気が付けばサッカーワールドカップ

日常
06 /21 2018
気が付くとサッカーのワールドカップが始まっていた。
以前の大会は比較的関心もあって、予選当時からある程度TV観戦したりと選手の名前も数人程度は憶えたものだ。
だが今回はいまひとつ。
先日の緒戦を馴染みのお店で観戦イベントするからとお誘いがあり、やっと少しモチベーションが上がってきた。
が、やはり以前ほど関心は高まらない。
別にワールドカップに限らず、趣味、仕事含めて従来から勤しんできた様々な事柄のアクティビティーの低下が著しい。
それは恐らく体の新陳代謝低下と比例しているような気がする。
最近、頓に白髪が増えたし、お腹の脂肪が落ちない。
40代までは38~43kgしかなかった体重が還暦を前に53kgに増加。これらも新陳代謝の低下が原因と思われる。
これまでは実年齢に比べ若く見えたが、なんだか急に老け込んだ感じもする。
あと、最近は本屋にも寄らなくなったし、新聞も殆ど読まなくなった。
またこのブログ日記すら更新頻度が低下してきた。
それに反比例してSNSの閲覧や書き込み頻度は上がった気がする。これらはスマホを所持し始めたのが原因。
だがツイッターのフォロワー数などという非生産的で矮小な事柄に一日が左右されたりと、不毛の極み。
9割9分の呟きは廃棄物のようなもの。
予ねてよりSNSは「貧民同士が潰しあう場」と認識してきたので、まさしく己は「貧民」に零落れてきたのかと愕然とする。
子供の頃、タカラの「人生ゲーム」で必ず「貧乏農場」行きだったのを思い出す。
一度たりとも大金持ちとしてゲームオーバーしたことがない。
だから自分は今でも100パーセント負ける「人生ゲーム」の中に放り込まれているのではないかと錯覚する。

今のところ、五体満足で怪我も持病もないが、還暦を過ぎればいずれどこかおかしくなってくる。
もう、若返ることはない。
たまに漫画家の訃報というものに接するが、50~60代で鬼籍に入ると、何だか羨ましくもある。
少なくとも惨めな老後に生き恥を曝さなくて済むのだ。
フリーランスに限らず、長い老後を過不足無く過ごすには貯蓄や年金、そして家族等のサポートが必須だ。
しかし、大半のフリーランスは蓄えもなく、無年金で、独身が多い。
先は暗い。待っているのは人生のウオンゴール。
そうなる前に何とかしなくてはならぬが、歳とともに代謝が衰え、あらいる物事に対するモチベーションが下がっていく。
何をするにもディズニー映画「ズートピア」に出てきたナマケモノのごとく、スローモーションのように時間を食ってしまう。
そう、だからこそ若いうちにやりたいこと、やるべきことを処理しなければならぬのだ。
たまに若い頃の様々な創作履歴を振り返って「よくこんなことが出来たものだ」と我ながらびっくりすることがある。
夢ではなかろうかと。

還暦を越えて就職、結婚、出産、子育て、起業、人脈作りは望むべくもない。
そんなものは30代までに終わらせる前提で社会は作られている。
しかしフリーランスに隠居という言葉はない。
人生生涯現役で創作闘争する宿命なのだ。
それが出来なくなったらおしまいである。
試合終了のホイッスルが鳴るまで走り続けることが出来るか否かで、クリエーターとしての真価が問われる。
半端なし漫画家人生。

