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8月が逝く

日常
08 /30 2018
8月3週連続ビッグサイト行商イベントもお蔭様で、何とか乗り切る事が出来た。
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猛暑に加えて7月末からの夏風邪、尿管結石発症などで健康面的にしんどい面も多々あった。
が、客観的に鑑みれば10年くらい前であればもっとハードなスケジュールでもこなせていた気がする。
一つのことを処理するのに加齢と共に時間がかかるようになったし、クオリティーも低下してきた。
結構頑張ったつもりでも、遣り残した案件が山積みだ。
「やりたかった事」も「やらねばならない事」も全然出来ていない。
ただ時間だけが経過し、いったいその間、何をやっていたのだろう?


この8月は猛暑であったが、吸い込まれるような青空にも恵まれた。
蝉時雨と焼け付くような日差し。
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感性が研ぎ澄まされた年齢であればそれを創作の糧として貪欲に表現したであろうが、還暦を前にひたすら暑さに耐えるだけの我が身が腹立たしい。

8月の夜空は15年ぶりに地球に大接近した火星が夜空に煌々と赤く照っていた。
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探査機画像でなく、己の裸眼で火星像を垣間見たいと望遠鏡購入を模索したが、やはり高価なものをこの時のためだけに出費するのは躊躇する。
だが次の大接近時にはもうそのような気力体力が維持されている可能性は少ない。
これまた「やりたかったこと」が結局出来なかった事案の一つでもある。

たまにテレビで放映される昭和30~40年代に制作された『社長シリーズ』や『駅前喜劇』という高度成長期華やかなりし頃の映画。

これを観る度に思うことだが、この頃の映像が丁度熟成されたワインのごとく、芳醇な味わいを見せてたまらなく「美味しい」のだ。当時の風景、人間関係、服装、家屋、風俗、飲食物等そのすべてが自分の子供時代の空気感そのものを運んできて、心地よく酔えるのだ。
今だったらコンプライアンスに反することも公然とやってのける爽快感もある。
「あの頃はよかった」というものでもない。当時に戻っても水洗トイレもコンビニもないから、恐らく耐えられまい。
しかし、半世紀を経てあの時代を垣間見ることが、とても喜びに感じるのは紛れもない事実なのだ。
垣根や庭のある文化住宅、バヤリスオレンジ、リプトンのティーバック、カルピス等のアイテムが己の琴線を直撃するのだ。
例えれば一種の廃墟探訪や遺跡発掘に似た快感だ。
その映像には「生きた化石」が存在しているのだ。
感動できる映像はいまやこれ位しかない。
これも歳をとったせいかも知れぬ。

戦後昭和45~55年代くらいの子供時代を描いていた超有名漫画家が鬼籍に入ったという。
残念ながらこの方の作品はまったく読んでおらず、アニメも殆ど観なかった。
新聞連載の原作「サザエさん」は映画「駅前シリーズ」「社長シリーズ」同様に時代感覚がシンクロしてくるが、この「小さい丸の女の子」作品は、なぜか全然ピンと来なかった。
世代が10年も離れていないのに妙である。
因みにこの漫画家さんは、まだ50代前半だったそうだ。
でもまあ、漫画を生業とする身としては「人生50年」位がいいのだ。
売れていようと売れていまいと、だいたい感性が研ぎ澄まされるのは50代位まで。
あまり長生きして表現活動の第一線に留まろうとすると、「老醜」、「老害」と化して疎まれるから、これくらいが良い。
人は年取れば表舞台から姿を消して、影ながら次世代の支援をする役に徹するのが人生の作法。
それが出来なければ、鬼籍に入ったほうが世のためになる。
もっともこの漫画家さんは時代を一世風靡したほどの作品を輩出したのだから、悔いも何もなかろう。
クリエーターとして満願成就である。
この方が生前、こんなことを言ったそうな。
「何の苦労も下積みもなく、好きなことを描いて超売れっ子になってしまって申し訳ない」とか。
いや。それでいいのである。
漫画家に下積みも苦労もいらない。
そんなもの百害あって一利もない。
研ぎ澄まされた純粋な感性をそのまま表現し、世に問うことが出来ることこそ、表現者の理想である。
それが世に受け入れられヒットすることは表現者が食っていける必須条件だ。
下積みとか苦労はそんな感性を曇らせてしまうだけ。
結果、荒んだ人生観や人間関係を背負わされて、クリエーターとしてダメになっていくだけだ。

