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「恩返し」の意味を妄想する

スポーツ観戦
02 /22 2014
起きている時間帯と冬季オリンピック中継が重なってしまうと自ずとブラウン管を覗き込んでしまう。
そしてあれこれ詰まらぬ薀蓄が脳内に浮き出てくるから困る。
4年前はどうだったかと日記を振り返ってみると案の定、妄言が記されている。
当時は民主党政権の「仕分け」とか自動車会社のリコールとか重なって、それと絡めてのオリンピック妄言だった。
4年に一度だけの俄かテレビ桟敷でパチンコ屋のチラシの裏に薀蓄を並べる暇があったらもっと有益な事をすればいいものの、そういう性だからしょうがない。

渦中のフィギュア女子選手がフリー演技を終えて「これで恩返しが出来た」とインタビューに応えていたような気がする。
何に対しての恩返しかは知らない。

少なくともこの人は趣味でスケートを滑っている訳ではないのは解る。
メダルを賭けてナショナルチームとして滑っているはずだと思う。
4年に1度だけの大舞台。そこで最高の演技を実践するなんて事は、おそらくサイボーグのような心身改造が必須だ。
メダルに絡んだ選手は皆、そのために国家ぐるみの組織を作り、チーム一丸で準備してきたのだろう。

しかし、この人は2回のオリンピックで頂点に立てなかった。
実力もセンスも備わっていたにも拘わらず・・である。
単に運も含めて最初から闘争に勝ち抜く器ではなかったのかもしれない。
メンタル面で他のメダリストと比べて「越えられない壁」があったとしても不思議ではない。

一方で、もしかすると計算し尽くした上での敗北だったのかと妄想してみる。

仮にこの人が意図的に誰かの引き立て役として「負け」を演出していたとしたらどうだろう。
この人が密かに甲斐性のない男と付き合っていて、どうしてもお金が必要だったとしたら。
そこにライバルのフィギュア選手が所属する国から資金援助をしてあげると提案があったとしよう。
その代り、競技本番で敢えて失敗をしてほしいと。
つまり彼女は買収されており、負けることが最初から約束されていたと。

ショートでの信じがたい失敗は、実はメンタル面が原因ではなくて、計算された失敗ではなかったか?
あれだけ失敗すれば、もはやライバル選手を抜くことは不可能だ。
だからフリーでは思う存分、実力を発揮する演技をしたとて、呵責はない。
約束は履行されたのだから。
「恩返し」とは、自分の「失敗」によってメダルが獲得出来たライバル選手に対しての言葉だったのではなかろうかと。
彼女は「現代のベートーベン」のゴーストライターと同じく、「引き立て役」として忠実に「任務を遂行」したに過ぎないとしたら。

こんなことは100パーセントありそうもないし、4年に一回テレビ桟敷で観ている暇人の俄か妄想だ。

だがこのフィギュア選手の純朴で清楚っぽいイメージはなんなのだろう?
所詮はメディアが「演出」したもの。
実際の生き様は誰にも解らない。

だが仮にこの人が甲斐性なしの男に貢いでいたとしても、その性を誰が非難出来ようか。
「日の丸」を背負い、日本のために身を投じている純朴で正義感ある乙女の姿というのは視聴者が勝手にイメージしているだけだ。
世界レベルのスケート技術と芸術的センスをどう活用しようと、彼女の自由だ。
甲斐性なしのダメ男のために国を売ろうが、ファンを裏切ろうとも彼女を否定する理由にはならない。
そしてそれを巧みに利用する存在があったとしても、それすら「勝つための手段」としてあって然るべきだ。

狡猾な工作技術に長けたほうが勝つ。
それが世の常道だ。
外交もスポーツも。
立場が変わればライバル選手がその役目を担ったかもしれないのだ。

「地獄の沙汰も金次第」
奇麗事だけで「栄光」は輝かない。




昭和の残滓「女子サッカー」

スポーツ観戦
07 /15 2011
女子サッカーが俄かに注目を浴びている。
だが彼女たちのルックスはまるで「女土工」のようで逞しさが卓越する。

かつて女子アスリートは彼女たち同様に「美」からかけ離れていていた存在。
男と見まごうばかりの選手も多かった。
だがいつしかテレビで見るゴルフ、バレーボール、陸上競技等の選手たちは普通の女性と変わらぬ美しさを身につけ、「才色兼備」を獲得した。

美と実力の両立とはなんぞや。

部屋に転がっている1995年頃のアイドル雑誌を紐解く。
その中に「制服向上委員会」というアイドルグループを見つける。
ちょうど今で言う「AKB48」に近いタイプの女の子たち。
だが、今見ると垢抜けしておらず、AKB48と比べても同年齢なのに異様に老けて見える。
その理由の一つに髪型がある。
やたら前髪にカールを入れたり梳いていたりして、それが何だかおばさんぽいのだ。
なんで態々、こんな「おばさん要素」を取り入れてるような事をしたのか?

