潔癖キチガイランドに夏が来た

日常
07 /14 2017
梅雨が明けていないのに、暑い日が続く。
北海道では35C以上の日を記録しているとか。例年のこの時期とは気圧配置が違うようだ。
普通、梅雨明けは太平洋高気圧が徐々に勢力を強め、梅雨前線を押し上げて夏になるのだが、今年は列島の上に時計廻りの巨大な渦があって暖気が北海道の東から時計回りに日本列島へ流れ込んでいる印象。
北九州の豪雨もこれにブロックされた前線が刺激されて発生したのかもしれない。

日本のコンテナターミナルで毒針を持つ「ヒアリ」が複数生息していることが確認され、マスコミは上へ下への大騒ぎしている。
ツイッターでも呟いたが、在来種豊かな田園や緑地を宅地化などで更地にすると必ずセイタカアワダチソウが蔓延る。
逆に考えれば旧来の植物相を破壊しなければ外来種は侵入出来ない。
ヒアリも同じ。この蟻が急にやってきたはずもない。
元々あの辺りの水際で生息していたのだ。
今煽られて殺虫剤を濫用すればどうなるか。セイタカアワダチソウの二の舞になることは確か。
このニュースは最初から胡散臭い。
薬品会社の株価吊り上げのために作られたフェイクニュースと疑われても仕方ないほど怪しげな雰囲気が漂う。
にも拘らず、すぐに煽られてアリ用殺虫剤を濫用する愚か者が後を絶たぬのだろう。
その結果、環境のバランスを崩してヒアリ以上の未知の禍を招くことは想像に難くない。
先日、伊集院光の深夜ラジオでも、この「ヒアリ」騒動に苦言を呈していた。
ドラッグストアには「アリノスコロリ」が大量に山積みされているとか。
地面の下でアリが大量に死滅していることを考えるとゾッとすると語っていたが同感である。
それにしても、アリを全滅させる薬品をこれでもかこれでもかと売りつける薬品会社の商魂には恐怖すら感じる。
アリにしたらジェノサイドである。
大量虐殺行為を煽っているのに、なぜ薬品会社は国連から提訴されないのか?
対象が人間ではなく、虫だからか?
しかし一般のアリは人にとって著しい害悪生物という訳でもなかろう。
むしろ、益虫の面すらある。アリが人間の目に見えないレベルで環境浄化に御していることは疑いがない。
にも拘わらず、見栄えだけでそれを徒に駆除することが正しいのか?

こと、日本はいわいる「環境潔癖症」なる病巣に犯されている。
夏になると「虫を殺せ!虫を殺せ!」の大合唱。
蚊、ハエ、毛虫等の害虫に留まらず、ありとあらゆる虫、植物、動物に対して排除する薬品のジェノサイドCMがこれでもかこれでもかと始まる。
そして大衆は虫一匹、雑草一つ、落ち葉一つにすら過敏に反応して排除せずには居られなくなる。
先日、近所の宅地が更地化されて分譲地として売り出されていた。
その敷地にはびっしりと黒いビニールシートが貼られていた。
恐らく雑草を生やさないためと思われるが、もはや尋常を逸した光景がそこには広がっていた。
その真っ黒い土地からは輻射熱で40C以上の熱気が立ち上って息も出来ないほど。
生き物の気配もなく、黒々と横たわる更地は、まるで地獄の入り口のごとくであった。
雑草を生やさぬだけのためにのみ、地獄から悪魔を召喚させているのだ。
もはやキチガイレベルだ。
そんなキチガイレベルの環境を助長しているのが、先のネットに巣食う「不謹慎狩り」や「繊細チンピラ」の類なのだろう。
潔癖キチガイが潔癖キチガイ環境を作り上げ、潔癖キチガイランドで共倒れしていく。
馬鹿につける薬なしとは、よく言ったものである。
「スポンジボブ」も顔負けだ。
こんな潔癖キチガイランドに住むくらいなら、虫だらけの環境のほうがまだマシ。
「断捨離」より「ゴミ屋敷」のほうがまだ人間らしいのと同じ。
自分の部屋は網戸はなく、クーラーも極力かけないので、夏は昼夜問わず虫が大量に入ってくる。
体や机が虫だらけになることもよくあるが、別段気にならない。
吸血性や毒虫は流石に排除するが、ゴキブリ位は口に入れても平気なタイプだ。
家の窓ガラスにはヤモリが住み着き、その虫を捕食する。ハエトリグモも活躍中で共存共栄状態。
腐海のナウシカのごとき生活が理想ではあるが、なかなか難しい。
だから、普通のアリを排除するなど、もってのほかである。
アリが体を這いずっても決して殺しはしない。
きっとアリはいずれ自分に恩返ししてくれるはずだ。

