テレビで涸沢を観た

日常
09 /30 2011
先日、NHKテレビを観ていたら北アルプス穂高連峰のキャンプ基地涸沢からの中継をやっていた。
何となく視聴する。
ここは紅葉のメッカで毎年大勢の観光客で賑わうとか。
りっぱな山荘があって登山知識がない人でも気軽にアクセス出来そうな事をテレビでは紹介していた。

自分は基本ヒキコモリなので山歩きの趣味は殆どなく、たまに近場の高尾とか御岳山周辺を這いずる程度の人間。
しかし、なぜか不思議な事にこの涸沢の手前の上高地には一度だけ行った事がある。
今から19年前の1992年8月、趣味仲間グループでの一泊旅行だ。
得てして有名観光地なる所は「がっかり名所」という譬えがあるように期待はずれの場合が多い。
しかし、この上高地は違った。
想像したよりもスケールが雄大で圧倒された記憶がある。
穂高連峰を背景にした梓川周辺は確かに絵になった。
当時、講談社の「アフタヌーン」で発表していた『ブルーガーデン』というオールカラーシリーズでもこの風景を元に上高地を舞台にしたエピソードを描いたこともあった(電子書籍『風の中央鉄道』で購読可)。
2ページ分だけアップ。
BG37a.jpg BG40a.jpg
そんなこともありテレビで紹介されていた涸沢からの光景も侮れぬ事は想像に難くない。
動画投稿サイトにアップされていた様々な動画を見てもそのスケールは圧倒的だ。

そこでネットでいろいろと調べてみた。
涸沢は長野県と岐阜県境辺りに位置する北アルプス登山の拠点だそうだ。
アクセスは松本から上高地まで公共交通機関を使い、上高地からは徒歩で7時間くらいかかる。
山岳地帯なのでてっきり本格的登山アルピニストしか辿り着けない秘境かと思っていたがそうでもないらしい。
とはいえ、ある程度のトレッキング装備やテント用品は必須らしく、夏でもTシャツとスニーカーでのアクセスは無理っぽい。
しかし、そんな場所にも紅葉シーズンは多くの観光客が訪れるというのだからちょっとした流行の「山ガール」でも行けてしまう錯覚に捉われる。
だが、穂高連峰というと本格的登山経験者でなければ入山不可というイメージがあって、とても俄かハイカーには無理な場所にしか思えない。
特に「キレット」とかいう尾根縦走コースの画像など見ていると尚更である。

こんなところを「常人」が足を運ぶなんて考える余地は微塵もない。
両側が切り立った岩場で鎖や梯子に張り付きながら、浮き石に足を取られつつ、それも命綱なしで安全ネットもない所を踏破していく姿は、恰も賭博漫画の罰ゲームで高層ビルの間に渡されているレール一本の上を歩かされているシーンのごときだ。
但しこの漫画では無事に踏破すれば名誉回復や賞金が用意されている。
しかし、穂高のキレットを踏破したところで何にも出ない(と思う)。
ただただ、恐怖に慄く中、おそるおそる歩くだけ。
にも拘らず、初老の夫婦や高齢の単独男性が切り立った岩場を命綱なしで黙々と、そうただ黙々と歩みを進めるのは如何なる理由か?
まるで何かの修行のごとくである。
登山の趣味がない者から見れば「狂気の沙汰」に近い。
一歩、踏み間違えばほぼ100%確実に死ぬのである。
ゲームリセットは効かない。
しくじったら「はい。それまで」なのだ。
いくら壮大な風景が目の前にあったとしても死んでしまったら元も子もない。
もし、こんなアトラクションを都内のどこかのテーマパークが作ったら即刻、営業停止だ。
実際にプレーヤーが死ぬネットゲームが開発されても販売する事は出来ないだろう。
だって、本当に死ぬのだからね。
しかし、此処ではそれが許されている。
いわば「死のゲーム」の解禁場所だ。
実際、季節を問わず滑落者はいて、日常茶飯事に救難ヘリは飛び交い、実際その画像も多くアップされている。

長野県警の平成22年度山岳遭難統計を見るとこの年の穂高連峰入山者は13万4500人で、この区域での死者行方不明は9人、負傷者は41人とある。警察に連絡のあった事故は53件だという。
単純計算すると入山者のうち、2537分の1の確率で事故に合い、14944人に一人の確率で死ぬか行方不明になるということらしい。
これが多いのか少ないのかは知らない。
でも東京のテーマパークで「14944人に一人は死にます」というアトラクションがあったら、自治体や警察は絶対に許可しないだろうし、乗る人が居たとしても「変人」扱いだろう。
だが同じ危険性が伴っていたとしても登山というのは自然相手なので、何が起ころうと自己責任であるから誰も止める権利はない。
死のうが半身不随になろうが本人が責任を全うする。
でもちゃんと警察は救助に来てくれるから決して無法な人非人として扱っている訳でもない。
29日付の朝日新聞夕刊にも山岳救助ヘリのパイロットの話が出ていて「必ず救助する」といった主旨の記事だった。決して「危ないから山なんか登るな」みたいな事は一言も出ていない。
いずれにしろ、登山というものは「命懸け」ではあるけども「健全」な趣味、スポーツな訳だから世間は「優しく」対応する。

そんなことを様々考えているとなんだか複雑である。
涸沢の山荘でおでんやアイスクリームを堪能しながら、時々飛んでくる救難ヘリを眺めつつ「遭難が自分でなかった」ことに安堵しつつ、雄大な穂高の山容を満喫する。
これ全て含めてこの世界の「嗜み」なのだ。
人に命に関わるリスクを含めて初めて大自然との対峙が成立する。
安全な場所に居て同じ風景をモニターで見ていてもこのリリシズムは味わえない。
恐らく「登山」というものはそういうものなのだろう。
これ全て是認出来なければ涸沢にも穂高にも行く資格はないような気もする。

だが、「山ガール」ブームや高齢者ハイカーが増える中、そんな規範に捉われるだけでは先がない。
危険やリスクを顧みずに山の中に入ってしまう者もいるだろうが、それもまた新しい「登山者」だ。
そういう「新参者」を拒絶していたらこの世界もいずれは廃れ、山伏や修行僧のものだけに戻ってしまうだろう。
新参者が途絶えてしまったら元も子もないのだ。
だからこうしてテレビでも穂高に簡単に来れそうなキャンペーンをしている訳だしね。
いっそ、ピンヒールで穂高縦走とかそういう人たちも是としたら如何か。
敢えて危険な「冬山」にチャレンジする分野があるのならばピンヒール部門やTシャツスニーカー部門があって何が悪い。
すべて自己責任だからそれで命を落とそうと他人が口を挟む権利はない。
完全装備でもいくら経験を積んだ人でも死ぬ時は死ぬ。
その逆もまた然り。
勿論、実際そんなことにチャレンジする人間が居るかどうかは知らないが。

自分がいつか涸沢に行けるかどうかは解らない。
でも高尾山で息が上がってしまう位だ。
恐らくダメだろう。
これから体力が下り坂の年齢だから先に延ばせばますます困難になる。
そもそもキャンプ用品一切もっていないのだ。
テントはおろか、ランタン、ランプの類一切なし。靴なんて安物の運動靴一つのみ。
お金もないので揃える手立てもない。

だから所詮、涸沢行きなど妄想でしかないのです。




あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/