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『高畑勲展』に赴く

映像鑑賞
10 /07 2019
6日日曜日、東京国立近代美術館で開催されていた『高畑勲展』に赴く。
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この日は最終日。
会期ラストの休日など混むに決まっているし、欲しいグッズがあったとしても品切れで悶々とするのも必至。
精神衛生上よくない。
同じ散財するのなら開幕初期に足を運べばよいことなのに、結局、ぎりぎりにならないと動かないといういつもの不毛なパターンだ。
とはいえ、行かないで後悔するよりは行って後悔するほうがましか?
竹橋駅に着いたのは開場時間を過ぎた10時10分頃。天候はあいにくの雨。
もし長蛇の列で何時間も待たされるのならば諦めようかと思っていたが、改札を出たらあっさり臨時発券所が。
行列もなく、すんなりチケットを買うことが出来た。そのまま徒歩で3分の美術館へ。
入場にも並ぶことはなかった。
これは予想外。
とはいえ、場内は混雑していて、じっくり展示物を眺める余裕はない。
進路は時系列的に配置されている。
お目当ての『太陽の王子、ホルスの大冒険』コーナーは比較的最初のほう。
初期の展示の多くをこの『ホルス』に割いていた。
『ホルス』語らずして高畑勲語れず。
大塚康生著「作画汗まみれ」に記された、当時の状況を語る生資料が目の前に並ぶ。
1960年代の熱き情熱が、時を経た黄ばんだ紙に残されている。
映画全体の尺を短くしなければいけない事情が記された高畑勲氏自筆の書類やメモが生々しい。
劇中歌のスコアやガリ版刷りの小冊子も時代を感じさせてわくわくさせる。
学生運動華やかなりしゲバルト文字っぽい漢字もあって、そこがまた『ホルス』の魅力でもある。
だが、近距離に焦点の合わない外出用眼鏡だったため細かい文字が読めず、難儀する。
じっくり文章を読める環境でもない。
本編の動画を上映するモニターの前は人だかり。
恐らく入場者の殆どが『ホルス』初見なのだろう。
ヒルダの設定図やセル画展示もあったが逆にこちらは空いている。
森やすじ氏が描いたヒルダの生原稿は至極。
『ホルス』展示エリアを過ぎると『パンダコパンダ』や名作劇場へとつづく。
『アルプスの少女ハイジ』は初放映時、裏番組の『宇宙戦艦ヤマト』を観ていたので思い入れがなく足早に通過。
ジオラマコーナーだけ撮影OK.
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余談だが、ハイジのおんじは原作だと元傭兵だとか。
屋根裏に数々のアーマーを隠しているかもしれないな。
あのうざったい家庭教師CMもおんじがランボーナイフで決着をつけるバージョンで終わって頂きたい。
更にこのジオラマにタミヤのミリタリーミニチュア1/35シリーズの2号戦車を置いたら新展開の『ハイジ』になって面白かろうと下らない妄想をしつつ、写真を撮ってみる。
『ホルス』の次に推していた『赤毛のアン』展示は数枚のレイアウトとセル画のみでやや拍子抜け。
『母をたずねて3千里』は結構多くの背景画が並べられていた。
この作品は名作なのだが直後の『未来少年コナン』から宮崎、高畑アニメに開眼した身からすると初放映時には観る動機付けがなかったのが残念。
ちなみに『未来少年コナン』に関する展示は皆無。
この頃はフェオリーナ、ラナ、アンシャーリーが3大ヒロイン。
やはり世代的に1970年代後半の高畑作品が己の琴線に響く。
『セロ弾きのゴージュ』は足繁く通ったフィルム1/24のイベント上映会か何かで観た記憶が。
『じゃりんこチエ』辺りになると己の感性も鈍くなって思い入れも薄い。
『ほたるの墓』以降はさらーっと流すように鑑賞。
ここに至るともう技術的完成度が成熟し、観る側も「商品」として安心して享受出来る反面、1960年代的な時代のうねりを伴うエネルギーが作品内に感じられず、若干退屈さが卓越する。
これは己の感性の老化が主な原因。
『ぽんぽこ』辺りの緻密なレイアウトや『かぐや姫』の独特な手法も、還暦近い己の感受性からして、「自分にはもう永遠に及ばぬ達人の世界だ」と妙に冷静に悟ってしまい、感動に結びつかなくなる。
これが20~30代の頃であればすべての展示エリアで食い入るように鑑賞し何時間でも居られるだろうにと愕然とする。
如何に加齢が己の感性と好奇心を枯らすか。
何かを創るには「若さ」が必須の条件と、改めて悟る。
展示エリアを抜けるとグッズ販売エリアに。
散財を促すよう、よく出来ている。
図録は品切れで後日発送予約のみ可能。
ネットの情報では、粗方人気商品のグッズは売り切れと聞いていたが、それなりにまだ残っていた。
たぶん売り切れアイテムは見本すら置いてないので気がつかないだけかもしれないが。
売れ筋は『パンダコパンダ』や『ハイジ』関連か?
結局、『太陽の王子、ホルスの大冒険』に絞ってグッズを探すと殆ど残っているような印象。
もっとも一般に売れそうにない『ホルス』のグッズが新たに作られるなど高畑勲展以外には考えられぬ。稀有なチャンスだ。
並べてみると紺色系に統一されて味がある。
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しかしグッズのデザインが微妙。ヒルダも何故か没案を採用。
聞くところによるとNHKドラマ『なつぞら』主人公のモデルになったアニメーターが出したヒルダ案だそうな。
ただ、ミニ絵皿のデザインはなかなかよい。これは森やすじ氏のキャラクターを基にしたのかも。
『ホルス』に加えて『赤毛のアン』も購入。
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気がつけば昔のまんが映画グッズを漁る哀れな独身散財男と化してレジに並んでいた。
還暦前に何をやっているのか・・。
恥じ入りつつ、足早に美術館を後にする。
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9月中旬の妄言