伊集院が述べていたが、「アリノスコロリ」の効能は高度化して、巧みになっており、アリが警戒せぬまま、コロニー全体に薬品が広がるまで効果を発揮しないように調整されているという。
まさに恐ろしきジェノサイド薬品だ。
それでふと、思ったのだが、この超少子高齢化、人口減、非婚化に陥っている日本ももしかして「アリノスコロリ」ならぬ「ニホンジンコロリ」に犯されているのではなかろうか?
これだけ、高齢化、人口減が急速に進行しているにも拘わらず、一向に抜本的な対策をとらないどころか、少しでも結婚、出産奨励を口にすると、非難の声が上がるのはどう考えても尋常ではない。
「何者」かが「ニホンジンコロリ」をばら撒いてアリノスコロリのごとく、確実に日本人を絶滅させる「薬品」を浸透させて、頭をおかしくさせているのではなかろうか。
だからこれだけ人口減に陥っても平気な顔をしているのだ。
それどころかこの期に及んでも尚、結婚出産を抑制する「世論」を必死になって広めようとするメディアすら存在する。
ブログで事あるごとに例に出す徳川夢声日記に記された危惧、「進駐軍が日本男子の睾丸にレントゲンを当てて種無しにする計画がある」という記述とシンクロして、なにやら恐ろしくなる。
「アリノスコロリ」に脅かされているのは、実はアリではなく、日本人自身だということに、そろそろ気が付いたほうがよい。
「進駐軍」からすれば、日本人などヒアリレベルでしかない。
もっともこんな「潔癖キチガイランド」など絶滅されるに値する集団なのかもしれないが。

また夏が来る。

諸々近況お知らせなど

日常
06 /29 2017
気が付くとブログを一ヶ月も空けてしまった。
諸々、描かねばならぬ事があっていつものルーチンとは違う2017年初夏。
まず創作活動お知らせ
●コミックマーケット92は、日曜日8月13日東7ホール「こ」41aです。
●漫画の手帖TOKUMAU16号に「妄言通信27」掲載。
よろしくお願いします。
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6月は様々な収穫シーズン。
東京の住宅街でもいろいろ採れる。
初旬には、家の庭に実った梅を収穫して、梅シロップや梅酒に。
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下旬には知人宅で李を御裾分け頂く。
大量に実るから採りきれないほど。
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これでジャムを作る。
自分の手で果実を捥ぎるのは気持ちが良い。
太陽の光と水と土壌からだけでこのような果実が生まれるのは、ある意味不思議だ。
こんな当たり前なことが、特別に思われるくらい、今の世はどこか歪んでいる。

新年度の妄言

日常
04 /04 2017
新年度が始まった。
東京の桜は3月21日に開花宣言されたが、一日になってやっと「満開宣言」。
ところが実際はまだ五分咲きにも未たず。標準木とのギャップが著しい。
気温が低い日が続いたため、桜の開花はなかなか進まず、先週今週の夜桜見物はまるで耐寒修行。
やっと4月2日、気温も上がってお花見日和。新宿御苑に出かけてみた。
正午前の新宿門は行列が凄い。
海外からの観光客が相変わらず多く、様々な言語が耳に入ってくる。
新宿御苑もまだ全体として4分咲き程度。でも木によっては満開に近い。今年は歪な開花状況だ。
その満開の桜の下にレジャーシートを敷く。
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近くには中国の大学生グループが大学の横断幕まで掲げて陣取っていた。テントまで張っていたが警備員に注意され渋々畳む。
昭和時代なら日本大学生の専売特許みたいなことを今は中国人大学生がやっている。
日本の青年グループというのは本当に目立たない存在となった。
彼らはどこへ行ったのか?
休日なのに今、何をしているのだろう?
最近は学費捻出にも苦労していると聞く。自分で稼がないと学費すら間々ならないとか耳にする。
だから休みはバイト三昧なのか?
中国人大学生が御苑の花見で宴に興じ、日本の大学生はコンビニでバイト?
少し前だったら立場は逆だった。
もはやどちらが「先進国」だか解らない。

