晩秋の戯言

報道
11 /10 2016
気が付くと11月。
木枯らしが吹いて「寒さ」という感覚を体感しはじめた。
近年、「秋」がない。
9月過ぎてもだらだらと残暑が続き、秋はいつ来るのだと思っていたら突如として寒さに襲われる。
この極端な入れ替わりは、もしかすると気象がおかしくなったのではなくて単に己の代謝低下が原因かもしれない。
代謝が衰えると、すべての五感が鈍って環境変化に鈍感となり、暑さの次に遣ってくる「涼しさ」に対応しきれぬうちに寒さが来てしまうのだ。だから季節変化が極端に感じられてしまうだけなのかも知れぬ。
数多のものに鈍感となる。
歳をとるとはそういうものだ。

テレビやネットで北米大国大統領選挙の結果を知る。
メディアの予想を裏切ってかつての泡沫候補者が当選したという。
公職経験も軍歴もない、およそこの国の国是に相応しくない様な人物だそうな。

最近は「想定外」のことが多いという。
英国のEU離脱も予想外の出来事で、世はグローバイズムに終焉を告げ、時勢のベクトルが「内向き」に逆転しはじめたという。
今回の選挙もこの国が支配するエスタブリッシュメント(既得権層)に虐げられていた国民の鬱積を掬い上げた結果とか何とか。
本当かどうかは知らない。

この次期大統領は日本に対して安全保障負担は重荷だから手を切りたい、と選挙中は発言していたらしいそうな。
当選後、日本の宰相はそんな発言を知らなかったのごとく「日米同盟は普遍的価値で結ばれた揺ぎ無い同盟」とコメントしたと新聞に載っていた。
同盟に「普遍的価値観」なんてあるのかも知らない。
でもかつて第一次世界大戦時に結ばれていた「日英同盟」はどこぞへ消えてしまった記憶があるが、あれにはそういう「価値観」はなかったのか?。
いずれにしろ、かの国が日本列島を「不沈空母」として重宝していた冷戦時代はとうの昔に霧散していることだけは確か。

実際、この次期大統領が、本当に日米同盟を返上したいのかは、今のところ誰にも解らない。
ただこの状況を鑑みて己の権益を拡大しようと虎視眈々と狙う中国にとっては千載一遇のチャンスかもしれない。
北米大国の次期大統領が「内向き」であれば、己の国益に反しない限り、中国の軍事的冒険にも目をつぶって傍観してくれる可能性が大きい。
中国にとってこの混乱の機に乗じて、南シナ海、東シナ海、果ては太平洋西半分の権益を実力で奪取するまたとない好機。
中国がそんなことをするはずがないか?
否。
英国のEU離脱、今回の米大統領選だって「まさかの想定外」だったのだから、中国の電撃的海洋軍事攻勢だってあってもおかしくはなかろう。
米国追随しか選択肢がない日本の外交安全保障にとって、このような中国の軍事的冒険に抗する手立ては、ない。
指をくわえて為すがままに、尖閣諸島や沖縄を中国に持っていかれるだけだ。

そういえば、この次期大統領は「日本、韓国の核武装は容認する」とかなんとかも言っていたような。
これまた、どこまで本気なのかは解らない。
但し、韓国世論は、この機に核武装すべしという機運は高まっているという。
日本はこの期に及んでも「平和憲法」を信奉し、形骸化しはじめている日米安保を妄信して「核」なしで、中国の軍事力による現状変更に対処していくつもりのように覗える。
日本の行政府がどういう選択肢を鑑みているのかも知らない。
だが確実にいえる事は、賢明な未来ビジョンを推し示す事ができる指導者がこの国にいるとは、とても思えない。

今回の大統領選で露呈したのは既存メディアが伝える世論と選挙結果が食い違っていたこと。
多くの者は既存メディアが「真実」を伝えていないことに以前から薄々気づいていた。
しかしまさか本当にそうだったとは些かびっくりもする。
日本の既存メディアも似たようなもの。

