火星の青い日没

SF
01 /21 2011
結構前の動画なのだが火星の青い日没。

アメリカの火星探査車オポチュニティーが撮影したもの。
日本も早く火星に2足歩行ロボットを送り込んでこれ位の風景は撮ってもらいたいものだ。
それにしても学生時代に読んだレイ・ブラットベリの小説『火星年代記』を彷彿とさせる光景。
そろそろ火星の写真も科学目的だけでなくアートの分野にまで視野が広がってきたようだ。
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虚しい反芻

SF
09 /07 2009
東京MXテレビでは、かなり前のアニメやドラマを再放送していて、週末夕方には「未来少年コナン」や「赤毛のアン」などの1970年代後半の作品が見られる。

再放映を待つまでもなく、今やDVDやネット上の動画サイトなどで幾らでも過去、琴線に触れた作品を視聴出来る環境が整っている。
1970年に日本で放映された「謎の円盤UFO」もその一つ。
自分が小学5年生の頃、洗礼を受けたイギリス製本格的SFドラマ。「新世紀エヴァンゲリオン」キャラクターの元ネタにもなっている名作だ。
動画サイトでそのオープニングを久しぶりに見たが、やはりカッコいい。
10歳の頃初めて観た感覚と同じだ。
この世に生まれて10年しかたっていないのに、これをカッコいいと理解する感受性がすでに出来上がっており、そして50歳近くになった今でもその感覚は変わっていないことに軽い脅威を感じてしまう。
何なのだろう?
ここに「時間差」は存在しないのだ。
「未来少年コナン」や「赤毛のアン」を観た時の感覚もまた同じように時を跨いで感性が時空を超えて繋がっている。
その頃あった他諸々の出来事は遥か記憶の果てで忘却の彼方に打ち捨てられているというのに、これらの作品群の記憶はまったく鮮明に己の中で生き続けているのだ。
これは懐かしさとは違う。事あるごとにそう思うのだ。
ネットが普及する前は往年の名作を含め容易にリピート鑑賞できるプラットホームなどなかったから大抵は記憶に上書きされてしまうものだが、現環境下ではどんな時代の創作物も瞬時に呼び出すことが出来てしまう。
だからいつまでも「忘却」が起こらない。
エリス中尉が月面基地で着替えたりするシーンがこんなにセクシーだったことを再確認出来るのも然り。
流石に小学校5年の自分には劇中コスチュームのエロさに反応するほど「覚醒」はしていなかったのだが、それは別問題だとしてもSONYのコンポステレオCMや小森のおばちゃまの解説シーンを含め、40年の時空を超え、捕らえ方は今と一緒なのだ。
まだテレビは一家に一台の時代。無論、家庭用ビデオなんかない。
おそらく兄弟と親父で居間のテレビで観ていたはず。土曜の午後8時、日本テレビだ。
その頃のくだらない出来事や学校家庭での稚拙なエピソードはどっかにすっ飛んでいるのに、この作品から受けた影響だけはやけに高尚だった。たった10歳の時に本格的SFを丸ごと飲み込むことが出来たなど信じがたい。
学校のクラスメートの中にもこの作品に夢中になっているのが居て、自慢げに俳優エドビショップやらの名前を全部記憶するほどの熱の入れようだった。
その部分だけはもういい大人が「新世紀エヴァンゲリオン」に夢中になった時の振る舞いとそっくりだった。
そんな、本来ならば記憶に上書きされるものを同時間帯に並列に置き換える行為とはいったい何なのだろう。
そこには通過儀礼は存在せず、ただ永遠に「反芻」が繰り返されるだけ。
そのうちどちらが過去でどちらが未来の作品か解らなくなってしまい、時間の感覚すらなくなってしまう。
10歳の自分と50歳の自分がクロスオーバーする。
もしかすると「謎の円盤UFO」を夢中になって見ていた小学校5年生の自分は己の「未来」の姿かもしれない。
成長を止め、通過儀礼を止めた絶望独身男性にとって、40年前は過去ではなく、これから反芻する「未来」なのだ。
「謎の円盤UFO」の公式サイトには当時のスタッフ俳優が同窓会みたいな感じで集っている映像もあった。皆老け込んでいて、もはやかつての姿はない。
しかし、ネットや記憶の中では、時間の経過は存在しないのだ。
この差は果たして何なのか?
実世界では必ず人は老い、死んでいく。
この生命の法則に逆らう奇妙な感覚は、単に打ち捨てられた人間の儚い妄想でしかないのか。

