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久しぶりに『風の谷のナウシカ』原作を読む

読書
01 /19 2017
先日の映画版『風の谷のナウシカ』地上波放映視聴に触発されて、久々に原作漫画7巻を全部読み返した。
内容が元々重いテーマである故、歳と共に読み込むこと自体にしんどさを感じるようになった。
最後まで読み終え、第7巻の奥付ページを捲ると、そこに一片の新聞切抜きが挟み込んであった。
朝日新聞1994年2月26日付、漫画評論家の村上知彦氏が誌上に連載していた「漫画のカルテ」と題されたコラム。
自分で切抜き保存していたことを完全に忘れていた。
ちょうどアニメージュで『風の谷のナウシカ』連載が終わった時の記事だった。
その最後で著者はこう締めている。
「自然を愛する一人の少女が如何にして心優しいテロリストとなったかの物語はいつまでも心に重く残りそうだ」。
そうか。
「救世主」ナウシカは結局のところ、テロリストだったとも解釈される考え方は実に面白い。

原作をずっと何回も読み返し、ナウシカを語るにあたり、要するに当初彼女は巨大文明崩壊の「火の七日間」後に汚染され尽くされ、荒廃し、腐海に怯え、戦乱に明け暮れる人間社会を救済せんがため、全人類的慈愛を発揮し、予言の書にも記された救世主のごとく、降臨せしめた使徒みたいな存在として描かれていた。
だが、読み込んでいくうちに、第7巻辺りから様相がおかしくなる。
実はナウシカは天から降臨した救世主などではなく、人類の再生のために用意された様々な「仕掛け」の一部たる人造(改造)人間に過ぎず、「浄化後」は破棄される存在だということを明かされる。 
「浄化した世界」では生きられないと。
するとナウシカは慈愛の存在から豹変し、「人類救済」の意味を歪曲し修正した陳腐な俗人革命家として描かれ始める。
偶然か必然かは解らぬが、巨神兵を意のままに扱う地位を得、己の僕に従えて、本家「人類救済」の牙城であるシュワの墓所へ乗り込み、そのすべてを破壊してしまう。
「墓の主」と対峙したナウシカは、それまでの慈悲深さを投げ捨て、安っぽいアジテーションで己の暴力を正当化し、巨神兵をして無慈悲なテロリズムに奔る。
要するにナウシカは自分が「人類救済」という唯一無二、神から自分に課せられた神聖な業に携わっていると信じて疑わなかったにも拘わらず、実はその遙か前、「火の七日間」を招いた軽蔑すべき「愚かな人間」によって「人類救済」がすでに計画されていたことに猛烈な嫉妬心を抱いたのだ。
そして自分がその「愚かな人間」によって作られた人造(改造)人間であることに我慢ならなかったのである。
その結果、ナウシカは土鬼の神聖皇帝と同じく、人類救済を謳って「浄化後のモデルハウス」たる「庭」から旅立ったものの、結局は暴君として君臨する愚か者レベルの人間に成り果てる。
要約すれば『風の谷のナウシカ』なる作品は「神聖なる人類救済」というイデオロギーの覇権を巡って旧文明が作り出した「庭の主」勢力と、そこから派生した「森の人」勢力との近親憎悪内ゲバ物語に過ぎない。
所詮ナウシカは「人類救済」の主導権を得るためなら血で血を洗う殺戮権力闘争を是認するとんでもないテロリストだという解釈も不自然ではなかろう。
元々、原作者の宮崎駿がそういったイデオロギーにどっぷり漬かった世代であるから、物語がそうなるのは当然かもしれないが。
ナウシカはその後、土鬼の地に留まったというが、果たして平安な国造りに徹せたかどうかは怪しい。
「庭の主」勢力を徹底的に摘発し、殺戮の限りを尽くし、土鬼はクメールルージュのような凄惨な国になったかもしれない。
チククを神聖皇帝みたいな恐怖王に祭り上げ、「森の人」勢力で磐石な権力構造になったのを見届けた後、ナウシカは己の思想本丸がある腐海に還り、「森の人」の下で「現人神」として君臨したのかもしれない。
要するにクシャナも顔負けの恐るべき暴君がナウシカの真の姿なのだ。

