fc2ブログ

映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観る

映像鑑賞
11 /18 2023
映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観る。

最近は観たいというか、観ると決めた作品は封切直後に映画館に足を運ぶ。
でないとネットで漏れ出した情報に汚染され、観ても居ないのに観た気になって、結局観ないで終わるという馬鹿馬鹿しい結果に至る。
「ゲゲゲの鬼太郎」は幼少の頃からTVアニメで繰り返し製作され、水木しげるの原作も有名だが、取り立ててファンという訳でもなく熟読した経験もない。
だが水木しげるという唯我独尊的作家性と絵柄は何処か共感する。
こんな緻密で陰々滅滅とした作柄の作家がメジャーとして生涯を全う出来るのは本来あり得ない事。
おそらく「呪術的」なパワーを大戦中、徴兵された南方戦場のジャングルで「獲得」したのではないかと想像する。
水木に「何か」が憑依したのだ。

それはさておき、この映画は水木しげるの「戦争観」や「妖怪観」が下地になっているものの、絵柄自体が水木しげるテイストでないし(もっとも「ゲゲゲの鬼太郎」歴代アニメは原作の絵柄とはかなり異なっているのでこの作品に限ったことではないが)、内容は鬼太郎誕生秘話ということにはなっているが、鬼太郎も猫娘も冒頭と最後しか出てこないし、ねずみ男も頭巾をかぶった姿でないのでビジュアル的に鬼太郎テイストは薄い。
然るにある程度、水木しげるの原作やアニメを嗜んでいないと「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズというより「八つ墓村」等の金田一京助シリーズ邦画ホラーのアニメ版焼き直しという印象で終わってしまう。
それはそれで「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズを知らなくとも独立した単品映画としても成立するという事かもしれぬ。
原作で描かれている、水木の抱いた戦中戦後の「昭和大和魂高度成長的ガンバリ」に隠された怨念が漂ってはいるものの、テーマの重厚さには物足りなかったと感ずる。
しかし、同行した若い平成生まれの「鬼太郎ファン」は絶賛していたので、恐らく鬼太郎マニアにとっては満足出来る仕上がりだったのだろう。
それにしても猫娘の萌え進化は凄まじい。
次のシリーズではポリコレフェミの象徴として描かれるのだろうか?
恐ろしい。
レイトショーで観たので上映が終わったのは22時半過ぎ。
水木しげるの描いた魑魅魍魎妖怪漂うエネルギッシュな昭和は遥か過ぎ去って、活気の失せた令和初冬の夜道は、妖怪にすら見捨てられた空虚な闇に閉ざされていた。
数年前に描いた鬼太郎。
kitarou151130a.jpg

 




映画『バービー』を観る

映像鑑賞
09 /08 2023
先日、映画『バービー』を観る。

基本的にこの手のジャンルは興味がないのだが、米国で同時期に公開された『オッペンハイマー』とのファンアートが何やら炎上していたのでそれを基に更なるオマージュ画を描いていたら、取り敢えず元の映画は観ておこうかという気になった。
その問題のファンアートは原爆開発の科学者オッペンハイマーがバービー役の女優を肩に乗せ、背後で原爆が炸裂しているという構図。
バービーファンアート
それに公式が「素敵な夏になりそうです」というコメントを入れたものだから、日本方面から顰蹙の波が立って炎上したというもの。
だが、現地米国では日本への原爆投下なんぞ眼中になく、『オッペンハイマー』で語られる原爆開発と『バービー』で描かれた露骨なフェミニズムが「世界を変える」みたいな意味での皮肉を込めたファンアートだそうだ。
米国にとっては別に原爆投下を反省する義務などなく、核武装こそが安全保障の最大の武器という普遍的常識からすれば、日本人があれこれ口出しする権利など存在しない。
勝てば官軍、負ければ賊軍。
負けた者が何を言っても「負け犬の遠吠え」だ。
映画会社が謝罪する筋もない。