その既存メディアによれば、これまで戦後一貫「日本は唯一の被爆国で国民は誰も核武装を望んでいない」と一般的に評している。
その根拠は知らない。おそらくそういっておくことが、誰かにとって一番都合が良いのだろう。
もし、今、国民投票か何かで日本の核武装の是非を問うた時、日本の既存メディアはこうコメントするだろうことは想像に難くない。
「国民は絶対的に核武装を選択するなんてありえない。そんな主張をするのは偏狭な保守主義者だけ」だけだと。
仮に投票結果が「核武装容認」と出たならば、既存メディアは何とするのだろう?
今回の大統領選挙みたいにあたふたするのか?
だがおそらく、この国でそんな国民投票はなされないだろうし、そんな「想定外」な結果も出ないだろう。
なぜなら日本は、英国や米国と違う。
日本は第二次世界大戦に敗北した「旧敵国」であって、核武装を許容する「世論」など「存在しない」ことにされているからだ。
既存メディアは、確かに「真実」を語らない。
誰かに「操作」され、誰かの都合によって嘘もつく。
そして、中国はまんまと尖閣と沖縄を手中にする。

北米大国はもう「世界の警察官」は辞めるのだろう。
遅かれ早かれ、自分の国を守るだけで精一杯となることだけは想像に難くない。
日本は「用心棒」を失う。
だからといって自分で己を守る気概もお金も武器も世論もないことにして「誰も攻めて来ない」という希望的観測のみに縋る国になる可能性が高い。
それはそれでよいのかもしれない。
世界に情勢に身を委ねて「為されるがまま」という生き方も一興だろう。

NHKテレビの大河ドラマ『真田丸』を何となく観ている。
そろそろ佳境だ。
大阪城に集いし血気盛んな牢人と守旧既得権にしがみつく豊臣家の確執構図が、どこかで見た光景に似る。
有能な武士は捨て駒にされ、既得権者は生き残りのために敵対勢力にすら擦り寄る。
いつの時代にも、損をするのは踊らされた「正直者」である。

今回の北米大国次期大統領も、結局巡り巡ってエスタブリッシュメントの御輿に担ぎ上げられ、彼らの代弁者に墜ちるかも知れない。中産階級の白人労働者は今よりも厳しい辛酸を舐めさせられるやもしれぬ。

実際どうなるかはわからない。
どこかで核爆弾が落ちて、一般市民は皆、壊滅し、ほんの一握りのエスタブリッシュメントだけが地下深いシェルターでひっそり生き残る未来が来るかもしれない。
そんなシェルターの中で、唯一の娯楽は次期大統領の理想郷を語る演説。
こんな滑稽かつ絶望的な時代が近づいて来る気がしてならない。

今年の冬はどの位寒くなるのだろう。





 

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「痴漢撲滅ポスター」と俗人首長吊し上げ

報道
06 /15 2016
気がつくと6月も半ばに差し掛かっている。
気まぐれに徒然なるままに未だ『徳川夢声戦争日記』を読み続けている。
1945年5月のところまで読み進んだ。
夢声曰く、B29帝都来襲の際に繰り広げられる防空戦の「美しさ」に、これを見物料と思ったら家を焼かれても致し方なかろうと。
どこか感覚が狂っていたのだろう。
しかし戦争の悲惨さより、その「美しい情景」を嗜んでいる様子もまた「真実」だったのだ。
自分の家を焼かれる恐怖があったに違いないが、もうここに至ってはどうでもいい。
望む望まぬに拘わらず、戦争というものは恐らくすべての価値観を一変させてしまう力がある。
帝都の焼け野原に萌える新緑も「美しかった」らしい。

駅でよく見る「痴漢撲滅ポスター」。
コミック風に構成されているやつだ。
あれを観る度に「美人局」を連想させるのはなぜだろう。
そして最近は、マスコミが拠って集って叩いている首都の現役首長を連想させる。
周りの者を煽って一人の人間を徹底的に潰そうとする様。
これを「村八分」とか「いじめ」とか言うのだろう。
散々、己自身がそれに対する撲滅キャンペーンを謳っておきながら、自ら全国レベルで「いじめ」「村八分」を展開するという滑稽さは類を見ない。
自覚がないのか?それとも自覚があってやっているのかは知らない。
記者会見で泣き喚いた地方議員、オリンピックエンブレムデザイン盗用疑惑のデザイナー、そして今回の公金使い込み疑惑首長。
探せばまだまだ枚挙に厭わないだろう。
メディアスクラムとか「おぼれた犬は叩け」とか、まあ残酷なものである。

