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10月の妄言その1

日常
10 /27 2023
2023年も10月半ば。
金木犀の香りも旬を過ぎてきた。
今年は秋の長雨や台風来襲がなくて未だ秋という実感がわかない。
晩夏をずるずると引きずるような気候が続く。
先日、久々に本屋に入る。
いつからか本や新聞がなくとも不便さを感じなくなったのかよく解らぬが、書棚に昔手に取っていたミリタリー等の雑誌が存在しているのを見て、恰も本屋そのものが博物館になっているような錯覚に陥る。
雪崩を打つように情報がWebに移行し、紙の媒体が過去のものになりつつあるのに、「昭和」の雑誌や文庫が生き残り続ける不思議さに眩暈がする。
この膨大な紙の媒体は何時まで存在できるのだろうか?
これが消え去った世界はきっと「虚無」に違いない。

AI
AI生成のイラストが急激に「進化」して恐るべき状況になっているようだ。
自分はAIを扱ったこともなく、実際の所はよくわかっていない。
しかし誰かがSNSに上げたAIイラストを観ると何かしら妙なザワツキを感じる。
指の数がおかしかったり、物理的な法則と合致していない構図とか、そういう描写は正直どうでもよい。
AIがどういう「思考回路」で描いているのは知らぬが、人間の感性に訴える「何か」を最優先に描き出す「能力」に驚かされる。
スタニスワフ・レムの小説『ソラリスの陽の下に』に出てくる思考する惑星ソラリスの「海」のように人間の脳をスキャンしているかの如きだ。
もはやこのようなAIによる「作画革命」を止める事は誰にもできまい。
写真の発明と同じ位のインパクトがある。
しかしこのようなレボリューションに大きな反発を抱くクリエーターも少なくない様だ。
AIは元々既存の膨大な人間の描いた作品を「学習」しアレンジして「注文主」のオーダーに応える。
つまりは元々「誰かの描いた」ものを加工しているのでAIが一から描いている訳ではない。
著作権等も相まってAIに対する憎悪を燃やしている者もいる。
だが待て。
人間だって既存の作品に影響を得て、それをアレンジしてオリジナル化していると考えればAIも人間もやっていることに大きな違いはない。
純粋なオリジナル作品などこの世には存在しない。
全ては既存作品の「模写」から始まる。
AIに反発を抱くクリエーターは何に対して怒っているのだろう。
AIというシステムそのものなのか?あるいはAIを使って「作品」を作っている者に対してなのか?
どっちにしろAIという「道具」がこの世に生まれてしまった以上、時を逆行させることは出来ない。
AIを打ち壊せとか、禁止にしろと叫んだところで誰も聞く耳は持つまい。
写真機が発明され、これまで画家が独占していた肖像画がシャッター一押しで「処理」できてしまったからといって、それ以降、画家という商売が絶滅したなんて話は聞かない。
AIは新たな独立した表現方法の一つに過ぎない。
人間が作り出す「創造物」を侵食するとか、排除するとかなんて危惧は滑稽でもある。
もし、AIに己の作品が「学習対象」にされたくないのであれば、Web上にアップしなければよかろう。
別人がアップすることを恐れるならば、そもそも何も描かずに己の脳の中にしまっておけばよい。
表現物というものは程度の差はあっても、誰かの目に留まればいずれ「学習」や「アレンジ」の対象にされる。
それがAIか人間かだけの話である。
AIは人間と違い、一瞬にして膨大な数の作品を劣化のないカタチで「模写」するが、それが「時代」というものだ。
汽車や車、飛行機という「文明の利器」によってそれまで何日もかかった旅がどんどん短縮されたから言って「熟練した御者が扱う馬車で要した時間を短縮するなんて許せん!」なんて怒ったところで相手にされないのと同じ。
クリエーターはこういう時代の宿命に適応していかねば生き残れまい。

いずれAIは進化が早すぎて近いうちに「袋小路」に突き当たるのは想像に難くない。
意外と10年以内にAI作成画像なるものは人間の理解不能な領域まで達するかもしれない。
その後、AIはAIなりに独立独歩で「表現活動」していくだろう。
守旧的な思考にしがみ付いたところで不毛である。見捨てられるだけ。
もはやAIは重要なツールの一つだ。
それを使いこなせる者だけが生き残れる。
 









