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FEBCの綾波レイ

ラジオ
03 /02 2013
ツイッターでも呟いたが、先日何気なしにAMラジオをチューニングしていたら、1566KHzで不思議な語り調で聖書の一節を朗読している女性の声を聴いた。
番組名は「近づかれると、近づいて」。DJ名は「さち」。
実に謎なタイトルだ。

この放送局はキリスト教系FEBC日本語放送と思われる。
番組は国内で制作されているものの、日本では宗教放送は認められていないので韓国のチェジュ島から送信されている。夜間になると東京でも良く聞こえる。
番組内容は主に布教目的で作られているため、殆どがキリスト教会で説教を受けているようなイメージ。
熱心な信者でもなければ基本的にチューニングすることはないだろう。
この日も9KHzステップで選局していていた際、偶然にこの「さち」さんの声を聴いたのだ。
暫く、耳を傾ける。
実に不思議な雰囲気を持つ語り調。妙に引き込まれていく。
そう、「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイにそっくりな雰囲気。
声が似ているのではなく、キャラクターの醸し出す心情がそっくりなのだ。

この「さち」さんは如何なる人なのだろう?
果たして知る人ぞ知る有名人なのか、あるいは無名の素人なのか?
また、彼女が信仰心故にこの声で語りかけているのか、それとも単にナレーターとして雇われただけなのかも不明だ。

いずれにせよ、語る内容は別としても、この不思議な雰囲気は人の琴線を振るわせる。
聴く者の心の隙間に入り込み、油断するとずるずると引き込まれてしまいそうだ。
人知れず殆ど聴取者の居ない宗教放送で語り続けている在り様にも萌える。
ネットで検索してみるとこの番組はオンラインでも期限付きで聴取できる様だ。
番組自体は数年前に制作されたものらしく、今はFEBCで週に一回、再放送されているのだとか。

自分はクリスチャンでもなく、聖書にも関心がない。
キリスト教会といっても幼稚園時代に通っていた程度だ。
だから聖書の説法など特に今更聴きたいとも思わぬ。
当然信仰心の欠片もない。

でも、彼女の声を通して語られる聖書は、なぜか説教臭くないのだ。胡散臭さも感じない。
なぜなのか?
もしかすると、これは聖書の朗読ではなく、聖書の一節を彼女の心の吐露の拠り代にしているだけに過ぎないのかも。
これは布教のための朗読ではなくて、彼女自身の表現活動、すなわち「抒情詩」ではないのかと。
だとしたら、なんとなくこの不可思議さの理由が解るような気がする。

実際のところは解らない。
単に語り調が綾波レイに似ているから、勝手に感情移入しているだけかもしれないが・・。

FEBCの綾波レイこと「さち」。
彼女の声は夜の静寂にゆっくりと流れ出し、エーテルの中を漂いつつ、何処へと消えてゆく。

いったい貴女は何者だ?

クラス会に来なかった者達

ラジオ
03 /01 2013
先日、TBSラジオ伊集院光の番組で光氏自らが参加した中学時代のクラス会について述べていた。
伊集院氏は現在45歳らしい。
クラスメートの中には息子娘に子供が出来て「祖父」になってしまった者も居るとか。
そんなクラス会に参加して、光氏が気になったのは「クラス会に来なかった」学友の事だそうだ。
大抵の場合、クラス会を主催するのは、当時から社交性があって「ヤンチャ」な性格な同級生だと語る。
一方で、クラス会にやってこないのは内向的だったり、いじめられたり、目立たないタイプ。
そんな「クラス会に来なかった」クラスメートで伊集院氏が想いを馳せるのは、駅の改札口でひたすら切符を拾っていた友人だったそうな。
なぜ彼がそんなことをしていたかというと、捨てられた切符の中に遥か遠方の駅で発行されたものがあって、それに惹かれるのだと。
これを聴いて、ふと思ったのだ。
中学校というのは人生において最初の分岐点みたいな場所であると。
コミュニケーション能力があって学力にも恵まれていれば、リアルな世界で自分の立ち位置が明確となり、自ずと学校が教える「大人への階段」を忠実に登っていく事に何の迷いもなかろう。
一方、内向的で成績も振るわず、学友も少なく、存在感が薄い者にとって学校での教えやコミュニケーションは苦痛以外のなにものでもない。
やがて孤立化を深め、己だけの世界に活路を求め始める。
伊集院氏が語った、この切符を拾う「クラス会に来なかった」学友は典型的な後者だ。
自分も、切符は拾わなかったものの、似たり寄ったりだ。
クラスメートとの交流よりも自分の世界にのめり込んでいった。
そして真っ当な大人への階段を踏み外すのである。