所詮皆、俗人なのである。
この国のほぼ100パーセントは俗人で構成されている。
俗人による俗人のための俗人の国がこの日本だ。
聖人君子などどこにもいない。
にも拘らず、俗人中の俗人である「議員家業」と「マスコミ家業」が、事もあろうに聖人君子面して俗人を裁こうとしている。
これほどの欺瞞を平然と「正義」と語っていじめ行為に奔走している様は恐怖にしか写らない。

昔、小学5年生の頃だったか、クラスでいじめ行為があった。
公園の一角でいじめ対象者を拠って集って突き上げる行為は昨今のテレビとそっくりだ。
もっともらしい理由をつけ、コメンテーターなる「良識者」がのたまう台詞は、いじめに加担した当時のクラスメートと言い様が瓜二つ。
程度の差はあれど、公金をプライベートに流用するなど、マスコミや議員家業に携わっている者としたら専売特許ではないか。
だが、自分のことは棚に置き、国政選挙が近づくやいなや、己の議席を確保するためには取り合えずスケープゴートを作っておかねばと誰かが頭を捻って妙案を考え付いたのだろう。
挙句、この乱痴気騒ぎだ。
選挙を控える議員業者にとって「正義」「潔癖」を装うのも選挙7つ道具の一つ。
マスコミ業者と一緒になって与党も野党も首都の現役首長を「悪党の象徴」とつるし上げ、糾弾し、テレビで「正義」を打ち始める。
まさに己の権利欲丸出しの俗人中の俗人が為せる行為であって、それとこの俗人首長の為したことと、如何程の違いがあるというのか?
いや、どこにもない。
議員商としての既得権と首長としての既得権。
目くそ鼻くそを嗤う。

俗人は俗人と認め、俗人らしく泥水に浸って身の程を悟り、おとなしく俗人として俗にまみれていればいいのに、俗人が微塵も持ち合わせていない「正義」「誠実」を言い出し始めた瞬間から不幸が始まる。
この日本に「正義」を謳える聖人君子はどこにもいない。
いるのは「聖人君子」を装った狡猾な俗人策士だ。
そんな策士に唆されて加勢に走る愚かな人間もこの国には多い。「村八分」が専売特許のお国柄だ。
そして、今こうして首長を叩いている俗人議員業者が国政に携わっている事実。
中国も笑って領海侵犯出来る訳だ。

このまま首長が辞任し選挙になると、4年後、東京オリンピック真っ盛りにまた都知事選挙をしなければならない。
オリンピック招致、オリンピック旗引継ぎ、そしてオリンピック開催当日、すべて違う人物が都知事の席に座ることになる。
一貫した責任者も指導的役割を担う者も現れない。
長期的視野を失い、ただ目先の既得権に翻弄されるだけの愚衆が蠢いているだけの国、日本。

だがそれがお似合いなのだろう。
そもそも首長に「清廉潔白」「誠実」「正義」など求めたところで、ろくなことにはならない。
そういう人間に限って人から自由を奪う。
公金を私的流用しないからといって、その人物がまともだとは必ずしも言えない。
清廉潔白で「飲む打つ買う」にも関心なく、お金にも綺麗な絵に描いたような誠実者が当選したとしよう。
だが顔の皮一枚はがせば己の思想信条に逆らうものに対して異様な憎悪を滾らせる潔癖症だったらどうする。
俗欲に関心のない人間に限って屈折した異常者も多いものだ。
公金に手を出さない代わりに焚書や都民監視、弾圧、収容所建設に予算を投入することに異様な情熱を傾ける人間だったら。
偏った思想信条だったり、バックボーンが怪しげだったりしたら。
今回もそんな胡散臭い候補が蠢いていそうだ。
それこそ、都民にとっては災難だ。

駅の痴漢ポスターに描かれた「痴漢だ!」と叫んでいる人物が、この世で最も疑うべき存在だ。
それに唆されて便乗したらひどい目に合う。
俗人都民には俗人首長がお似合いなのだということは肝に命じておいたほうがよい。

「青い地球は誰のもの?」

報道
06 /09 2016
気がつくと季節は入梅。
次第に空気が暑さと湿気を運んでくる。
先日、冨田勲の追悼番組をラジオで聴く。
数年前に放送された対談の再録ではあったが興味深かった。
その中で『70年代われらの世界』が話題に上った。
己の世代にとって「70年代」という響きは、ワクワクする事がたくさん待っている「科学が保障する希望の世紀」だった。
テレビから流れる『70年代われらの世界』のテーマソングはこう唄う。
「青い地球は誰のもの?」
繰り返しの合唱の中、アポロ8号が映したと思われる地球の画像をバックに子供たちがかけていく。