それはさておき、映画『バービー』【以下ネタバレ注意】。
昨今のポリコレ、フェミファシズム旋風の世からすれば予想通りの内容。
スターリン政権下の共産党賞賛プロパガンダ映画か、毛沢東主義の文化大革命宣伝映画か、自己改革セミナーの洗脳ビデオと大して変わらず、例えればフェミファシストの男性撲滅運動キャンペーン動画といえようか。
真に受けたら気が狂うので最初からそれを理解し、警戒しながら鑑賞すれば取り敢えず最後まで我慢出来る内容。
尽く「恋愛」というものを否定し、性差を否定し、男女が反目し、拒絶し合う社会が「理想郷」と説いているので失笑しか漏れない。
ただ最後に、主人公のバービーが創造主に諭されて死ぬことのない「永遠の命」がある人形を「卒業」し、限りある生命の「人間」として生きる事を決断した結末は、結局のところフェミファシズムの行き着くところも「絶望」であるという事を暗に語っている印象だ。

所詮人間は如何に偉そうなことを言っても哺乳類という有性生殖で繁栄してきた。
雄雌の交わりなしには種の存続はあり得ない。
その闘争に下に生存競争を勝ち抜いてきたのだ。
それを今更、一世代にも満たないフェミファシズム思想で「女性だけの理想郷」が構築出来るなどという事自体、滑稽である。
そもそもこの思想自体が真の人権にあるのではなく、巧妙に仕組まれた「弱者ジェンダービジネス」であることはもはや論を待たない。
そんなものに「救い」なんてなく、一部の活動家の懐を肥やす商売でしかないのだ。
結局、「人生の勝者」は結婚し、子供を産み、育てた男女の上に輝く。
それを否定したいのなら、人形のようなレプリカントに魂を移植させるか、肉体を捨て、性差のないプラズマのような存在として空間を漂うしかない。
しかし、そんなものは一朝一夕で出来るものではなく、1000年~1万年オーダーの時を経た技術革新を待たねばならぬ。
そしてそれが真の意味での「幸せ」かどうかも怪しい。

結局のところ、バービーは玩具人形でしかなく、魂の器にもなりえないから、その限界を超えるには自らの寿命が限られた「人間」として生きなければならない。
そして次世代に希望を繋ぐにはとにもかくにも子供を産むしかない。
そのためには男女が結ばれなければならない。
しかし、この映画では男女の反目こそ「理想郷」と謳っている。
その矛盾を解消するため主人公のバービーは「人間」になり、「男」なしで子供を作る行動を模索する。
最後のシーンで主人公は「産婦人科」に立ち寄るのだが、納得できないフェミファシストは、出産の為ではなく、単に定期検診のために産婦人科に寄っただけだと喚き散らす。
笑止!
作品のラストが単に「コンビニに寄りました」みたいなエンディングになる訳がなかろう?
バービー創造主に諭され、「命懸け」の一大決心で「人間」世界に降りて来た主人公だ。
それで単に「定期検診しました。おわり」なんて馬鹿も休み休みに言え。
流石に監督に失礼だろう。
ここはやはり、「子供を産む」というステージが語られてこそのエンディングなのだ。

もしかするとそこで人間バービーは「優秀な遺伝子を持つ」男子の精液を購入し、人工授精で自らの遺伝子を未来に継ごうと画策したのではないか。
受精に必須な「恋愛」過程をスルーして「遺伝子」だけを手に入れる。
そうすれば人間社会における「男性優位性」を回避しつつ、未来へ希望を獲得する。
それがある意味、現代における女としての「暫定的理想郷」としたいのか?

だが、そんな社会も上手く行くとは到底思えない。
結局、人工授精システムも財産や地位がある者だけの特権でしかなく、貧富の差を助長し、得られない者は益々出産機会を奪われ、ほんの一部の特権階級女子だけが僅かな優秀男子の精液を巡って奪い合うだけの話。
それに育児はどうするのか?
下男にでもやらせるのか?
所詮ハーレムの時代に逆戻りである。
大半の男女は何の利益も得られず、ただ反目し合い、老いていくだけの悲しい人生しか待っていない。
結局、この映画はフェミファシズムの限界を描いているに過ぎない。
コラボンハイマー02308版下aaa
この先、文明が核戦争で崩壊し、新たなる「魂の器」たる人造人間「バービー」が出現しない限り、現世では男女が結ばれ子を育むことが唯一の「幸せ」となる。
それ以外は全て不毛にすぎないのだ。

 










宮崎駿監督最新作『君たちはどう生きるか』感想(ネタバレあり)