ソロキャン一考察

日常
06 /15 2023
東京地方も梅雨に入って鬱陶しい天気が続く。
コミケサークルスペースも決まったが原稿が遅々として進まない。
年齢、生活環境の変化等など思い通りのライフスタイルが実践できず、原稿に注力するポテンシャルが維持できない。
むしろ就寝中に原稿を懸命に描いている夢を見たりする。
なにかすごくまずい。
いずれにしろ締め切りというデッドラインに向けて吶喊する以外にない。

最近はよくソロキャンプに勤しむようになった。
そもそも引き籠りスタンダードインドア人間がキャンプなど門外漢だった。
子供時代、指導者やリーダー、先生、仕切り役のクラスメートから使いっ走りのような労務を強要されたグループキャンプは大嫌いだった。
しかし、ソロキャンになると煩わしい人間関係や規範、序列に煩わされずに「無垢なる自然」と対峙出来る時間がある事を知る。
自然は一々人間に指図しないし、干渉もしない。
一方、自然は無慈悲でもあるから自分の身は自分で守らねばならぬ。
もっとも流石に本格的なネイチャーゾーンに踏み入れるスキルもないから、管理されたエリア内で嗜むレベルでしかないのだが、それでも心身は解放される。
自然との対峙はソロでしか実践できない。
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そんなソロキャンプ界隈で面倒な出来事が。
何やらどこかの野営地でテント泊していた女性ソロキャンパーに酔っ払い男性が絡む動画がSNSでアップされ、それが有名芸人キャンパーの目に留まって拡散。
更にソロキャンパー代表を標榜する何とか協会が「声明」なるものをネットに上げて騒ぎが拡大し始めた。
その「声明」なるものには、「ソロキャンプする男はゴキブリとハイエナを混ぜたような存在として女性に映るから、女性ソロキャンパーに安易に声かけるな」云々。
それが「曲解」されてジェンダー界隈を巻き込む騒動となっている。

正直なところ、この「声明」はソロキャンパーにとっては鬱陶しい大きなお世話でしかない。
声明を出した何とか協会は「男女対立を煽るのは本意ではない」とか言っているが、単純に「男はハイエナとゴキブリ」云々に例えれば当然フェミ界隈を巻き込んで曲解するような流れになるのは想像に難くない。
そもそもなんでこの騒ぎを普遍的男性ソロキャンパーの例えとして論じるのか。
ソロキャンプは男女問わず俗世の喧騒から逃れ、孤独を嗜む場。
ヒトには興味がないのだ。
ましてや男女間の色恋沙汰なんぞごめん被りたい人間が独りの時間を大切にしたくてキャンプしているのだ。
酔っぱらって女性キャンパーをナンパするような輩はそもそも「この世界」の住民ではないし、カテゴライズするならば野犬や熊に遭遇したと同じレベル。
馬鹿な酔っ払い迷惑男や女性漁り目的でキャンプ場をうろつく輩にそんな「声明」は「馬の耳に念仏」だ。
何の効果もない。
逆に「ゴキブリハイエナ」とののしられた「真面目な」ソロキャンパーが遠のき、本当の意味での獣みたいな輩がうろつくだけの結果になろう。
だから野生動物遭遇に注意しましょうと促す程度でよかったのだ。
それを事もあろうに「男性ソロキャンパーは基本ゴキブリとハイエナ」というニューアンスで、更にソロキャンパーを代表するような上から目線で押しつけがましい「声明」という形で言い放ったものだからおかしなことになった。
どう考えてもソロキャンパーの風上にも置けない馬鹿な酔っ払いのナンパ迷惑行為を十把一絡げでジェンダー論的規範にすり替えて「声明」を押し付けることは女子を含めたソロキャンパーの総意とは言い難い。
キャンプ場には「教え魔」とかお節介な人がいて女性キャンパーに声を掛けたりするのが問題とか言うが、そんなこと個人の自由だろう。
なんとか協会が一律決める事ではない。
「教える事」が嫌がられるか否かは個々のケースで全く違うし、110番されるか、有り難がられるかなんて実際やってみなければわからない。
結果は全て本人の自己責任。
「イケメンに限る」という諺もあるし、価値観は千差万別。
もっともソロキャンプに出会いを求めに来る女性など殆ど居ないだろうから、お門違いでほぼ9割方は迷惑がられるのは想像に難くないが、だからと言って「お前らはゴキブリとハイエナみたいな醜悪な生物と思われてるから一切声掛けするな」みたいなルールを押し付ける権限がこの協会にあるのか?
大体女性ソロキャンパーが全員「男性キャンパーは全てゴキブリハイエナと思い込んでいる」という決めつけこそ、女性差別じゃないのか。

