『メアリと魔女の花』を観る

映像鑑賞
07 /13 2017
元ジブリに所属していた米林監督の最新作『メアリと魔女の花』を観る。
スタジオジブリがなくなってしまったので、元スタッフが新たに立ち上げたスタジオが制作している。
なぜジブリが製作部門を閉鎖したのか知らない。宮崎駿監督が「引退」したからと伝え聞くが、「ジブリブランド」の看板を下ろす理由が思い当たらぬ。優秀な人材が拡散するだけで利するものはないのにと素人目には映るのだが。
なぜ、ディズニーのような体制を維持できないのか?
日本コンテンツ産業の地盤の薄さに危惧する。
それはさておき、ジブリブランド亡き後、その正統なる継承作品第一作目がこの『メアリと魔女の花』らしい。
テレビCMなどで予告編を観ると、これまでのジブリ作品のエッセンスをミックスした雰囲気が醸し出されている。
「ジブリブランド」を継承しているのは間違いなさそう。
(これ以降はネタばれ注意)
公開初日の土曜日に観賞。
都外の県庁所在地に位置するシネマコンプレックスで夕方の回。
初日にも拘わらず、なぜか空席が目立つ。
理由は解らず。満席だと思っていたので拍子抜け。
主人公メアリのキャラクターは赤毛でどことなく、高畑勲演出の『赤毛のアン』を髣髴とさせる。
黒猫を従え、箒に乗って空を飛ぶ役柄は『魔女の宅急便』のキキにかなり近い印象。
他にもジブリ作品で「見たことのあるような」場面設定、キャラクター、演出が至る所に見られる。
しかし、やはり従来のジブリ作品とは根本的に違う。
第一印象としては、作画などは確かにジブリの水準を保っており、遜色はなかったが、内容は「ポケモン」や「妖怪ウォッチ」等の子供向けテレビアニメの劇場版といったところ。
更に時事ネタ的なバイアスがかかった演出もあり、やや興ざめする場面も。いつものジブリ作品とは程遠い印象。
宮崎駿氏が東映動画時代からジブリまで継承してきた「冒険活劇」という要素は殆どなかった。
『ポニョ』以降の宮崎ジブリ作品は、老齢ゆえ精彩を欠いて妙な「自己完結」作品で終わってしまった感があったが、それ以前の宮崎アニメは確かに「血沸き肉踊る」冒険活劇ロマンを維持していて期待を裏切らなかった。
だがこの作品には、その真髄がない。
勿論、『メアリと魔女の花』は別人の米林監督作品であるから、宮崎アニメと異なるのは当たり前なことは解っている。
しかしどうしても元ジブリスタッフが手がけていることで、否応にも比較してしまうのだ。
観る者が期待しているのは、ジブリブランドを正統に継承する作品。
だから、米林監督は望む望まずに拘わらず、歌舞伎役者や落語家のようにジブリ一門を受け継ぐ、「2代目宮崎駿」の襲名を背負わされてしまっている。
その観点からすると、庵野秀明氏、新海誠氏等と比べ、不自由な立場にあるのかもしれない。
結局、作品内容的に思い入れて鑑賞する事はなかったのではあるが、妙なことに主人公メアリのニーソックスとスパッツが気になって仕方なかった。
『魔女の宅急便』のキキは黒いワンピースに幼女の履く白い提灯ブルマのようなパンツ姿で味気のないものだったが、メアリは若干大人っぽく描かれているため、その部分が変に「ジブリブランド継承作品」らしからぬ猥雑な印象を発するのだ。
良くも悪くもメアリの「スカートの中」とニーソックスが『メアリと魔女の花』最大の収穫であった。
メアリ170711 仕上げ

