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国民皆貧乏農奴の未来

報道
06 /20 2019
タカラの『人生ゲーム』というのがある。
メジャーなゲームなので説明するまでもないが、双六みたいなもので最後は「大富豪」か「貧乏農場」行きで上がる。
プレイヤーは有り金がわずかになると最後は一か八かで全財産をルーレットに乗せて、己の人生を運に委ねる。
そしてほぼ9割9分、身包み剥がされて「貧乏農場」行きとなる。

最近、財務大臣が「2000万円貯蓄がないと老後が立ち行かなくなる」とか発言して、民は右往左往。
公的年金だけでは暮らしてゆけぬと。

己が子供の頃は貯金すると利子が付くのが当たり前だった。
放って置いてもお金が増えていく時代だった。
だが、そんな高度成長期は終わり、バブル崩壊によって日本は経済大国から転げ落ち、超少子高齢化によって更なる衰退を加速させた。
この期に及んでは、もう公的年金で国民の老後を安定的に維持することは不可能になりつつある。
一方、貧富の差は開いて、富める者は平民からますます搾取するようになった。
この2000万円云々もその類だ。
すなわち、中間層が唯一の「命綱」として溜め込んでいる貯蓄を「投資」の名の元に吐き出させ、搾取する巧妙な罠という事。
公的年金では足りないから、お前の持っている貯金で金融商品を買えと。
「ニーサ」とかお洒落な名前が付いてはいるが、所詮はルーレットと同じ賭博だ。
慣れない者がそんな賭博に手を出したら、あっという間に元本割れして破産一直線がオチ。
儲かるのは胴元だけといつの時代も相場は決まっているのだ。
この2000万円騒動でパニックになった愚民は、まんまとこの罠に嵌って身包み剥がされるのである。
タカラの「人生ゲーム」と同じである。
もはや日本国民の9割方は「貧乏農場」行きだ。
日本はもう此処まで堕ちるに堕ちたのである。
経済大国から貧民大国への転落はあっという間であった。
貯蓄のなくなった「旧中間層」は土地と財産を奪われ、江戸時代の小作人と同じく、富裕層や地主の所有物として奴隷のように扱われるのだ。
妾世襲と劣化紅衛兵しか選べない選挙制度の下では、もはや政治に救いはない。
日本は明治維新以前の貧民国となる。
そのうち士農工商も復活するのではないか?
飢餓も頻発して、毎年100万人単位で餓死していく。
「貧乏農場で餓死」
これが近い将来の日本人の平均的な末路であろう。




「キチガイメディア」に花束を

報道
06 /04 2019
2019年ももう半分近く過ぎた。
還暦を控えて新陳代謝の低下は如何ともし難い。
これまで仕事趣味生活全般でのルーティンが、自然体のままだとうまく回転せず、片付けられなくなっている。
「何か」がそれを阻害圧迫しているのだが原因がいまひとつ突き止められぬ。
表層的にはスマホの存在が上げられる。
新たな道具を有効に使いきるスキルがないと、身を滅ぼす。
だがそれだけが問題という訳でもない。やはり加齢という「宿命」には抗えない。

今更ながらメディアの垂れ流す「世相」にいちいち反応することが如何に馬鹿馬鹿しく、不毛なのかは論を待たない。
しかし、悲しきかな俗人の域を出られぬ身。
取り合えず物言わねば「便秘」になってしまうので、このあたりで汲み取り便所メディアに向かって「排泄」しておかねばなるまい。

小田急線沿線のどこかで「キチガイ」が刃物を振るったそうな。
事あるごとに述べているのだが、かつて、「キチガイ」が公認されていた時代ならば、まさに「キチガイ」の所業で終わっていた事案だ。
何千万分の1の確率で不幸にも「キチガイ」の所業に出くわしてしまっては、避けられるものでもない。
崖から岩が突然落ちて来たのと基本的には変わらない。
こんな事例を避けようものなら生涯地下室に一人閉じこもっている以外に方策はない。
だが、いつしかこの「キチガイ」という存在を否定し、数多の健常者から紐付けして原因を恣意的に「操作」するようになってからおかしくなってきた。
今回は今回で、「ひきこもり」、「ゲーム愛好者」が起した「犯罪」ということになっているようだ。
確率的にも科学的根拠もないのにだ。
そうすることによって何者かの既得権益に有利に展開する意図が垣間見れる。
かつての幼女連続殺人の時と同じく、容疑者を「ヲタク」と紐付けして、メディアがジェノサイド報道した時と何も変わらない。