女子ソロキャンパーが増えたといっても限られており、実際キャンプ場で見かけたことは殆どない。
仮にテン場で女子ソロキャンパーが居たとしても近寄りたいとはとても思えない。
こちらが何のアクションをしなくても勝手に曲解されて「迷惑された!」と思い込まれたらたまったものではない。
挨拶一つでも誤解される可能性はあるので、一切接点を持たないのが吉だ。
女子ソロキャンパーは自己愛が強く、コミュニケーションも苦手なタイプも多く「メンヘル系」女子も少なからずいる。
思い込みの妄想対象にされて逆に襲われて刺される可能性だってゼロとは言えない。
どっちにしろ、干渉しないのがベターなスタンス。
自分は金をくれても見ず知らずの女子ソロキャンパーに声掛けなんて真っ平ごめんである。
恐ろしくて出来やしない。
だからと言って接点を持つか否かは人の勝手である。
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いずれにせよ、ソロキャンプ界隈にジェンダー問題を持ち込んで「男女間の溝を掘る」みたいな「声明」は無垢なソロキャンパーにとって迷惑極まりない。
グループキャンプが大嫌いだったのは、こういった仕切り役がしゃしゃり出て、ああしろこうしろと命令し、苦役を強要し、トップに立つ自分たちだけが良い思いをするみたいな構図に怒りを感じたからである。
気持ちの悪い体育会系の上下関係で縛り付けるルールは本当に頭にきた。
このなんとか協会はそういう「縛り」をソロキャンプ界隈に持ち込んで何をしたいのか?
アウトドア系やジェンダー系の嫌いな所はこういった仕切り役の支配欲である。
自分たちで「声掛けは辞めろ」と言っておきながらソロキャンパーに自分たちの規範を押し付けているという矛盾に気が付かないのだろうか。
誰からの干渉も受けたくないのがソロキャンの神髄だ。
それを壊したらもはや何のためのソロキャンなのか解らなくなる。

「男の趣味に女が入ってきたら荒らされて焼け野原になる」という話はよく聞く。
女性ソロキャンパーが増えばキャンプは活気づくし、華もあるから悪いことではなかろう。
でも今回のような男性ソロキャンパーに委縮を迫るような呼びかけを「正義の如く」押し付け始めたら、キャンプ場はギスギスし、結局は廃れて「焼け野原」となってしまうだろう。
「男性キャンパーは全てハイエナ、ゴキブリレベルとして見られていると自覚せよ!」なんてスローガンが掲げられている場所に誰が行きたいか?
女性自身だってそんなところは御免被りたい。
そもそも人間は哺乳類だし、男性の獲得本能を消し去ることなんて不可能だ。
それを「ハイエナ、ゴキブリ」に貶めて「戒めの標語」とすること自体、無理があるのだ。

いずれにせよ、自分はこの押しつけがましい「声明」に屈することなく、自分のスタイルで今後ともソロキャンプを嗜む。
「命令」はごめん被る。
ソロキャンに忌々しいジェンダーイデオロギーを持ち込むな。

 





2023年、櫻の季節巡る

日常
03 /23 2023
2023年、今年もお花見の季節が遣ってきた。
早速、19日と22日に新宿御苑に赴く。
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東京の桜開花は早く、19日時点で5~6分咲だ。
まだコロナ文革前とは比べものにはならぬが外国人客も戻ってきて、コスプレ撮影等、意気揚々と桜見物を楽しんでいる。
一方、地元日本人はコソコソと身を丸め、未だに無意味なマスクをして覇気もない姿でうろついているだけ。それも高齢者ばかりが目立つ。
発展する北東アジア諸国の後塵を拝する惨めな国を象徴する姿が哀れだ。
この3年間、コロナ文革という忌まわしいプロパガンダによって壊滅的な打撃を受けたこの国の文化、サブカルチャー。
今年になってやっとコロナ文革のヒステリックな嵐も遠ざかりつつあるが、もはやこの文革以前の世界には戻ることはない。
ただですら衰退の途にあった日本。
コロナ文革はこの流れを更に加速させ、滅びの日を近づけさせた。
超少子高齢化は怒涛の如く進み、回復の見込みは潰えた。
行政府は口先だけで「異次元の対策」とか宣わっているが、もはや何の効果もない。