今の世、日本女子は幼女から40代まで殆ど髪型は変わらない。
「大人可愛い」に代表されるようにみんな幼く見せる。
全ての世代が幼さを基準とするから何歳になっても14歳前後。
それが現代日本女子のスタンダードである。

一方、昭和を代表した標準婦人に「サザエさん」がある。
設定年齢は20代前半。
髪型はパーマである。
完全に「おばさん」だ。
現在の基準からすると45歳以上に見えてもおかしくない。
今、あのような20代前半の女子はいない。
自ら老けて見える髪型を選択する理由は何もないからだ。

ではなぜ「サザエさん」はあんな髪型をしたのか?
それはあの時代、厳格な「通過儀礼」が存在したからだ。
当時、20代に入れば大半の日本婦女子は専業主婦として1日の大半を家事労働に費やした。
そのためには髪型は実用本位で家事労働の邪魔にならないパーマが一番。
家事とオシャレの両立などありえなかった。
そんな余裕もない時代、20を過ぎて幼く可愛い髪形を維持していたら、恐らく周りから「村八分」にされていたろう。
1995年当時のアイドル「制服向上委員会」も敢えて髪型をおばさんぽくしていたのはそんな「通過儀礼」を必須としていた名残であって、それを為さねば社会人として認めてもらえなかったからだ。

昭和日本はまだまだ貧困で労働至上主義が支配していた。
生活するためには男も女も厳格な通過儀礼を経てメタモルフォーゼせねばならなかった。
男は進学、就職、結婚の度に通過儀礼を強いられ、過去を捨てた。
子供の頃、少年の趣味として定着していたプラモデルも進学の度に親から「辞めろ」と強要されていた。
趣味の時間を捨ててまでも、勉学や仕事に打ち込まなければ日本は成り立たなかった。

だから当時の日本人の恰好は本当にダサかった。
画一さのダサさは極まっていた。
坊ちゃん刈りに七三分け、白ブリーフに白ランニングに黒ブチメガネ。
他に選択肢はない。
無論、アスリートがオシャレをするなんて想像すらつかなかった。
王も長嶋も「スポーツ馬鹿」でそれ以上でもそれ以下でもなかった。
それに誰も疑問は挟まない時代だった。

いつからか日本にもお金と時間に余裕が出来た。
男は趣味と学業、仕事を両立出来る様になった。
今の時代、受験だからといってあらゆるゲームを放棄する少年はいないし、就職して会社人間として滅私奉社するために一切の趣味、ネット、携帯を放棄するサラリーマンも居ない。
同時に女も家事育児のために己の可愛らしさや美を放棄する必要はなくなった。
2011年、男も女も少年少女のまま「大人」を装う事が出来る。

つまり、もはや苦痛を伴う大人になるための「通過儀礼」は過去のものに成りつつあるのだ。
AKB48は前髪を梳いたり、パーマをかけなくともアイドルが出来る。
プロ野球選手もイケメン揃い。
プロ女子ゴルファーも陸上選手もモデルと見まごうばかりに美しく可愛い。
今や「才色兼備」は当たり前のものとなった。

にも拘らず、なぜ女子サッカー選手だけは「女土工」のままなのか。

サッカーだけではなく、ソフトボールなどのハードな屋外球技となると、まだまだ「女土工」が多い。
どこかの新聞で女子サッカー選手の年収が報じられていた。
トップ選手でも年俸300万円程度だとか。
「スター」というには程遠い報酬だ。
一般OLだってもう少し稼いでいるのではないか?
トップでこのレベルなのだからそれ以下は推して知るべし。
殆どの選手はバイト掛け持ちで生活しているとか。
つまり、純粋なプロは存在しないに等しい。
彼女たちはまだまだ貧困で満足な時間的余裕もない中で競技しているのだった。
「サザエさん」時代の泥臭い「通過儀礼」が強要された頃のまま。
幼く可愛いままでは生き残れない「昭和40年代」が女子サッカー界には残っているのだ。