「キチガイ」は唯一無二だ。
そんなものに属性はない。
「キチガイ」を「キチガイ」と認めず、「キチガイ」の尊厳を剥奪することこそがむしろ「犯罪行為」なのだ。
自分の生い立ちや境遇で無差別殺人を妄想する人間などいくらでもいる。
だがそれを実行に移す人間は「健常者」には居ない。
その一線を越えるのは「キチガイ」という肩書きを持ったものだけだ。
昔から「キチガイに刃物」というではないか?
「キチガイ」に動機もきっかけもヘッタクレもない。
理由はひとつ。
「キチガイ」だからだ。
「キチガイ」はいつの時代にも一定数存在し、それが生物の業として遺伝子に組み込まれた宿命と理解すれば、何の問題もない。
人は望む望まぬに拘わらず、常に運不運に左右される。
そんなものは「神のみぞ知る」だ。
それを健常者に結び付けようとするから、新たな不幸を生むのだ。

一説によると中高年の「ひきこもり」は推計61万人余り 39歳以下を上回るという。
そもそも「ひきこもり」とはなんだ?
実家に高齢者の親と同居することが「ひきこもり」か?
家から出ないと「ひきこもり」か?
で、それが何で「無差別殺人」と紐付けされるのか?
因果関係とか根拠が不明瞭なのにも拘わらず、メディアはひたすら「ひきこもり」を「殺人鬼予備軍」呼ばわりし、独身絶望男性のジェノサイドに奔走、発狂している。
「8050問題」なる事案も懸念されているようで、80代の親を50代の息子が面倒を見なければならないからどうのこうの。
それも「殺人鬼」とどう関連しているのだ?

そもそも、「ひきこもり」世代男性の中心である第2次ベビーブーム世代が結婚に恵まれなかったのが、真の原因ではなかったのか?
結局第3次ベビーブームが起きなかったことで、超少子高齢化に拍車がかかり、年金問題、そして「ひきこもり」問題を深刻化させているのはビッグデータから見ても明らかだ。
まさに、結婚適齢男性に、花嫁をめぐり合わせなかったことが、諸悪の根源なのである。
マスコミが叫ぶ、「ひきこもり」が「殺人鬼」を生んだというのが「真実」ならば、それは同世代婦女子の怠慢が引き起こしたということだ。
そういうことだな。
フェミファシストと組んで「結婚」という選択肢を罪悪化するプロパガンダを無垢な婦女子にオルグし、結婚適齢期の男性を孤立化させ「ひきこもり」に追い込んだメディアこそ「殺人鬼」の張本人ということになろう。
「ひきこもり」が「殺人鬼」を生み出したのならばそういうことではないのか?
そう!マスコミ糞尿メディアこそが「殺人鬼」を作り出したのだ!
まさに盗人猛々しいとはこのことである。
マスコミ自身が下手人であるにも拘わらず、その濡れ衣を「ひきこもり」絶望独身男性に擦り付けて、聖人君子面を謀る糞尿メディアには吐き気しか感じない。
更には「ひきこもり」でもない実家住まいの無垢な絶望独身男性を「元官僚」の父親に殺させ、更なる絶望独身男性ジェノサイド扇動に走っている様は人の皮を被った悪魔の所業だ。

ジェノサイド扇動は留まるところを知らない。
メディアに洗脳されて結婚を否定し、子も生まなくなった気の毒な婦女子の増長は狂気の域に達した。
驚くべきことに「痴漢行為」に対しては凶器で対抗しても良いとのフェミファシストの宣伝を正当化しているのだ。
暴力、ヘイト反対と言いながら、凶器を使った殺傷行為を奨励するとはどんな論法だ?狂気のサタである。
これが間違って「大量無差別殺人」に繋がってもよいということか?
それともこれは「綺麗な大量無差別殺人」とでも説明するのか?
結構な身分である。
これもまた、無垢な絶望独身男性を弾圧し、死に追い込む策謀であることは論を待たない。

「ひきこもり」対策を抜本的に解決するためには、ひきこもっている絶望独身男性に独身婦女子を嫁がせるしかない。
すれば、新たな独立世帯が生まれ、子供も設け、子が増えれば生産人口が増え、税収も豊かになり年金問題も少子高齢化問題も「ひきこもり」解消に向かうだろう。「5080問題」も嫁が高齢親の面倒を見れば解決可能だ。社会も若い活気に溢れて新たな価値観の下、明るい新生日本が待っているだろう。
「一石100鳥」である。
どう考えてもこれ以外に策はない。

ところが、これを口にした途端に、右左上下あらゆる方面からメディアに加勢を受けたフェミファシスト共が狂犬かゾンビのごとく、飛び掛って、涎を垂らしながら噛み付いてくる。
まるで「大量殺人鬼」のようにね。
これはいったいなんなのだ?