少子化対策は金銭のレベルでは絶対に解決しない。
お金をいくらつぎ込もうとも、誰も子供を産まないし、育てない。

「貧乏子沢山」
乏しい社会であればあるほど人は子供を産む。
戦後の混乱期に何故ベビーブームが起こったのか?
今と比べたら経済状況は雲泥の差で劣悪。
治安も公衆衛生もひどかった。
にも拘らず、人々は子を産んだ。
これは魂の問題である。
もし、本当に少子化対策を本気で取り組むのなら「産めよ増やせよ富国強兵」というスローガンしかない。
生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれてこそ、人は子を産み、育てる。
そのスローガンを掲げる事がタブーというのならもう何も期待するな。
滅びに任せるがよい。
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去年の年末だったか。
NHKで銀河テレビ小説『まんが道』の再放送をしていた。
これが初放映されていたのは1980年代後半だったろうか?
全く見た記憶がない。
いや、観ていたはずだったのだが思い出せないのだ。
断片的に何か記憶に残るシーンもあったのだが・・。
それはさておき、改めてこの『まんが道』を観ると漫画家を目指すスピリッツの息吹に愕然として、モニターの前から這いずり逃げ出そうになる。
この闘争の熱い意志無くしてこの「道」は貫けないのだという事を改めて思い知ったと同時に、これは若き人間こそが実践できる特権でもあるのだということにも気が付いた。
還暦を過ぎた今、理屈では「吶喊あるのみ」の姿勢はあるものの、加齢と環境の変化がその意志を尽く挫く。
一部の売れっ子漫画家を除き、還暦を過ぎても商業誌で現役バリバリの者は少ない。
描き続ける環境が侵食され、どう生きるかの選択を迫られる時がヒタヒタとやってくる。
決断の日は近い。
しかし、この世界に潰しは効かない。
己の道を突き進むしかないのだ。
今更この道を外したとて、タカラの「人生ゲーム」同様、最後は有り金全てルーレットに載せて運任せの博打に頼るしかない。
その成功確率は0.00001%も満たない。
終りである。
「人生ゲーム」同様「貧乏農場」行きで惨めな老いを曝さねばならぬ。
結局、漫画家という生業は「勝利か死か」の二分しかない。
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結婚を果たし、嫁を娶って子を育てた同世代の者との会話はもはや耐えがたきものとなった。
子は既に独立し、結婚出産の話題で持ちきりだ。
還暦を子供に祝ってもらったとか、孫が生まれたとかの自慢話に華が咲く。
一方、妻も子も設けられない還暦過ぎた独身絶望男性は惨めだ。
そんな彼らが吐露する会話は聞くに堪えない。
80代の親を60代の息子が面倒を見る老々介護に体力、精神力を奪われ、未来に何一つ残せるものはなく、マスコミが加勢するフェミファシストの残忍な攻撃に毎日晒されて袋叩きに合ってるのだ。
特に年金などの恩恵に与らないフリーランス独身絶望男性は本当に「死ぬこと」位が唯一の希望となりつつある。
同世代の漫画家が人知れず鬼籍に入った便りを聞くと心底「嗚呼、羨ましいなあ」と思うことが増えた。
この先、良いことなど全く期待できず、ただ体力、気力の衰えと衣食住環境の悪化だけが確約された酷い人生しか待っていない。
体力、気力が絶望的に衰える前に、帝国陸海軍が起死回生を図った「菊水作戦」の如く、己をここまで追い込んだ「敵」に対する特攻攻撃を仕掛け果てるのも一つの選択肢かもしれない。
それが絶望独身男性に残された唯一の「希望」となる。
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神宮外苑の神聖なる樹木が数千本単位で伐採され、醜悪な高層マンションを林立させる再開発計画が進行中だという。
この神をも恐れぬ破壊行為は断じて許されてはならない。
SDGsとかいう嘘と欺瞞に溢れたプロパガンダを謳っておきながら、現実には環境破壊を推し進める邪教の輩に唆されて帝都の森を破壊する行為は天に唾することと変わりない。
ただですら、ヒートアイランドで耐え難き夏の暑さが拡大の一途をたどっているというのに、それをさらに悪化させる都市樹木伐採と守銭奴亡者の阿片窟である高層マンション建設は悪魔の所業。
それを夏の打ち水でごまかせると思うのか?
この神聖なる帝都を汚す事業に加担する現都知事と地主は帝都民の敵、万死に値する。
日本本土を覆いつくそうとする太陽光パネルや風力発電機に地球環境を改善する効力など一切ない。
むしろ森林を破壊することで酸素供給源を失い、八百万の神宿る聖域を破壊し、人々の居住環境を劣悪化させることは昨年夏の熱海土砂崩れの例を挙げるまでもなかろう。善良なる民の里を奪う行為に他ならない。
このような所業に手を染めた輩は、遅かれ早かれ完膚なきまでの神罰が天から下るだろう。
覚悟すべし。
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WBCで日本が優勝したという。
「WBC号外求め駅前に殺到する群衆」との報道に「プロレス力道山の試合を観るため駅前街頭テレビに殺到する群衆」が妙にシンクロする。
日本人は何時の時代も「出来すぎの大勝利」に心酔する。
超大国相手に完勝した日本海海戦や真珠湾攻撃然り・・。
コロナ文革でスポーツ観戦も壊滅的な打撃を受けていた日々が続いていたところにやっと一筋の光が射しこんできた出来事だった。
これが「出来すぎ」であったとしても、日本中が湧いたのはコロナ文革の抑圧社会より、よっぽどマシだったからだ。
祭りは人々にとって必須の行事である。
それをコロナ文革は奪ってきたのだ。
WBCはその悪事に対する反撃の狼煙にもなった。
コロナ文革によって完全に祭りとしての役割を潰された東京オリンピックの代わりとして、このWBCは異様な盛り上がりに成功した。
だが、果たしてコロナ文革以前の「光」を取り戻せる起爆剤となるかは解らない。
世はもうすでに「破滅」に向かって走り出しているのかもしれぬ。
WBC日本チームの「活躍」が恰も「出来すぎで没になってもおかしくない野球漫画」であるとすれば、「ロシアが勢い余って核ミサイルを全世界に発射して最終戦争が起こり、人類文明絶滅」というチープなC級ディストピア漫画も「現実」となりえるのだ。