裸電球の下、乳飲み子を背負いながら家事をするパーマ姿の昭和婦女子と女子サッカー選手がオーバーラップする。。
美や可愛らしさを捨てなければ身長180センチ以上が当たり前の欧米女子選手と対等に渡り合えない。
女子サッカーは今なおサザエさんレベルの「女土工」でなければ勝てない世界なのだ。

ここにはまだ「昭和」の残滓がある。

嗚呼、惨めなり日本選手

スポーツ観戦
02 /25 2010
生暖かな風が吹く2月末、冴えない毎日が続く。
テレビは相変わらず不甲斐ない日本選手の姿を伝えている。
かつてはそれでも「アングロサクソン」のような体格に勝る選手相手に奮闘、みたいな構図があったが、いまや人種も同じアジア系の韓国、中国選手にも負けている状態では、ただの恥晒しに過ぎない。
その上、トヨタ何某がリコール云々で社長までがアメリカに呼び出しを食らって火達磨状態。もう国として体をなさなくなってきた感じ。
そんなこんなも結局、無能な政治家が「毛沢東語録」よろしく選挙対策で適当に作った「マニフェスト」を未だに振りかざして妄言よろしく「友愛友愛」と喚いている状況では当然の成り行きか。
「政治家主導」とは笑わせる。
「政治家主導」で成功するのは官僚よりも政治家が有能な場合であって、どうみても国会でごたごたやってる与党野党ひっくるめた政治家は「優秀」とは言いがたい烏合の衆ばかり。
沖縄の基地移転云々で虚勢を張ったところで、所詮有効な交渉材料もないのだ。
あっという間に足元を見られて頓挫。挙句、トヨタまで恫喝報復の対象にされる始末。
まさに愚の骨頂。結局は散々馬鹿にした官僚に泣きついてるんじゃないのか?
「金」もなけりゃ「軍事力」もない国が、大国相手に偉そうな事、言ったところで相手にもされないのは子供でも解る。
そんな「無能集団」が、今の日本を引っ張っていると言うのだから恐ろしいことこの上ない。
周辺の大国にとってはつけ込む恰好の条件だ。
テレビで話題のオリンピック女子フィギュア競技にしろ、日本の政治や企業が強靭であったなら、結果を見ずして日本選手が金メダルを獲れていたろう。
「印象で得点が左右される」とか「芸術点」とか、こんなのスポーツか?
主観で決まる得点競技など、どう考えたって審判員を買収すればどうにでもなるのだ。
トヨタが強ければ韓国の選手に後塵を拝することなど考えられない。相手にもならなかったろう。
今の状況は、如何に日本の国力が衰退しているかを如実に物語っている。
オリンピック選手養成には金が掛かるわけだからそれなりの資金がいる。かつて長野オリンピックを招聘出来たのは某企業のワンマンカリスマ経営者の力だったと言われる。
良くも悪くもそういった「金と力」を背景にしたコネクションがスポーツや外交の勝敗を決定付ける。
しかし、そんな豪腕経営者も誰が仕組んだのか失脚に追い込まれ、それ以後、日本のウインタースポーツも凋落の一途のようだ。その上、今の「無能政権」が追い討ちをかけるように、そういったスポーツ育英予算を削ったものだから自ずと衰退に拍車をかけている。
日本選手の金メダルは韓国選手の失敗待ちしか可能性が無いなんて、どれだけダメダメなんだ。
みっともないったりゃありゃしない。
相手の失敗がない限り、トップになれないなど何処まで堕ちりゃ気が済むのだ?この日本。
日本の女子フィギュア選手が不憫でならない。
怨むなら今の日本に生まれていたことを怨め。4年前の絶頂期に年齢制限で出場出来なかった己の運の無さ。
まだあの頃の日本のほうが僅かにまともだったのかもしれないが、これからは堕ちていくばかりだ。
いっそ国籍をロシアか中国に変えたほうが救いがあろう。
才覚ある者にとってこんな国の代表になったとて得るものは少ない。
この国の卑屈さは年々度を越している。
やたら潔癖で至る所に監視カメラを備え、法律まで遡らせて時効廃止だとか後ろ向きの自己完結の窒息しそうな閉塞感を社会に作り出す一方で、無為無策無能内政外交で日本を破滅に導くような「無能政治家」しかいないこんな国はさっさとおさらばするのがよろしかろう。
スポーツにしろ文化にしろ、この国で己の才覚を花開かせるのは不可能に近い。
すべてを萎縮させる空気で満たされ、呼吸も出来ぬ。
「外国人参政権」や「夫婦別姓」「子育て支給」なんてものは国が豊かで余裕があってこそ出来るものだ。
屋台骨がへし折れつつある国が考える事ではない。
こんなの「夢想」の世界である。「夢想」を現実化出来るのは強大な国力と賢い指導者に導かれた超大国だけの特権だ。
馬鹿と無能に「夢想」を語る資格はない。