今年の8月も逝く。
永遠の夏休みのゲート、「8月32日」を探して彷徨い続け、気が付けば還暦が近づく。
儚きぞ人生。

猛暑とSNS偽善

日常
08 /08 2018
先週末、猛暑下で入稿作業を強行したため、ついに無理が祟り、30年振りに尿管結石の痛みに襲われてしまった。
体内の水分が尿以外の汗で排出されてしまったためと思われる。前回も確か、暑い夏だった。
この痛みはきつい。
発症したのが休日だったので近隣病院の時間外外来に駆け込み、鎮痛剤の点滴を受け、何とか凌ぐ。
夏風邪も継続しており、加齢もあってかなりしんどい。

今年は猛暑が一段ときつい。
都内の暑さで有名な練馬の近くに住んでいるが、天然の気候とは思えない重苦しいサウナのような熱気で包まれている。
都市緑地を破壊し、犯罪的な宅地化を進めた結果が、この有様だ。
その対策が「打ち水」に的外れの「サマータイム」とは噴飯の極み。
この災害レベルの酷暑に、なぜ60年近くこの地に住み続けている善良な市民だけがなぜ苦しまねば成らないのか。
この罰は都市緑地を破壊し、神聖な大地を換金する大罪を犯した役人、偽政者、そして不動産業者に下されるべきだ。

ネットやメディアでは昨今、「生産性云々」が話題になっているらしい。
マイノリティーカップルは子を生まぬから生産性がないとか言った世襲与党偽政者に対し、劣化紅衛兵偽善者集団が糾弾するといういつものパターン。
「社会的弱者」を己の主義主張や既得権益保身のために出汁に使っているだけの偽善者のダブルスタンダードには毎回辟易する。
同じく「生産性」がない独身絶望男性に対しては、子を設けられなくても、「自己責任」だの「経済力のない役立たず」などと罵るのになぜだ?
それは独身絶望男性に政治的利用価値がないからである。
障害者や、女、子供は発言力が低く、自己主張出来ないから「モノ」として扱えるとでも思っているのだろう。
一方、独身絶望男性は「自己主張」するから、連中にとっては厄介なのだ。
挙句の果て、そういった絶望男性を「ネトウヨ」という便利な差別用語で十把一絡げにして「敵視」する。
劣化紅衛兵偽善者集団の薄っぺらな「正義」には笑うしかない。
その「正義」の綻びを指摘されると狂犬のように噛み付いてくる有り様は、聖人君子とは似ても似付かぬヘイトスピーカー並みの香ばしさだ。

元々ツイッター等のSNSは「トイレの落書き」レベルの呟きをランダムに投げ込む肥溜めのようなものだったと記憶する。
「パチンコ屋のチラシの裏に記す落書き」相当なものに目くじらを立てる人間など居なかった。
ところが俗に「不謹慎狩り」風の書き込みや批判が目立ってくるようになってから、おかしくなってきた。
ツイッターのような「肥溜め」に「正義」やら何やらを投げ込めば己に糞便の飛沫が飛んでくるのが関の山である。
劣化紅衛兵偽善者集団はその糞便飛沫が、己の正義感の逆鱗に余程触れたのか、こともあろうに反論してくる連中の文言は表現の自由に当たらないから規制すべしとまで喚き始めている。
まるで「造反有理」そのものである。劣化紅衛兵偽善者集団にとって理想のツイッターは己の主義主張に沿ったスローガンの羅列なのだろう。
そんなもの誰が見るか。
元々排泄物を溜めている場所に、下らない正義モドキの石を投げ込んだお前のほうがおかしいだろうと諭しても聞く耳など持たぬのだ。
本物の聖人君子はこんな不毛な肥溜めに触れることは絶対にない。
繰り返し述べるが、ツイッターという場は「貧者同士が潰しあう場」。
ツイッターを習慣とした時点で「貧乏農場行き」決定である。
「貧民」として身分相応の振る舞いをしていればよいのだ。

人間は所詮、「パンツをはいた猿」だ。
「我は正義の戦士」等と思い上がった時点で、「道」を外す。
挙句が文化大革命にクメールルージュ。
結局、偽政者は外敵を殺し、偽善者は身内を殺すかの違いだけ。
目糞鼻糞を嗤う・・である。


