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台風19号備忘録

地震、火山、気象、自然災害
10 /19 2019
台風19号。
東日本を襲った雨台風としては1947年のキャサリン台風や1958年の狩野川台風以来の規模らしい。
コースも勢力も今回の台風19号と似ている。
上陸前の感覚としては寒冷前線が通過して空気が入れ替わり涼しくなったので、もう一度太平洋高気圧が盛り返さない限り、房総半島東側の洋上を掠めて通過するような気がしていたが、その個人的予想は完全に外れてしまった。
妙に西にコースを膨らませる変則的な北上ルートを辿って伊豆半島辺りに上陸。
シーズン中、台風は同じコースで複数上陸する「癖」がある。
結果的に先月の15号がパスファインダーとして19号を呼び込んだと言える。
12日、上陸前夜。
零時少し前に近くのスーパーへ。
パン、惣菜の棚は空。
レジは深夜なのに列が絶えない。翌日軒並みスーパーが休業するとの報道で買い溜めに拍車が拘った様子。
世間の空気からして異様。
12日、21時過ぎに東京都区内最接近。手元の気圧計では973ミリバールがピーク。
首都圏通過はほぼ気象庁の予報通り。15号よりは風は控えめ。
但し、台風19号のの規模は15号より遥かに巨大で、未曾有の大雨が各地で降り、箱根は日雨量が1000ミリを越える観測史最大雨量を記録。
台風が運んで来た大量の水蒸気が日本列島上空で北からの寒気とぶつかって一気に雨となって降り注いだイメージ。
今回の大雨は台風19号だけでなく、10月9日の時点で北海道の北を東進して行った寒気渦も一因になった可能性も。
アリューシャン列島辺りまで伸びた長大な雲の帯が寒気渦と台風19号を結んでいた。
狩野川台風以来とすれば61年ぶり。
当時より治水が整えられていたとはいえ、大河の流れを未来永劫人工的に固定出来るわけでもなく、何十年に1回の大雨で大氾濫を起こすのは大地の通過儀礼なのだ。
各地で数多の浸水禍が発生したが、半世紀振りとしたら人生一回あるかないか。
その稀有な禍に備えるか否かが問われた台風だった。
それにしても数十年に1回の雨台風来襲のわずか10日前に完成し、空の状態から一気に100パーセント満水にするという絶妙のタイミングでデビューした八ッ場ダム。
偶然では片付けられない「何か」がある。
あまりの「出来すぎ」に人知を超えた地球外文明か秘密特務機関の基地ではないかと疑うほど。
洪水抑止の効果の是非はあるようだが、この天文学的な確率で完成した「運のよさ」だけは否定できない。

その一方で川崎市民ミュージアムの「浸水」事案には香ばしさを禁じえない。
川崎市のハザードマップを見るとこのミュージアムがある等々力緑地周辺は多摩川の氾濫エリア内。
なのに収蔵庫を地下に設けているのは何故なのだろう。
この立地で洪水を想定していなかったとしたら頭がどうかしている。
むしろ「水没」を想定して作ったんじゃないかと疑うほどだ。
そもそもこの施設が作られたのが1988年でバブル経済の頃。
まず「箱もの」ありきで美術品展示収蔵としての立地条件など考慮されなかったと想像する。
遅かれ早かれ洪水が免れぬ場所にも拘らず、更にご丁寧に地下に収蔵庫を設けるなど、最初から美術館としての設計は破綻している。
そんな「水没予定地」に貴重な漫画原稿や文化財を収蔵していたとは・・。
誰もこの「致命的欠陥」に気がつかなかったのだろうか?
「形あるものはいつか壊れる」
しかし、それを出来るだけ長く後世に継承する事がミュージアムの努めであり、使命なはず。
それを率先して「水没」させるとは何事なのか。
これは「想定外」とか不慮の事故の類ではなく、容易に予想された人災。
台風が来る云々以前のレベル。
漫画原稿等に特化された収蔵美術館がこのような有様なのだから、寄贈する側も躊躇してしまう。
この川崎の美術館は即刻、この「氾濫原」から生田緑地辺りに移転することを決意すべき。
それが、唯一「水没」させた収蔵品に対する報いになろう。

以上、台風19号備忘録終り。

熊本地震に想う

地震、火山、気象、自然災害
04 /17 2016
熊本の地震。
今から、42年前、高校の修学旅行で阿蘇山に行ったことがある。
白雲山荘という宿に泊まった記憶が。
今はどうなっているのだろう。
阿蘇の後、高千穂、霧島、桜島と辿った。九州は本当に火山の国だと思った。