「友愛夢想」に明け暮れた挙句、日本の外交既得権を次々に奪われ、国民を餓死に追い込むことも厭わないキチガイ政権に付き合わねばいけない今の日本人をご先祖様が見たらどう思うのか。
こんなのドリフのコントにすらならない。
韓国の女子フィギュア選手に鼻で笑われるのがオチだ。
惨めだね。

バンクーバーオリンピック

スポーツ観戦
02 /20 2010
バンクーバーオリンピック真っ盛りのようだ。
「イナバウアー」からもう4年経ってしまったということを知った。いつもの如く、始まる前は無関心状態だったのに、テレビを灯し中継を観れば自ずと興味も湧く。
例によってマスコミは開催前からどうでもよいようなことで騒ぎ立て、それに乗っかるのもどうかと思うが、結局こんなものは話題を取った者勝ちなのだ。
それがネガティブなことだろうと「可もなく不可もない」選手よりはよっぽどいい。
確か前の冬季オリンピックも女子フィギュア選手に絡んで試合前からああだこうだと持ち上げていた流れがあったが、それで選手の知名度が上がった訳で、本人にとっては願ったり叶ったり。
「芸能界」転出も夢ではなくなる。これを踏み台に己の人生をステージアップさせるきっかけが出来るのだから。
あとは本人次第である。
今回も、スノボー選手の服装の乱れ、男子フィギュア選手の本番で靴紐切れる云々で「お得」なアドバンテージが付いた。
もっともメダルに手が届かなかった事で「敗北者」のレッテルを貼られるのは仕方のないこと。それこそ本人の実力の問題だ。
「勝てば官軍。負ければ賊軍」である。
敗者の弁明はすべて「言い訳」にしかならない。

あと気になったのがカーリング女子。
そんなに実力があるとも思えぬカーリング女子日本チームを過剰にクローズアップさせ続けるのはどういう意図があるのか?
生中継を何本かみたが、試合の合間で行う「ガールズトーク」風の作戦会議は、なんだか安っぽい「女の浅知恵」を晒しているようで観ているこっちが恥ずかしい。
どこかのファーストフード屋の店内で女子高生がだべっている風だから余計不快だ。
女性の集団に何度も陰湿な仕打ちを受けてきた経験がある自分として、ああいった女子数人の会話の場は生理的に受け付けないし、恐ろしい。
結局最終的な戦略はコーチらの「実力のある男性」に知識を乞うしかないのに、如何にも「自分たちだけで決めている」風のポーズも鼻に付く。
これで金銀を狙う実力があるのなら、誰に文句を言われる筋合いなどなかろうが、どう考えても頂点を争える能力がある集団には見えない。
ただの「仲良しグループ」が放課後、暇に任せて遊んでいるレベルだ。
そんなお気軽女子を過剰にクローズアップさせるのは、彼女たち自身にとってもよいことだとは思えない。少なくともオリンピックという「国の代表」で出場するのだから、もう少し「頭のよさそうな」選手を人選すべきじゃないのか?
でもこれに関しては誰も批判しないんだよね。
スノーボード男子選手の服装よりも、こっちのほうがよっぽど「品格」に問題があるように思えるのだが。
どっちにいろ、テレビ桟敷に居て勝手なことをのたまっている側の理屈であるから、当の選手たちにとってはどうでもよいことなのだが、代表選手に選ばれてしまった以上、負ければ「晒し者」にされるのは致し方ないこと。

それにしても、中国、韓国勢の後塵を拝する様は日本の凋落を印象付ける。
そのうち、メダルはおろか入賞も出来ない国に成り果てるのも、時間の問題だろう。
環境テロリストのターゲットにされている内がまだ華かも知れない。