新宿御苑の桜は今年も咲く。
そして来年も「最終戦争」で人類が絶滅しても咲き続けるだろう。
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キャンプとカレーライス

日常
04 /15 2022
桜も散り終わり、次第に新緑の季節に移行し始めた。
どうでもよい話。
公営放送で、生意気な3Dバーチャル5歳女児の司会で進行するお笑いクイズ番組。
ゲストに本日のお題を質問し、外れれば「ぼうっといきてんじゃねーよ」と罵倒し、当たれば「つまんねえ奴」と軽蔑する性格の悪い5歳女児がなぜ公営放送の番組司会を担当出来るのか、理解しがたい。
この差別主義者を容認する姿勢が認められるならば、巨乳娘漫画の全面広告など造作もあるまい。
それはさておき、この差別主義者5歳バーチャル女児の番組で先日、「キャンプに何故カレーライスか」というお題があった。
答えは、戦後GHQが男女の健全な関係を構築するための手段として普及させたと。
それを昭和高度成長期に画一的サラリーマン育成と家庭教育シミュレーションの場としてキャンプという集団生活において共同意識を目覚めさせ、役割分担や序列を確かめ合うためにカレーライスは最適な料理として奨励されたという。
自分にとっては最悪である。
思い起こせば、昭和40年代の小中学生時代。
学校行事で「青年の家」とかに行って強制的にやらされたキャンプファイアー。
そして全学年百人単位のフォークダンス。
己の夢想の中に浸っているのが唯一の安らぎだった自分にとってこんなことを楽しく思えたり、ましてや男女仲が良くなるきっかけに出来る瞬間などただの1ナノ秒もなかった。
嫌で嫌で仕方なかった。
クラスメートの大半は従順に適応して楽しくやっているのに合わせるのも嫌で嫌で仕方なかった。
コミュニケーション能力もゼロパーセントに近かったので異性との会話など一切なし。
集団での役割分担も心底嫌だったので隅っこでアリの巣を突く位が関の山。
先生、リーダー役、クラスメイトの9割方から「役立たず」と馬鹿にされ、居場所もなく、とにかくこんな時間さっさと終われと願うばかり。
自分は全ての役割分担から逃げていたから共同で作ったカレーライスも旨くもなんともない。食欲も湧かず殆ど手も付けなかった。
夜のキャンプファイアーも欠席。
周りが楽しそうにしていればしているほど神経に触った。
体調を崩し独り寝ていると、クラスメートの女子集団がネチネチと自分を馬鹿にする小言を浴びせかけてきて陰湿に攻撃してきた。
どこが健全な男女関係を育成する場だ?ただの地獄じゃないか。
このようなシステムで集団の中の立ち位置、順列に組み入れられたらたまったものではない。
この「儀式」で行き着くところは最下層の「使い走り」、「鉄砲玉」、「笑いもの」、「ゴミ」という役割が関の山。
10歳にしてこのシステムを迎合指導する教師、リーダー、クラスメートは自分の「敵」だと悟った。
だから義務教育が終わってからは絶対にこのシステムに組み込まれてなるものかと心に誓ったのである。
それ以降、共同生活に携わる一切の役割分担には加担しないように生きてきた。
大方の人生における通過儀礼も避けた。
世間一般に組み込まれたところで、自分にとってはすべてが「貧乏くじ」でしかなかった。
つまり、集団キャンプにおける「カレーライス」は忌むべき存在だったのである。