自分ももう15年近く前、中学校のクラス会に出たことがあった。
伊集院氏の経験と同様に、主催したのは「リア充」っぽいクラスメートで、自分と気の合いそうな同窓生は誰一人やって来なかった。
話題も、自分にとっては知らない事や覚えていない事ばかりで、取りあえず社交辞令で取り繕うしかなかった。

そう、「クラス会に来なかった」学友たちは果たして何処へ消えたのだろう。
単に都合がつかなかっただけかもしれない。
だが、多くは競争社会から脱落、いや、競争自体に参加することすらなく、この世界から霧散してしまったのだろうか?

クラス会に遣って来る学友は確かに成績も良く、一流企業に就職し、真っ当な結婚をし、子供も居る者が多い。
しかし、彼らは既存の常識人が用意した「大人への階段」をただ忠実に登ってきただけだ。
彼らは堅実ではあるが、絶望的にロマンが欠如している。
だから彼らの浮世話はうんざりするほどつまらない。
自分より格下の者をすげさんで、己のポテンシャルに満足するのだ。
中学校時代、己より成績が下の者を馬鹿にしていた性格がそのまま大人になっているのだ。

すでに自分の学友の中にも「祖父」「祖母」になってもおかしくない年齢に達している。
恐らく「クラス会に来なかった」学友の多くは、就職や結婚にも恵まれず、世捨て人となって、どこか人知れず彷徨っているのかもしれない。
此処まで来ると、もはやこの格差は覆い隠せるものではない。
中学校という「人生最初の分岐点」で進む道を分かち、遂に同窓生という意義すら失って、二度と会うことも思い出すこともなくなるのだ。
「真っ当な社会人」と「世捨て人」。
伊集院氏が語っていた切符を拾っていた学友も、己の世界の中で今尚、改札口の脇に佇んでいるのだろうか。
そして、その幻の切符で誰も知らない地平の果て行きの列車に乗り込み、浮世から消えてゆくのだ。
彼らが赴いた先は何処なのだろう。
少なくとも「真っ当な社会人」には想像も出来ぬ場所に違いない。

もしかすると、本当の明日を創造しているのは「クラス会に来なかった」者達なのかもしれない。

ナイトウォーカー

ラジオ
01 /07 2013
日曜深夜の中波ラジオ。
大方の民放は休止して停波している時間帯だ。
昨晩、ふとその中波帯を何気なくチューニングしていると、ユーミンの古い楽曲をノンストップで流しているのに気が付いた。
周波数は1260KHz。東北放送だ。
恐らく試験放送なのだろう。
暫く聞き入っていると印象的な曲が流れてきた。
たしか曲名は「ナイトウォーカー」だったか。
日曜深夜、エーテルの中を軽いフェーディング混じりにヘッドフォンから流れ出る懐かしき楽曲に暫し耳を傾ける。
ここ数年、ユーミンなど聴くきっかけすらなく、記憶の彼方に埋もれていた。
だが、この思わぬ試験放送ノンストップユーミンのお陰で、当時の恥ずかしき色恋沙汰が甦る。

