逃げた外国人選手

報道
04 /27 2011
ラジオを聴いていたら、プロ野球在京球団に入団予定だった外国人選手が3月11日以降、無断帰国したままで結局解雇されたというニュースが流れていた。
曰く、福島原発の放射能が怖かったとか。
彼は契約上、今後3年間、日本、アメリカ等の球団で職業野球をすることが出来ないらしい。
そこまでしても日本に帰って来たくなかったということか。
野球よりも放射能の恐怖が勝った事情。
ネットで放射能の危険を煽る人たちからすれば、彼の行動は「英雄的」になるのだろうが、とんと評判は聞かない。
「危険な放射能」から逃げたんだから、「この模範的外国人に続け!」と煽ってもよさそうなものだがどうした?

世は東電と国をバッシングすることにご執心だ。
「原発事故はおこりません」と言い続けた「自己欺瞞」がいとも簡単に破綻してしまったのだから、マスコミのよい餌食となった。
そのマスコミに煽られて、庶民もお構いなしにこの電力会社へ罵声を浴びせ、溜飲を下げる。
東電だけではなく、原発を擁護してきた科学者や評論家までがバッシングの対象となり、マスコミによって吊るし上げられている。
そのうち本当に公開処刑が行なわれる勢いだ。

これで思い出したのは、小松左京の『お茶漬けの味』というSF小説。
近未来、人工頭脳が「意志」を持ち、人類文明を支配した世界。
最初は人と機械同士上手くやっていたが、しばらくして人工頭脳に嫉妬した人間が支配権を奪回しようと反乱を起す。
人々はとりあえず目障りな末端の機械を叩き壊すが上手くいかない。
ますます怒りだした人間は人工頭脳を開発した科学者に怒りの矛先を向け、片っ端から科学者を虐殺していく。
この結果、人工頭脳をコントロール出来た人間がいなくなってしまった。
人々はここに至って人工頭脳なしに生きていく事が出来ない事を悟るが、時すでに遅し。
人工頭脳から見捨てられた人類は、飢餓と混乱の中で自滅していくというお話。

昨今の世論は「核エネルギー憎し」の論調が支配しているが、簡単に煽られ突っ走ったところで、このSFのように別の破綻が待っているだけだろう。

「原発事故は起こりません」という標語は、ある意味「戦争は放棄しました」と同意語だ。
テクノロジーが破綻をきたすのは時間の問題だし、歴史の書には戦争の記述で一杯だ。
事故は遅かれ早かれ発生し、戦争もまた必ずいつかは火蓋が切られる。
そんな当たり前の事象を「想定外」という「自己欺瞞」に追いやって、「なかったこと」にしてきたツケはいつか払わねばならない。
だが、そのツケは東電や国だけではなく、日本国民全員が支払う負担である事を忘れていないだろうか。

文明の利器は常に「諸刃の剣」である。
原子力発電も例外ではない。
この期に及んで、国民が「そんなことは知らなかった」と開き直ることは出来ない。
原子力発電の恩恵に浴してきた日本人が、今になってその責任を電力会社と国に押し付けたところで何ら問題は解決しない。
企業のスキャンダルは時と共に風化し、庶民も忘れていく。
しかし、放射能は風化しない。
会社幹部や国が土下座して大枚を叩こうが、放射能は巻き散らかれて、国土が危険に晒される状況は変わらない。
一方、国民が調子に乗って原発当事者にどんな謝罪させようが賠償金をふんだくろうが肝心の「放射能除去装置」は出てこないのである。
多くの国民とマスコミが「東電はけしからん!」「国はどうしようもない」と叫ぶ一方で、原子炉作業や遭難者捜索、瓦礫処理等の「汚れ仕事」を受け負う人々の重責を肩代わりしようなんて声は何処からも挙らない。
なぜなら、自分たちには何も出来ないからである。
指を咥えてただ見守るだけが関の山。
下請け作業員という生身の人間を破損した原子炉に突っ込ませるしか策がないのは、恰も第2次世界大戦末期、B29に竹槍で挑むという発想と何ら進展がない。
結局、日本は今尚「人」が一番安上がりな道具として通用する「野蛮な国」だったのだ。
この国では人は使い捨てが原則。
危険区域で餓えて死んでいく牛と同じ価値しかないのだ。
それも全て愚かで惨めで欺瞞に満ちた国民性、日本の根底を流れる「想定外」という言い逃れ風土が生んだ悲劇だ。
スケールが違うだけで、この言い逃れ風土に甘んじてきた罪は東電も一般庶民も変わりない。
「同じ穴の貉」である。