この番組のメインテーマは「文明批判」。
公害とか人口問題等が記憶に残る。
経済大国日本が極東の雄として欧米とガップリ四つで釈迦利器に渡り合えた時代。
自我が芽生え始めた小学校高学年から中学生に至る当時の己の脳裏に「文明の闇」と「批判精神」を植えつけた番組でもあった。
「青い地球は誰のもの?」
そう、当時はそれを未来を育む子供たちに向けて謳ったのだ。
その頃の子供たちはもはや60近い。

同盟国の大統領なる者が先月、最初に原爆投下された都市を訪れたそうだ。
「核廃絶」を謳いあげたところで、その手には核ミサイル発射指令装置が握られている矛盾。
日本の宰相がその「お礼」に近々真珠湾を参拝するそうだ。
これで思い出したのが、東京大空襲で非戦闘員を10万人のオーダーで殺害したカーチス・ルメイに、戦後、日本政府が大層な勲章を授与した件。
これも、たしか真珠湾攻撃を立案した当時の帝國海軍将官が、戦後国会議員になった際、アメリカから勲章をもらったのでそのバランスを取るためだったとか。
核廃絶等というお題目は、最初からどうでもよかったのである。

米国にとって核は日本を無条件降伏させた最大の功績者だ。
すべての核保有国はそれを知っている。
だから核で武装する。
それを止める意思などどこにもないのにも拘わらず、念仏のように「核廃絶」を謳うのは文明に対する怠慢以外のなにものでもない。

「青い地球は核保有国のもの」
これは疑いのない事実である。
核を持たない国に地球文明のイニシャティブは掴めない。
もし、日本が本気で「核廃絶」云々を実践するつもりならば核を凌駕するパワーを保持しなければならぬ。
『風の谷のナウシカ』に出てきた巨神兵を創出し、「調停者オーマ」として全世界を武装解除へ導かせる。
「調停者オーマ」のみが核廃絶の実践者。
そしてこれが唯一の、真の「憲法第9条」実践へと繋がる。
「調停者オーマ」がプロトン光線で南沙諸島の一つ二つ消し飛ばせば、誰もが彼に従うだろう。
だが、日本人の誰一人、巨神兵創出に向かって前進しようともしない。
「護憲論者」も「改憲論者」も机上の空論で無駄に時を重ね、何一つ実りのない「念仏」を繰り返すだけ。
そのような「念仏」は単なる自己欺瞞に過ぎない。
そんな国はいつまでも核保有国に翻弄され続ければよい。

どこかで、日本の報道自由度ランキングが72位だとか耳にした。
どこの誰がそんな順位を決めたかは知らない。
「自由」の度合いはさておいても「痴呆度」はかなりのものである。
日本の生命線である南シナ海がまもなく中国によって完全封鎖される状況が迫っているにも拘らず、その国家的危機情報を放置し、俗人の首長をつるし上げる事に血眼になっているマスコミが重度の痴呆であることは論を待たない。
公金横領とか騒いでいるが、歴代の首長は桁違いに使い込んでいたそうな。みんなやっていたことなのである。
要するにこれはただの口実で何処かの誰かが国政選挙も近いから、目障りな首長を陥れて取り合えず、国民の目を逸らそうと、まあそんな按配だろう。あのオリンピックエンブレム騒ぎと同じ。
それに踊らされる国民もまた哀れ。
かつての総力戦で海上封鎖され、飢餓列島と化した歴史的事実を省みず、南沙諸島の案件は中国とアメリカの諍いと他人事のように扱うマスコミの姿勢は国民に対する背信行為と同等だ。