米軍キャンプ廃墟というサンチュクアリ

日常
06 /07 2018
季節は移ろい、気が付くと6月。梅雨に入ってしまった。
思いのほかキンドル版下作業に時間を取られ、様々なスケジュールが圧して来てしまった。
余りにも手間を掛け過ぎている事もある。
もう少し費用対効果を考えたほうがよいと自分の事ながら危惧。
5月中は比較的好天に恵まれたので、次回作ロケハンを兼ねて都内の在日米軍施設を廻ってみた。
大和田送信所、府中トポロサイト、立川基地跡等、かつては人員も規模も大きかったキャンプであったが、今は縮小傾向にあって廃墟同然の姿になっている場所もある。
もう半世紀近く放置され、ここだけ時が止まっている。
そして手付かずの自然が残されたサンチュクアリでもある。
フェンスから除くと1950年代に核戦争で滅び、そのまま廃墟化したのごとくポストアポカリプスの世界が広がっている。
これはもう妄想を喚起させるには絶好の素材だ。
たまに廃墟サイトなどで侵入記が紹介されているから、自分もどこかから入りたい誘惑に誘われる。
そこまでする勇気はないが、物書きを生業とするなら凡人のような振る舞いをしていては斬新で深く鋭い創造は望めない。
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いずれにしろ、皮肉にも70年近く前に外国軍に占領され、国が管理し、一般の立ち入りが制限されたが故に残された自然の宝庫であり「妄想の源泉」となった在日米軍キャンプ。
もはやここだけが首都圏に残された半世紀前の「日本の田園風景」なのだ。
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もし、完全返還されてしまったら、あっという間にこの「聖地」は破壊され、どこにでもある無粋なマンション宅地事務所駐車場と化してしまうのだろう。
「横田空域」にしてもこの存在が都区内の空が静かな理由の一つかもしれない。
ここも返還されたら縦横無尽に羽田へアプローチする旅客機銀座と化して夜も眠れなくなるかも。
つくづく占領軍の偉大さを感じる。
いや、別に米軍が偉大と言うことではなく、戦後、日本人は下世話になりすぎたのだ。

電車のつり革広告を見てふと気が付いた。
目立つのは全身脱毛エステとサラ金、自己啓発本などの胡散臭いものが目立つ。
満員電車に詰め込まれる民の需要を見計らったとしたら、なんとも嫌な気分にさせられる。
どう考えても、かつての「中間層」向けではなく、「貧民層」を照準にしているよう。
いつしか、満員電車に揺られる乗客は下層社会の住民になってしまったのか・・。
もっとも乗客はつり革広告なんか見ておらずもっぱらスマホ画面を見ているのだが。
いや、すし詰め状態で手が動かせないほどになっている時間帯の乗客向けなのかもしれぬ。
いずれにしろ、辟易だ。

最近、ラジオのBGMは進駐軍放送AFN。
正時のニュースと在郷軍人向けインフォメーション以外は、殆ど米国内の流行ポップスである。
それも20曲程度のストックが使いまわされているだけ。
退屈だが、少なくとも鬱陶しい過払い金CMも、どうでもよい下世話ニュースは流れてこないだけありがたい。
言葉がわからない分、惑わされずに済む。
おかげでヘビーローテーションで流れてくるアメリカンポップスを憶えてしまった。

米軍キャンプ廃墟と進駐軍放送だけが、もしかすると日本に残された「安らぎの場所」なのかもしれぬ。

「脱走兵」となる新人諸君への祝辞

日常
04 /03 2018
人、人、人・・。

4月。新年度。
ただでさえ人の波に曝されてまっすぐ歩くこともできぬ新宿駅構内。
そこに新入社員らしきスーツ姿の一団が加わり、カオス度が更に高まる。
この世のものとは思えぬ光景だ。
駅の窓口には長蛇のスーツ姿の列。
「はて?お盆でも暮れでもないのに?」と訝っていると、はたと気が付く。
彼らは通勤用の定期券を購入しているのだ。
世界で最も乗降客が多いと噂される新宿駅。そのピークが新年度シーズン。更に花見の外国人観光客も混じっているからもうアリの巣をひっくり返した状態。
今、自分は人類史上最も人口密度の高い空間を彷徨していると思うと感無量の狂気に襲われる。