婦女子は全員、結婚を否定することが義務なのか?
結婚は不幸なのか?
子供を生んだら全員不幸になるのか?
子育ては罪悪なのか?
独身婦女子がすべて100パーセント出産は悪とそう願っているのか!
根拠を出せ!

もはやどちらが狂気か解らない。
狂気を否定する連中が狂気を実践しているのだ。
おぞましいという他ない。

糞尿メディアとフェミファシストは無垢な絶望独身男性を「健常者」から追い落とし、「キチガイ」のレッテルを貼り、スケープゴートに仕立てようとしている。
これほどの「悪意」があるであろうか?

やがてこの国はこのまま、超少子高齢化して泥舟のように沈んでいくであろう。
「ひきこもり」もへったくれもない。
糞尿メディアが偽善よろしく騒ぎ立てても、みんな最後は惨めに終わっていくのだ。


拙著『影男煉獄シリーズ』3部作はこの希望なき独身絶望男性の為すべき行く末を描いたシリーズである。





「令和」の行方

報道
05 /02 2019
令和元年カード20190501aa
世は5月1日をもって「平成」から「令和」となった。
基本、西暦で年月を認識しているから、何がどう変わる訳でもないが、社会の空気が改元一色なのでその影響をまったく受けぬわけにもいかない。
平成の明仁天皇が上皇となり、浩宮殿下が今上天皇として即位された。
正式には仁徳殿下と呼称したほうがよいのだろうが、昔から浩宮殿下という称号のほうが馴染んでいたので、そう記すことにする。
浩宮殿下は自分と世代が同じだから、時代的価値観も共有し、だから「令和」という時代は否応にも己自身の人生を象徴している。
浩宮殿下の即位は59歳。
歴代天皇では記録が残る8世紀以降の範囲では2番目に高齢だという。
即位時の最高齢は光仁天皇の60歳11か月。西暦770年以来とか。
もう還暦真近では嬉々とした即位とは言い難い。
昭和天皇は25歳で即位し、44歳の頃に「玉音放送」を録音するなど在位中は波乱万丈の人生だった。
それと比べると、余りにも歳を重ね過ぎた即位だ。
仮に浩宮殿下が生前退位なくして90歳まで生きられたとしても「令和」は30年。
100歳まで在位されたとしても40年。
果たしてそこまで「令和」が長く続くとは思えない。

浩宮殿下の天皇としての地位もこれまでと比べ、絶対的とは言い難い。
即位したとて、上皇の存在は無視出来ない。
更にお世継ぎとしての男子の子供も居ない。
皇后たる妻も精神的に不安定でその職責を全う出来るか解らない。
更には秋篠宮文仁親王殿下の「野望」に脅かされるかもしれない。
臣民は超少子高齢化、人口減の中、経済大国の座から急激に転げ落ち、勃興する新興北東アジア諸国の軍事的脅威に脅かされつつある。
にも拘らず、マスコミは上皇のことばかり報道し、現天皇の浩宮殿下に関しては殆ど無視状態。
これでは、どうやって「令和」という新時代の象徴として生きていけというのか?
あまりにもお労しい。