最近、SNSとかで「不謹慎狩り」とかいうのを耳にする。
己の「正義」を振りかざし、そのためなら何をしてもよいというような「プチ造反有理」人間。
己の「正義」をネット上に吐露するのは別に自由だ。
所詮、「トイレの落書き」か「パチンコ屋のチラシの裏」だ。好きなだけ表現すればよかろう。
だが己の「正義」に対峙する表現活動を妨害したり、中止を訴えたり、誹謗中傷する者も少なくない。
それが己の「闇」を露呈し、背後から己の後頭部を痛打していることに気が付かぬ有象無象がネットには蠢いている。
「除夜の鐘が煩いから中止しろ」
「餅つき大会は不衛生だから中止すべき」
「未成年の飲酒を促すようなCMは即刻中止すべきだ」
等々。
己の「正義」を振りかざし、その「正義」に反するものは抹殺しても構わぬという呟きは枚挙に暇がない。

俗欲に溺れず、慈愛に溢れ、理想に実直な人間ほど恐ろしいものはない。
このような者程、表現の自由や思想信条の自由を抑圧し、大量殺戮やジェノサイドを率先して容認し、実践する。

一見、慈悲深く、正義感に燃え、誠実さの塊のような人間ほど警戒したほうがよい。
彼ら、彼女らは、己の「正義」以外には寛容ではない。
平気で人を殺す。

ナウシカのような女性は「救世主」か?
実際、本当のところは誰にもわからない。
大きな胸に抱かれれば誰もが信じ、従ってしまうかもしれない。
でもそれは壮大な罠である可能性もあるのだ。

『日本沈没』と戦艦大和沈没

読書
02 /01 2014
気が付くともう1月が終わっている。いや、もう2月だ。
2014年。
子供の頃に夢想した「夢の21世紀」にも拘わらず、現実の2014年は曖昧模糊として1960年代よりも色褪せ、黴臭が漂い、ピントがぼやけた掴み所のない、ただ時が流れるだけの幻影にしか感じられない。

年明け早々、数年前に鬼籍に入った親父の書庫を漁って何冊かを読んでみる。
小松左京著『日本沈没』、吉田満・原勝洋著『ドキュメント戦艦大和』、吉村昭著『海軍乙事件』。

『日本沈没』は未曾有の大地殻変動によって沈む日本列島が舞台。
不可避の自然現象に立ち向かい、出来るだけ多くの日本人を脱出させる1970年代に描かれた近未来SF。
この小説では世界各地で活動していた日本商社のネットワークによって多くの日本人が救われるという設定が描かれている。
この本が出版された当時の日本は正に高度成長期真っ只中の1970年代初頭。
近未来設定としてもまだまだ日本の経済力は磐石で「エコノミックアニマル」と揶揄されながらも、日本商社のお陰で世界各国に日本人の居留地を築いていけるという希望的観測が述べられている。
小松左京は当時の様々なデータを駆使し「日本沈没」を描いたのでかなりなリアリティーがある。
実際に1970年代に日本沈没が起こったとしても、これに近い状況だったのだろう。

一方、『ドキュメント戦艦大和』は大戦末期、水上特攻として菊水作戦に参加し大半の乗組員と共に撃沈された戦艦大和が舞台だ。1945年4月、敗戦濃い中、闇雲な特攻思想で総員死ぬ覚悟で沖縄に突入する大和の断末魔を描いたノンフィクション。
もはや航空戦力なき艦隊での作戦行動は自殺行為に等しいと解っていながらも座して死を待つくらいならと、全滅覚悟で沖縄に特攻する戦艦大和乗組員のドキュメント。生存者の取材を絡めてこちらもリアルだ。

