陰々滅々の日々
日常
陰々滅々の日々。
最近、悪天候が続く。まだ冬晴れのシーズンだというのに陽射しもなく陽もまだ短いので四六時中真っ暗な穴蔵にいるようだ。
目が覚めると夜なので雨戸を開ける亊なく1週間位ずっと夜が続いている感じ。
その上、なかなか次の仕事も決まらず、かといって原画展の準備をする訳でもない。
近所の放火騒動やらで精神的にモチベーションが上がらず陰々滅々とした日々だ。
生産性ある事が何も出来ずに「精神的寝たきり状態」。
仕方なく、描きかけだった別名義の18禁漫画原稿に手を入れるが掲載予定がある訳でもなく集中出来ない。
新しいPCは取りあえずネットとかは快適だが画像ファイルも画像を扱うアプリケーションも入っていない(というよりミニノートパソコンでフォトショップが動くのか?)ので使用範囲は限定されているから今一つ活用出来ていない。
アルプス電気のMD5000プリンタードライバーXP用をダウンロードするも何故か正常に動かない。
ウインドウズは慣れていないのであまりごちゃごちゃ設定を動かしたくないし、そもそも面倒臭いので放っておく。
ニュースを観たら何やら日本の映画がアカデミー外国語賞を受賞したらしい。
最近ほとんど映画を観に行っていないし、当然この作品も観賞はおろか映画のタイトル含めアカデミー賞にノミネートされている事すら知らなかった。
だからこの作品の内容に関して感想を評する事は出来ない。
ただ、もしこのタイトルでメディアに流れている情報だけでこの映画を観に行きたいかと言われれば、それはたぶんないだろう。
人の普遍的な死の場に立ち会う者を描いている映画(という情報しか自分の中にはない)らしいが、正直そんな情況が生理的に苦手な自分にとって敢えてお金を払って「葬式」実況を追体験したいとは思わない。
なんだかこちらまで線香臭くなりそうでしんどい。
ただでさえしんどい毎日なのに何で態々「しんどくなる」映画を観なければいけないのだ?
望んでもいないのに斎場で他人の葬儀や出棺を見せられている感覚。
だったらこのような映画を観るまでもなく火葬場に行けばよいのだ。毎日人が焼かれているのだから。
火葬場君万歳だ。
どうしてこのような映画がアカデミー賞に選ばれたかは知らない。
きっと様々な事情があり、運もあるのだろう。
昔の黒澤明が描いた数々の映像作品から比べると、題材も映像も遥かにインパクトに欠ける気もするが、あの高度成長期真只中1950~60年代という激烈なエネルギーが沸き立っていた時代の作品と同列に語る事自体、間違っているのだろう。
あの当時の日本映画がアメリカのアカデミー賞で絶賛される環境は存在しなかったし、それはプロ野球と同じで、今の日本選手大リーガーとV9時代の読売巨人軍のナインと比べたら遥かにV9選手の方がインパクトも強くエネルギッシュで実力も上のような気はするが、だからといって当時の王、長嶋が米大リーグで活躍出来る伝手はなかった訳で、これまた同列で語れないのと同じだ。
なんだか最近は大リーグもアカデミー賞も敷居が凄く低くなって基準も何だか曖昧になってきた。
自分の世代にとってはよく解らないし野球も映画も興味自体薄れてしまい、深い洞察もしなくなったので多分どうでもよくなってしまったのだろう。
カンヌ映画祭受賞作品も1970年代頃はアンドレイ・タルコフスキー「惑星ソラリス」やフランシス・コッポラ「地獄の黙示録」など己の琴線に触れる作品があったのに最近は観る気力さえ起きぬ作品ばかり。
多分、自分の感性とは全く別の分野に受賞対象のテーマが移ってしまったのだろう。
これも歳取ったせいか?そもそも映画に限らず他者の創作物に関心が向かなくなってしまったのは致命的だ。
では今、もし敢えて観たい最近上映中の映画はどれだと尋ねられたらなんだろう?