「生産性がない」存在でも無視され続ける絶望独身男性の逝くべき場を示した3部作作品「影男煉獄シリーズ」を刮目すべし。

気が付けばサッカーワールドカップ

日常
06 /21 2018
気が付くとサッカーのワールドカップが始まっていた。
以前の大会は比較的関心もあって、予選当時からある程度TV観戦したりと選手の名前も数人程度は憶えたものだ。
だが今回はいまひとつ。
先日の緒戦を馴染みのお店で観戦イベントするからとお誘いがあり、やっと少しモチベーションが上がってきた。
が、やはり以前ほど関心は高まらない。
別にワールドカップに限らず、趣味、仕事含めて従来から勤しんできた様々な事柄のアクティビティーの低下が著しい。
それは恐らく体の新陳代謝低下と比例しているような気がする。
最近、頓に白髪が増えたし、お腹の脂肪が落ちない。
40代までは38~43kgしかなかった体重が還暦を前に53kgに増加。これらも新陳代謝の低下が原因と思われる。
これまでは実年齢に比べ若く見えたが、なんだか急に老け込んだ感じもする。
あと、最近は本屋にも寄らなくなったし、新聞も殆ど読まなくなった。
またこのブログ日記すら更新頻度が低下してきた。
それに反比例してSNSの閲覧や書き込み頻度は上がった気がする。これらはスマホを所持し始めたのが原因。
だがツイッターのフォロワー数などという非生産的で矮小な事柄に一日が左右されたりと、不毛の極み。
9割9分の呟きは廃棄物のようなもの。
予ねてよりSNSは「貧民同士が潰しあう場」と認識してきたので、まさしく己は「貧民」に零落れてきたのかと愕然とする。
子供の頃、タカラの「人生ゲーム」で必ず「貧乏農場」行きだったのを思い出す。
一度たりとも大金持ちとしてゲームオーバーしたことがない。
だから自分は今でも100パーセント負ける「人生ゲーム」の中に放り込まれているのではないかと錯覚する。

今のところ、五体満足で怪我も持病もないが、還暦を過ぎればいずれどこかおかしくなってくる。
もう、若返ることはない。
たまに漫画家の訃報というものに接するが、50~60代で鬼籍に入ると、何だか羨ましくもある。
少なくとも惨めな老後に生き恥を曝さなくて済むのだ。
フリーランスに限らず、長い老後を過不足無く過ごすには貯蓄や年金、そして家族等のサポートが必須だ。
しかし、大半のフリーランスは蓄えもなく、無年金で、独身が多い。
先は暗い。待っているのは人生のウオンゴール。
そうなる前に何とかしなくてはならぬが、歳とともに代謝が衰え、あらいる物事に対するモチベーションが下がっていく。
何をするにもディズニー映画「ズートピア」に出てきたナマケモノのごとく、スローモーションのように時間を食ってしまう。
そう、だからこそ若いうちにやりたいこと、やるべきことを処理しなければならぬのだ。
たまに若い頃の様々な創作履歴を振り返って「よくこんなことが出来たものだ」と我ながらびっくりすることがある。
夢ではなかろうかと。

還暦を越えて就職、結婚、出産、子育て、起業、人脈作りは望むべくもない。
そんなものは30代までに終わらせる前提で社会は作られている。
しかしフリーランスに隠居という言葉はない。
人生生涯現役で創作闘争する宿命なのだ。
それが出来なくなったらおしまいである。
試合終了のホイッスルが鳴るまで走り続けることが出来るか否かで、クリエーターとしての真価が問われる。
半端なし漫画家人生。

米軍キャンプ廃墟というサンチュクアリ

日常
06 /07 2018
季節は移ろい、気が付くと6月。梅雨に入ってしまった。
思いのほかキンドル版下作業に時間を取られ、様々なスケジュールが圧して来てしまった。
余りにも手間を掛け過ぎている事もある。
もう少し費用対効果を考えたほうがよいと自分の事ながら危惧。
5月中は比較的好天に恵まれたので、次回作ロケハンを兼ねて都内の在日米軍施設を廻ってみた。
大和田送信所、府中トポロサイト、立川基地跡等、かつては人員も規模も大きかったキャンプであったが、今は縮小傾向にあって廃墟同然の姿になっている場所もある。
もう半世紀近く放置され、ここだけ時が止まっている。
そして手付かずの自然が残されたサンチュクアリでもある。
フェンスから除くと1950年代に核戦争で滅び、そのまま廃墟化したのごとくポストアポカリプスの世界が広がっている。
これはもう妄想を喚起させるには絶好の素材だ。
たまに廃墟サイトなどで侵入記が紹介されているから、自分もどこかから入りたい誘惑に誘われる。
そこまでする勇気はないが、物書きを生業とするなら凡人のような振る舞いをしていては斬新で深く鋭い創造は望めない。
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いずれにしろ、皮肉にも70年近く前に外国軍に占領され、国が管理し、一般の立ち入りが制限されたが故に残された自然の宝庫であり「妄想の源泉」となった在日米軍キャンプ。
もはやここだけが首都圏に残された半世紀前の「日本の田園風景」なのだ。
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もし、完全返還されてしまったら、あっという間にこの「聖地」は破壊され、どこにでもある無粋なマンション宅地事務所駐車場と化してしまうのだろう。
「横田空域」にしてもこの存在が都区内の空が静かな理由の一つかもしれない。
ここも返還されたら縦横無尽に羽田へアプローチする旅客機銀座と化して夜も眠れなくなるかも。
つくづく占領軍の偉大さを感じる。
いや、別に米軍が偉大と言うことではなく、戦後、日本人は下世話になりすぎたのだ。