テレビでは恒例、「入社式」の様子が流されている。
社会人一年生。
毎年、この時期になって呟くのだが、会社組織の「歯車」として順応する才覚がない自分にとって「サラリーマン」ほど縁遠い職種はない。
薄ら寒い背広に煩雑なネクタイ。靴底がツルツルの革靴を着せられ、人に頭を下げるだけの仕事のために満員電車に揉まれる日常は「拷問」にしか映らなかった。「安定した給与と将来保障」というスローガン以前に、人間として耐え難かった。
特に自分が新卒だった1980年代初頭はまだまだ「終身雇用」「専業主婦」の時代で、そこから外れると人間扱いすらされなかった時代。
進学、就職という通過儀礼の度に「自分」を捨て去ることを強要され、「経済一兵卒」として鉄砲玉にされるしかなかったのだ。
基本、今の日本も大きくは変わっていない。
リクルートスーツを着た新人サラリーマン1年生が「経済一兵卒」を理解し、滅私奉社、手柄は上司、ミスは自分が被り、いざとなったら給与も休日も返上という覚悟を背負い、その試練にどれだけ耐えられるかが勝負なのだ。
そんな覚悟を背負ったとして、かつての唯一の幸せ人生コースである結婚、出産、子育て、定年退職、安定した年金生活が待っているとは限らない。
更には労働環境の改善とか「プレミアムフライデー」で金曜半ドンとか「育休」なんて超一流企業だけの話。
9割方の新人1年生サラリーマンは苦行だけが待ち受けている。
とはいえ、他にまともな選択肢はないのだから耐えるしかない。
新卒採用を選択しなかった新卒者は、結局今でも日本社会において「人間扱い」されることはない。
「2等市民」として冷遇されるのが現状だから労働条件が過酷でも自分の性格に合わなくとも新卒採用に縋りつくしかないのだ。

結局、御苑の花見で垣間見た「日本の凋落」が、この社会人1年生界隈にも感じられてしまう。
宴に興じる中国人青年たちの未来は明るい。
一方、同じ頃、バイトで学費を稼ぐしかない日本人青年に希望の未来があるとはとても思えない。
今の彼らは桜が咲く前に散っているのと同様なのだろう。

BSで『新世紀エヴァンゲリオン』旧作劇場版「まごころを君に」を放映していたのをチラッとみる。ラスト部分の陰々滅滅とした独白が延々と続くシーンに己を投射した日々からもう20年が経ってしまったのだ。
絶望的世紀末に浸っていられた季節も終わってしまい、それでも世界は動いている。
どこへ逝くのか、誰も知らないまま。

1月末の妄想健忘録

日常
01 /31 2017
2017年も、すでに1月が終わろうとしている。

昨年は劇場版のアニメーション作品に秀作が多く、興行的にも成功して日本映画界は活況だったというニュースが流れた。
新海誠氏の『君の名は。』の記録的ヒットは、もはや社会的現象にまで昇華してしまい、新海作品の映像美的評価より「大衆に媚びた俗なヒット商品」として記憶に刻まれてしまうのは些か残念。
ツイッターでも呟いたが『君の名は。』ヒットに対する、思想的バイアスの掛かった「映画人」の極端な偏向コメントが香ばしい。
まだジブリアニメが黎明期だった頃も映画評論誌に同様のコメントを載せていた「映画人」が少なくなかった。
アニメを観るのは劣等人種みたいな書きぶり。
恐らくそういった類の「映画人」は「格下」のアニメが質、興行共に実写邦画の上を行くことに我慢ならないのだろう。