強いて上げれば『THE MOON』とか『ワルキューレ』か。
1960年代、米ソ宇宙競争の中での未知への挑戦記録は血湧き肉踊るし、ナチドイツ戦時下で己の信念に命を賭ける実話物は興味をそそる。
もっともハリウッド人気俳優が英語で演じる「米大衆向け反ナチ娯楽作品」であるからして大した期待はしていないが。
それでも魂の祭典、男のロマンを揺さぶるテーマが多少なりとも入っていれば映画館に足を運ぶ動機付けにはなろう。
少なくとも葬儀のシュミレーション(という情報しか自分の中にはない)を金を払って観るよりは心が晴れる。
むしろ旧ソ連時代のプロパガンダ映画『大祖国戦争』やナチスドイツ、レニ・リーフェンシュタール -作品『意志の勝利』みたいなものをニヤニヤしながら観賞していたい。
もし今自分が映画を作れるならばどんな映画を作りたいか?
やはり「ヒトラーユーゲント」第12SS装甲師団を忠実に描いた史実物だ。
ひたすらナチプロパガンダに導かれた若人の歓喜とリアルな戦闘シーンが『エルミタージュ幻想』みたいに延々ワンシーンで綴られる作品だ。
突撃突撃突撃の連続で次々に殉職していくナチ戦士をこれでもかこれでもかと描くのだ。
そのテーマそのままに「満州國再建戦士」という映画を撮ってみたい。
自衛隊クーデターと神聖日本建国。皇太子殿下の決起と愛子様覚醒。その神の電波に導かれ絶望独身男性が決起して満州國再建を目指し総員殉職するというプロパガンダ映画だ。
そう!やっぱり魂の祭典なのである。
プロパガンダ映画がどうしても作りたい!
それ以外のテーマに何も興味が湧かないのだ。
500億円くらい投資してくれれば素晴らしいプロパガンダ映画をこの世に体現出来るのにと悔やまれる。
この陰々滅々とした日々を吹き飛ばすのはやっぱりリアル社会で2.26事件みたいな情況が生まれないとダメなのかもしれない。
とにかく仮想現実という映画の中にまで、陰々滅々とした「葬式香典通夜線香棺桶納骨」なんていう死にたくなるようなモノを観たくないのである。
どうせ己の死は孤独死に決まっているし、死んでから10ヶ月後に発見され保健所で処分される運命。
綺麗に「送ってあげましょう」なんて悠長な時代はもう終ってしまうのである。
葬儀屋が儲けられる時代もそう長くはつづかないのだから勘弁して頂きたい。
棺桶じゃなくてこれからはゴミ清掃車に放り込まれる時代。
そういう先見的作品なら観てもよいのだが。
陰々滅々の日々はつづく。
最近、悪天候が続く。まだ冬晴れのシーズンだというのに陽射しもなく陽もまだ短いので四六時中真っ暗な穴蔵にいるようだ。
目が覚めると夜なので雨戸を開ける亊なく1週間位ずっと夜が続いている感じ。
その上、なかなか次の仕事も決まらず、かといって原画展の準備をする訳でもない。
近所の放火騒動やらで精神的にモチベーションが上がらず陰々滅々とした日々だ。
生産性ある事が何も出来ずに「精神的寝たきり状態」。
仕方なく、描きかけだった別名義の18禁漫画原稿に手を入れるが掲載予定がある訳でもなく集中出来ない。
新しいPCは取りあえずネットとかは快適だが画像ファイルも画像を扱うアプリケーションも入っていない(というよりミニノートパソコンでフォトショップが動くのか?)ので使用範囲は限定されているから今一つ活用出来ていない。
アルプス電気のMD5000プリンタードライバーXP用をダウンロードするも何故か正常に動かない。
ウインドウズは慣れていないのであまりごちゃごちゃ設定を動かしたくないし、そもそも面倒臭いので放っておく。
ニュースを観たら何やら日本の映画がアカデミー外国語賞を受賞したらしい。
最近ほとんど映画を観に行っていないし、当然この作品も観賞はおろか映画のタイトル含めアカデミー賞にノミネートされている事すら知らなかった。
だからこの作品の内容に関して感想を評する事は出来ない。
ただ、もしこのタイトルでメディアに流れている情報だけでこの映画を観に行きたいかと言われれば、それはたぶんないだろう。
人の普遍的な死の場に立ち会う者を描いている映画(という情報しか自分の中にはない)らしいが、正直そんな情況が生理的に苦手な自分にとって敢えてお金を払って「葬式」実況を追体験したいとは思わない。
なんだかこちらまで線香臭くなりそうでしんどい。
ただでさえしんどい毎日なのに何で態々「しんどくなる」映画を観なければいけないのだ?