電車のつり革広告を見てふと気が付いた。
目立つのは全身脱毛エステとサラ金、自己啓発本などの胡散臭いものが目立つ。
満員電車に詰め込まれる民の需要を見計らったとしたら、なんとも嫌な気分にさせられる。
どう考えても、かつての「中間層」向けではなく、「貧民層」を照準にしているよう。
いつしか、満員電車に揺られる乗客は下層社会の住民になってしまったのか・・。
もっとも乗客はつり革広告なんか見ておらずもっぱらスマホ画面を見ているのだが。
いや、すし詰め状態で手が動かせないほどになっている時間帯の乗客向けなのかもしれぬ。
いずれにしろ、辟易だ。

最近、ラジオのBGMは進駐軍放送AFN。
正時のニュースと在郷軍人向けインフォメーション以外は、殆ど米国内の流行ポップスである。
それも20曲程度のストックが使いまわされているだけ。
退屈だが、少なくとも鬱陶しい過払い金CMも、どうでもよい下世話ニュースは流れてこないだけありがたい。
言葉がわからない分、惑わされずに済む。
おかげでヘビーローテーションで流れてくるアメリカンポップスを憶えてしまった。

米軍キャンプ廃墟と進駐軍放送だけが、もしかすると日本に残された「安らぎの場所」なのかもしれぬ。

「脱走兵」となる新人諸君への祝辞

日常
04 /03 2018
人、人、人・・。

4月。新年度。
ただでさえ人の波に曝されてまっすぐ歩くこともできぬ新宿駅構内。
そこに新入社員らしきスーツ姿の一団が加わり、カオス度が更に高まる。
この世のものとは思えぬ光景だ。
駅の窓口には長蛇のスーツ姿の列。
「はて?お盆でも暮れでもないのに?」と訝っていると、はたと気が付く。
彼らは通勤用の定期券を購入しているのだ。
世界で最も乗降客が多いと噂される新宿駅。そのピークが新年度シーズン。更に花見の外国人観光客も混じっているからもうアリの巣をひっくり返した状態。
今、自分は人類史上最も人口密度の高い空間を彷徨していると思うと感無量の狂気に襲われる。

このシーズンになると新卒新入社員の群れを見る度に息苦しく、耐え切れなくなってその恐怖を回避するために言葉を吐露せずにはいられなくなる。
己を棄て、会社という組織の歯車として生きる新卒はいわば召集令状を受け取った一兵卒。
会社のために滅私奉社して最終的に命を投げうる存在。
スーツという非実用的「鎧」を身に纏い、地獄のような通勤電車で会社に通い、己を押し殺して従順さを競う組織で耐えに耐え、それを24時間、365日ずっと強いていく。
月月火火木金金。
それがいわいる社会人であって、その社会人たる日常に疑いを抱いてはいけない。
最近は表面上、労働条件が緩和されているように思えるが、この新宿駅の雑踏を見る限り、滅私奉社の一兵卒たる新入社員の有り様は昔と寸分と変わらぬ。
もし根本的に変わってきているというのなら、もうスーツなど着ないだろうし、地獄のような通勤電車にも乗らない。
一同揃った得体の知れないパフォーマンスで新人を欺く入社式なども開かれまい。
なぜならこれらは全て、著しく労働生産性を悪化させている「儀式」に他ならないからだ。
スーツも、すし詰め電車に揺られる時間も、入社式の不毛なスピーチも建設的要素は一切ない。
にも拘らず企業がこれらの「儀式」に固執するのは新人に帰属意識の植え付けと従順さを競わせることが出来るからだ。
日本社会では会社に従順であればあるほど「優秀な会社員」として評価される。
優れた能力など一兵卒には必要ない。
ただひたすら従順にスーツを着て、従順に満員電車に揺られ、従順に上司に頭を下げていれば、終身雇用が成り立つ。
そういう人間を作り出すために、義務教育を含めた6・3・3制があるのだ。
そしてそのコースから外れた人間に、日本社会でまともに生きていく場所はない。
自分はその純粋培養生簀でまったく適応出来ない人間だったので、この時期の新入社員の群れを見ると生理的に拒否反応が出てしまう。
一種のアレルギーだ。
花粉症はないが、リクルート拒絶症が出てしんどい。
しかし、薬屋に行ってもそれ用の薬はどこも処方してくれない。