中国は近年、南シナ海中央部を覆う「九段線」を持ち出して、その海域の全ての島々の領有権を含む独占的な権利を主張している。
南沙諸島のファイアリー礁、西沙諸島のウッディー島、そしてフィリピン西方沖のスカボロー礁を結ぶ三角点に強力な航空兵力を有する基地を確立させれば、南シナ海は完全に中国の実効支配権に落ちる。
ここが如何なる海域であるかは論を待たない。
即ち、日本の生命線である中東からの石油タンカー、戦略物資輸送の要のシーレーンであることは誰の目にも理解できよう。
ここが中国に抑えられれば、もはや日本に独立と自由は存在しない。
中国は「反日」で成り立っている国だ。この南シナ海支配が完成した暁に最も優先される作戦は決まっている。
日本に対する海上封鎖だ。
もはや、アメリカは日本の味方ではない。
アメリカは中国と利害が一致すれば、日本など眼中にない。あっという間に見捨てる。
中国は太平洋の西半分が欲しいと兼ねてから渇望している。アメリカにとって太平洋の東半分さえ保障されれば、別段南シナ海などどうでもよいのである。所詮極東の端っこの海だ。固執してまでアメリカが支配しなければならない海域でもない。
実際、米中は中日とは違い、首脳同士足繁く会っているし、交易面では相互依存が高まっている。
その気になれば太平洋を仲良く分け合う事だって辞さないだろう。
一方、日本にとって南シナ海は紛れもない生命線だ。ここが敵性国に抑えられれば完全に壊滅する。
70数年前の戦争がそれを証明している。そして中国は日本を滅ぼすことが国是な国なのだ。
かつて侵略された復讐を必ずや晴らそうと虎視眈々なのである。
だからこそ、中国の南沙諸島実効支配は日本存亡に拘わる戦後最大級の外交軍事事案。
彼らは歌う。
「青い南沙諸島は中国のもの」
「やがて日本も中国のもの」
その歌声に耳を貸そうともせず、下らない俗人首長のドタバタ劇に執心するマスコミの様は噴飯を超えて、国民に糞尿を巻き散らしているようなもの。
やがてアメリカに捨てられ、南シナ海を中国に支配され、最後通牒を突きつけられて、その時になって「欲しがりません。勝つまでは」とか叫び始めるのつもりか。
マスコミはいつの時代もこの調子だ。そして国民は欺かれ、ひどい目に合うのである。

先日、駅前を歩いていたら不動産販売の男が道行く人に「土地を買わないか」と片っ端から声をかけていた。
ああ、この国は気が狂い始めたと思った。
生活保護163万人。超少子高齢化に悲観的未婚率。いつ来るかもしれぬ大地震。
かつて栄華を誇った日本の家電メーカーは今や見る影もない。すでに日本の非正規雇用労働者は成長著しいアジアの所得水準を下回っているそうだ。大挙して訪れている外国人観光客のほうが裕福なのである。
要するに日本はもはや先進国から転げ落ちたのだ。
そんな国に住む庶民に億単位の都心の土地を飛び込みセールスする狂気。
完全にバランスが崩壊している。
もうおしまいだ。
この国は遅かれ早かれ、3発目の原爆を落とされ、隣の国の軍門に降るのは必至だ。

「青い地球は誰のもの?」
かつて子供たちに語りかけた希望の歌はもう聞こえない。
絶望が徘徊するだけのこの国に、もう青い地球を語る資格もない。
もはや希望を繋ぐ次世代はいないのだから。

この現状を覆せるのは「調停者オーマ」だけ。
広島オーマ16050色








国産新型旅客機の行方

報道
11 /12 2015
テレビが国産の旅客機が初飛行したことを告げている。
半世紀ぶりだとか。
だが、アメリカの超音速爆撃機XB-70の初飛行のような斬新さもなく、B747の圧倒する巨大さもない。
あまりにも地味な機体。
すでにこのクラスの航空機市場のシェアは他国のメーカーに独占されているらしい。
どうやって販路開拓するつもりなのだろう。
燃費や乗り心地がよくても価格が高ければ売り上げは見込めない。
そのためには恐ろしいほどのアンフェアな手段でも使わない限り、まともな参入は難しい。
たとえばこの旅客機を世界各国にタダ同然で数百機オーダーで航空会社に贈呈するとかして、市場にねじ込んで行かぬ限り、展望はなかろう。
目先の利益にこだわっていては、新幹線の二の舞だ。
インドネシアの高速鉄道計画で中国に負けたのは、採算を度返しした中国の戦略に他ならない。
100年先を見据え、インドネシアの権益を手中に収めるためには、まともな商行為など意味はない。
鉄道を植民地経営の基盤とするからこそ出来る戦略だ。
目先の利益しか考えられないうちは何をやっても中国に負ける。
この国産旅客機も同じ事。
いくら性能や安全性がよくても、またもやガラパゴス化するだけ。
いずれコスト競争に敗れ、数機が国の機関や自衛隊、海上保安庁に残るに過ぎない。
YS-11と同じ運命だ。