映像鑑賞
07 /17 2023
宮崎駿監督最新作『君たちはどう生きるか』を封切三日目の16日に観る。
何の前宣伝もプログラムもグッズ販売もない状態での上映。
原作本も読んでいないし、もっともこの題名の著書とは内容が全く無関係らしく、ではなぜこの題名にしたのかも皆目解らず。
いずれにしろ、情報が洩れる前に観ておこうと、コミケ原稿の合間を見て映画館へ。
前宣伝がなかったにも拘わらず、映画館は家族連れで満員。
これだけ秘密主義を貫いたのだから、突飛押しもない奇妙奇天烈で説教塗れの話かと思いきや、何とも真っ当で宮崎駿テイストに満ちたいつもの「ジブリ」作品でいささか拍子抜け。
監督自身が実写で2時間、映像は止め絵のみで団塊世代の優秀さを説教する作品だったらそれはそれで告知なしの封切にも意味があろうが、これまでのジブリテイストとほとんど同じスタンスだったので全く無意味。
どうしてこんなプロモーションにしたのかよく解らない。
それはさておき、『崖の上のポニョ』以降、不条理で意味不明なアングラ的表現が過ぎ、もう老害痴呆状態になってしまったのかと心配した宮崎駿監督だが、今回の『君たちはどう生きるか』は真っ当な異世界冒険活劇構成が復活して、作品総体としては『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』レベルに達してそれなりに見応えのある仕上がりになっていた。
やはり腐っても宮崎駿だ。
80歳を超えても驚異的創作エネルギーは衰えていなかった。
序盤は何処か小松左京の短編SF『くだんのはは』を連想させる造りで不気味。
アオサギの正体が諸星大二郎の描くキメラ生物みたいで生理的に気持ち悪い。
しかし、主人公が異世界に堕とされた中盤以降はいつもの宮崎駿節全開でその世界観に没入。
可憐なヒロインも登場し、美味しそうなデザートシーンも外せない。
総合的に観ると漫画版『風の谷のナウシカ』終盤での禅問答をカタチを変えて描いている気もする。
「死と再生」を象徴する「石室」と「産屋」は正に「シュワの墓所」だ。
結局そこに秘められた「希望」を最終的に破壊してしまう結末も似ている。
あと、すみっこぐらしみたいなキャラや変なインコの大群も出てきてジブリ的グッズの新アイテムとして抜け目がない。
主題歌、声の出演もエンターテイメント的有名俳優、ミュージシャンが担当し、いつもの「ジブリ大作」と何らスタンスが変わりない。
であるならば、それこそタイトルを『君たちはどう生きるか』なんて珍妙で古臭い文学に寄せるのではなく、ジブリの王道を行く『眞人とヒミの大冒険』でよかったのではないか。
プログラムやグッズも初日から用意していればそれなりに売れたはずだ。
すみっこぐらしみたいなキャラと滑稽なインコはマスコットとして子供たちに受けただろう。
それをしなかったのは単に商機を逸しているだけで他に何の意味もない。
不可思議な秘密主義とひねり過ぎたタイトルによってせっかくの夏休みジブリ大作も煮え潰れてしまう恐れも。
映画を観終わって何のグッズも売っていないロビーでの空虚感が勿体無い。
商売っ気がないと言ってしまえばそれまでだが、商売する気がないのなら正にもっとアバンギャルドで抽象的で投げやりめちゃくちゃな作品を作ればよかったのだ。
あまりにも真っ当すぎるジブリ王道作品なのに奇を衒い過ぎたプロモートで、結局相殺され可も不可もない凡庸な印象に終わってしまうのが残念に思われる。
映画館を出ると猛烈な暑さ。
壁に貼られている内容とは全然かけ離れた『君たちはどう生きるか』のポスターを見て、やっぱりタイトルは『眞人とヒミの大冒険』にすべきだったのだと、どうでももよいことを呟きながら40C近い気温の中、トボトボ帰宅するのであった。
IMG_20230716_125311aa.jpg

 





