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10月の妄言その2

報道
10 /27 2023
正直どうでもよい話なのだが、熊。
今年は各地に出没し、人間に被害を与えているとか。
駆除することを「可哀そう」といえば、「住んでいる人間の安全を考えれば当然」だとか不毛な言い争いが香ばしい。
そもそも人間が本来熊を始めとする野生動物のテリトリーに進出したことが軋轢を生んでいる訳で、だったら人間がその場所から身を引くのが筋というもの。
だが人間は「自然」を切り崩すことで繁栄を謳歌してきた。繁栄のために人間は人間以外の生き物を抹殺することに躊躇しなかった。
結果、人間に滅ぼされた野生動物は枚挙に暇がない。
だったら熊も滅ぼすか?
狼も害獣としてこの国から完全に駆除された。
しかしその結果どうなったか?
狼という天敵が居なくなったことで鹿が増えすぎて森林や農作物が荒らされ放題に。
野良猫を追放した結果、ドブネズミが蔓延したのと同じである。
生体のバランスを崩せば必ず報いが人間に降りかかる。
熊も全滅させれば、同じような報いを受けよう。

熊が何故人間を襲うのか?
熊が人間に敵意を抱いている筈もなく、ただ食料を求めて里に下りてきているだけである。
継承者が居なくなった耕作放棄エリアが増え、都市と森林の緩衝地が失われたことも原因と言われる。
耕作地が放棄されるとは如何なることか?
これ即ち、文明の衰退である。
森を切り開いて繁栄を推し進めた人間社会が超高齢化人口減で撤退を余儀なくされ、結局野生動物に押し返されているのだ。
熊の繁殖能力が衰えなければ、やがて熊が人間を支配するようになるだろう。
今や、森林に立ち入る事は勢力を盛り返しつつある熊との対峙を意味する。
これからの登山、ハイキングは熊との命懸けの格闘が前提となろう。
クマに襲われ、死ぬことも日常茶判事な出来事となる。
全ては自己責任。
熊のテリトリーに入っているのだから熊に襲われたって文句は言えぬ。
そのためハイカーは武装し、自分の身は自分で守るしかない。
然るにこれからの時代、小学校の遠足ではおにぎりと猟銃が必須アイテムとなろう。
昭和時から続いた人間が森を支配する時代は終わった。
森に入るには自然と直接対峙するしかない。


また今年もハロウィンのシーズン。
しかし年々規制は強化され、イベントも減ってきた。
渋谷区長は「ハロウィン目的で来るな」とか傲慢な姿勢を打ち出した。
千客万来で成り立っている街のくせに何を言うか?
ハロウィンはある意味、若年層のうっぷん晴らしの場でもある。
かつて1960~70年代、学生デモが頻繁に発生し、そこらじゅうで角材、投石、火炎瓶が砕け散った。
そんな世代が高齢者となった今、逆に若者のエネルギーを抑え込もうと躍起になるのは何とも皮肉である。
社会は祭りあってこそ成り立っている。
日本にとってハロウィンはかつての収穫祭の代替として近年勃興してきたともいえる。
農耕民族の血がまだ名残として身についているのだ。
それを強制的に抑え込むことは、この民族のエネルギーを削ぎ取る事でもある。
祀りに「大暴れ」は付き物だ。
問題を起こした者には自己責任で償わせばよいことて、祭り全体を潰してしまえという思考は世代エゴイズムでしかない。
それでもハロウィンを抑え込みたいのなら、渋谷全体に戒厳令でも発令し、鉄条網でも敷いたらどうだ。
ご希望通り「無人状態」になろう。
それで飲食街や繁華街が全く収入ゼロになっても「知ったことか」である。
これらはコロナ文革と同じく、過剰な規制さえすれば事が収まるみたいな亡国短絡思考がこの社会に蔓延しているからだ。
その思考回路こそ、この日本を超少子高齢化、人口減化させ、優秀な人材が消えていく一因にもなっているのだ。
寧ろ逆にハロウィン時には渋谷を「解放区」として酒池肉林の場に提供すべきである。
府中大國魂神社の暗闇祭りの如く、この時だけは無礼講で自由に男女の乱交が許される場にするのだ。
そうすれば少子高齢化対策にも貢献するだろう。
基本はこの國のスタンスを「産めよ増やせよ富国強兵」にシフトさせることである。
祭りのエネルギーを削ぐなかれ。
ハロウィン万歳。