このシーズンになると新卒新入社員の群れを見る度に息苦しく、耐え切れなくなってその恐怖を回避するために言葉を吐露せずにはいられなくなる。
己を棄て、会社という組織の歯車として生きる新卒はいわば召集令状を受け取った一兵卒。
会社のために滅私奉社して最終的に命を投げうる存在。
スーツという非実用的「鎧」を身に纏い、地獄のような通勤電車で会社に通い、己を押し殺して従順さを競う組織で耐えに耐え、それを24時間、365日ずっと強いていく。
月月火火木金金。
それがいわいる社会人であって、その社会人たる日常に疑いを抱いてはいけない。
最近は表面上、労働条件が緩和されているように思えるが、この新宿駅の雑踏を見る限り、滅私奉社の一兵卒たる新入社員の有り様は昔と寸分と変わらぬ。
もし根本的に変わってきているというのなら、もうスーツなど着ないだろうし、地獄のような通勤電車にも乗らない。
一同揃った得体の知れないパフォーマンスで新人を欺く入社式なども開かれまい。
なぜならこれらは全て、著しく労働生産性を悪化させている「儀式」に他ならないからだ。
スーツも、すし詰め電車に揺られる時間も、入社式の不毛なスピーチも建設的要素は一切ない。
にも拘らず企業がこれらの「儀式」に固執するのは新人に帰属意識の植え付けと従順さを競わせることが出来るからだ。
日本社会では会社に従順であればあるほど「優秀な会社員」として評価される。
優れた能力など一兵卒には必要ない。
ただひたすら従順にスーツを着て、従順に満員電車に揺られ、従順に上司に頭を下げていれば、終身雇用が成り立つ。
そういう人間を作り出すために、義務教育を含めた6・3・3制があるのだ。
そしてそのコースから外れた人間に、日本社会でまともに生きていく場所はない。
自分はその純粋培養生簀でまったく適応出来ない人間だったので、この時期の新入社員の群れを見ると生理的に拒否反応が出てしまう。
一種のアレルギーだ。
花粉症はないが、リクルート拒絶症が出てしんどい。
しかし、薬屋に行ってもそれ用の薬はどこも処方してくれない。

スーツはもう生涯着たいとは思わないし、満員電車の狂気に比べれば大抵のものはマトモに感じるし、人に指示するのもされるのも心底嫌だ。その上、コミュニケーション能力ゼロの人間がサラリーマンになれるはずもない。
リクルート活動は地獄でしかなかった。
わざわざ、己の最も苦手で生理的に受け付けない世界に飛び込んでいくようなもの。
小学校6年間、中学3年間、高校3年間、大学4年間通って、求人は自動車のセールスマン採用枠ぐらい。
なんで16年間勉学させられた挙句、車のセールスなんだ?
もっとも自分に向かない営業職しか求人票に並ばない現実。
当然やる気ゼロだから採用されるはずもないし、採用されたいとも思わなかった。
みんなが行くから仕方なく嫌々通った学校16年間。そしてみんなが行くから仕方なく行った就職活動。
ここではたと気がついた。
「逃げよう!こんなところに自分の生きる場所はない。だまされていたんだ!」と。
自分は最初から脱走兵みたいなものだった。
だがそれでよかった。いや、それ以外にどうしようもなかったのだ。
「こんな不毛なエコノミックアニマル戦争で一兵卒の鉄砲玉になんかされてたまるか!」とね。
逃げて逃げて逃げまくってやる。
これが己の人生指標となった。

今、自分の同輩で就職した者は、その息子娘が大学を卒業し、社会人として巣立っている。
遅かれ早かれ孫が生まれることだろう。
「一兵卒」として立派に戦い、結婚、出産、子育てという「戦役」を経て、その成果が己の遺伝子を残すという「勲章」を得たのだ。
しかし「脱走兵」には当然、そんな「栄光」は齎されない。
何も残せず、ただ、年老い朽ちていくだけ。
脱走兵の大半は朽ち果て、この世から忘れ去られ、消えていく。
それでも滅私奉社の一兵卒になる位なら死んだほうがましという信念は今でも変わっていない。
なぜならそんな会社組織の中で自分の居場所などないだろうし、遅かれ早かれ放り出されるのは火を見るよりも明らか。
結局は同じような人生を歩むのだ。