大きな地震が報道される度に思うのだが、いつかは解らないが遅かれ早かれ首都圏直下型地震は確実に来る。
71年前の東京大空襲以降、震災 戦災を免れつづけた首都。
ある意味、奇跡だ。
気がつくと可燃物に囲まれ、緩衝空間も避難所もない密集地に1000万人が住んでいる。
危険度は71年前の比ではない。
そんなところにどんどん人口が集中する。
地盤の軟弱な湾岸に高層マンションを建て、わずかに残された緩衝地になる緑地や庭すらも潰し、建売住宅をぎっしり建てることを辞めない。
火災旋風の材料をせっせと仕込んでおきながら、防災マニュアルを配っている滑稽さ。

徳川夢声の日記にこんなのがあった。
空襲延焼防止の緩衝地帯を作るため、家屋を疎開目的でどんどん壊している状況を夢声はこう嗤う。
家賃で暴利を貪っていた大家共の様を思うとこれで溜飲が下がるみたいな。
少なくとも、71年前には一瞬だけ都民は正気に戻ったのだ。
しかし、戦後は元の木阿弥。
密集都市に逆戻りだ。
バブルの頃には「土地の有効利用」の名の下にネコの額程度の狭い土地に天文学的な値を付けて取引した。
わずかに残された緑地や畑すら消えた。
挙句、東京は災害時の避難場所はどこにもなくなった。
東西南北家屋がぎっしり埋め、土はアスファルトの下に消えた。
夏になると耐え難い熱気でエアコンなしには生活出来ないレベルにまで達した。
もはや人間の住む場所ではない。

東京大空襲から71年が過ぎた。
再び、「その日」が来た時、どうなるかは想像に難くない。
溢れんばかりの自動車に搭載されたガソリン。膨大な可燃物の山。
火災旋風の好物が一面に用意されている。
火災旋風を擬人化すればこう狂喜乱舞して叫ぶだろう。
「御馳走だ!御馳走だ!食い尽くせ!」
マンションはパンケーキのように潰れ、アスファルトは沸騰し、高温ガスが逃げ場のない人々に襲い掛かる。
生き残ったとしても被災都民を数百万人単位で収容できる避難場所などどこにもないし、食料など用意出来る訳がない。
東京という国の中枢が潰れたら、指揮命令系統もないに等しい。
物流は停止し、パニックと飢餓、暴動でまた何十万人と犠牲者が出る。
ライフラインが復旧するまで何年かかるか?
その頃にはもう日本も残ってはいまい。

巷に流れる「防災云々」の呼びかけは無意味だ。
なぜならそんなもの何の役にも立たないから。

地獄の釜が口をあけている東京に今日も人口が流入する。
もはや恐怖を通り越して滑稽ですらある。

熊本の現状はお気の毒だが、まだ逃げ場があるだけ幸いである。
これから東京に住もうと思う人たちはそれ相応の覚悟をもって欲しいものだ。






壮観なる夕焼け

地震、火山、気象、自然災害
07 /14 2015
13日は東京猛暑。だが風が爽やかなので気温の割には凌げる。
気圧配置は完全に梅雨明けだ。しかしまだ台風11号が控えている。
19時過ぎ、空が茜色に染まる。
年に何日もない壮観なる夕焼け。
台風一過の日によく出現するタイプ。台風9号崩れの低気圧が日本海を東に進んでいたせいなのか。
それとも太平洋をうろつく台風11号の影響だろうか?
どちらにしろダイナミックな天空を演出してくれる台風は偉大。
因みに夕焼けは10年以上前のデジカメ、クールピクス4300のほうがよく撮れる。発色もよい。
DSCN0439a.jpg DSCN0455a.jpg
一方、ペンタックスQ10はオートだと空(無限大)にピントが合わない時が多く、シャッターが切れない。
無限大に固定も出来ないのでマニュアルフォーカスに切り替えるしかない。その上、露出も適切ではなく色が飛んでしまう。
IMGP1876a.jpg
夕焼けモードに合わしてもダメ。手動で露出を調整しないと綺麗に写らない。基本的設定がユーザーの意図と合致していないのだろうが?何だかストレスを感じるカメラだ。

「夢声戦争日記」。昭和18年6月まで読む。
山本五十六国葬で土日の興行が台無しになったと嘆く夢声。
公に喋ったら「非国民」扱いされそうだが、当時の芸人の率直な感想だったのだろう。大阪興行時に京都にてルノアールの絵画を鑑賞とかの描写もあり、意外に自由な面もあったのに驚く。