半世紀後、還暦を過ぎた現在、ソロキャンプを嗜む自分が居る。
誰からも指示、強制されずに自分の意思で自然と対峙できる場。
それがソロキャンプ。
同じキャンプでも雲泥の差だ。180度違う。
ヨットで太平洋単独横断した堀江謙一氏の著書の中で「孤立」と「孤独」は違うと記されていたのを思い出す。
幼い頃の集団キャンプでは「孤立」だったが、大人のソロキャンプでは「孤独」。
「孤独」のほうが断然性に合う。
集団キャンプで偉そうに振舞う教師、マウントを取って悦に浸るリーダー、その他大勢のむかつくクラスメート、女子にちやほやされるモテ男子、集団で陰湿に馬鹿にしてくる女子グループすべてが存在しなくなると、キャンプというものがこんなに楽しいものだったのかと還暦過ぎてやっと気が付いたのである。
あの不味くて口にするのも嫌だった集団キャンプでのカレーライスが、ソロキャンプでは極上の御馳走になる。
周りにあるものは「人」ではなく「自然」である。
「自然」は人を指図しない。
順列も付けない。
「人」の中で「孤立」に藻掻く位なら、「自然」の中で「孤独」に過ごすほうが余程ましだ。
だがもう若い日々は戻ってこない。
幼少の頃を無駄な時間に費やしたことが悔やまれる。
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気付いた時にはいつも遅すぎるのだ。

 


霧ヶ峰にて思ふ

日常
08 /17 2021
今年も8月の半ばまで過ぎた。
先日、霧ヶ峰という高原にてソロキャンプを実践。
喧騒の巷を離れ、独り薪を灯す。
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漆黒の夜空に「夏の大三角形」が上り、茫漠たる銀河を挟んで、ベガ、アルタイル、デネブが輝く。
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この大宇宙からして今次のパンデミック騒ぎの如何に矮小で愚かなりし人の愚行かを改めて悟る。
三日も山に居れば、メディアの煽りもなく、この大自然に身を委ねれば真実は何処にあるかを教えてくれる。

巷の狂気溢れる盲動は終わりを知らない。
最近、ワクチン接種の事後症状を自慢げに呟く同調圧力が煩い。
恰も神に忠誠を誓う焼き印を受けたの如く報告する様はコロナ文革原理主義の奴隷として忠誠を明かす儀式のようで悍ましい。

どこぞの首長がオリンピックメダリストのメダルを齧ったことで世界がひっくり返るの如きバッシング。
まるでゾンビに噛み付かれたの如く非難を浴びせる様は狂気だ。
挙句、メダルを交換するとか。
どうかしている。
むしろ記念になって箔が付くだろう。
此処にも異常潔癖変質イデオロギーの波が押し寄せている。
病気なのはどっちだ?
メダルを齧ったのがジャニーズのイケメンだったら寧ろ歓迎するのは想像に難くない。
この騒動はただ意に沿わない人物に偏向ミソジニーレッテル付するだけの差別行為ではないか?
こっちの差別は綺麗な差別か?
吐き気がする。