己の乗る大地、あるいは船が沈むことが確実で、一方では必死に脱出を画策し、一方では自ら死んでいこうとする。
同じ日本人なのに時代背景によって如何に行動ベクトルが違いすぎるのか。
戦争と災害、SFとノンフィクションの違いはあるにせよ、これをつづけて読むと何だか日本人の集団行動の特質が垣間見れる気がしてきた。

3冊目に読んだ吉村昭『海軍乙事件』は1944年、当時連合艦隊司令長官だった古賀峯一海軍大将が搭乗機の墜落により殉職した事件。事件の際に日本軍の最重要軍事機密文書がアメリカ軍に渡った日本海軍最大の不祥事を描いたドキュメント。
興味深いのは、当時日本の軍規で「虜囚の辱め」は絶対受けてはならぬはずなのに、不時着した海軍参謀はあっさりとフィリピンゲリラに捕まった挙句、機密書類まで奪われるという始末。後に救出されるも責任は問われず、むしろ栄転まで出来たという事実だ。
その上、機密書類は「たぶん奪われていない」と何の根拠もない楽観的推測で「なかったことにした」事実。
実際にはフィリピンゲリラ経由で連合軍に書類が渡っており、全ては筒抜け。当時すでに日本海軍の暗号は解読されていたのであらゆる作戦情報は連合軍の知るところとなっていた。「乙事件」の前、山本五十六殉職の「甲事件」も情報漏えいが理由だったそうな。
しかしそれを当の日本海軍はまったく把握していなかったらしい。
情報は漏れ、将官の不祥事も不問にされ、その場凌ぎに終始しただけ。
その延長上に戦艦大和の玉砕がある。

「死に方はじめ」
今の日本繁栄は太平洋戦争殉職者の礎の下にあるという。
だが当時の戦争指導者の責任感や現状把握は「海軍乙事件」に描かれているようにお粗末この上なかったのは事実だろう。
そんな彼らの命令によって何百万の将兵が死地に送り込まれた。
勝ち目のない作戦にただ死ぬためだけにだ。
戦艦大和の撃沈で、海軍将兵の犠牲者は約3700名。一方、米軍の犠牲者は僅か12名。
もはや作戦とはいえぬ、ただの「ワンサイド殺戮ゲーム」。
『ドキュメント戦艦大和』を読むと当時の乗組員は必ずしも作戦遂行のために闘志を燃やし続けていた訳ではない。
敵艦載機の見事な爆雷撃にただ傍観していたり、配給の羊羹を食べ損なったことに悔やんだり、傾斜が酷くなった最上甲板でタバコを一服したりともう恍惚の領域で「死に方はじめ」を受け入れざるを得なかった様子が記されている。
彼らが日本敗戦後の繁栄を願って死んでいったのかは知らない。
だが、純粋に軍事作戦として破綻した戦場に送り込まれ、それに従わざるを得ない茫漠とした運命に身を投じる他なかったのは事実だろう。
彼らを戦後日本繁栄の礎と祀るのは誰かの後付けだ。
現実は油まみれの海に放り出され、必死にもがくしかなかった。そこに日本の未来なんて思案する余裕などある訳がない。
ただ「死にに行け」と言われて「死ぬしか」なかったのだ。

日清日露戦争でなぜ日本は勝ったのだろうか?
数年前、NHKで放映された司馬遼太郎『坂之上の雲』等を観ると、当時の日本戦争指導者のスキルは相当のレベルだったように思う。
日本海海戦の勝利も単に艦隊同士の砲撃戦以前から決まっていたようなものだ。
海底ケーブルを張り巡らして迅速な情報を交換するシステムがすでに構築されていたし、何よりもロシア本土で革命を扇動する密偵の暗躍など敵国の懐深くでかく乱工作など磐石な諜報網が敷かれていた。
また外交においても日英同盟によってヨーロッパ列強の支援も得られたからかなりの勝算はあったのだ。
明治の宰相、軍人は国家の命運を心得ていた。
恐らく、明治維新という封建時代の価値観を全て破棄する通過儀礼を経た者だからこそ出来たのであろう。
文化、宗教、伝統、風習も全てかなぐり捨て、ちょんまげも和服も寺院も打ち壊し、近代化のため日本全てを西洋文化に塗りつぶした覚悟が戦争を勝利に導いたのかもしれない。