「平和憲法」という呪縛下では、もはやこの国の未来を現実的に切り開いていくことは出来ない。
本来、日本国の象徴たる元首天皇は、軍服を身につけ、己の統帥すべき皇軍を率いることが最大のアイデンティティー。
半世紀以上前の総力戦で敗北し、「軍隊」を剥奪されて以降、日本国において、天皇は軍を率いるという崇高な役割を失った。
戦後の高度経済成長下で覆い隠された本来の国家と天皇のあり方は、この「令和」の時代に改めて問い直されなければならなくなった。
北東アジアからの脅威を旧態依然の北米軍事国家との安全保障に依存してきた時代はもう限界に近い。
己の国は己自身で守るという当然の「国の在り方」に帰順するための拠代として、浩宮殿下は天皇に即位しなければならない。
だが、それが許されないところに浩宮殿下の悲劇がある。
更に皇后たる雅子妃との成婚は浩宮殿下にとって結果的に「不幸」を招いた。
外交官だった雅子妃は本来ならば殿下以上に皇室外交に邁進し、殿下を支え得る存在だったはず。
ところが実際には「適応障害」という「病」を患い、逆に殿下の「重荷」となってしまった。
男子の子を設ける機会もなく、秋篠宮文仁親王家に「世継ぎ」の座を奪われ、浩宮殿下の地位はあまりにも惨めなものとなった。
しかし、それが宿命だったのである。
己が選んだ妃が望まれない存在だったとしても、それが浩宮殿下の業であれば、それを宿命として受け入れなければならない。
浩宮殿下のカルマは彼の臣民たる絶望独身男性とも共有している。
己の遺伝子を残せず、還暦を前にして逡巡する哀れな独身男性達の群れが浩宮殿下そのものであり、「令和」はその惨めな雄の群れを伴う世紀でもあるのだ。
閲兵する皇軍もなく、世継ぎもなく、上皇に実権は握られ、弟君には地位を狙われ、妻の病に翻弄され、臣民も人口減と老齢化で勢いは失われ、国土は周辺軍事大国に脅かされつつある。
そんな浩宮殿下に救いなどある訳がない。
恐らく「令和」は数年で終わるかもしれない。
皇后たる妻は結局職責を果たせず、即隠居状態になるやもしれぬ。
象徴としての儀式は尚も上皇の干渉で一歩下がらねばならない。
事あるごとに秋篠宮文仁親王殿下から妨害と脅威を受け、日々生命の危機に曝される。
臣民の財はますます減り、その不満は「何も出来ない」今上天皇たる浩宮殿下に向けられる。
そして国土は中共、ロシア、北米に脅かされて、それを阻止する皇軍の指揮権もない。
これでは、どうして天皇としての職責が果たせるか?
絶望しかない。
やはり浩宮殿下は「絶望天皇」として皇位を全うしなければならぬのか。

しかし、天皇に絶望は許されない。
この絶望から彼を救う策はある。
それが「浩宮殿下補完計画」だ。
まず今こそ、浩宮殿下にはそのアイデンティティーたる皇軍を与えよう。
憲法改正し、浩宮殿下に陸海空3自衛隊の指揮権を与えるのだ。
軍服を着れば男は蘇る。
そして、雅子妃との離縁が不可能なら、せめて側室を与えて世継ぎたる男子を設ければよい。
若く生き生きとしてはつらつな美少女を側室として迎えれば、浩宮殿下も生まれ変わった心地になろう。
更には上皇、弟君の干渉を廃すため、その権限を限りなく小さきものとする。
軍を持ち、世継ぎを設け、磐石な地位を築けば、浩宮殿下はきっと復活する。
それなくして浩宮殿下の未来はない。
そしてその臣民達も生き生きと、この「令和」の時代を生き抜くことが出来よう。
超正規宇宙空母「アカギ」「カガ」「ソウリュウ」「ヒリュウ」を観艦する祝典に浩宮殿下を讃える同世代の独身男性はやっとそこに「希望」を見出すことが出来る。
「浩宮殿下!万歳!」という声が日本中に響き渡れば、やがて超少子高齢化時代は終わり、出生率は急上昇し、誇りある富国強兵ネオアトランティス日本帝国が復活するであろう。

しかしこの革命的な「浩宮殿下補完計画」も所詮は胡蝶の夢。
現実は現状を維持するのも儘ならぬほど衰退している。
もはや何も変わらず、死に逝くのみが現実の日本。
結局は、内外の重圧に耐えかねて、恐らく数年で浩宮殿下は現上皇がご存命のうちに退位なされるであろう。
「令和」は5年も持たない。
雅子妃との出会いをカルマとして受け入れるも、その雅子妃も娘を連れて欧州王室に亡命。
浩宮殿下とはもう会おうともしないだろう。
妻と娘には去られ、弟君には軽蔑され、上皇からは存在を否定される。
そう、「令和」はなかったことにされるのだ。
その次に誰が即位するかなど、もはや浩宮殿下にとってはどうでもよいことだ。
退位後、行動の自由も制限され、皇室の場末施設に幽閉され、寂しく隠居生活を強いられよう。
お労しき浩宮殿下。
そして誰に看取られることもなく、この世を去るのだろう。
だが、それが浩宮殿下の宿命たるカルマだとしたら、もはや抗うことなど出来はしないのだ。
どんな地位にあろうとも、この業に逆らうことは不可能だ。
それが「令和」という時代なのだ。