タリバンがアフガニスタン全土を掌握したという。
漫画版「風の谷のナウシカ」で粘菌や王蟲の群れに包囲されたトルメキア兵が脱出するバカガラスに群がるシーンを彷彿とさせる。欧米列強の後ろ盾を失い、見捨てられた民。そもそも「タリバン」支配の国に傀儡政府を作ろうとしたことに無理がある。
欧米の思想文化を勝手に持ち込んで、強制しようとしてもその何百年と続く土着文化を汚すだけで何の利にもならぬ。
女性の権利云々も身勝手な欧米列強の嗜みに過ぎぬ。
12歳で結婚の何が悪い?
世界の文化風習に「絶対悪」など存在しない。
郷に入れば郷に従え。
「教育を受ける権利」だと?
それを標榜する欧米列強が散々アフガニスタン人を弄んだ挙句、20年足らずで見捨ててさっさとトンズラするのである。
無垢なアフガン人民をゴミの如く捨てるのだ。
「教育を受ける権利」を確立したと説く国がね!
この何処が崇高か?
碌なものではない。
ならば12歳で嫁いで子を産み、育てるだけの風習文化を持つ民族ののほうが余程健全だ。
タリバンを恐れ、空港に殺到する様は、コロナを恐れ、ワクチン接種に殺到する昨今の情勢と酷似する。
「コロナは恐ろしい!」と煽るコロナ文化大革命原理主義者に盲目的に従った日本国民と、「タリバンは恐ろしい!」と煽る傀儡欧米列強の押し付け「民主主義」を盲目的に従ったアフガン市民の行く末は同じである。
必死に脱出飛行機にしがみ付いた挙句の果てに宗主国のパイロットに蹴落とされて落下死するの如く、外国製のワクチンにしがみ付いて、以後何回も効果の程が定かでない注射を打ち続けられるのだ。
そのような奴隷か家畜のように成り下がってたまるか。

コロナ狂気は止まるところを知らず、1年8か月たっても暴走し、無能な老害世襲政権は「緊急事態宣言」を闇雲に発布し続ける。
国民はコロナ文革原理主義者の意のままに愚弄され続けている。
疑うどころか奨んで狂気の坩堝に自ら飛び込んでいく者の如何に多いことよ。
ロックダウンが如何なる状況を生むかも解らず、それを望むコロナ脳の愚かさには嗤うしかない。
自由を奪われ、官憲に身をゆだねるということがどういうことか解らない馬鹿さ加減には呆れ果てる。
ロックダウンでコロナが収まると信じる無邪気さも幼児レベル。
変異株の感染力をもってすればもはや何もしなくても「感染」する。
すべては「頭の病気」。
前大戦の時も同じような様相だったのだろう。
国土が焼け野原になっても尚、戦争を辞めなかったのだから、コロナも同様に、コロナ以外の要因で社会が崩れていっても尚、この狂気のイデオロギーに帰依して身を滅ぼしていくことにすら気が付かない。
そんな愚か者は勝手に滅びるがよいのだ。

コロナはこの世の数多の禍の一つに過ぎない。
それに罹って重篤になったり、死に至るのは癌や交通事故その他諸々の死の要因の一つに過ぎない。
コロナを特別視することが異常であって、その他無数にある「死」に至る要因は「どうでもよい」とでもいうのか?
先日、コンビニで奇声を上げている見知らぬ頭のおかしな女に絡まれそうになった。
もし、あのキチガイが刃物を持って襲い掛かってきたら命がどうなったか解らない。
これも「死」に至る要因の一つだ。
だがマスコミや首長は一切微塵もキチガイ女に注意せよとは喚起しない。
「緊急キチガイ女宣言」なんて出たためしがない。
しかし、命の危険があったことは事実なのである。
コロナと何が違うというのだ?
もはやこの異常な世界がどこまで続くか、客観的にみれば滑稽でもある。
動物園で人畜無害の「コロナバナナ」を投げ込んで恐怖に慌てふためき右往左往する猿の集団を眺めるのはさぞ傑作であろう。

霧ヶ峰の誰もいないハイキング歩道。
草原には蝶が舞い、花が咲き乱れ、雲が風に流れる。
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そこに無言の「真実の声」がある。

 

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/