虚しい反芻はどこまで続くのだろう。

マイケル・クライトン「アンドロメダ病原体」

SF
06 /14 2009
マイケルクライトンの「アンドロメダ病原体」を久しぶりに読み返す。
最近のインフルエンザ禍報道に触発されて小松左京の「復活の日」も読み返した。
両書とも30年近く前に購入したハヤカワ文庫版なのだがもう何回となく読み返した。
1960年代に書された作品であるにも拘わらずまったく古さを感じさせず、寧ろこれを凌駕する作品は現れていないのではと思うほど良く出来たSFだと感じる。
SFが真っ当な「サイエンスフィクション」として語れる時代の産物だったからかもしれない。

さて、この「アンドロメダ病原体」の後半に興味深い記述がある。
(小説の内容に拘わる部分なので未読の人は注意)
これはおそらくフィクションなのだろうが、アメリカの製薬会社が「カロシン」という薬を開発したという件。
「カロシン」はがん細胞を殺し、ありとあらゆる病原菌を殺して人間を病魔から救う万能薬として期待が持たれた。
しかし臨床実験で処方された患者は病気は全快したものの、体内の有益な細菌まで殺してしまったために抵抗力や免疫機能を失って普段なら無害なはずの細菌に襲われて全員死亡してしまったエピソードである。
本書にはこの危険性を警告した医師の予言をこう記してある。

「彼は人類が何十世紀の歳月の間に、大方の微生物に対する微妙に調節された免疫性を身につけたことを指摘したのであった。ヒトの皮膚にも、空気中にも、肺にも、胃腸にも、そして血液の中にさえも何百種類もの細菌やウイルスが存在している。それらは危険な潜在力を持っているが、ヒトが長年の間に順応性を獲得した結果、今では疾患の原因になるごく小数に過ぎない。
しかし、これは丹念に積み重ねられた平衡状態である。
もしそこへあらいる細菌を殺すような新薬を投入すれば、このバランスは覆され、何十世紀もの進化の結果が破壊される。
そして重複感染・・新しい疾患を担った新しい微生物の問題への道を開くことになるのだ」
(「アンドロメダ病原体」マイケルクライトン作・浅倉久志訳/ハヤカワ文庫)

これを読んで思い起こされるのは昨今のインフルエンザ禍で取り立たされる「タミフル」という薬だ。
これさえ飲めば新型インフルエンザ予防になるとか盛んに宣伝しているが、前途した小説の記述を思い起こせば如何に「胡散臭い」かよくわかる。
「アンドロメダ病原体」はあくまでフィクションであるが、その元になった「科学的考証」は限りなく真実だ。この小説がリアリティーあふれる作品だったのも作者が現実の科学技術から想定しうる未来を可能な限り精密に組み立てたからだ。