スーツはもう生涯着たいとは思わないし、満員電車の狂気に比べれば大抵のものはマトモに感じるし、人に指示するのもされるのも心底嫌だ。その上、コミュニケーション能力ゼロの人間がサラリーマンになれるはずもない。
リクルート活動は地獄でしかなかった。
わざわざ、己の最も苦手で生理的に受け付けない世界に飛び込んでいくようなもの。
小学校6年間、中学3年間、高校3年間、大学4年間通って、求人は自動車のセールスマン採用枠ぐらい。
なんで16年間勉学させられた挙句、車のセールスなんだ?
もっとも自分に向かない営業職しか求人票に並ばない現実。
当然やる気ゼロだから採用されるはずもないし、採用されたいとも思わなかった。
みんなが行くから仕方なく嫌々通った学校16年間。そしてみんなが行くから仕方なく行った就職活動。
ここではたと気がついた。
「逃げよう!こんなところに自分の生きる場所はない。だまされていたんだ!」と。
自分は最初から脱走兵みたいなものだった。
だがそれでよかった。いや、それ以外にどうしようもなかったのだ。
「こんな不毛なエコノミックアニマル戦争で一兵卒の鉄砲玉になんかされてたまるか!」とね。
逃げて逃げて逃げまくってやる。
これが己の人生指標となった。

今、自分の同輩で就職した者は、その息子娘が大学を卒業し、社会人として巣立っている。
遅かれ早かれ孫が生まれることだろう。
「一兵卒」として立派に戦い、結婚、出産、子育てという「戦役」を経て、その成果が己の遺伝子を残すという「勲章」を得たのだ。
しかし「脱走兵」には当然、そんな「栄光」は齎されない。
何も残せず、ただ、年老い朽ちていくだけ。
脱走兵の大半は朽ち果て、この世から忘れ去られ、消えていく。
それでも滅私奉社の一兵卒になる位なら死んだほうがましという信念は今でも変わっていない。
なぜならそんな会社組織の中で自分の居場所などないだろうし、遅かれ早かれ放り出されるのは火を見るよりも明らか。
結局は同じような人生を歩むのだ。

少年時代の大半は「嫌なこと」ばかりだった。
そして「嫌なこと」を経た挙句、一兵卒として鉄砲玉にされる「悪夢」のような日本サラリーマン世界。
今から思えば小学校4年位で「サラリーマン一兵卒」コースから離脱し、自分に適した生き方が学べる場があればと思う。
しかし日本社会には、今も昔もそんな多様な選択肢はない。
ひたすら滅私奉社の「サラリーマン一兵卒」学科という「人生ゲーム」に乗せられるだけ。
昭和の頃はそれでよかったかもしれないが、この期に及んでまだ続けている。
だからこの国は欧米列強はおろか、北東アジア各国の後塵を拝するほど零落れてしまったのかもしれない。
にも拘らず、それでも尚、根本的な教育職業制度を見直す様子はない。
これが滅び行く国の姿なのなら仕方あるまい。
諦めが肝心である。

今年も数多の新人諸君が「滅私奉社」に耐え切れず、脱走兵となる。
しかし、脱走しても行く場はない。
金持ち世襲や貴族出は縁故入社で最初から「士官」扱いだから苦労もない。
奇特な能力のある者はとっくの遠に、自立して起業するか海外で活躍の場を得ているだろう。
底底の者は一兵卒として適応し生きていくしかないのだ。
そして、そのいずれでもない者が、脱走兵として世の中の底辺を彷徨わねばならない。
その行く末は悲惨だ。
それでも逃げるしかないのなら、逃げて逃げて逃げまくるのだ。

それもまた、人生なのである。



あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/