少年時代の大半は「嫌なこと」ばかりだった。
そして「嫌なこと」を経た挙句、一兵卒として鉄砲玉にされる「悪夢」のような日本サラリーマン世界。
今から思えば小学校4年位で「サラリーマン一兵卒」コースから離脱し、自分に適した生き方が学べる場があればと思う。
しかし日本社会には、今も昔もそんな多様な選択肢はない。
ひたすら滅私奉社の「サラリーマン一兵卒」学科という「人生ゲーム」に乗せられるだけ。
昭和の頃はそれでよかったかもしれないが、この期に及んでまだ続けている。
だからこの国は欧米列強はおろか、北東アジア各国の後塵を拝するほど零落れてしまったのかもしれない。
にも拘らず、それでも尚、根本的な教育職業制度を見直す様子はない。
これが滅び行く国の姿なのなら仕方あるまい。
諦めが肝心である。

今年も数多の新人諸君が「滅私奉社」に耐え切れず、脱走兵となる。
しかし、脱走しても行く場はない。
金持ち世襲や貴族出は縁故入社で最初から「士官」扱いだから苦労もない。
奇特な能力のある者はとっくの遠に、自立して起業するか海外で活躍の場を得ているだろう。
底底の者は一兵卒として適応し生きていくしかないのだ。
そして、そのいずれでもない者が、脱走兵として世の中の底辺を彷徨わねばならない。
その行く末は悲惨だ。
それでも逃げるしかないのなら、逃げて逃げて逃げまくるのだ。

それもまた、人生なのである。



早すぎる花吹雪に想ふ

日常
03 /30 2018
今年も染井吉野のシーズン。
例年のように新宿御苑でスケッチ。
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29日ですでに花吹雪とは早すぎる。心の準備が出来ぬままに桜シーズンが過ぎてしまう。
いつもなら風が吹くと寒い位なのにむしろ涼しさを感じる位の暑さ。
今年は異常。ずっと晴れて寒の戻りもない。
東京は25度を越え、夏日に。
生き急いでいるのごとく桜散るなり。
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桜といえば入学式、入社式のシーズン。
4月となるとまた東京に人が溢れ始める。
超少子高齢化、人口減少が著しいにも拘わらず、東京圏だけ人口が増える。
学校を卒業すると田舎から東京へ出るのが当たり前という「空気」が馴染めない。
元々東京生まれ、東京育ちだから、こういった通過儀礼ありきの世相が生理的に受け付けない。
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物心付いた頃からこの還暦近くに至ってまで、一度も「大人になりたい」と思ったことは無かった。
尾崎豊の楽曲に込められた脂臭い大人への憧れに、1ナノミリも共感できなかった。
ラジオからこの男の歌声が少しでも流れて来ると即座にスイッチを切っていた。
大人になることに何の魅力も感じず、もしかするとこの世に生まれてくることすらも面倒くさかったのかもしれない。
だから「大人」になるための通過儀礼は、自分にとって胡散臭い古い風習の強要に思えた。
入学、受験、卒業、入社、結婚、子育てというレールに乗っけられて、それしか選択肢がない世間に、自分の居場所などないと、子供時代から悟っていた。
だからそういったレールに適応した学友の「上から目線」態度が心底嫌だったのである。
それこそが創作意欲の原点だから、当時の経験より醸し出たルサンチマンがなくなったら創作者としてオワリなんだろうなあと。