新海誠監督最新作『すずめの戸締り』感想【ネタバレあり】

映像鑑賞
11 /14 2022
新海誠監督最新作『すずめの戸締り』を封切初日に観る。
今や新海作品は大ヒット前提で上映されるので映画館内には様々なアイテムが用意されている。
IMG_20221111_220331aa.jpg IMG_20221111_215006aa.jpg IMG_20221111_183652aa.jpg
19時過ぎからの上映だったがほぼ満席。
特典の冊子も付いてきた。
(以下、ネタバレありの内容)
前宣伝からして廃墟を扱ったポストアポカリプス的雰囲気を醸していたので自分の好みの波長とシンクロ率は高い。
ただ前回の『天気の子』は扱う分野は同様にシンクロしていたが実際はストーリーに妙なバイアスが掛かり、没入には程遠かった内容だったので今回はあまり期待せずリミッターを掛けながら観る。
幸いにも『すずめの戸締り』は説教臭いパートもなく、『君の名は』で描かれたポストアポカリプス的SF要素を保ちつつ、よりリアル世界に近づけた内容で新海誠テイストを維持したことでかなり満足した出来だった。
『君の名は』のカタストロフはあくまで架空の話だったが、今回は東日本大震災を扱っており現実に起こったこととリンクさせているから、諸々厄介な輩が絡んできそうな危惧も心配されるが、これだけのヒットメーカーになるとそんな「危ない橋」企画もすんなり通るものだ。
プログラムのライナーノート解説によると、主人公の名前は日本神話のアメノウズメから来ているそうだ。
スサノオの悪行に恐れをなして天岩戸に隠れたアマテラスを神々の宴会の場で性器を露出させて踊り、外に連れ出すことに成功させた女神。
この作品では「常世」に通じる扉を閉じるための役を背負っている女子高校生として描かれている。
神話、伝承と廃墟をシンクロさせて、この世界の禍を解くという手法を上手く熟して、映像もハイレベルで飽きさせない。
実際、この不浄の世、神聖なる聖域を破壊し、神々の秩序を乱し、邪なる欲望を満たさんと鬼畜に堕ちた輩の悪行が目立つ昨今、明日にでも恐るべき神罰が下ってもおかしくはない。
封じ石の化身である白猫ダイジンは笑いながら言う。
「もっとたくさん人が死ぬよ」
そうだ。
このコロナ文革という狂信カルトイデオロギーが支配する狂った世に、もはや希望も救いもない。
委縮し、行動も制限された社会は著しい超少子高齢化を加速させ、生産人口は減り、あらゆるものが貧困化し、様々な選択肢の希望が失われ、人々は自らを追い込むように自壊の奈落に堕ちようとしている。
「貧すれば鈍す」
自由で創造的な行いは全否定され、監視され、投獄される。負のスパイラルが急速に加速する。
既得権者の安泰のために貧者が固定化され、貧者同士で潰し合う絶望世界がやってくる。
遅かれ早かれ核戦争は勃発し、中世の教会の如く一握りの支配階層が特権階級として君臨し、大多数の貧民が奴隷としてこき使われる未来は必至。
そんな世界は一旦、神々によって浄化されねばならぬのだ。
神罰の日は近い。
もしかすると、この映画で描かれている東北地方の大津波廃墟は史実の東日本大震災ではなく、これから未来に起こる更にステージの高いカタストロフをさしているのかも知れぬ。
すすめが扉の向こうの「常世」で出会った4歳の娘は自分の「過去」ではなく、「未来」の自分の娘の姿であり、この狂った世に下された新たなる神罰の世界を描いているのかもしれない。
『すずめの戸締り』は昨今の細田、庵野監督の描くフェミニズムイデオロギーに迎合する気持ちの悪いバイアスが比較的少ないので世界観に没入出来、安心して鑑賞することが出来る。

余談だが、この作品はポストアポカリプス的世界で廃墟を依り代とし、自分探しの旅を続けるたつき監督の『けものフレンズ』とシンクロ率が高い。
封じ師草太はかばんちゃん。アメノウズメたるすずめはサーバルちゃん。ダイジンはラッキー。ミミズはセルリアン。
旅のお供芹澤はアライさん。
物語の始まりも宮崎で『けものフレンズ』のジャパリパークに相当する「キュウシュウチホー」。
そして船で四国という「ゴコクチホー」へ渡る設定も同じ。
旅ルートもたつき監督のけもフレリベンジ作品『ケムリクサ』と酷似している。
廃墟の観覧車シーンは恰も『けものフレンズ』のエンディングタイトルを見ているかのようで、いつ、かばんちゃんが飛び出してくるのを今か今かと待ち構えてしまった。
残念ながら、たつき監督の世界観で構想された『けものフレンズ』は第一期で絶たれてしまい、未完で終わってしまった。
なぜたつき監督は『けものフレンズ』でこの「世界」を描き切れず、新海氏は最後まで描くことが出来たのか?
それはやはり新海監督が確固として築いたポテンシャルの高さがスポンサー、出資者、製作会社の理不尽な要求を一切許さないパワーを行使出来たからに他ならぬ。
超ヒットを飛ばせば監督は「帝王」として君臨出来る。
目先の利益しか考えられず、流行りと体裁しか追えない馬鹿な老害制作会社、出版社等のあらゆる愚行は己の実力を持って排除できるのだ。
新海誠監督は心の中で叫んでいるだろう。
「俺の純粋たる創造力が超ヒットを生み、お前たち社畜を儲けさせてやっているのだ。黙って俺に従え!クズ共は引っ込んでいろ!」とね。
だから己の創作イニシアティブの舵を他人に奪われることはないのだ。
これが出来るのは現在、アニメ界では新海誠氏以外に庵野氏位なものだろう。
なんと羨ましいことか。
売れれば「神」である。
一方、力なき者に希望は輝かない。売れなければ相手にすらされない「ゴミ」でしかないのだ。
残酷なる掟なり。