ではどうするか?
国民全員が、原発事故に対峙し、その英知を以て対処するしかないのだ。
「原発事故はおこらない」として、原発作業ロボットを開発せず、「想定外」の事が起これば外国のテクノロジーに頼るという「恥曝し」はもう、ここで終止符を打たねばならない。
何よりもこの期に及んで一私企業である電力会社に原発事故対応を任せている現状が狂気じみている。
私企業は営利を第一義としている組織だ。国民の命より会社の利益を優先させる存在だ。
そんな営利優先私企業に「怪物退治」が担えるか?
どうかしている。
直ちに国が総力を挙げて特務機関を創設し、国内外のあらゆるテクノロジーを集結させ、治外法権を行使してでも原発処理を貫徹する。
「想定外」に対処するとはそういうことだ。

ところが国は今もってしてそのような大胆な行動に出る様子もない。
結局、責任を取りたくないのだろう。
あくまで私企業の責任にしたいらしい。
国土が放射能で汚染されても尚、私企業の責任か。
国民もそれで満足か。

今回の原発事故は、まだまだ破綻の緒に過ぎないだろう。
とにかく「言い逃れ」が骨の髄までしみこんでいる国である。
「想定外」はまだまだ続く。
中国が尖閣諸島他に進攻して来る事態も、国と国民にとっては「想定外」だがら、原発対処と同じように外国に丸投げか?
あるいは、あそこは私有地だから国は関知しませんとか言うのだろうか?
それとも今回もアメリカが命を張って戦うところを指をくわえて見ているだけか?
「自衛隊員が犠牲になると国民とマスコミが煩いから出動しません。「戦争は起きない」のですから、目の前で起こっていることは「想定外」なので対処出来ません」とでも言うのだろうか。
まあ、それで済めば実におめでたい。
こうやって、「戦争は起きない」として、安全保障をアメリカに肩代わりさせ「言い逃れしてきた国」だ。
なんら不自然ではない。

将来の原発問題も然り。
今回の事象によって「原子力エネルギー」に対するアレルギーは高まり、もはや新たな原発立ち上げは不可能だろう。
一方でエネルギー供給は維持しなくてはならない。
しかし、自然エネルギーである風力や地熱は不安定だ。
日本には台風もあり風力発電施設が一挙に失われる危険性もある。かといって火力は炭酸ガス放出や石油枯渇でいつまでも頼っては居られない。
ではどうするか?
結局、外国から電力を買うのだ。
それもロシア、中国、韓国の原発が発電した電力をね。
表向き、日本は「脱原発しました。どうです!立派でしょう。」とでも言い張るのだろう。
しかし実態は、他所の国の原発が発電した電力を哀願してお目零してもらう姑息な国に成り果てるのだ。
エネルギー安全保障をかなぐり捨ててでも、表向きの「言い逃れ」根性を発揮してね。
国民は馬鹿だからそれで納得してしまう。

「戦争は放棄した」から自衛隊は軍隊じゃありません。
「原発事故は起きない」からロボットは作りません。
そして
「原発は放棄しました」ので日本はクリーンです。

また新たな「言い逃れ」「自己欺瞞」が一つ増えるだけ。
そして「想定外」の事が起こる度に外国のテクノロジーや軍隊に頼り、日本人はゴミか家畜の如く「想定外危機」に放り込まれ、見捨てられ、使い捨てられる。
そんな卑しい国が、日本なのである。

冒頭の助っ人外国人野球選手も日本が「想定外」の事にはなんら対処出来ぬ国民性を解っているからとっとと逃げ出したのだろう。
だがこの外国人には「安全な故郷」がある。日本に留まる必然性は何処にもない。

しかし日本人はここが「故郷」だ。
彼と一緒になって逃げ出すわけにも行かぬ。彼の家だって数人ぐらいしか泊めてくれないだろう。
ましてや首都圏3千万人は受け入れてくれまい。
残念だね。

結局、自分たちには逃げ場はない。
故郷を捨てたら「難民」である。
どこかの国みたいに「キレイなフロンティア」を求めて新たな大陸に進出し、そこの原住民を滅ぼして「新世界」を築く度量も力もない。
かといって、国民一丸となって放射能から国土を守るという気概もない。
ただ、一電力会社に責任を押し付け、罵倒し続けるだけ。
事態処理は外国の軍隊とテクノロジーに任せ、汚れ作業は使い捨て人間に押し付けるだけ。
国防も他国任せ。エネルギーもそのうち隣からお目こぼしを戴く事になろう。
これもみんな「想定外」だから仕方ないらしい。

日本人にあるのは唯一そんな「言い逃れ」文化のみ。
そのうち、放射能も外国人選手と同じように呆れてどっかいっちゃうかも。

よかったね。みんな。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/