かつては就職、結婚、出産、子育てという通過儀礼が当たり前でそれ以外の選択肢は「人非人」だった時代からすると、かなり変わっては来ている。
だが日本社会は未だに通過儀礼ありきだから「変わりたくない人間」にとっては尽く苦痛であることは、今も同じ。
通過儀礼毎に「好きなことを止めさせられる理不尽」には辟易するのだ。
もう、今の世の中、就職結婚出産子育てなど特権階級の嗜みに近い。「サザエさん」の世界は御伽噺となった。
にも拘らず、そういうシステムしかない悲劇。

この茫漠とした諦め感覚はこの二つの諺に尽きる。
「貧すれば鈍す」
「金持ち喧嘩せず」
かつて「経済大国」であった日本も今は昔。
身近な毎日の些細な事柄から政治、経済、外交まで「貧すれば鈍す」に尽きる。
ネットに溢れる不毛な対立軸も「瀕すれば鈍す」だ。
少なからず昭和時代はまだ「金持ち喧嘩せず」で済んだ。
心の「富」を失うと、人間どんどんダメになる。
人も減り、富も減り、知性も減る。
ただ「貧すれば鈍す」。

先日、SNSでこんな呟きを見た。
恋愛と蕎麦挽きを同列にまじめに語っているのだ。
友人から「あなた、美人なのに何で恋愛しないの?結婚早くしなよ」と言われたことに対し、「恋愛や結婚するしない」は「蕎麦挽きするしない」と同じで人の自由だと反論したとか。
これが本心で語られた呟きなのか、ネタや洒落の呟きだったのかは知らない。
仮に本心だったと仮定すれば、恋愛は哺乳類としての本能であって子孫を残すという有性生殖生物の根源的衝動と、「蕎麦挽き」という生存本能に直接関わらない行為と、何の疑いも無く同列に語る感覚には吃驚する。
本人は己が哺乳動物という「魂の器」に依存して存在していることに気が付いていないのだろう。
生物開闢以来、何十億年と積み重ねてきた生存競争の上に己が成り立っているという「現実」を無視しているのだ。
恋愛が出来なければ生物として欠陥品だということ。パートナーを見つけなければ己の遺伝子を生み、育てるのは困難だということ。
カルチャーセンターのカリキュラムのひとつでしか過ぎない「蕎麦挽き」の是非は生存競争には直接関係がない。いくらでも代替が利くからだ。
「恋愛、結婚が出来なくとも生きていける」のは事実だとしても、それが出来る人間と比べれば、生物として劣っているということは論を待たない。
だからそんなことをあまり自慢するのは褒められたことではない。
蕎麦挽きは出来なくても困らないが、恋愛が出来ないことが生物として致命的な欠陥であることに気が付かない鈍感さは驚異的だ。

やたら理想論を声高に叫ぶ人がいる。
倫理や平和や平等、戦争否定、自由博愛、権力腐敗糾弾云々。
でもそういう人たちほど「恋愛」と「蕎麦挽き」を同列にして語る呟きに近い思考回路の持ち主に思えるのだ。

人間は「崇高な聖者」ではない。類人猿の延長上に存在する体毛のない猿というだけ。
富の偏りも、忖度も所詮は「猿」が生きるための知恵で編み出したもの。
ビルゲイツに比べれば、現宰相の富など取るに足らない。
それに世襲が社会的地位を保てるのは、遙か中世から営々と続くシステム。それを踏襲しているだけのこと。
世の中の大半の「仕組み」は必要悪だ。
力ある者が忖度し、力ない者はそれに縋る。
そんなものが突然なくなる訳もない。
資本主義を否定したはずの中国共産党も汚職撲滅邁進など綺麗事を宣伝しているが、実態は凄惨極まる権力闘争で敵対勢力排除を偽装しているだけ。世襲権益と何ら変わらない。
こんな例、上げていったら切りがない。
首を挿げ替えたところで、似たような世襲が現れ、忖度を繰り返すだけ。

人はどんな偉そうなことを言ったとしても、所詮は「パンツをはいた猿」だ。
先日亡くなった物理学者のホーキング博士は「地球以外に知的生物はいますか?」との問いにこう答えたそうだ。