「平成」の終わりに

報道
04 /30 2019
平成31年4月カード20190430aa

4月30日で平成も終わる。
30年続いてきたけれども、昭和と比べると印象が薄すぎる。
バブル経済崩壊し、忌々しい乱痴気騒ぎの中、昭和天皇が崩御で始まった平成。
この30年では東日本大震災という未曾有の天災があったにも拘らず、昭和にあった数々の出来事のほうが記憶に鮮烈に残されている。
実年齢では30歳を過ぎてから平成に入った訳で、如何に人生において若い頃の体験のほうが身に染み付いているか窺い知れる。
昭和40~50年頃に起きた事柄が己の記憶の基盤になっているから、平成からの出来事など、どんな大きな事件だったとしても取るに足らない。
自分個人の創作活動の基準で見るとモーニングで連載していた『快晴旅団』が単行本となり、『ジェットストリームミッション』が連載開始になったのが平成元年。結局「影男煉獄シリーズ」が平成の代表作になるのかもしれない。
しかし、昭和時代に描いていた学漫時代の創作物やプロデビュー時連載の『プチアップルパイ』のほうか印象深い。
やはり若かったせいか。
同世代だと、大抵は平成時代に結婚し、子供を設けている。
そしてそろそろ孫も生まれてもおかしくない。
そんな通過儀礼を経てきた人生であれば、平成もまた記憶に刻まれる「人生の章」であろう。
しかし遺伝子を残せない己のような人間にとってはもはや「平成」はなにもないに等しい。
だから、今でも己の中では「平成31年」ではなく、「昭和94年」のほうがしっくりいく。
だから「令和」の世になったとしても、自分にとっては死ぬまで「昭和」のままなのだ。
それでも強いて「平成」での記憶として挙げろというのなら、オウム真理教の存在と『新世紀エヴァンゲリオン』の衝撃であろう。
少なくともこの二つは己の人生に少なからず影響を与えた。
「平成」の世にバブル景気で日本を堕落させた者がのうのうと生き残り、世を変革しようとした若人を処刑した偽政者の「大罪」は記憶に留めて置く必要がある。
平成回顧に勤しむマスコミは敢えてこれを「なかったこと」にしているようだが、だからこそ意味がある。
「忘れてはならない」ことを押し隠そうとする欺瞞が蔓延した世紀が「平成」であったことも確かなのだ。

2月末の妄言

報道
02 /28 2019
いつしか梅も満開を迎えた。
2018年度もあと一月で終わってしまう。
年度替りになると、毎年悲喜交々な事象に遭遇する。

近所にあった「阿佐ヶ谷アニメストリート」が閉鎖。
鳴り物入りで5年間位にJR中央線ガード下に設けられたアニメグッズ商店街。
秋葉原や中野を意識したのだろうか?
企画自体は悪いとは思わなかった。阿佐ヶ谷界隈には漫画やアニメに従事するクリエーターやスタジオも多いから、関連の施設が出来ることは街発展のプラスに繋がる。
10年前に原画展でお世話になったGOFAの分室もテナントとして入っていた時期もある。
しかし、これだけ近所なのにあまり立ち寄ることも、利用することもなかった。
ショップ中心で、クリエーターが何かしら利用したいような施設や企画も記憶になかったし、グッズショップ自体が淘汰される時代に多くの客を呼べるコンテンツやイベントも存在しなかったような。
クリエーター同士の交流の場やギャラリーとしてもっと活用できる空間であれば、何かしら利用できたかもしれないが。
根本的にプロジェクト自体が脆弱で行き当たりばったりだったのかもしれない。

この「阿佐ヶ谷アニメストリート」に加えて神保町にあった漫画専門店の老舗「高岡書店」も閉店するとか。
1970~80年代、マニアックな漫画誌やコミックスは必ずここでチェックした思い出がある。
自分の単行本もここで平積みされているかどうか確認したりしもした。
立ち読みを注意されるので落ちつけなかったが、当時はアヘン窟のようなレイアウトが漫画専門店のスタンダードな形の先駆けみたいな場所だった。
2020年を前にして紙の媒体としての漫画が流通の世界から雪崩を打って消えていくのを実感する。