1970年代頃、日本映画は斜陽で、ATGのような低予算で作られる「貧乏、不幸自慢」のごとき、黴臭い作品が数多く輩出された。そんな頃に思想的バイアスのかかった「映画人」が幅を利かせ始めた。
それら「映画人」は一種の文化大革命的紅衛兵気取りで、日本映画を先鋭的閉鎖的自己完結の袋小路に追い込んでいった。
これらの「映画人」が推す作品の大半は、観賞後の後味が悪いものばかりで、それは当然興行的に成功するはずもなく、当時は「こんな暗い作品、人に見せたいと思うならば、料金を払ってもらうどころか、むしろ映画館前を行く人に監督が金を配って『どうか俺の不幸自慢話を観ろ』とでも勧誘したらどうか」とまで思ったほどである。
こんな状況であるから、邦画は質、興行共々長期間に渡って低迷し、その間隙を縫って、宮崎駿等のアニメ作品が勃興してきたのは当然の成り行きなのだろう。
にも拘らず、ここに至っても尚、化石のような紅衛兵気取りの「映画人」が幅を利かせ、アニメ作品興行成績好調の理由を「客が悪い」とまで罵っても自分の居場所があるというのは、ある意味、恵まれた世代なのだなと。
本家中国ではそんな人間は一掃されているというのに、日本映画界には尚、文化大革命を信じて疑わぬ者が生きていられる環境があるのには吃驚する。

現天皇陛下の退位について時々、ニュースが流れる。
仮に生前退位された後、次に即位するのは浩宮皇太子殿下。
浩宮皇太子は自分とまったく同じ世代であって、そんな世代が背負っている「抗えぬ頸木」について時折、思うことがある。
自分の世代における青春期の恋愛、結婚観というものは、一般青年において痛々しい事例が少なくなかった。
結婚がちょうど「お見合い」から「自由恋愛」に移行する端境期に当たり、己自身で異性を娶る能力を問われ始めた時代。
当時の青年に「恋愛能力」に長けた者などほんの僅かしかいなかった。
大半は、「どうしてよいかわからなかった」のである。
一方、当時の女子は結婚が「自由恋愛」に移行しつつあったにも拘わらず、あくまで経済的社会的には男子に100%依存する事には変わりなく、自分の嫁ぎ先もそれが唯一の「物差し」であった。
終身雇用、専業主婦が唯一の選択肢だった時代であるから、たとえ恋愛能力がなかったとしても、職場内での「実質的なお見合い」によって大半の者は救われていたが、その流れに乗れなかった男子は悲惨そのものだった。
最初の恋愛に敗れたら、人生自体が破綻するという危機感に煽られて、当時の青年は「純愛」なるスローガンを妄信して酷い目に合い、心を壊した者も多かったことは想像に難くない。
女子はただ待っているだけでよかったが、男子はその未熟な恋愛観で不毛な闘争に嵌り、自滅していった。
勝者は一人。女子はその勝者たる男子の下に嫁ぎ、専業主婦として一生添い遂げればよかった。
一方、負けた男子は惨めに退散するしかなく、一生結婚出来ない呪いに苛まれた。

浩宮殿下も、恐らくそんな「純愛」なるスローガンを妄信した一人なのかもしれないと思うことがある。
当時の一般庶民の恋愛、結婚観が皇太子という立場の人間に当てはまるかどうかは知らない。
しかし、少なくとも妻となる人に「全力でお守りする」と宣言した以上、その地位や立場の如何に拘わらずその「呪縛」から逃れることは出来ないのだ。
だから、浩宮殿下はある意味、妻の望むことは全て受け入れるしかない人生を選択した。
もし、万一、妻が皇后という重責を望まなかったならばどうだろう。
浩宮皇太子は自分の立場より、妻の希望を優先し、天皇即位を辞退しなければならない。
生前退位が一代のみならず、全ての皇位継承者に採択されたなら、浩宮皇太子は妻のために皇位を返上する可能性もゼロではなかろう。
いや、そんな法律が出来なかったとしても浩宮殿下は妻のために即位を放棄し、どこか知らない国へ夫婦共々逃げて行くかもしれない。
それが己の人生全てと信じきっているのだ。浩宮殿下は己が妻に捨てられてしまうのが心底恐ろしいのだろう。
だからこそ現天皇陛下はそれを心配し、目の黒いうちに生前退位し、浩宮の行く末を案じたのではなかろうか。
そんな気がしてならない。