いわゆる「ヲタク」議員が糞尿マスコミの女性スキャンダル報道で失脚の危機だとか。
何とも情けない。
国会議員たるものは妾を何十人と抱えてこそ男子の本懐。
往年の豪傑議員は妾の数こそが有能の証であった。
渋沢栄一が何人の妾を囲っていたのか知っているのか!
それをたかだだか「2号さん」一人であれやこれや批判される謂れはなかろう。
寄ってきた糞尿マスコミ陣には足蹴にでもして蹴散らせばよかったにも拘わらず、逆に低姿勢で謝罪など豪傑の風上にも置けない。
この「オタク」議員もみっともない低姿勢を返上し、国会議員たるもの妾の数こそ競うべしと、「増税メガネ」首相に直訴し、ゴミカスのような野党の追及を一蹴すればよいのである。
妾に子を産ませれば少子高齢化対策に大いに貢献する。
生産人口が増えれば増税する必要もない。
豊臣秀吉の側室「茶々」だって有能な女性だった。
妾の子供と蔑む風潮は許さない。
それこそがポリコレ的「政治的正しさ」というものだろう。
「産めよ増やせよ富国強兵」のスローガンの下、「日本男子よ!妾を作り吶喊せよ!」と訴える事こそ、子ども家庭庁を所管する政務次官として為すべきことだと早く気が付いてほしい。
それが國に仕えるという事だ。
このスキャンダルを逆に梃子にして一層奮励努力していただくことをこの「ヲタク」議員には期待する。

「10月の妄言その2」終わり。

 




TOKYO2020開幕

報道
07 /24 2021
「TOYKO 2020」が開幕する。
1964年以来のブルーインパルスによるエアタテゥー撮影のため都心へ。
どうせ外苑周辺はコロナ文革紅衛兵たるマスコミプロパガンダとコロナ脳警察の同調圧力よって誰もいないと見込み、余裕で新宿御苑に入場出来るだろうとタカをくくって出かけた。
ところが千駄ヶ谷駅を降りて吃驚。
御苑ゲート入り口には数百メートルの行列が出来ているではないか!
なんだ?これは?
全くの予想外だ。
これではとても予定時間内に入場出来そうになし。
やむなく御苑は諦め、外苑周辺を彷徨う。
しかし、どこも人、人、人。
話が違うではないか?
なんだこの猛烈な人の波は?
通常マスコミ報道を額面通り受け取っていたならばオリンピック会場付近には人っ子一人居なくても不思議はなかろう。
ペスト並みの恐怖を煽っていたんだから当然。
国立競技場周辺は閑古鳥が鳴いて精々警備の警官がウロウロしているだけのはず。
ところがどうだ?千駄ヶ谷周辺は人の波でお祭り状態。
もはやコロナ文革原理主義者によるプロパガンダが如何に現実と離反しているかをよく表している光景。
すでに人々は「緊急事態宣言」なる欺瞞を見抜いている。
人々は一挙にコロナ文革原理主義に対するレジスタンス活動に出たのだ!
これは当然の成り行きだ。
そもそも「パンデミック騒ぎ」が1年半以上も経過しているのに、何が「新型感染症」だ。
本当に恐ろしい病であればすでに去年の段階で社会は破綻し、死屍累々の状況になっていたろう。
そうならなかったのは、コロナ禍が単なるイデオロギーの一種でしかなかったことを証明している。
「医療崩壊」など、いつまでも指定感染症2類に留めておけば、水虫ですら「パンデミック」になる。
2009年の新型インフルエンザで累計何千万の感染者が出ても、もはやニュースにすらならなかったのだ。
都内で1日数千人のコロナ新規感染者が出たところで、もはや何がどうなるものでもない。
一日何万人の感染者が出たとしても、もうそれは「日常」なのである。