映像鑑賞
09 /16 2019
数々のイベント満載の8月をなんとかこなして、気がつけばもう9月中旬。
16日は「敬老の日」。
高齢者の概念が実質的にどこからなのかは知らない。
だがニュースなどによると、未だ65歳からのように報道されている。
とすれば、己もあと5年程度で高齢者の仲間入りとなる。
中身が未だ12歳程度の精神年齢で高齢者のカテゴリーに入れられるとは何かの冗談のようで香ばしい。
だが、心身共に「老化」は確実に進行している。
出来て当たり前の事が次第に困難度を増してくる、時間の概念がおかしくなる等の状況が迫る。
精神年齢が中学生並で身体心身能力が還暦並みという不均衡さでいよいよ60代に突入だ。

先週末、東京湾を北上突入した台風15号はスピード、コース共に房総半島をストレートに危険半円に捲き込んだ。
台風が円形を保って関東に上陸するなど、めったにあることではない。
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台風15号190909
予報ではもう少し西を進んで首都圏が危険半円に入り、都区内に甚大なる被害を齎したかもしれなかった。
それが免れたのは「天気の子」で描かれたような人柱が生贄として奉げられたのかもしれぬ。
それにしても子供の頃、夜中に通過する台風は怖かった。昭和40年代は凄まじい風の台風が多かった記憶が残る。
しばらくそのような台風が関東地方を襲うことはなかったから、停電復旧のノウハウが失われ、それが遅延の原因なのかもしれぬ。
あるいは基本的なマンパワーの喪失で、大規模災害に対する復元力喪失の予兆なのか。
次に首都圏に恐るべきカタストロフが襲ってきたら、永遠に復興はなされないまま、国が滅んでいくかもしれない。


『晴れた日に絶望が見える』PVで監修して戴いた大崎章監督最新作『無限ファンデーション』を観る。
この作品のアイデンティティーたる西山小雨が廃屋の中で歌うシチュエーションは『太陽の王子ホルスの大冒険』のヒルダを連想させて己の琴線に触れる。全編即興劇で構成された異色作。
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北関東の長閑な高校演劇を舞台にした物語。ハイティーン少女の青臭くて露骨な感情が吐露されて痛々しい。
即興劇だから役者そのものの資質が問われる、アクターにとっては酷な演出だ。
鑑賞者は、その役者のプライベートを覗き込んでいるような気分に。
恐らく台本もなく、その時々の流れで撮っているからドラマというよりドキュメンタリーに近い。
それを前提として鑑賞しないと、この作品を咀嚼するのは難しい。
いずれにせよ、西山小雨の世界観を嗜むだけでも価値がある作品。