WHOが何を根拠にこんな世界的パニックを起こしかねないような「警報」を発しているのかは知らない。
だが、この「新型インフルエンザ」が「極端に特異なもの」という根拠も希薄な上に、そして重篤者も殆ど居ないのにも拘わらず、「世界的大流行」パンデミックを盛んに騒ぎ立て続けるのはまったく理解しがたい。
もし、理由があるとすれば、何らかの既得権益が絡んでいるとしか思えない。
「タフミル」が特効薬だと騒ぎ立てれば当然、これを作った製薬会社は莫大な利益を上げよう。それに絡んだ政治家もね。
また、インフルエンザ禍により人々が外出を控えれば屋内で仕事を継続させる手段が必要になる。その唯一の方法はインターネットだ。
当然、高速インターネット等のIT関連企業は急速な需要を得ることが出来る。
アメリカの3大自動車企業がことごとく破綻しているにも拘わらずアメリカ国家が比較的冷静で居られるのは、もはや人間自体を運ぶ移動手段たる自動車に未来はないと踏んだからだ。
これからは人間ではなく情報のみを高速で大量に移動させる時代が来る。
そのための「呼び水」としてこの「インフルエンザ禍」が意図的に画策されたのではないか。
こう考えるとすっきりする。
無論この騒ぎによって犠牲となる人間の数は計り知れない。
「タミフル」は実に怪しげな薬だ。
「タミフル」を飲んだ若年層が異常行動を起こして死に至る事例も報告されている。
それに「タミフル」を飲んだところで新たに抗体をもったウイルスが出来れば意味がない。
またそれに対抗する薬を飲まなければ改善されないとなると、この薬を処方された患者は一生この薬を飲み続けなければ生きていけなくなる。
「タミフル」を売らんがための「インフルエンザ禍」だったとすれば、前途した「アンドロメダ病原体」の「カロシン事件」と同じことが起こるだろう。
「カロシン」は小説の中の架空の薬だが「タミフル」は実際に処方される薬なのである。
こんな「胡散臭い」事例が見え隠れするこの「インフルエンザ禍」を決して真に受けてはいけない。
「嘘と欺瞞」に満ちたパンデミックに踊らされることは自ら「死」を招くようなもの。
自分は絶対に「タミフル」は飲まない。
これを飲んだら最後、普通の風邪を起こすだけのインフルエンザに殺されてしまうだろう。
「タミフル」は対処療法の薬でインフルエンザウイルスを殺す薬ではないようだがどっちにしろ同じだ。
インフルエンザは人間とウイルスの平衡関係で成り立っている。
「タミフル」はそれを壊してヒトを重篤に至らしめる可能性がある。
それを知っているのは一部の医者と薬の開発者だけだろう。だから彼らは決して「タミフル」を服用しないかもしれない。
「現実は小説より奇なり」とはよく言われることだが、正にこの「インフルエンザ禍」はこのことわざ通りである。
インフルエンザで重篤になるのは他の要素が複雑に絡むからだ。
「スペイン風邪」は第一次世界大戦という戦乱の中で非衛生状況が広範囲に存在していたからこそ大流行し致死率も高かった訳でそんな条件がもしなかったら誰も気が付かなかった季節性インフルエンザで終わっていたろう。
だから今回のインフルエンザもカタストロフを伴う禍が同時進行しない限り騒ぐようなものではないのだ。
WHOはそんなことくらい解らないのだろうか。
解ってやっているならこれほど悪質のものはない。
無論、「タミフル」製造製薬会社や高速インターネット企業群にとっては「願ってもない天の声」だがね。

「復活の日」や「アンドロメダ病原体」は想定しうる将来の禍を科学的根拠を元に見事に「予言」している小説だ。ある意味「未来指導書」でもある。
だからそれに近いことが現実に起こった場合、「嘘」や「欺瞞」も見抜くことが可能だ。
今騒がれているインフルエンザパンデミックが如何に「胡散臭い欺瞞を下敷きに画策されたデマゴギー」であるかはこの小説を読んでいれば容易に理解出来る。
一般の人も流石に「おかしい」と感づいたらしく、「フェーズ6」になったからといってマスクをする人も少ない。
だがこの「デマ」を画策した者はあの手この手で人々を騙そうとマスコミ総動員で「胡散臭い情報」を流してくるだろう。
特に北半球が冬に向かうシーズンは要注意だ。すでにこのパンデミックは2~3年続くという関係者も居る。
この人は製薬会社から幾ら貰っているのかと疑いたくもなる。
そんなに付き合ってられるか。

もし、マイケル・クライトンが生きていればこの「偽」パンデミックを題材に面白い小説を書いてくれるに違いない。
タイトルは「タミフル・嘘と欺瞞」
ベストセラーになりそうだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/

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