅東武東上線和光市駅に着いたのは午前9時。ここから基地までシャトルバスが出ている。
長蛇の列が出来ていたが多数のバスでピストン輸送していたらしく、10時には基地に到着することが出来た。
ここでの観閲式は初見学。

かつて昭和40年代、自衛隊の観閲式は神宮外苑で行われていた。
当時の晩秋、父親に連れられ東京6大学野球早慶戦を繰り返し観に行った記憶がある。千駄ヶ谷駅から神宮球場に至る道いっぱいに自衛隊の装甲車や戦車を多数目撃した。
その頃は都民と自衛隊は分け隔てなく混在していたのだ。是非はともかく、当時、自衛隊が神宮外苑で観閲式をすること自体に誰も異を唱える者はいなかった。居たとしてもどうでもよいことだった。
そんなことに一々構うほど暇な時代ではなかったのだろう。
早慶戦の最中、ものすごい轟音を響かせて戦車が外苑を走り始めると観客もそちらを覗き込む。
でも過ぎ去ってしまうと野球観戦に戻っていく。
そこに深い意味などない。
日曜が来れば明日は月曜。それと同じで大多数の都民にとってこの時期に外苑を戦車が走ることは、ただの年中行事でそれ以上でもそれ以下でもなかったのだ。
いつしか革新知事が選出され、道路法規云々を持ち出して観閲式は神宮外苑から締め出された。
それ以来、観閲式はどこかの基地内で行われるようになり、一般の都民の視界からは隔絶されてしまったのだ。
今や、自衛隊関係者かその伝手がないと観閲式自体を見ることが出来ない。
なにやら歪だ。

さて、基地ゲートを潜り、手荷物検査。
結構こと細かく選別される。持ち込み禁止の品は一時預かりとなる。
自分は赤色のチケットを譲っていただいたので、スタンド席に誘導される。比較的高い位置に座ることが出来た。
整然と並ぶ制服の隊員たち。
10時半ごろから式が始まる。
観閲官たる内閣総理大臣も登場。隊員の前をオープンカーで巡閲。
精鋭が居並ぶ前を通過してく。
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大臣の訓示が始まると訓練場の外からか「観閲式反対」のシュプレヒコールが微かに聞こえてくる。
誰がやっているのかは知らないが、もはやこのような催しの添え物的「風物詩」に近い。
向こうも取りあえずのルーチンなのだろう。毎年恒例叫んでおかないと忘れられてしまうという義務感かもしれない。
粛々と進む観閲式。隊員の行進、観閲飛行、車両行進・・。
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だが、中国、ロシア、北朝鮮やかつてのナチスドイツの軍事パレードに漂う「血の匂い」は一切しない。
無論、それらの国のパレードを生で見た訳ではないから本当のところは知らない。
しかし、自衛隊の観閲式は「軍隊」というよりも、どこかしら「土建重機」のイメージが漂う。
子供の頃、神宮外苑で見た時のほうが「軍隊」らしかった。
町の中で市民と混在し、一般道に佇む戦車や兵士は「リアル」だ。
しかし、訓練場の中に存在するそれらに当時の面影はない。
国家のためというよりは、自衛隊が己の組織防衛のためにする観閲式のようだ。
観衆(招待客)も隊員もベクトルが内向き。
観閲官が臨席する壇上も赤白の幕で覆われているが、あれも「軍隊」とは程遠い。
なんだか訓練場という「更地」に新しくマンションを建てる時の棟上式みたいで、装備車両もそのための建設重機にしか思えない。観閲台は首相が隊員に向けて餅を投げる櫓ではない。
これでは士気が上がらぬ。
観閲台はクレムリンの「レーニン廟」と同じく、国家の拠所の象徴でなくてはならぬ。
せめて赤白幕はやめて迷彩ネットにするべきだ。
が、好むと好まざるに拘わらず、これが「平和憲法」下の「軍隊」の姿なのだろう。

観閲式の中で興味深かったのは隊員の一糸乱れぬ行進や、宰相の閲兵や最新装備の車両パレードでもなかった。
観閲官訓示の前に壇上脇から、何やらこの場に似つかわしくない一団が現れた。
一瞬、一団のかぶっている白い帽子がヘルメットに見えたので、これは懐かしい学生運動のグループが自衛隊の「好意」で招かれて、妙な余興でも始めるのかと思いきや、よく観ると脚立を持った報道マスコミ陣だった。
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首相の演説を録るために誘導されていたのだが、それが何だかロープで囲まれて珍妙なのだ。
まるで赤の広場前で晒し者にされるドイツ兵捕虜のように。
もしかすると常々ネガティブな報道ばかりするマスコミに対する自衛隊のささやかな「報復」にも見えて興味深い。
背後にスタンドを埋める招待された一般市民。手前に一糸乱れぬ迷彩服の精鋭隊員。その間に雑然としたマスコミの群れ。戦後日本を象徴するようなアバンギャルドな光景が、この日最も印象的であった。
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式典は1時間半ほどであっという間に流れるように終わる。
思ったよりあっさりとしていた。
式が終わり、装備品展示の場を見て回る。
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やはり「兵器」というより「建設重機」だ。
最新の10式戦車すら、戦闘車両に思えない。
米海兵隊が遣した水陸両用強襲車から漂う「血に飢えた」妖気が自衛隊車両には、ない。
たしかに火力演習時のような実際に戦闘する姿を見ていないという理由もあろうが、本来「兵器」が持っている「戦の魂」が欠損しているように感じてならない。
例によって小銃展示コーナーは、一般見学者が触れないようになっている。
触れさせると煩い輩が絡んでくるのを恐れているから、こんな馬鹿馬鹿しい展示の仕方をするのだろう。
「現実」と離反した滑稽な状況が、ここでも炙り出されている。
国家の安全保障に自衛隊は不可欠としながらも、日本の原発政策と似て「事故は絶対に起こらない」と言い張り続けるのと同じく「自衛隊は絶対に戦争をしない」と宣言し続けなければ、存在を許されないという奇妙奇天烈なレトリックに陥っているのだ。
福島第一と同様、いずれは破綻がやってこようが、みんな気が付かないふりをする。
それが「戦後日本軍隊」の唯一生き残れる道なのかもしれぬ。
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装備車両展示の場で老人が一人、自走砲を覗き込んでいた。
周りを見ればそんな高齢者が目立つ。
その傍らでゆるキャラ系マスコットが愛想を振り撒く。
最新車両と老人とマスコット。
この何ともいえないまったりとしたコントラストが、秋の台風一過の空の下に強く焼きついた休日であった。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/