1992年のヤクルト優勝の頃

スポーツ観戦
10 /24 2009
久しぶりにプロ野球中継を観る。
かつてはシーズン中、ナイター中継をBGMにしていた頃もあったが、近年は回りにプロ野球に関心を持つ友人も居らず、更に米大リーグとボーダレス状態となったり、有力選手が一つのチームに偏って移籍する制度に辟易して普段はまったく関心すらなくなっている。
もっとも、地上波テレビで連日中継されていた巨人戦がいつしかテレビ欄から消えてからは、観たくとも観れなくなってしまったが。
だから、最近は秋口のクライマックスシリーズや日本シリーズの時期以外、まったくといってよいほどプロ野球を知らない。
今年は久しぶりにスワローズが3位に入ってクライマックスシリーズに出てきたので、久しぶりにチャンネルを合わせる。とはいえ、地上波テレビでは中継しないのでBSで観たのだが。

学生時代、1978年の初優勝以来、俄かにスワローズファンだった自分。
14年後の1992年に再び野村監督の下、2回目の優勝した時は一生懸命野球中継を追っかけていたものだ。
当時のナインは飯田、古田、広沢、ハウエル、池山、荒井、角、八重樫、荒木大輔などが居てやたら打線が火を噴いていた。
この年の日本シリーズは西武と対戦。
杉浦の代打満塁サヨナラホームランとか劇的なシーソーゲームが多く、結局は3勝4敗で敗北したがなかなか面白かった。因みに当時はデーゲームで行われていた。
当時のラジオ実況中継をカセットテープに録音したものが残っていて、最近再生してみたが記憶がいろいろ甦ってきた。
この時、活躍した選手の殆どは、現在、現役では名前を聞かない。
唯一、当時西武のピッチャー工藤がベイスターズで投げている位。
しかし、他の選手たちはどうしているのだろう。
一部はコーチや監督、解説者になっているのだろうが、大半はプロ野球の現場を離れ、「第2の人生」を歩んでいるのかもしれない。
プロ野球の最高峰、日本シリーズに出場し活躍する選手ですら、このような状況なのだから、控えや2軍選手の「未来」は推して知るべし。
一時の栄光は過ぎ去り、その輝かしい過去を引きずりながら生きていかざるを得ない「忘れられた名選手」。
しかし、一瞬ですら輝けた選手は、まだ幸いである。
まったく光を浴びぬまま、消えていった選手のほうが圧倒的に多い。
それを思うと辛くなってくる。

1992年のヤクルト優勝から17年。
今、ヤクルトナインを見ても知る名は、ない。無論1992年当時の選手は誰一人、現役にはいない。選手生命が如何に短い世界かを思い知らされる。
ただ、当時57歳だった野村監督は、今年も楽天で監督を務めて、なお脚光を浴びている。
それからTBSラジオで解説していた田淵も、17年後も同じように解説者として声が聞こえてきた。
アナウンサーも変わってなかったな。さすがマスコミは終身雇用か?
超一流な選手や、一流メディア従業者は例外で、死ぬまで第一線に陣取っていられるようだ。
これはどの世界でも同じようなものか。

いずれにしろ、少子高齢化、野球人口の縮小で、かつて巷に溢れていた「野球少年」は死語となりつつある。
将来、プロ野球選手を目指したとしても、もはやその受け皿すらなくなりつつあるようだ。
結局、大リーグとのボーダレス化は日本のプロ野球を衰退化させるだけだったのかもしれない。

かつて、地上波テレビの「王道番組」だったプロ野球中継がなくなり、野球選手が大衆のヒーローとして表舞台に立つ時代は過ぎ去った。
今や、その時間帯には「森3中」のような崩れた女子が闊歩する奇怪な番組が蠢き、プロ野球選手に代わって大衆を扇動し始めた。
果たして大衆は王、長嶋に代わって「森3中」を支持するのだろうか?
正直、そんな地上波テレビに誰が付き合うのか、自分は知らないし、関心もない。
もっとも、テレビを囲んで団欒を共にする「大衆」なんて存在自体、日本からは消えつつあるのだから、もうどうだっていいのだが。

1978年や1992年のヤクルト優勝時の興奮は、もう地上波テレビからは流れてこない。
野球に一喜一憂するのは、もう廃れた嗜みなのかもしれないが、それでも、幼年期から染み付いた「プロ野球」の刺激は今更拭い去ることも難しい。
ここにも「日本の衰退」を垣間見ることが出来る。

プロ野球という「日本中産階級のお祭り」がまたひとつ消えていくのだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/