記憶媒体で使っていたMOの在庫がそろそろ底をつく。
ある人から御好意で譲っていただいた中古MOも使い果たした。
MOはかつて日本ではメインの記憶媒体として普及し、将来にわたって生産され続けると信じていたのに何たることだろう。
そういえば国産の旅客機就航がまた随分と先伸ばしされたニュースを聞いた。
更に、大手電機企業が原子力関連で大きな損失を出して存亡の危機にあるとか。
日本のIT,航空、エネルギーという基幹的産業の先細り感は尋常ではない。
もう、何を作っても、国際的スタンダードにはなれない空気が漂う。
あるのは今後何十年も処理し続けなければならない原発事故の後始末だけ。
日本の原子力関連のプロジェクトは尽く失敗する。
古くは原子力船『むつ』の廃船に始まり、福島第一原発の壊滅的事故に高速増殖炉『もんじゅ』の廃止に至るまで枚挙に暇がない。
つまりこれは日本の最終防衛システム構築を阻害するため、何者かの策謀が介在しているのかも知れぬ。
核武装に繋がるあらゆる試みを破綻させる罠が。
そう考えないとどうにも不自然すぎる。


先日、久しぶりに銭湯に行った。
湯船の壁にテレビが設置され、ちょうど19時のニュースが流されていた。
20日に就任したアメリカ合衆国の新大統領が矢継ぎ早に新たな大統領令を出して混乱する様子が湯気の向こうに映る。
荒唐無稽に近い政策が「現実」化されるに従い、だんだんと世の中が窺い知れない滑稽な終末に向かって動き出しているような予感に囚われる。
テレビで、ある経済評論家がこんなことを行っていた。
「あの新大統領がドイツやEUには言及せず、メキシコ、中国、日本だけを不平等な貿易相手国として非難するのは、偏狭な白豪主義者の現れ」だと。
基本、恐らくそうなのだろう。
あの大統領はもしかすると些細な事で日本に向けて核ミサイルを発射するつもりかもしれない。
1980年代的時代錯誤な日米の貿易不均衡を持ち出すのは、言い掛かりを見つけ、イエローモンキーをやっつける口実が欲しかっただけかもしれぬ。
「アメリカ第一主義」のためなら現実はどうでもよい。
中国も憎いが、あの国は核武装国。おいそれと核ミサイルをぶちこむと報復される恐れがある。
一方、メキシコは隣の発展途上国。塀を築くだけでどうにでもなる。
でも日本はかつてアメリカに殴りこみをかけてきた国。
「リメンバーパールハーバー」である。放置するのは危険だ。幸い日本は核武装していないから報復される恐れもない。
そこで、言い掛かりをつけて日本に核ミサイルをぶち込むと。
日本が消えればアメリカから日本車も消える。
「アメリカ第一主義」はこれで一つ果たせる。目に見える成果としては大きい。
実に単純だが、それを体言化するのが新大統領のやりかただ。
日本人が何千万人死のうとも知ったことではない。カーチス・ルメイと同じ。
実際、そこまで至らなくとも、安全保障のパートナーは降りるだろうことは想像に難くない。
更に日本が独立して核武装化するのを阻止するため、六ヶ所村の再処理施設の占領や空爆も辞さないだろう。
米軍が撤退し、核も奪われれば、今度は中国が日本を核攻撃し、この地上から抹殺しようと画策するだろう。

日本は今でもアメリカの妾として生きる選択肢しか持っていない。
だがアメリカの新大統領はもうそんな妾を囲う気はなく、さっさと捨てたいのだ。
にも拘らず、日本の世襲宰相は祖父の代から対米追従という家訓以外に選択肢を持つ術がない。
捨てられると解っていてもアメリカの袖にしがみついて「私を捨てないと言っておくんなまし!」と哀願するしかないのだ。
結局、日本はアメリカに捨てられた挙句、対岸で手薬煉引いて待っていた中国に嬲り殺しにされる運命だ。