「地球にも知的生物はいませんよ」

もし、理想を実践したければ、己が依存する哺乳類という「魂の器」を完全に棄て、何億年にも渡る生物の本能と何万年にも渡る人間社会のルールをかなぐり捨てなければ成立しない。
新たな「魂の器」だ。
ところがそういう努力は一切しないのだな。
平和、博愛、平等、自由を謳う者程、むしろ己の「正義」に同調しない者に向かって狂犬のように吠え掛かって、闘争本能丸出しで攻撃してくる。
理性の欠片もないのだ。
所詮はやはり、野蛮な猿。
最後には本性を露呈してしまうのだ。

自分の依存する己の国の頭領を切り捨てれば「聖人君子」が降臨してくると信じて疑わないのなら、新たな依存対象たるその神様みたいな存在はどこにいるのだ?
あるいは今後は己が依存対象なしで生きられる程の「聖者」に成就出来ると信じているのなら、その根拠はどこにあるのか?
きっとそんな根拠はどこにもないだろう。
「神」もいなけりゃ「聖者」にもなれない。
「先」のことなど思考回路外。
「恋愛」を「蕎麦挽き」で語るような按配でね。

これもやはり「貧すれば鈍す」の賜物か。

異常な暖気で生き急ぐように散っていく染井吉野。
この国の行く末を案じ、早く消え失せたいのかもしれないな。
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潔癖キチガイランドに夏が来た

日常
07 /14 2017
梅雨が明けていないのに、暑い日が続く。
北海道では35C以上の日を記録しているとか。例年のこの時期とは気圧配置が違うようだ。
普通、梅雨明けは太平洋高気圧が徐々に勢力を強め、梅雨前線を押し上げて夏になるのだが、今年は列島の上に時計廻りの巨大な渦があって暖気が北海道の東から時計回りに日本列島へ流れ込んでいる印象。
北九州の豪雨もこれにブロックされた前線が刺激されて発生したのかもしれない。

日本のコンテナターミナルで毒針を持つ「ヒアリ」が複数生息していることが確認され、マスコミは上へ下への大騒ぎしている。
ツイッターでも呟いたが、在来種豊かな田園や緑地を宅地化などで更地にすると必ずセイタカアワダチソウが蔓延る。
逆に考えれば旧来の植物相を破壊しなければ外来種は侵入出来ない。
ヒアリも同じ。この蟻が急にやってきたはずもない。
元々あの辺りの水際で生息していたのだ。
今煽られて殺虫剤を濫用すればどうなるか。セイタカアワダチソウの二の舞になることは確か。
このニュースは最初から胡散臭い。
薬品会社の株価吊り上げのために作られたフェイクニュースと疑われても仕方ないほど怪しげな雰囲気が漂う。
にも拘らず、すぐに煽られてアリ用殺虫剤を濫用する愚か者が後を絶たぬのだろう。
その結果、環境のバランスを崩してヒアリ以上の未知の禍を招くことは想像に難くない。
先日、伊集院光の深夜ラジオでも、この「ヒアリ」騒動に苦言を呈していた。
ドラッグストアには「アリノスコロリ」が大量に山積みされているとか。
地面の下でアリが大量に死滅していることを考えるとゾッとすると語っていたが同感である。
それにしても、アリを全滅させる薬品をこれでもかこれでもかと売りつける薬品会社の商魂には恐怖すら感じる。
アリにしたらジェノサイドである。
大量虐殺行為を煽っているのに、なぜ薬品会社は国連から提訴されないのか?
対象が人間ではなく、虫だからか?
しかし一般のアリは人にとって著しい害悪生物という訳でもなかろう。
むしろ、益虫の面すらある。アリが人間の目に見えないレベルで環境浄化に御していることは疑いがない。
にも拘わらず、見栄えだけでそれを徒に駆除することが正しいのか?