それが大正、昭和を経て単なる現状維持という惰性な時代に入った時、政治家も軍人も己の既得権益しか考えなくなった。国際的視野を喪失し、独断専行の大陸進出が欧米列強にとっては恰好の日本バッシングとなるのにも鈍感だった。
挙句、国際的孤立を深め、国際連盟脱退、勝てる見込みもない英米との戦争に突入するのであろう。
「ハルノート」なんてソ連の巧妙な外交工作らしいと聞く。
極東で対日戦争回避のために敢えて日米に緊張を煽りたてる目的でソ連スパイがアメリカ政府高官を唆したとか。
それにまんまと引っかかった日本が対米戦争を始めたとかの説があるそうだ。
日露戦争時と逆で諜報に勝ったのはソ連だったのだろう。

戦争は勝たなければ意味がない。

勝つ見込みがない戦争を始めて「死に方はじめ」と号令し、みんな死んで逝き、その結果戦争に負け、死んだ者を崇めたとて無能な戦争指導者の罪は消えない。

負けた戦争を穿り返しても負けは覆られない。
戦後100年経とうとも世界は「戦勝国」の価値観で回るだろう。
そんなものに固執するのは愚か者の選択だ。

1970年代前後の日本は死に物狂いで経済成長に驀進した。数十年前の過去の戦争の敗北に構っている暇などなかったろう。そういう意味では明治維新後の日本と似ている。
「エコノミックアニマル」だろうがアジア随一の経済大国として君臨できたのは確かだ。
だからSFであろうと『日本沈没』では多くの日本人を海外に救出可能なシミュレーションも描けたのだろう。

だが今、その勢いはない。
福島第一原発での「技術的敗北」がそれを物語っている。
同じ事象が1970年代前後に起こったとしても、恐らく献身的なモーレツ社員の特攻精神でメルトダウンは防げたかもしれない。
だが3年前の震災ではただ右往左往するだけ。挙句水素爆発を傍観するのみ。
そして誰も責任を取らない。

アメリカから不沈空母と頼られた時代は遠く過ぎた。
今やアジアの経済大国の座は日本から中国に代わった。
アメリカはもう手放しで日本と同盟を組まないだろう。

昨年末、宰相が靖国神社に参拝したという。
ニュースだと「不戦の誓い」をするためだという。本意は知らない。
同盟国のアメリカからは「失望した」と諭され、中国は反日キャンペーンを全世界的に展開し始めた。

さあ、日本はどうするのだ?
かつての戦争のごとく国民に「勝てない戦争」を煽り、無責任な戦争指導者の下、また「死に方はじめ」を号令するのか?
それとも過去に対する固執を破棄し、新たな価値観で未来を構築するのか?

もっとも、超少子高齢化の日本で「死に方はじめ」は始まっている。
号令しようとしまいと、それが早まるか遅くなるかだけのこと。
戦艦大和で出撃するまでもなく、日本列島全体が「菊水作戦」状態に陥ろうとしている。

『日本沈没』で救出計画の誰かがこう語っていた記憶がある。
「我々は世界に散ってたくましく生きなければならない。日本列島というぬくぬくとした場にいては大人になれん」

しかし、日本はもう「大人」になる機会を逸し、老い朽ち始めようとしている。

昭和の書籍3編を読了した後、今の日本を省みて「ろくでもない方向にずり落ち始めているのかもしれない」と感じたりもするがまあどうでもよかろう。
感じたとてもはやその流れをどうこうする力はない。
老い朽ち始めた国に1960~70年代の変革エネルギーは存在しない。
己の墓穴への道順が多少代わる位のこと。