映画鑑賞後、プログラムとダイジンのマスコットを買い、己のポテンシャルの低さにがっくりと首を垂れ、とぼとぼと夜の路をを歩く。
空腹に耐えかね、駅前のマクドナルドで「ハッピーセット」を注文する還暦を過ぎた己の姿が痛々しい。
嗚呼、絶望。
IMG_20221114_065447aa.jpg


 




『トップガン、マーヴェリック』を観る【ネタバレあり】

映像鑑賞
05 /31 2022
先日、『トップガン、マーヴェリック』を観る。
1986年に製作された『トップガン』の続編。

ハリソンフォードの『ブレードランナー』同様、主演も同じように歳をとった設定ストーリー。
前作も映画館で観た記憶がある。パンフレットもどこかにあるはずだ。
第一作はF-14が主役であったが、内容は勧善懲悪アメリカ万歳の「お約束」ストーリーで大して面白いとは思わなかったし、細かいエピソードもあまり覚えていない。
日本版『トップガン』で織田裕二が主演した空自映画があったがそちらのほうがストーリー的にはまだマシだった。
いずれにしろ、前作がベタ過ぎた話だったので今回も大して期待しないで観た。
救いはCGがあまり使われず、実際の飛行シーンが多用されていたところか。
実機が飛んでいるシーンを観れるだけでも儲けもの。
しかし、F-14とFA-18とでは見栄えが劣る。
前作のF-14は当時の可変翼最新鋭機で未来を感じさせたが、今回のFA-18は昔ながらの機体をやりくりしながらやっつけで使っている装備なので新鮮味がない。
(以下、ネタバレあり。注意)
冒頭で出てきたCGで作ったと思われるスカンクワークスの実験機もSF要素が入ってしまい、興ざめ。
クライマックスに至っては荒唐無稽すぎて白けてしまった。
前作と同じく、敵の具体的な国名は出てこず、想像するに北朝鮮かイランを「ならず者国家」として描いているのだろう。
そういった架空要素もストーリーに没入することが出来ない原因の一つ。
あらすじ的には1954年製作『トコリの橋』を連想させる。
こちらはリアルな朝鮮戦争を扱った作品なので単純比較しても意味がないが、同じ米海軍機搭乗員を描く作品でもトム・クルーズとウイリアム・ホールデンでは世界観が全く違う。
IMG_20220528_022526aa.jpg
『トコリの橋』は反戦的ヒューマニズムが滲み出た作品で、ウイリアムフォールデン演ずる主人公は目標攻撃後、敵地に不時着し、敵に囲まれ、最後に哲学的なセリフを呟いて戦死してしまうが、『トップガン・マーヴェリック』では同様に敵地に不時着するもあっさり敵基地に侵入し、都合よくスタンバイしているF-14を盗み出して追跡する最新鋭的戦闘機を次々撃墜して帰還するという、荒唐無稽なハリウッド的娯楽に徹した造りで、すべてが主人公に都合よく展開するので失笑しか漏れない。
同じ難攻不落なターゲットを攻撃するストーリーなのにかくも違う作品が出来るのか。
トム・クルーズは不死身でなければならないのだという不文律がある限り、『トップガン』は荒唐無稽なストーリーにならざるを得ないのだろうが、「戦争」映画としてはB級以下で余韻も何も残らなかった。
この際だから、また織田裕二主演の空自版『トップガン』続編を作ってF-2で穂高連峰を超低空でパスするシーンを実機で撮ってもらいたいものだ。

 


あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/