時間は正午を回る。
猛暑の中、撮影場所を探し、外苑辺りを彷徨うも良い場所が見つからず。
止むを得ず、信濃町駅前の歩道で待つ。
ここも人の波。直射日光の真下、猛烈な日差しに体が焼ける。
眩暈がして苦しい。
しかし、半世紀ぶりの東京上空五輪。
ここで諦めるわけにはいかない。
12時40分頃、ブルーインパルス飛来。
カラースモークは久しぶりに観た。
だが肝心の五輪は雲と逆光で不明瞭。毎年撮影している入間基地航空祭の写真とたいして変わらず。
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1964年のエアタテゥーは青空にくっきりと五輪のスモークが刻まれた。
ところが今回は吐き出すその場からスモークが霧散して、カタチにすらならない。
現日本の衰退を象徴する貧弱な光景だった。
それでも周辺の観衆からは拍手も湧いた。
親子連れが子供に「この光景を脳裏に焼き付けておけ」と説いていたのが印象的。
歴史ある祭りや表現活動を全て破壊し、感染症予防を口実として人々をコロナ一神教というイデオロギー一色に染め上げようとするコロナ文革原理主義は既に破綻に向かっている。
人々は「コロナの牢獄」より希望の空を見上げたいのだ。

夜にはオリンピック開会式。
無観客が滑稽。
まるで「除夜の鐘がうるさい!」というキチガイクレーマーのクレームを真に受けた年越しイベントのごとし噴飯状況。
更にセレモニーに携わった何人かの演出家が「不祥事」によって解任されたり、辞退させられる状況も香ばしい。
過去に何の「脛の傷」もない人間など居るはずがない。
ましてやクリエーターという一癖も二癖もある人間は「光」が強いほど「影」も濃くなる。
「聖人君子」などこの世にいない。そのように装っているほうが余程危険な人物だ。
だからこそ過去の「傷」を指摘された位で辞めたり、謝罪するのであれば、最初から受けなければよいのだ。
最後まで貫徹するのが男の為すべき道だ。
強制解雇されても尚頑なに徹底抗戦し、本番のセレモニーで割腹自殺して自らの命を賭して己の信念を全世界に知らしめるのが筋であり、真の侍クリエーターだ。
「過去の影」を指弾された段階で逃げ出すということは、所詮「その程度」の人物だったのである。

いよいよ本格競技も始まる。
大規模国際スポーツ大会が開かれる度に述べているが、別段母国選手を応援したい気持ちにはなれない。
彼らは「スポーツ貴族」であって、純朴な「日本人」ではない。
特定の国に拘ることなく、世界各地で賞金稼ぎしているアスリートに「母国愛」を強制することは誰にも出来ない。
優秀なアスリートほど母国に固執していないはずだ。
日本国籍なのに日本語を頑なに話さなかったり、殆ど外国暮らしのアスリートは腐るほどいる。
むしろ日本のような島国根性気質が嫌で嫌で仕方ないのだろう。
地元の人間の顔など見たくもないのが本音。
あんな「田舎」に固執していたら大成出来ないと悟ったからこそ、世界へ踏み出したのだ。
国を背負うなんて気概は持っていないのだ。単に国からの育成制強化費を得るために「母国愛」を演出しているだけ。
だからそういうレジェンドアスリートを応援したとて自分の身には何も徳になるものはない。
良くも悪くも巨大な利権組織となり果てたオリンピックは、アスリートから「国家意識」を喪失させた。

しかし、祭りとしてのオリンピックは人々の魂を高揚させ、生きる意欲向上に繋がる。
今も昔もアスリートは国籍に関係なく、オリンピックという民族の祭典における魂の依り代となる役割を背負っている。
今回においては邪悪なコロナ文革原理主義から自由を取り戻すために彼らの存在意義がある。

古代オリンピック期間中は、全ての戦争は中断されると聞いた。
ならば今回のオリンピックでも「コロナとの戦争」なるものも放棄し、コロナウイルスをこの東京に召喚しようではないか。
それこそが全人類、いや全生物分け隔てることのない「平和と平等」の理念に見事に合致する。
さすればコロナウイルスは擬人美少女COVID19ちゃん萌少女姉妹としてオリンピック会場に降臨するであろう。
妄言通信原画2106aa
この何処が間違っている?
否。
これこそがオリンピックの本来のあるべき姿。
コロナウイルスを拒否するのではなく、自ら取り入れることが「コロナ禍」終結のたった一つの冴えたやり方なのだ。

 

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/