望んでもいないのに斎場で他人の葬儀や出棺を見せられている感覚。
だったらこのような映画を観るまでもなく火葬場に行けばよいのだ。毎日人が焼かれているのだから。
火葬場君万歳だ。
どうしてこのような映画がアカデミー賞に選ばれたかは知らない。
きっと様々な事情があり、運もあるのだろう。
昔の黒澤明が描いた数々の映像作品から比べると、題材も映像も遥かにインパクトに欠ける気もするが、あの高度成長期真只中1950~60年代という激烈なエネルギーが沸き立っていた時代の作品と同列に語る事自体、間違っているのだろう。
あの当時の日本映画がアメリカのアカデミー賞で絶賛される環境は存在しなかったし、それはプロ野球と同じで、今の日本選手大リーガーとV9時代の読売巨人軍のナインと比べたら遥かにV9選手の方がインパクトも強くエネルギッシュで実力も上のような気はするが、だからといって当時の王、長嶋が米大リーグで活躍出来る伝手はなかった訳で、これまた同列で語れないのと同じだ。
なんだか最近は大リーグもアカデミー賞も敷居が凄く低くなって基準も何だか曖昧になってきた。
自分の世代にとってはよく解らないし野球も映画も興味自体薄れてしまい、深い洞察もしなくなったので多分どうでもよくなってしまったのだろう。
カンヌ映画祭受賞作品も1970年代頃はアンドレイ・タルコフスキー「惑星ソラリス」やフランシス・コッポラ「地獄の黙示録」など己の琴線に触れる作品があったのに最近は観る気力さえ起きぬ作品ばかり。
多分、自分の感性とは全く別の分野に受賞対象のテーマが移ってしまったのだろう。
これも歳取ったせいか?そもそも映画に限らず他者の創作物に関心が向かなくなってしまったのは致命的だ。
では今、もし敢えて観たい最近上映中の映画はどれだと尋ねられたらなんだろう?
強いて上げれば『THE MOON』とか『ワルキューレ』か。
1960年代、米ソ宇宙競争の中での未知への挑戦記録は血湧き肉踊るし、ナチドイツ戦時下で己の信念に命を賭ける実話物は興味をそそる。
もっともハリウッド人気俳優が英語で演じる「米大衆向け反ナチ娯楽作品」であるからして大した期待はしていないが。
それでも魂の祭典、男のロマンを揺さぶるテーマが多少なりとも入っていれば映画館に足を運ぶ動機付けにはなろう。
少なくとも葬儀のシュミレーション(という情報しか自分の中にはない)を金を払って観るよりは心が晴れる。
むしろ旧ソ連時代のプロパガンダ映画『大祖国戦争』やナチスドイツ、レニ・リーフェンシュタール -作品『意志の勝利』みたいなものをニヤニヤしながら観賞していたい。
もし今自分が映画を作れるならばどんな映画を作りたいか?
やはり「ヒトラーユーゲント」第12SS装甲師団を忠実に描いた史実物だ。
ひたすらナチプロパガンダに導かれた若人の歓喜とリアルな戦闘シーンが『エルミタージュ幻想』みたいに延々ワンシーンで綴られる作品だ。
突撃突撃突撃の連続で次々に殉職していくナチ戦士をこれでもかこれでもかと描くのだ。
そのテーマそのままに「満州國再建戦士」という映画を撮ってみたい。
自衛隊クーデターと神聖日本建国。皇太子殿下の決起と愛子様覚醒。その神の電波に導かれ絶望独身男性が決起して満州國再建を目指し総員殉職するというプロパガンダ映画だ。
そう!やっぱり魂の祭典なのである。
プロパガンダ映画がどうしても作りたい!
それ以外のテーマに何も興味が湧かないのだ。
500億円くらい投資してくれれば素晴らしいプロパガンダ映画をこの世に体現出来るのにと悔やまれる。
この陰々滅々とした日々を吹き飛ばすのはやっぱりリアル社会で2.26事件みたいな情況が生まれないとダメなのかもしれない。
とにかく仮想現実という映画の中にまで、陰々滅々とした「葬式香典通夜線香棺桶納骨」なんていう死にたくなるようなモノを観たくないのである。
どうせ己の死は孤独死に決まっているし、死んでから10ヶ月後に発見され保健所で処分される運命。
綺麗に「送ってあげましょう」なんて悠長な時代はもう終ってしまうのである。
葬儀屋が儲けられる時代もそう長くはつづかないのだから勘弁して頂きたい。
棺桶じゃなくてこれからはゴミ清掃車に放り込まれる時代。
そういう先見的作品なら観てもよいのだが。
陰々滅々の日々はつづく。