何回となくこのブログで述べているのだが、日本がもし、自動車に変わる基幹産業として何かを立ち上げたいのならば、他国がやっていない新しい分野に乗り出すしかない。
それはセクサロイドだ。
これを国家を挙げて美少女のアンドロイド化と人格移植OSをマンハッタン計画レベルで開発し、全世界にタダでばら撒き、シェアを磐石なものとする。
ユーザーはいすれ、セクサロイドなしでは生きられなくなる。バージョンアップは当然有料だ。
先行投資は膨大だが、その分見返りは大きい。
ビッグな市場となった時にはもう日本のセクサロイドを追随出来る国はいまい。
もはや日本の独断場になろう。
アップル社のアイフォーンのようにね。

スマホも阿片も同じようなものである。
いずれ人はそれなしには生きられなくなる。
同じように、日本はセクサロイドを全世界にばら撒けばよいのだ。
航空機で勝負する時代は半世紀前に終わっている。
しかし、そのような革新的発想を実践できる賢者は、残念ながらもう日本にはいない。
あるのは旧態依然とした既得権、世襲の硬直した守旧的思考の産物ばかり。
だから出来るものといえば
艦載機のない空母、核弾頭のない固体燃料ロケット、火星に行かない探査機、世界市場に進出できない新幹線、おもちゃの「介護」ロボット、そして売れそうにない旅客機等等。
セクサロイドもまた、雛形は日本製だとしても、遅かれ早かれアメリカか中国がダイナミックな戦略で市場を席巻するだろう。
何もかもが手遅れだ。

ラッセンの絵と中米蜜月

報道
10 /28 2015
ニュースを聞いていたら、中国が領有権を主張する南沙諸島環礁の領海に、アメリカの駆逐艦が侵入したそうだ。
艦名は「ラッセン」。
あの「絵画商法」で有名なイルカの絵を描く画家の名と同じ。無論艦名と画家との間には何の関係もないだろうが。
メディアは、アメリカがやっと重い腰を挙げて、中国の海洋進出にけん制をかけたと伝えているが、果たしてどうなのか?
周辺国の海軍艦艇を動員して一大機動部隊を遊弋させるのならともかく、たった一隻の駆逐艦を通過させただけでは、何の効果もなかろう。
既成事実を積み上げて、事実上中国の支配下となった南沙諸島。アメリカももう、その現状を変えるつもりはないのだ。
一応、反中国で結束するベトナム、フィリピン、日本の手前上、「反対してますよ」というポーズを見せただけ。
実はアメリカはもう、太平洋の西半分は事実上、中国にくれてやってもよいと思っているのだろう。
国益を天秤にかけて、いまさら軍事的に中国と鍔迫り合いしたところで、得るものはない。それよりかは中国の市場だ。
一方、傍観している場合ではないのは日本。
南沙諸島を抑えられてしまえば、中東の石油に未だ依存している日本の生命線は中国の意思次第となる。
その気になればあの辺りを海上封鎖して日本の息の根を止めることだって出来る。
むしろ、それが最大の目的なのだろう。
だから釈迦力になって環礁を埋め立て、3000m級の滑走路まで仕込んで制海権、制空権の確保に勤しんでいるのだ。
日本は遅かれ早かれ、アメリカに裏切られ、孤立を深める事になろう。
「戦争」はすでに始まっていて、戦略的要所はすでに中国に押えられつつある。
そんな状況に気がつかないフリをして、南沙諸島問題が、アメリカと中国の対立軸としか見ていない日本人はとてもおめでたい。
中国にとっての南沙諸島支配は日本屈服のための強大な橋頭堡。
絵画商法でラッセンの絵を高額で購入させられ、痛い損失を蒙り、後悔するのに似て、駆逐艦ラッセンもまた決して我々の味方ではない。
中国とアメリカは内通しており、いつでも日本を中国に売り飛ばす用意は出来ていると疑いの目で見る事が大切。
自分の身は自分でしか守れない。
気づいた時にはいつも遅すぎるのである。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/

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