1980年代初頭の学生時代、その頃はユーミン全盛期だった。
ユーミンをBGMに多感な青春時代は過ぎ去っていったのだ。

当時の恋愛観は、今思えば大変中途半端かつ過酷だった思い出がある。
見合い結婚が減り、自由恋愛が結婚への第一歩となりつつあった時代。
ところが当時、恋愛に長けている男子など一握り。
大方の男子は恋愛に疎く、9割方が惨めな失敗に終わっていたような記憶がある。
その上、当時の女子は男子に「高学歴、高身長、高収入」という条件を当然のように要求し、生活の糧の全てを依存しようと望んでいたから敷居が恐ろしいほど高く、その振る舞いは残酷でもあった。
当時のドラマやアニメは、クラスに一人居る「マドンナ」のハートを射止めんがため、「その他大勢の男子」が涙ぐましいほど切磋琢磨し、人生を賭けて求愛に励むシーンが珍しくなかった。
「マドンナ」たる女子は好条件の男が闘争で勝ちあがってくるのを、ただ座して待って居ればよかった。
そしてその闘争で勝利した男子と結婚し、専業主婦として生涯連れ添えば大団円。
1970~80年代はそんな恋愛事情がスタンダードだった。

一方、恋愛闘争に負けたその他大勢の男子は惨めであった。
体力、気力を使い果たし、何一つ得られるものはない。
元々、恋愛術など持ち合わせていない男子がいきなり恋愛という手段で伴侶を獲得出来る筈もなかろう。
にも拘らず、恋愛至上主義の台頭によって、恋愛を強いられるのは、真に悲劇であった。
初恋=結婚と信じられていた時代において「失恋」は人生の失敗そのものだった。
その痛手は大きく、「失恋」した男たちは女々しくもユーミンやオフコースを聞いて己を慰めるしかなかったのだ。
だからこれらの楽曲を聞くと、当時の心の傷が疼いて仕方がない。

時代は流れた。
もう、女子は男に全てを依存しなくなり、男子も女に「夢」を抱く事をやめてしまった。
だから、ユーミンも過去の残滓として記憶から去ろうとしている。
遠くになりにけり1980年代。

先日、年賀状の中に五十路に掛からんとしている大学のサークル後輩からの便りを見つけた。
彼は人一倍のユーミンファンだった。
「ウォークマン」片手によく部室の片隅でユーミンのアルバムに聞き入っていた記憶がある。
そんな彼も昨年、一児の父親になったと、その年賀状には記されていた。
遅ればせながら紆余曲折の末、「人生の勝利者」の仲間入りである。
心から賛美を贈りたい。

朝、日曜深夜のノンストップユーミンに刺激されて、書庫から昔ダビングしたユーミンの楽曲を引っ張り出してきた。
テープ制作は1984年。
今から29年前だ。
フジカセットER46分テープに収録されたその楽曲はまったく劣化もせず、良い感じで再生できた。
その中に「ナイトウォーカー」も入っていた。
真夜中、失恋の痛手を癒す手立てもなく彷徨う、捨てられた悲哀を嘆く歌詞がズキズキと己の古傷を刺激する。


そうだ。自分は学生時代より四半世紀以上、ずっとこの歌詞の主人公の如く、当て所ない「真夜中」を彷徨っているのだ。
深夜の街頭。
次々消えてゆく店の灯り。
心を駆り立てるシャッターの音。
そんなコンビニもなかった時代から今尚、伴侶を娶ることも出来ず、子を設ける事も間々ならず、真っ暗な絶望の中を彷徨い続けているのだ。
もはや残された時間は、ない。

日曜深夜のラジオは時として人を「夜の迷宮」へと誘い出し、打ちのめす。

3丁目のアナログ

ラジオ
03 /16 2012
書棚の奥に突っ込んである1980年代のFM誌をたまに引き出して読むことがある。
ネットも携帯もデジタル携帯音楽プレーヤーも存在していなかった時代、CDからカセットテープにダビングする事が最新トレンドでCMコピーも「CD録るならアクシア」みたいなのが流行っていた頃。
FM放送からエアチェックすることもまだ廃れてはおらず、FM誌にはどの番組に何の曲がいつ流れるかを記載した番組表が掲載されていた。
アナログカセットの様々なアイテムが店頭に並び、デッキの良し悪しやFM放送の受信テクニックによって録音の質に大きな差が出た時代。
思えばアナログ音声というのはユーザーの工夫次第でクオリティーを調整できる真に面白い媒体だった。
今、当時の様々なアナログカセットを再生してみると録った人の機材や環境によってまったく音質が異なっている事に気付く。
デジタルの場合は誰が録っても同じだし、機材の音質の差など無いに等しい。
録れているか否かの差だけ。
世がデジタル一辺倒になって知るアナログのありがたさ。