『モアナと伝説の海』、『暁斎(きょうさい)展』観賞感想他

映像鑑賞
03 /30 2017
気が付けばもう3月も末。2016年度も終わる。
いつ頃からこの時期がリクリートシーズンなったのか知らぬが、それに関連するCMや広告が巷に溢れていた。
たとえばブラスバンドをバックに会社訪問するCM・・。
あれ位のバンドを雇える財力が親にあれば、縁故でいくらでも就職先が見つけられるんじゃないかと思うのだが。
もっともあれは比喩であって、リクルート活動している女性を応援するという意味での演出なのだろうが、それでもなんか妙に感じた。
あと、少し前に電車のつり革広告で見た新卒者向けに教訓めいたスローガンを記した保険会社(?)の広告コピー。
若いときにたくさん失敗したほうが愛される人間になるとか、社長も最初は会社廻りで面接受けたとか、くすんだ美辞麗句が並んでいた。
だが、若いときに過失致死で何人も殺めた人間が愛されるとは思えないし、将来、社長になるような人材が、平社員同様な会社訪問などしない。
大企業ほどこういう「建前」で新卒者を欺くコピーを並べたがる。
一流企業は大半が縁故や有力者の子息で採用枠は埋まっている訳でCMや広告を信じた「一見さん」みたいな2流大学以下の新卒者など、最初から門前払いなのだろう。
下手に希望を与える広告を打つのは如何なものかと思うが。
希望する一流企業に就職するには親族や親が東大出身で様々な人脈を抱えているとか、最近、よく耳にする「政治家の口利き」がなければほぼ不可能だろう。
これが日本社会の本質であって、秀でた才能や技術を有しない限り、縁故や口利きに縁のない2流以下の大卒者に「終身雇用」の枠は廻ってこないのだ。
だから、まず将来を諦めることから始める。
それが大多数の2流大学以下新卒者の心得とすべきだろう。
決してリクルート関連のCMや広告にだまされてはいけない。

先日、渋谷の東急文化村で開催されている「暁斎(きょうさい)展」を観る。
暁斎に限らず、江戸、明治期の浮世絵には今の漫画の原点を連想させる作品も多かった。
これらは殆どが外国人コレクションによるもの。
つまり、日本本国には暁斎の作品が残っていないということか。
自国クリエーターの価値観を軽んじる国民性は今、現代に至っても変わっていない。
特に浮世絵から漫画に至る系譜周辺の分野においては、それが著しい。
日本の漫画原稿も遅かれ早かれ、海外に流出する日が来るのだろう。
嘆かわしい。
それはさておき、『鬼を蹴り上げる鍾馗』という作品が構図的に面白かったので家に帰って落書きしてみた。
きょうさい170329色

更にディズニーアニメ新作『モアナと伝説の海』も観賞す。
映像の完成度の高さは圧巻。
圧巻過ぎて感覚が狂う。これが当たり前になると目が肥えすぎて逆に陳腐なほうが新鮮に思えてしまう程。
大洋の夜空なんか、実際見たことがないのに、まるで体験したかのような錯覚に陥るほどのリアリティー。
内容も心打つものがあるが、なぜがディズニー映画はそれがあっという間に昇華してしまい、忘れるのも早い。
心に長く刻まれることがないファンタジー。
これほどのクオリティーの高さなのに、記憶に深く刻まれないというのは、単に自分の加齢のせいなのも知れぬ。
もっともディズニーのような子供向けアニメは単純明快で勧善懲悪が根本であるから、変に心に重く伸し掛かることなく、さらっと流すのが好まれるのだろうし、そういう作り方がスタンダードなのだろう。
因みに『モアナと伝説の海』も前回の『アナと雪の女王』同様に宮崎駿氏やジブリ、東映動画長編アニメを思い起こさせるシーンが多々あった。
船出のシーンとかが何となく『太陽の王子ホルスの大冒険』や『未来少年コナン』を髣髴とさせたのでモアナにラナの衣装を着せた落書きしてみるが、性格も体型も違うのであまり似合わない。
モアナ170329色a

そんなこんなでもうお花見シーズンである。


『この世界の片隅に』を観る

映像鑑賞
12 /03 2016
先日、アニメ映画『この世界の片隅に』(原作/こうの史代、監督/片淵須直)を観た。
板橋区にあるシネマコンプレックス。休日だったのでほぼ満席。
かなり前から評判だったのでなかなか手ごたえのある作品だった。
原作者の方については、コミティアで自費出版していた位の知識しかなくて、こんな重厚長大な作品を商業誌で連載していたとはまったく知らなかった。
映画のストーリーは呉に嫁いだ一人の女性が淡々と戦時中の銃後の視線から垣間見た作品。
それを克明にアニメーションで再現しており、実際、あの当時、呉にいたら、あのような情景が広がっていたに違いないと感じる。
兵器描写もリアル感があって、この部分だけでも興味深い。
松山の紫電改(一瞬、雷電かと思った)やB-29、大和や重巡洋艦青葉等も克明に描かれている。
戦後70年以上経って、当時の情景がリアルな動画で再現されるというのは妙な気分にもなる。
当時、米軍が撮影した呉空襲のフィルム等は結構残っているが、それをアニメーション映画として再構成という点でも価値ある作品だ。
このクオリティーで本土防空戦のアニメが観てみたい。
昔、自分がコンバットコミック他で連載していたB29が主役の『ジェットストリームミッション』という作品があるが、これを今回の水準並みでアニメ化出来たら・・。
もっともクラウドファンディングで募っても、お金が集まる見込みはなさそう。
まず企画が通らない。
以下の画像は『ジェットストリームミッション』からB29のシーンより。
JSM1707.jpg JSM0107.jpg JSM0503a.jpg JSM1801.jpg JSM1803.jpg