「NHKと東日本大震災」を観る

地震、火山、気象、自然災害
04 /04 2012
最近、南関東直下型地震に関する震度予想や被害状況が見直されたという報道を耳にした。
同じように東南海地震の予想規模も大きく修正された。
東日本大震災を鑑みて従来の予想よりもシビアに設定し直された結果であろう。
先日、NHKテレビでNHK自らが東日本大震災を如何に伝え、今後の地震報道をどう修正していくかを特集する「NHKと東日本大震災」という番組を観た。
それによると津波予想などは従来よりも数値を大雑把にして、アナウンサーはとにかく「逃げろ」を絶叫するらしい。
更にはワンセグ視聴者に考慮して現場映像よりも津波の高さの数値を画面一杯に出すとか。
現場映像がなくなり、大雑把な数値だけを流す??その上「逃げろ」の絶叫・・?
皮肉にも、これではむしろデマを許容し、パニックを引き起こしかねないと思うが・・。
視聴者に危機を訴える術で一番有効なのは現場からの生映像。何が起きているか一目瞭然。
解説も数値もいらない。停電でテレビが見られない場合もあるが、それならラジオで詳細を伝えればよい。
にも拘らず、過大な数値と絶叫だけでは何が起きるか推して知るべし。

そもそも東日本大震災の巨大津波は今の日本人が周知する「津波」とはスケールが違いすぎた。
これまで知りうる「大津波警報」での津波は、大きくても港湾施設が水に浸かる程度のもの。
都市全体が破壊されるスケールの海の塊が押し寄せてくるなど、歴史上の事例として知ってはいても実際経験した者はなかった。
例え、津波報道が従来型でなかったとしても、逃げない者は多かったろう。
思い返すに、当時の津波に対する警報の伝え方は差ほど間違っていなかったように感じる。
あれだけの揺れで尋常ではない津波が来ると察した者は誰に促されなくても高台に逃げるし、鈍感な者は背を押されても動こうともしなかったろう。
最初の第一波の数値が小さくて油断させたという意見もあるが、津波は2波、3波が大きくなる可能性も秘めている。
その位は知識として持ち合わせているのが常識というものだろう。子供だって知っている。
あれだけ揺れたんだから。
だから、今後の津波情報の内容を大雑把な数値とアナウンサーの絶叫に刷新したとしても、いたずらに恐怖と混乱を煽るだけ。
日本人はいつから無教養な愚民になったのか?
それにあのような巨大地震と津波は100~1000年オーダーであって、頻繁に起こるような事象ではない。
小さな揺れの度に恐怖を煽る大雑把な津波情報を出していたら、遅かれ早かれ「おおかみ少年」の如く、誰も真に受けなくなろう。
結局は淡々と現場映像と正確な数値だけを迅速に伝えるだけでよい気がする。

更に首都圏直下型地震予想についても同じだ。
被害想定を上方修正したところで今更、どうすることも出来ない。
正確に何時来るかも解らない直下型地震だが、仮に明日来たところで手立ては皆無。
今すぐ巨大シェルターや避難公園が出来る訳でもないし、安全な移住先「バックアップ東京」が確保される訳でもない。
にも拘らず、いたずらに直下型地震の規模を上方修正したところで結果は変わらない。

因みに首都直下型地震はM7級との事だが、ちょうどその規模と似た事象の映像があったので貼り付けてみる。
1971年年11月6日、アメリカのアラスカ州アムチトカ島にてスパルタンミサイルW71核弾頭(核出力5メガトン)を使い地下実験した時の映像。

地下1860㍍での核爆発エネルギーは、地表面にあるもの全てをバウンドさせる。
コンテナー型建物にはショックアブソーバーが付けられているが、それでも耐えられないほどの揺れだ。
これと同じ規模の揺れが首都圏を襲うかどうかは不明だが、この震動に耐えうるには首都圏の全建築物にショックアブソーバーが必須である。
いずれにしろ、こんなのが東京23区内の住宅密集地に襲ったらどうすることも出来ない。
大抵の建物は崩壊し、大火災が発生。逃げる場所もないのだから関東大震災や東京大空襲の阿鼻叫喚図が再現されるだけ。
運を天に任せる以外、どうせよというレベル。