「田所博士!日本はどうなるんですか?」
「解らん!」

吉村昭「大本営が震えた日」を読む

読書
12 /07 2013
今は亡き父親の書庫には吉村昭の著書がたくさん残っている。恐らく全著作そろっているのではないだろうか。
たまに自分もその書庫より徐に吉村昭の本を手に取ことがある。

先日読んだのは「大本営が震えた日」というノンフィクション。
もしかすると以前にも読んだことがあったかもしれないがよく覚えていない。
内容は1941年12月8日の対米戦争開始前夜の話。
全て極秘に進められていた真珠湾攻撃とマレー半島上陸作戦。それは一国の運命が掛かっていた。
もし情報が漏れれば、作戦計画は露呈し、破綻する。
案の定、様々なアクシデントから機密漏洩の危機が訪れた。
このノンフィクション小説はその国運を賭けた機密の保持と漏洩をなんとしても食い止めたい日本大本営の苦悩と逡巡を描いている。
結局、機密保持のために多くの尊い人命が奪われるが、その甲斐あってか奇襲作戦は成功裏に終わる。

あれから70余年。
折りしも国会で「特定秘密保護法」が成立した。
「機密の保護」と「知る権利」。
果たしてどちらを守るべきことなのか?
そこに絶対的な解答は存在しない。

人間社会は常に相対的な存在。環境に応じて生き残る策を探りつつ生きていく。
1941年の開戦前夜、当時日本は「ハルノート」という最後通牒を突きつけられ、大陸からの完全無条件撤退要求と戦略物資の禁輸処置で苦境に立たされていた。
大衆世論は白豪主義の傲慢に怒り、もはや米英との戦争は避けられない、一矢報いねばならないと誰もが思っていたはずだ。
そしてそのための軍隊もある。
当時の民衆にとって「知る権利」など途方もないことだった。
そして「勝つために機密を保護すること」に異を唱える声は皆無に近かったと想像に難くない。

戦争は大衆が支持してこそ成立する。
当時は全世界が戦争という「狂気の祭典」に酔っていた。
それが当時のスタンダードな世界だったのだ。
酔っ払いに正義と平和を説いたところで取合う者は居まい。
それが全体主義だ。

先のフィリピン台風の被災地に、多くの自衛隊が派遣されている。
その映像を観ていささか吃驚する。
ついこの前まで自衛隊の海外派遣はタブー事項だった。
国会で激しく議論され、かなり荒れたことも記憶する。
しかし、1990年代の湾岸戦争、阪神大震災、そして直近の東日本大震災を見るにつけ、自衛隊が内外問わず災害現場で働くことに違和感を抱く日本人は殆ど居ない。
いや、むしろ「ごくろうさま」と声をかけることが当たり前のようになっている。
かつては自衛隊員が電車で移動することすら労働組合によって阻害されたりする例があったことを考えると隔世の感。
更には武器輸出もかなり緩和されるらしい。
以前はこれもタブーだったはずではなかったのか?
ところが今、そのことに異論の声を挙げる世論など聴いたこともない。
自衛隊が「外」で業務展開することは、今の世では常識なのだ。

だが自衛隊が軍隊であることは疑いなく、戦争になれば国土内地で激しい戦闘を繰り広げる組織なのだ。

「秘密保護法」反対のニュースを見ていると集会に集っているのは殆ど老域に入らんとする年齢世代の人たちが目立つ。茶色い服。白髪交じりの髪、曲がった背中。
中には若い世代も幾分かは混じっているだろうが、総じての印象は老人会のリクレーション。
1960年代学生運動華やかなりし頃のデモと比べたら雲泥の差。
あの頃のモーレツなジグザグデモのエネルギーは映像で観ているだけでも威圧感を感じた。
当時は学生の父兄がデモに参加する息子娘に心労したというエピソードがあったが、今は逆なのかもしれない。