先日、SNSで流れてきた山岳遭難の話。
19歳の少女が北アルプス剣岳単独登山で命を落としたと。
山の遭難といえば、高齢者が定番なのに、この稀有な事例が妙にひっかかった。
ネットからのわずかな情報だけでは、この遭難の真相を探ることは難しい。
しかし、残された本人のSNSからはその単独登山行の動機の痕跡が伺える。
この少女は登山が趣味という訳でもなく、いわいる山ガールでもなさそう。
友人や親族と登山を共にするとかそういった環境も窺えない。
だから登山に関しては極初心者で趣味の範疇にすら入っていそうにもない。
SNSに残されている登山記録は乗鞍岳だけ。それも途中までバスなので登山というよりハイキングだ。
そんな経験しかない者が、なぜ上級登山者でも危険とされる剣岳なんて登ったのか?
それも一人で。
彼女のSNSには美術関係のリツイートが目立つ。
どちらかというと、インドア系だ。友人関係も希薄な感じ。
一人でボリビア旅行したりと、なんとなくスピリチュアルな気配が強く漂ってくる。
だから、この登山の動機も、山ガール的なものではなく、心霊的、超自然的、精霊、魂の呼び声に導かれたのではないかと。
あるいは、何かアニメ作品の「聖地巡礼」が目的だったという可能性も捨て切れない。
それが第一義なので、登山技術とかそういったものは、彼女にとってどうでもよかったのである。
山頂に17時頃到着なんて常識では考えられぬ。その上、絶壁のような常闇の登山道を単独でヘッドランプなしに下るなど、自殺行為に等しい。
本人は死ぬつもりなどなかったのだろうが、スピリチュアルの誘惑がすべてを優先したのか?
彼女にとってはこの時間帯に山頂に立つ、何らかの理由があったのかもしれない。
時折、各界の著名人が若い頃無茶をしてよく生きて帰れたみたいな武勇伝を聞く事があるが、この少女もそんな破天荒な気質の持ち主だったのかも。
生きて生還すれば、何らかの心霊体験に基づいた著書を発表し、革新的宗教指導者に成れたのかもしれぬ。
いずれにしろ、何かに憑依されなければこんな危険な行動をする理由がみつからない。
あるいは、彼女が「天気の子」に出てきた生贄の子で、彼女の死と引き換えに首都圏が台風15号の直撃を免れたのかも。
この遭難も、台風が上陸する直前の出来事だったし。

これらは、すべて妄想の範疇。
本当の理由は、本人だけが知っている。
そしてこの少女が鬼籍に入ってしまった今、それが何であったかは永遠に解されることはない。

合掌。



新海誠監督新作『天気の子』を観る

映像鑑賞
07 /20 2019
新海誠監督作品『天気の子』を封切り初日に鑑賞す。
昨日の「事件」直後でもあり雑念等でベストコンディションとは言えなかったが、余計な情報が耳に入る前に観ておきたかった。
JR新宿駅南口の液晶動画広告は全てこの映画の宣伝で埋め尽くされている。
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宣伝には前作『君の名は。』以上に力が入っているようだった。
鑑賞時間帯は19時半から。
初日とあってか席はほぼ満席。
窓口でスポンサーの日清「新海誠ヌードル」なるカップ麺を貰う。
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(ここからはネタばれも含まれるので、未鑑賞の方は注意!)
上映時間は2時間を越える。
あらすじ等の詳細は公式サイトなどをチェックすれば大方解るので省略。
さて、総じての感想は、どことなく昔のATG映画のような貧乏不幸青春残酷物語テイスト臭がして耐え難い。
予告編などで想像していた世界観とは大違い。
ATG映画は生理的に受け付けないのでこういう貧困空気観が漂うのはきつい。
なんで態々金を払って他人の「不幸貧乏話」を観なきゃいけないのかと。
場面設定も新宿歌舞伎町辺りの場末の酒場やBARばかりで辟易してくる。
登場人物も貧相で底辺漂う幸薄そうな者ばかりで陰湿ジメジメ感が漂う。ただでさえ梅雨空が続いているのに勘弁してくれと言いたい位の面々だ。
ストーリー展開も安い刑事ドラマのようで退屈。
映像はいつもの「新海調」ではあるが、内容は暗く『劣化版太陽にほえろ』である。
SFテイストを極力削った分、ただ退屈な「底辺人間ドラマ」になってしまった。
この「つまらなさ」の一因に、主人公が東京に出てきてから世話役として登場する男、須賀圭介の存在だ。
監督が記した映画パンフレットのライナーノートによると、須賀を当初は気象IT研究者か秘密結社の一員として描きたかったそうだ。しかしスタッフの意見は否定的で結果として、なんか冴えない場末の編集プロダクション経営という設定に。
これが、この作品の「つまらなさ」に繋がっている。
IT研究者や秘密結社員であれば、そこからヒロインの天空の人柱たる存在を謎解きしていくSF的面白さに展開していくのだが、場末の編集者ではどうしようもない。
須賀圭介はただ利己心で動いているだけの輩。ろくでもないプライベートに翻弄され場末の新宿で彷徨しているだけ。
ひたすら安っぽさだけが目立って共感すべきところが一切ない。
そう、この人物に限らず『天気の子』には共感出来る登場人物が誰もいないのである。
リア充のくせに貧乏不幸自慢だけは鼻につくという、最も耐え難い連中ばかりなのだ。
この辺りは細田守監督『ミライの未来』と共通の不協和音が覗える。
『ミライの未来』はハイソリア充が耐え難かったが、『天気の子』は貧乏不幸自慢リア従に我慢ならないのである。
そういう空気感が全編漂っているので、雨が降り続く謎とかは正直どうでもよくなり、頭にも入ってこない。
あと前作『君の名は。』の主人公二人もちょっと登場もするのだが、ストーリー上の必然性もまったくなく、意味不明。
ただファンサービスのみで出したという感じ。
ということで、自分にとっては殆ど没頭するシーンもなく、淡々と時間が流れただけ。
新海誠作品の中ではワーストの部類に入る出来かもしれぬ。
兎に角、場面が場末の新宿歌舞伎町界隈が中心だから「聖地巡礼」したい気持ちも湧かない。
下手にうろついたらチンピラに絡まれそうだ。
ぜいぜい歩けるのはJR田端駅山手線沿線沿い位か。
あと六本木ヒルズ屋上に、高円寺気象神社・・。
この辺りは既に随分前に訪れている。