それはさておき、劇中で主人公が呉初空襲に遭遇したとき、その光景を見て、絵に残しておきたいほど綺麗な情景だったと感慨にふけるシーンがあった。
たしか徳川夢声の『夢声戦争日記』でも著者が東京大空襲を見て「凄観!、壮観!、美観!」と記してあった事を思い出す。
空襲下では何万人もの人間が焼き殺されているのにも拘わらず、その情景は恐ろしくも美しく映る。
しかし、それが人間として正直な感覚であることを素直に描くことが大切なのだ。
妙なバイアスをかけて悲惨さだけを強調すると、戦争の本質を見失う。
人間がなぜ戦争をするか。
それを問うためには嘘偽りない「現実」を描かねばならない。

戦争を題材とすると、自ずとそこに制作者の意図というものが介在してくる。
すなわち同じ戦争を扱っても描き方によって「反戦」映画にもなるし、逆に「戦意高揚」とか「プロパカンダ」映画にもなりうる。
バイアスをかける意図が強ければ強いほどその作品は胡散臭くなってくる。
そういう意味で『この世界の片隅に』は比較的冷静な側面から戦争を描いている気がする。
その手法が正しいかどうかは観る者それぞれが判断すればよいこと。
絶対的基準など存在しない。
最近はあまり耳にしないが「戦争娯楽映画」というジャンルもあった。
「戦争」と「娯楽」を結びつけると昨今は「不謹慎」と叱咤される向きもあるが、皮肉にも第2次世界大戦体験者が現役だった時代にそんなジャンルの戦争映画が多かったのも事実。
そこにもまた「戦争」の本質を探る鍵がありそうだ。

それにしても今年は、手ごたえある劇場用アニメが多い気がする。
『君の名は。』が宮崎駿的ヒットであれば、『この世界の片隅に』は高畑勲的ヒットといえようか?

最後にツイッターにも上げたが「漫画の手帖」連載コラム『妄言通信』カットイラスト。
妄言通信1612原画a
昭和20年10月、呉湾にてすずさん、海上特攻要員として訓練を受けるの図。
『この世界の片隅に』の世界で、もし昭和20年8月に終戦とならず、陸軍がクーデターを起こし、徹底抗戦となったらこんな情景もありえたのかなと。


アニメ映画『ソングオブザシー海のうた』を観る

映像鑑賞
10 /10 2016
先日、阿佐ヶ谷のミニシアター「ユジク」で上映されたアイルランドのアニメ映画『ソングオブザシー海のうた』を観る。
2014年に制作された作品。
チラシを見ただけだと1970年代っぽく、そのリバイバル上映かと思ったが、ごく最近の作品であることを知る。
制作から2年経ってやっと日本でもミニシアター系のみでロードショーが始まったようだ。
アカデミー賞のアニメ部門にもノミネートされるほどの作品にも拘わらず、あまり話題にならなかったのはなぜなのだろう?
ヨーロッパ系の長編アニメ自体、珍しく、興行的な期待が薄かったのだろうか?理由はよくわからない。
(これ以降はネタばれあり)
内容はアイルランド神話をベースに現代を舞台とした兄妹が繰り広げる冒険物語。
日本やアメリカ製のアニメに慣れ親しんだ目から見ると非常に新鮮。
絵本風のデフォルメされたキャラクターや背景画が美しく、興味深い。
フォーマットの絵柄は70年代っぽいが最新のCGを取り入れているので古さと新しさの融合がよい効果を醸し出している。
どことなく、近年のジブリ作品を髣髴とさせるイメージが通り過ぎるが、そもそも東映動画からジブリに至る名作系アニメの原点は欧米の御伽噺や神話アニメを素材にしている場合も多く、ネタが廻りめぐっているだけのこと。
むしろ本家は欧州にある訳で、この作品こそジブリの原点に戻っているのである。
舞台が現代のアイルランド港町風。
普段、日本で生活しているとアイルランドの町並みなど殆ど知ることはない。
古い町並みが維持されてはいるけれど、送電鉄塔や路線バス、そして森林に不法投棄されたテレビなど、今風の世情も描かれていて面白い。また、ハロウィン行事も今尚廃れずに維持されている国柄も内容に反映されている。