世界は遅かれ早かれ弱肉強食の嵐に揉まれる。
もはや誰も自分の国のことしか考えない時代となった。
生き残るためには己を脅かす相手にはありったけの核兵器を使用して闘争するだろう。
数年後、この地球に文明が残っているとすれば、アメリカ、ロシア、中国、インド、イスラエル、イギリス、フランス位のものだ。
地表は暫く核汚染で荒廃するが、核シェルターに潜み、何とか国として生き残るだろう。
さすがに核武装国には核兵器は使わぬ。共倒れになることくらいはまだ知恵が廻る。
しかし、核を持たぬ国は完膚なきまでに滅ぼされて、生き残っている者も石器時代並みの生活を強いられる。
少し前だったら、こんな未来は荒唐無稽だったろう。
しかし、2017年、実際に荒唐無稽な政策を実践する大統領が現実に現れたのだ。
だからこんな世界もきっと来る。
そして日本はこうして滅びる。

近いうちに、いまの生活が夢のようだったと嘆く日が来るだろう。
核で焼かれた街を徘徊し、ぼろぼろになった身で死んでいくのだ。
「ああ、コンビニの灯りが懐かしい」と呟きながら。

いつ、頭上に核の閃光が輝くのか、そればかりを心配する日々が来たのである。
湯船の湯気が核爆発の蒸気に見えたのは決して幻覚ではない。


先日、コンビニで立ち読みした週刊誌にミニマリストの事が載っていた。
モノをもたない生活。「ごみ屋敷」の対極にある何もない部屋に住む人。
以前にもブログか何かに記したが、一見何もかも捨てているように思えるが、実際はweb上に「モノ」を変換しただけ。
依存対象が3次元物質から質量ゼロのドットとダッシュに移っただけで本質は変わらない。
むしろ依存する情報量は増えているのかもしれない。
であればまだ「ごみ屋敷」住人のほうが誤魔化しがない分、信用できる。
真のミニマリストを目指すなら、携帯もスマホも捨て、webの依存からも断絶しないとだめだろう。
これからはweb依存からの解放こそが求められる時代が来る。
だからむしろweb依存のミニマリストは欺瞞にしか映らない。
真のミニマリストは、自分の本籍も捨て、名も捨て、そして肉体も捨てて存在そのものをこの世から消し去らなければならない。

JR東日本がこの時期恒例、スタンプラリーを開催していたので参加。
週末の山手線や中央線を廻る。
ふと、妙なことに気が付く。
一駅ごとスタンプを押すために電車を乗り降りするのだが、その電車全てが満員なのだ。
座れることは稀で、とにかく混んでいる。
どの電車、どの電車、10両編成すべての車両が満員だ。学校、職場が基本的に休みなのにこれだけの人が、どの電車にいっぱいに乗っている事実。
急に恐ろしくなった。
どこからこんなに人間が沸いて出てくるのか?
大凡、50回近く乗り降りしたその電車全てが満員で人間だらけ。
もしこの人間だらけの東京に核爆弾が落ちたら、その分の屍が転がるということだ。電車の中に限ってもだ。
それを悟ったとき、恐ろしさで失禁しそうになって、一目散に電車から飛び降りる。
空想上の「かめはめ波」は中国の核ミサイルには何の役にも立たぬ事実。

以上、1月末の健忘録終り。



1月の徒然

日常
01 /18 2017
2017年も明け、気が付けば1月中旬。今年も24分の1が過ぎてしまった。

最近、確定申告用に「マイナンバー」の情報が必要ということで電子書籍会社等から本人確認のための書類提出を求められることが多くなった。
運転免許証など持って居ない身からすると煩雑で面倒。健康保険証と年金手帖等のコピーが必須。
どこかにあったはずの年金手帳が見当たらない。
結局、区役所に行って再発行の手続きをする。
マイナンバー制度とかよく解らぬまま、どんどん個人情報をwebの海に投げ込んでいく感じ。
結局、人が扱う以上、遅かれ早かれどこかに漏れていく。