ということで、自分にとって『天気の子』は、いつも妄想力をチャージしてくれる新海作品とはかけ離れた「退屈」で「辟易」とした物語であった。
こういう設定が好みという人も居るだろうから一概には言えぬが、『君の名は。』に比べ、全体的に暗く、不幸感が漂っているのは確か。小さい子供が観てもあまり面白がらないだろう。カップルで観ても後味悪いし、SFテイストが少ないからヲタク系男子にも受けないと思われる。
共感は殆ど抱けなかった。グッズも結局何も買わなかった。
今回、この『天気の子』が果たして『君の名は。』同様にヒットするかは解らない。
関西の事件直後とあって何となく嫌な空気が漂っているのも確か。一抹の不安も感じる。
ただ、名声を得た新海誠監督作品。
世情や内容の暗さに翻弄されることはなかろう。
いずれにしろ、映画館に足を運び、自分の目で確かめることが一番だろう。
クオリティーは高いので観て損をすることはない。あとは好みの問題。

以上、『天気の子』感想終わり。

映画鑑賞、ギャラリー諸々

映像鑑賞
04 /06 2019
4月4日、東中野ポレポレにて上映中の『蹴る』を観る。
知り合いの中村和彦監督が撮った障がい者による電動車いすサッカーのドキュメント。
撮影期間6年にも渡って撮り続けた迫真の記録映像。
フライヤー解説によると、監督自身も介護の資格を取って撮影に挑み、選手との信頼関係を深めたとか。
過剰な演出もナレーションもなく、淡々と選手達の日常を描いているので直に訴えるものがある。
選手の殆どが男性の中で脊髄性筋萎縮症(SMA)の女子選手の活躍や日常の日々が印象に残った。
それにしてもハンディーやリスクを抱えて海外遠征するのは命懸けな部分もあり、サポートする人々含めての苦労が心に響く。
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映画館を出てJR東中野駅周辺の桜を観る。
この日はやっと平年並みの暖かい晴天に。
今年は寒い日が多く、まだまだソメイヨシノは満開。
JR中央線沿いに咲いているので電車とのコラボショットポイントとしても有名。

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ここに来たのは久しぶり。
1990年、モーニングパーティー増刊に掲載された『風の中央鉄道』/第5話「満開、黒染桜」で此処を舞台としたのを思い出す。
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もう29年も昔の話だ。
走っている電車の種類も変わった。
30年も経てば変わるのも当たり前だが、自分の中では時間が止まっている。