どんな予測をしようと、どんな報道をしようと、自分たちの住んでいる環境は地震津波に限りなく脆弱である事に変わりはない。
下手に拗らせて混乱やデマを招くような被害予想や報道の仕方は「百害あって一利なし」。
小松左京作「日本沈没」のキーパーソン、田所博士の台詞の如く
「なにもせんほうがいい」
のかもしれない。

東日本大震災から1年

地震、火山、気象、自然災害
03 /12 2012
東日本大震災から1年が過ぎた。
テレビでは様々な特集番組が放映されていた。
興味深かったのは、一般の人が記録した地震の瞬間や津波の映像を集めたNHK特集。
これらは殆どが動画サイトに投稿された即出なものだが、それにしても如何に多くの人々が「その瞬間」を克明に記録していたかを物語っている。
振り返って自分は何をしていたかというと、棚から物が落下し散乱状態の自室でパソコンを起動させツイッターを閲覧したり、テレビで状況を追っていた程度か。
特に画像記録や音声記録を撮ることはしなかった。
それが出来る機器はなくはなかったが積極的なアクションは起さなかった。
今から考えれば何かしら記録に留めておくべきだったかもと思う。

動画投稿サイトには震災時の様々な画像、音声、テレビ、ラジオの記録がアップされ、尚も閲覧可能だ。
しかし、それはあくまで他者が記録したデータであって、己が残したものではない。
自分が体験した当日の時系列で記録された画像、音声でないから、それらを閲覧しても己の記憶の糸を辿る手立てにはなってくれない。
阪神大震災のときは、ラジオ関西やNHKのラジオをエアチェックして、それなりに記録に努めていた。
大きな地震が起きればその地域の中波放送を逐一、モニターしていたものだ。
皮肉にもネット環境が整った分、そういったアナログ的記録作業が疎かになり、気が付くと何も記録していないという事が目立つようになった。
1年前の震災時もICレコーダーなどのデジタル録音機器を所有していたにも拘わらず、なぜか当日のラジオ放送や地震の様子を録音しようとしなかった。
理由のひとつにパソコンを起動しているとラジオにノイズがはいってしまうから録音を止めてしまった記憶がある。
もう一つは記録機器がアナログとデジタルの端境期でデジタル機器での記録方式に馴れておらず、記録媒体がまだアナログカセットテープに頼らざるを得なかった事情もあった。
何よりもネット閲覧にかまげて記録作業を怠ってしまったのが最大の原因。
東日本大震災は東京も準被災地的状況だったので余裕がなかったこともあろうが、それにも増して「記録する意欲」に著しく欠けていたことも事実だ。
己の立場を考えれば当時の状況を自分なりのカタチで音声、映像を残す義務があった。
それを放棄したのはまったく情けないことだ。

ハチやアリの生態を観察すると興味深いものがある。
働き蜂の中には一見まったく働いていないようなハチたちが居るそうである。
このようなハチは、確かに平時には何の役にも立たず、ただ怠けているだけの存在。
しかし、外敵が襲ってきたり天変地異が起こると、とたんにその「怠けていた」ハチは積極的に行動し、巣を防衛したり援助を呼んだりして、一般の働き蜂がやっていなかった役割を分担するそうである。
東日本大震災の様々な貴重な記録も、普段あまり忙しくないアマチュアやニート、ヒキコモリ、隠居老人が積極的にカメラを回した「功績」ではなかろうか?
プロのカメラマンや報道機関が必ずしも決定的瞬間の場に居れるとは限らない。
デジタル録画録音機器を所持する一般の者が満遍なく様々な場所に広く分布していなければ、この貴重な地震津波画像を後生に残こす事は果たせなかったろう。
そういう意味ではニートや「自宅警備員」と称される人々は、この非日常的事象時のためにある一定数、社会の中に存在を許されているんじゃないかと思う。

だからこそ、自分がそんな存在に近いのにも拘わらず、震災時に真っ当な記録を残さなかったのは怠慢以外の何物でもなかったと反省するのである。

画像は昨年発行された有志のプロの漫画家・絵描きによる東日本大震災チャリティー合同誌『震災に負けるな!東日本project』に寄稿したイラスト。
東日本あびゅa
この制作にあたっては、知り合いのコミュニティーFMスタッフが被災地にボランティア派遣された際、撮影した被災直後の写真をご好意により提供していただいたものを資料とした。
一般の者が立ち入れない場所だったので大変貴重な画像であった。
だが、本来ならば自分が現地に赴いて取材するぐらいの意気込みがあるべき。
そのような意欲を実践出来ない己の体たらくが、震災1周年を経て感じる最大の反省である。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/