先日、新宿の大手画材屋に立ち寄る。
様々な画材、文具を見て廻って気が付くことがあった。
ヤマト糊とか、セロハンテープとかホッチキスとか、自分が小学生だった半世紀前から存在した文具は本当に息が長い。少なくとも昭和期に生まれたアナログ文具は今後とも廃れることはなかろう。
一方で、デジタルに掛かるサプライ商品はあっという間に消えていく。
フロッピーディスク、ジップ、MO、MD、DAT、ガラケー等々のサードパーティーアクセサリーはもはや影も形もない。あっても風前の灯。
数年で店の棚から消えていく。
現実空間で確固に存在するアナログ媒体は、質量のないゼロと1で構成し直された途端に、この世から消える運命に曝されてしまう。
デジタル情報は人の死んだ後に肉体から浮遊した魂のようなもの。
ネット空間に漂う亡霊だ。
躯体から離脱したおぼろげなドットとダッシュのデジタル信号は、「死」そのもの。
デジタル化とはすべてを虚無に還すための「情報の葬式」に過ぎない。

昨今、プライベートでも仕事でも連絡に「LINE」を使ってくださいと促されることが多い。
ガラケー2台で月3000円以内で収まっている身としては、今更スマホなんて導入したくない。大手キャリアだと、安く見積もっても月6500円位かかる。
耐え難い負担だ。
ただ、最近台頭してきた「格安スマホ」だと電話なしのSNSに特化して動画も見ないならば、月800円位で運用できる。
やむを得ず導入を検討しているが、根が天邪鬼なため日常光景に溶け込む「スマホをいじくるその他大勢」に飲まれたくはない。
だからショルダーフォン型のスマホとか軍用無線機型のスマホがあればそれを選択する。
アイフォーン型はお断り。

先日、地上波テレビで『風の谷のナウシカ』を放映していた。
もう、何十回放映されたかは知らない。
今回は久しぶりに観てみた。
吃驚した。
33年前に作られたとは思えないほど造りがちゃんとしている。
『風立ちぬ』のネガティブ印象に覆われて、ここ暫く宮崎アニメのことを思い起こす事がなかったのだが、もうまったく「宮崎駿侮りがたし」である。
それはそうだ。自分が完全に打ちのめされた『未来少年コナン』や『太陽の王子ホルスの大冒険』という系譜の延長上に『ナウシカ』があるのだから当然血沸き肉踊る。
『ナウシカ』は『カリオストロ』に続く宮崎駿監督長編第2作目だと記憶するが、油の乗り切った小気味よい演出と当時憧れた「闘う少女」のかっこよさは今観ても、まったく色褪せてはいない。
1984年度作品と思えぬほど作画の質も遜色がないのには驚く。
CGも結局は人間が作っているのだから根本はセル画時代と変わっていない。むしろCGで処理しなければ難しいシーンを当時、すべて手描きでこなしていた事に意味があったのだ。
手元には1984年当時買ったサウンドトラックと劇中音声のみのアナログレコードがらダビングしたアナログカセットテープがある。
今でも普通に再生できるし、音もよい。カセットケースの中には劇場前売り券を挟み込んで保存。
当時はDVDなどなく、音だけで映像を頭の中で反芻するしかなかったが、またそれが想像力を喚起し妄想を膨らましてくれる。
アナログカセットテープは偉大である。
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デジタル化とWebは「終りの始まり」。
もう何度となくブログで呟いているが、数多のものがwebの海に飲み込まれた瞬間、世界は終わるのだ。
腐海に埋まる文明社会のように。

いつしかwebの海は有象無象の蛭の巣食う肥溜めと化しているような気さえする。
迂闊に飛び込めば汚物の中で血を吸われながら窒息死する。
まだ匿名掲示板が「トイレの落書き」と称された頃すら懐かしい。
一瞬たりともSNSに足跡を残さず・・というのがこれからの賢者の掟となろう。
だが人々はアヘン中毒患者のようにネットなしには生きられぬ廃人と化してしまったのだ。
ユパは呟く。
「またひとり人がwebの海に沈んだ」

願わくば「風の谷」のようにwebの瘴気に脅かされない土地に住みたいものだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/