こと、日本はいわいる「環境潔癖症」なる病巣に犯されている。
夏になると「虫を殺せ!虫を殺せ!」の大合唱。
蚊、ハエ、毛虫等の害虫に留まらず、ありとあらゆる虫、植物、動物に対して排除する薬品のジェノサイドCMがこれでもかこれでもかと始まる。
そして大衆は虫一匹、雑草一つ、落ち葉一つにすら過敏に反応して排除せずには居られなくなる。
先日、近所の宅地が更地化されて分譲地として売り出されていた。
その敷地にはびっしりと黒いビニールシートが貼られていた。
恐らく雑草を生やさないためと思われるが、もはや尋常を逸した光景がそこには広がっていた。
その真っ黒い土地からは輻射熱で40C以上の熱気が立ち上って息も出来ないほど。
生き物の気配もなく、黒々と横たわる更地は、まるで地獄の入り口のごとくであった。
雑草を生やさぬだけのためにのみ、地獄から悪魔を召喚させているのだ。
もはやキチガイレベルだ。
そんなキチガイレベルの環境を助長しているのが、先のネットに巣食う「不謹慎狩り」や「繊細チンピラ」の類なのだろう。
潔癖キチガイが潔癖キチガイ環境を作り上げ、潔癖キチガイランドで共倒れしていく。
馬鹿につける薬なしとは、よく言ったものである。
「スポンジボブ」も顔負けだ。
こんな潔癖キチガイランドに住むくらいなら、虫だらけの環境のほうがまだマシ。
「断捨離」より「ゴミ屋敷」のほうがまだ人間らしいのと同じ。
自分の部屋は網戸はなく、クーラーも極力かけないので、夏は昼夜問わず虫が大量に入ってくる。
体や机が虫だらけになることもよくあるが、別段気にならない。
吸血性や毒虫は流石に排除するが、ゴキブリ位は口に入れても平気なタイプだ。
家の窓ガラスにはヤモリが住み着き、その虫を捕食する。ハエトリグモも活躍中で共存共栄状態。
腐海のナウシカのごとき生活が理想ではあるが、なかなか難しい。
だから、普通のアリを排除するなど、もってのほかである。
アリが体を這いずっても決して殺しはしない。
きっとアリはいずれ自分に恩返ししてくれるはずだ。

伊集院が述べていたが、「アリノスコロリ」の効能は高度化して、巧みになっており、アリが警戒せぬまま、コロニー全体に薬品が広がるまで効果を発揮しないように調整されているという。
まさに恐ろしきジェノサイド薬品だ。
それでふと、思ったのだが、この超少子高齢化、人口減、非婚化に陥っている日本ももしかして「アリノスコロリ」ならぬ「ニホンジンコロリ」に犯されているのではなかろうか?
これだけ、高齢化、人口減が急速に進行しているにも拘わらず、一向に抜本的な対策をとらないどころか、少しでも結婚、出産奨励を口にすると、非難の声が上がるのはどう考えても尋常ではない。
「何者」かが「ニホンジンコロリ」をばら撒いてアリノスコロリのごとく、確実に日本人を絶滅させる「薬品」を浸透させて、頭をおかしくさせているのではなかろうか。
だからこれだけ人口減に陥っても平気な顔をしているのだ。
それどころかこの期に及んでも尚、結婚出産を抑制する「世論」を必死になって広めようとするメディアすら存在する。
ブログで事あるごとに例に出す徳川夢声日記に記された危惧、「進駐軍が日本男子の睾丸にレントゲンを当てて種無しにする計画がある」という記述とシンクロして、なにやら恐ろしくなる。
「アリノスコロリ」に脅かされているのは、実はアリではなく、日本人自身だということに、そろそろ気が付いたほうがよい。
「進駐軍」からすれば、日本人などヒアリレベルでしかない。
もっともこんな「潔癖キチガイランド」など絶滅されるに値する集団なのかもしれないが。

また夏が来る。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/