伊集院光のラジオで聴いたのだが、最近はラジオ聴取率調査を従来のアンケートに頼るのに改め、ネットの声を重視するようになったとか。
ツイッターで「このラジオヤバイ」とハッシュタグを付けて呟くとかで人気度を決めるとか?
これはどうかしている。
そもそもラジオはネットやスマホを観ながら聴くものではない。
テレビを見ながらラジオなんて聴かなかったのと同じ。
にも拘らず、ラジオと同時にツイッターなんかしてどうするというのか?
ツイッターをする時点でラジオは終わっているのだ。
ラジオを聴かせたければ、スマホを捨てさせるしかない。

以前からブログで繰り返しているが、ツイッターは「貧者同士が潰し合う場」であることに疑う余地はない。
最近は一部の「金持ち」がアカウントをフォローすれば抽選で100万円贈呈とか、まるで乞食に金を恵んでやるみたいな企画も盛んだとか。
それにわらわらと集まってくる様は、まるで物乞いだ。
加えて「バイトテロ」も参戦と、香ばしさを増している。
SNSは貧者と乞食と馬鹿が渾然一体となって蠢いている肥溜めみたいな様相を呈してきた。
そこに更に輪をかけて「無能な働き者」が参入し、状況を悪化させている。
「無能な働き者」とはゼークトの組織論に出てくる最も忌むべき存在を言う。
正しい判断力も正しい行動力も備わっていないのに、無能であるために間違いに気づかず進んで実行していこうとし、さらなる間違いを引き起こしてしまうというのが特徴。
そんな「無能な働き者」が、拡散する価値もないゴミのような呟きをSNSに膨大に撒き散らすのである。
特にフェミニストが書き込むセクハラ系の呟きに多い。
こんな呟きを真に受けようものなら外出すら儘ならない。恰も異性との接触は危険きわまる犯罪行為のごとく誇張宣伝する様は常軌を逸している。
ただでさえ超少子高齢化の時代に異性同士の接触すら躊躇させる妄言をせっせと拡散し、更なる少子化を助長させている様は笑うしかない。
それすらに気がつかないところに「無能な働き者」の真骨頂がある。
今次の「セクハラ狂想曲」はかつての「赤狩り」、マッカーシー旋風を思い起こさせる。
尋常ではない。
狂気だ。

芸能人の「病気自慢」にも辟易する。
人気商売である以上、自分の病気を宣伝に利用することは止むを得ない部分もあろうが、それをマスコミが拡散することの意味が解らない。
病気治癒は本人の問題で、特別の理由がなければ、積極的に人に公言する類のものではなかろう。
そもそも知りたいとも思わぬ。
己の病を人に知られるなんて願い下げだ。人に気を使わせるだけで百害あって一理もない。
同じ病気の人を勇気付けられるなんてどこからそんな発想が出るのか理解し難い。
「知らぬが仏」が健康にもっともよい。
病まで使って己を宣伝しなければならない時代の恐怖を感じる。
もっともこれも薬品医療関連ステマの一環なのだろう。
真に受けた時点で負けである。

5月に元号が変わり、来年は2020年。
子供の頃、2020年など遥か未来のことだった。
当然、ここまでくれば世の中も変わり、自分も世界も変わっていく。
その変化がすでに自分の許容範囲を外れていることに驚愕する。
街を歩いていても、隣にいる「他人」が突然襲い掛かってくるんじゃないかという不安に駆られる。
これもSNSなどの過剰情報で些細なことをマナー違反と警告しまくる「不謹慎狩り」、「繊細チンピラ」、「無能な働き者」等の蔓延と無縁ではない。
万人がスマホという「監視装置」を使ってお互いを監視し合う恐怖社会がついに到来したのだ。
『華氏451』が遂に現実となっているのである。
IMGP8528aa.jpg

いずれにしろ、SNSを日常に取り入れた時点でエスタブリッシュメント層支配下の「貧民乞食妬み嫉妬人民収容所」に入所したようなもの。
かといって今更アナログ紙媒体社会に戻ることも出来ぬ。
こちらはこちらで総右肩下がり。いずれ沈没する泥舟であることに疑いはない。
結局「行くも地獄、戻るも地獄」なのである。

こうしてまた絶望独身男性の下にも2019年の春が来るのだ。


あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/