1980年代のFM誌には、そんなアナログティックな機材の記事や広告で一杯だ。
FM放送も1985年にFM横浜が開局して、やっと首都圏民放2局目という時代。
それまではずっとFM東京だけだったのだ。
当時のFM番組はJ-WAVEがはじめたゾーニング編成のような番組間が曖昧な作りではなくて、それぞれの番組が独立して個性を競っていた。だから番組自体が記憶に残っていく。
FM誌に掲載されている番組表を改めて読むだけでも当時の記憶が甦ってくる。

あの頃、FM誌を購読し懸命にエアチェックしていた者たちはどうしているだろう?
誌内に掲載されていた広告のカセットデッキ、チューナーは今、どこにいってしまったのだろう?
膨大なエアチェックテープに眠る当時の貴重なFM放送の音声もこのまま朽ちていくのか?

イラストは1980年代後半にFM横浜で土曜お昼前に放送されていた「ライドオンオートバックス」という番組をイメージしたもの。
ライドオン1203色a
過去、度々ブログで取り上げたことがある番組だ。
アナログ全盛期のFM放送は捨てがたいものがある。
昭和を描いた映画「3丁目の夕日」の如く、1980年代のFM放送を垣間見る事がそのうちトレンドになる時代が来るのかも。


「みっどないとはいすくーる」の記憶

ラジオ
07 /05 2011
1990年代後半頃だったか、埼玉のあるコミュニティーFMの深夜に放送されていた「みっどないとはいすくーる」という番組があった。
その名の通り、地元の現役高校生が出演構成して他愛のない日常をトークするのだ。
ミク、ミサ、エリ、ステフ、ジャック、レオン、ユミコ、カヨ等、今でも彼らのDJネームを覚えている。
リスナーからメッセージも募集していて、自分も結構ファックス投稿したものだった。
非公式なリスナーとのオフ会みたいなものもあって足繁く放送局のある入間市まで西武新宿線で赴いた事もある。
彼らは高校演劇をやっていたりで、その公演も観に行った。
あれから、もう10年以上。
先日、久しぶりにこの局にチューニングしたら当時と同じ声が聴こえてきた。今でもここでボランティアスタッフを続けている者がいるのだ。
実に感慨深い。
一方、もうDJは卒業し、結婚して家庭を営む者も少なからず居るはずだ。
当時の放送テープを聴きなおしてみると、昨日のように記憶が甦る。
彼らの当時の「夢」は叶ったのだろうか?

「みっどないとはいすくーる」の高校生たちは今でも自分の中では高校生のまま。
しかし、現実はもう30歳近い年齢で社会の中で活動しているのだ。
彼らはもう、このリスナーのことなど覚えていないだろう。

自分の中で時が止まったものがどんどん蓄積されていく。
伊集院光がラジオでLDが処分できないと喋っていたが、そんな様々な過去の遺物が己の中で肥大化し、いつの間にかそれが己自身の存在の拠り所と化す。
もはや役に立たない存在と解っていても捨てる事は出来ないのだ。
「みっどないとはいすくーる」の記憶もそんな類のものかもしれない。
そのうち、自分自身が「忘れられた過去」そのものになってしまう恐怖に捉われる。

「みっどないとはいすくーる」のエンディングテーマ曲を先日、見つける。
スペクトラムの「パッシングドリーム」という曲。

彼らがこのエンディングに乗せて語る〆のトークも好きだった。
そして己の中では今でもこの曲が記憶の溝のなかでエンドレスで流れ続けている。
永遠に歳を取らない高校生のお喋りと共に。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/