夕方、劇画家バロン吉元先生の画暦60年記念個展「男爵芋煮会」の案内はがきを頂いたのでギャラリーにお邪魔する。
場所は阿佐ヶ谷VOID。
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家から自転車で数分だ。
先日阿佐ヶ谷某BARで初めてお会いした先生の娘さんが常駐されており、改めてご挨拶。
リスペクト出展アーティストは青木俊直、朝倉世界一、小田島等、すぎむらしんいち、寺田克也、永野のりこ、花くまゆうさく、松田洋子&清田聡、丸尾末広、森下裕美、山田参助、やまだないと等著名漫画家さんがたくさん。
バロン吉元先生のお名前はよく存じていたが、作品の造詣は浅く、あまり読んだ事がなかった。
ギャラリーに置かれていた昭和40年代の「昭和柔侠伝」を少し読んで、劇中の帝国陸軍一式戦闘機「隼」を僭越ながらゲストブックに描いてみる。
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それにしても画暦60年とは凄い。
還暦前で逡巡している場合ではない。


戦争映画評

映像鑑賞
02 /20 2019
ロシア映画「鬼戦車T-34」のリメイク版が昨年末本国で封切され、ヒットしているようだ。

日本では『ガルパン』が流行り、アメリカでも『FURY』という戦車が主役の映画が公開された。
近年はこうした第2次大戦を下地にしたリアル志向の戦争映画やTVシリーズが流行る傾向がある。

先日、第二次大戦のロシア戦線を扱った『ジェネレーションウォー』というドイツのテレビシリーズを1話分だけ観た。

製作年は2013年。そんなに古くはない。
日本のNHKで『坂の上の雲』が製作されたのが2009年頃だから、それよりも新しい。
ほぼ『カルパン』と同時期。
枢軸国側から描いた第2次世界大戦ものは珍しい。
連合国側が描いた作品では、ドイツ兵は「標的」のように扱われ、身も蓋もないが、これはその「標的」が主人公だから、それなりのリアリティーはある。
ドイツ人俳優が演ずるから、当然ドイツ兵はドイツ語でしゃべる。この当たり前な描写がハリウッド映画にはないので、それだけでも価値がある。
戦闘シーン等も当時の兵器を忠実に描いていて、なかなかクオリティーは高い。

しかし、ストーリーは相変わらずバイアスのかかった「ナチス」全面否定の造り。
登場人物もまるでアメリカングラフィティーに出てくるような「リア充」。
「悪事」は全部、SSと秘密警察に擦り付けて、国防軍は潔癖みたいな描き方に変化はない。
日本のATG映画に出てくるような中途半端なポルノまがいの描写もあって辟易。
「女」を出す戦争映画は碌なものにはならない典型。
ドイツ産『スターリングラード』も似たようなもので、戦争映画として最低レベルの出来だった。
日活ポルノに戦闘シーンを混ぜたような映像ばかりで観ていて馬鹿馬鹿しくなる。
戦後ドイツの屈折した精神がこんな無価値な似非戦争映画を生む。
『ブリキの太鼓』然り。観ていて不快感しか残らない。

先日、NHKBSで「ヒトラー演説の魔力」というドキュメントを視聴した。
当時ナチズムに心酔したヒトラーユーゲントが90才を越えても尚、若き頃の熱狂を反芻している姿を見て、これこそが「戦時下ドイツの真実」ではなかろうかと思う。
若い時に何かに熱狂するというのはそれが例え邪悪な類いのものだったとしても生きる支えになるのだなと。
今のドイツではそれを「全否定」することが国是だから、彼らは公の場で「青春」を吐露することすら許されないのだ。
だから、この『ジェネレーションウォー』を始めとする数多のドイツ産戦争映画も戦後、捏造された「ナチス全面否定」の思想に染まった「フィクション」でしかない。
本来ならば、ナチス思想に染まった熱い血潮に満ちた若者が、何の疑いもなく突進する様子を描くことが真実のドイツ戦争映画として必須なのであるが、「ナチス全面否定」が強要される以上、永遠に「真実」は描けず、ポルノまがいの似非戦争映画しか作れない。
これがドイツの現状なのだ。
その点では、まだロシア産の戦争映画のほうがドイツ軍を「正確」に描写出来ている。但しあくまで「憎むべき敵役」としてだが。
だから、ドイツ人自らが表現するリアルな第2次大戦映画は永遠に作れないのである。
祖国に殉じていった勇猛果敢なSS戦車兵、擲弾兵他数多のドイツ兵はアメリカやロシア産の映画で散々に「標的」にされるだけの「馬鹿で惨めで残酷な悪役」としてしか描かれない。
ある意味、気の毒だ。
まあ、日本も似たような状況にはあるので、結局まともな戦争映画は「戦勝国」にしか作れない。
映像の世界も「勝てば官軍。負ければ賊軍」なのだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/