この作品ではセルキーというアイルランド神話に登場する神話上の架空生物(妖精)がテーマの下地になっている。
海ではアザラシの姿だが陸に上がると衣を脱ぎ捨てて人間の姿になるとか。
その衣を廻ってストーリーが進む。
日本での羽衣神話に近いか?
ソングオブシー1610色
結局、主人公の兄妹よりもセルキーの妻に去られたその父親の生き様に心が揺さぶられた。
海や天に還るのは、洋の東西を問わず、決まって妻や彼女である。
男が天界や海に帰ってしまう例はあまり聞かない。
結局、女は海であり、天であり、すべてを取り込み、男を翻弄する存在なのだろう。
男は必死になって女が聖地に還るのを阻止しようとするが、結局すべては徒労に終わるという結末は揺るがない。
男は常に地上に残される存在なのだ。
一応ハッピーエンドのお話であったが、やはり残された男の悲哀がヒシヒシと感じられる作品であった。

「描く!」マンガ展に赴く

映像鑑賞
09 /25 2016
先日、川崎市民ミュージアムで開催されている「描く!」マンガ展に赴いた。
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武蔵小杉駅からバスで10分ほどか。
規模は思ったよりも大きかった。てっきり「ゴルゴ13」を「よつばと」の作者がパロディーにしたイラストが数点展示されているだけだと思っていた。
考えてみればそんな企画だけで展示会する訳がない。
時代を象徴する漫画家の原画が歴代順に展示されていた。田中圭一氏による描写研究の解説文も興味深い。
場内は一部を除いて撮影も可能。
失敗したのは眼鏡。
外出用の遠景専用の眼鏡しか持ってこなかったので、観賞にちょうどよい距離での焦点が合わない。老眼が進んで近くのものが霞むのだ。
だからといって眼鏡を取ると、もともと近視なので今度は逆に5センチ位に近づかないとすべてぼやける。
極端から極端。
そもそも漫画原稿は原則B4サイズで一般の絵画と比べるとかなり小さい。
また印刷を前提としているので、修正とか、アタリとかあって、実は汚い。
昔は印刷が終わったら破棄されたり、読者プレゼントで切り刻まれたりと、基本「使い捨て」であった。
雑誌印刷も荒いので、漫画原稿は必要最小限のシンプルなタッチが原則。
だから、歴代著名作家の漫画原稿は意外と淡白でさらっと処理した線で構成されている。
印刷で飛んだり、潰れそうな細かい描写は殆どない。そんな丁寧に描いても時間を食う上に誌面には再現されないから誰もやらない。
一見、細かそうに見える諸星大二郎の原画も、実はかなりラフ。
量産が絶対条件のプロ漫画家にとって無駄な労力は皆極力省いているのだ。だから第一線で描き続けることが出来る。
自分のような印刷度返しで、原画観賞前提の描き方をしている漫画家は、こういうところには出て来れない。
大いなる矛盾。
それにしても、最近の複製原画はよく出来ている。
本物の原画との見分け方は、写植の紙の有無である。古い原稿は糊が退化して写植が剥がれて黄色くなっている。
今後、原稿制作がデジタル化されると、もう紙原稿を原画で観賞するという趣もなくなってしまうのだろうか。
ジャパンコンテンツが市民権を得て、公共の美術館でも比較的集客が見込める漫画原稿展示の機会が増えてきそうな予感もする。
余談だが、1970~80年代の学漫を紹介するコーナーに’79年発行の『ぱふ』全国まんが同人誌地図号の68P~69Pが見開きで展示されていた。
この4P後位に学漫時代の自分の作品が紹介されていたのを思い出した。
IMGP9602a.jpg IMGP9603a.jpg 
37年前か。
この本は今でも部屋にある。
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歳を重ねたせいか、やたら最近は過去のことを振り返るようになった。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/