だが整然と歩くデモは所詮形骸だ。
人は年を取れば皆臆病となる。
誰もが「秘密保護法」には反対するけど己の生活と引き換えに潰そうとは思っていまい。
しかし、1960年代のデモ隊は命に代えても世界を変えるみたいな意気込みはあったはずだ。
あれは世代間の価値観闘争だった。
だが今のは単にかつての学生運動世代が歳をとっても同じようなことをしているに過ぎない。
60代の人間が「知る権利」云々を叫んだとしても、それは高齢者世代の既得権を守りたいからであって、若い世代の価値観とはまったく関係ないのであろう。
若者はいまでもつんぼ桟敷だ。

世界は若い者が動かしていく。
90年代東欧民主化の際、指導者は叫んだ。
「若者万歳!」
89年の中国民主化運動の象徴だった天安門事件も、その中心は大学生だった。
今でもギリシャやトルコのデモは映像を観ていると若年層中心。
だからあんなに激しい。だから世界のメディアも注目する。

若い男が歴史を動かす。これには疑う余地もない。

その若者が日本から居なくなった今、この国に自らを変えるエネルギーは存在しない。
超少子高齢化とはそういうものだ。

先日、たまたまテープライブラリーに残っていた1989年天安門事件時のニューステープを聴き直してみた。
すると興味深いことに気が付く。
民主化弾圧によって西側諸国から制裁を受けていた中国も、当時は日本との関係を無視することは出来なかった。
それは「改革解放路線」にとって日本からの経済援助が必要不可欠だったからに他ならない。
同時に東欧民主化やソ連邦崩壊直後のロシアも同じ事で、ニュースの中では頻繁に「日本からの経済援助を交渉の議題に」とかいう言葉が飛び交っていた。
そう、当時は圧倒的な経済力が日本の外交カードとして有効に働いていたのを物語っている。
海部とか宮沢とかもう記憶に薄い宰相の名前が出てくるが、そんな存在感のなかった首相の下でも磐石な経済力が日本を支えていた。

そしてそれが四半世紀後の2013年現在、完全に中国に取って代わられていることに愕然とするのだ。
今やその中国が先の大戦の復讐かのごとく日本を威圧し、領土すら奪おうと動き出している。

戦後昭和の高度経済成長を謳歌し、戦後半世紀を安泰に過ごしてきた日本。
しかし、少子高齢化が新たな世代の価値観を育むことなく劣化し、気が付けば強大に膨れ上がった隣の大国に飲み込まれんとしている。
それは日本自身がバブルに浮かれ、破綻し、おぼろげな「核の傘」を盲信し、自らの新たなアイデンティティーを構築してこなかった怠慢に全ての責任がある。
余裕も豊かさも失えばいつしか世情はかつての「知る権利」よりも「勝つための機密保護」に重きを置く事を望むかもしれない。
70年前はアメリカの「ハルノート」。
そして今度は中国の威圧的な力による現状変更。

歴史は繰り返す。

「大本営が震えた日」の最後に著者はこう綴っている。
「陸海軍人230万、一般80万人のおびただしい死者をのみこんだ恐るべき太平洋戦争は、こんな風にしてはじまった。しかもそれは庶民の知らぬうちにひそかに企画され、そして発生したのだ」。

だが結局のところ、その戦争を望んだのは紛れもない庶民そのものだった。


夜の阿佐ヶ谷七夕まつり

読書
08 /03 2012
映画の影響もあって久々に宮沢賢治の童話を読み返す。
数年に1回は読み直して様々な感慨に耽けったりする。
宮沢賢治の童話を読むと、小学校の理科室や「学研の科学」を起想させるのも不思議だ。
自分の手元にあるのは新潮文庫昭和52年版。
もう紙は黄ばんでボロボロだ。
これを何回読み返したろうか。
少なくとも30年以上、己と共に書棚に置かれていたのだ。
人生は本と共に年輪を刻む。


一説によると賢治は生涯童貞だったという。
童貞の妄想力があのような幻想世界を生み出したとも言われるが、本当のところは解らない。
ただ、どんな創作も独り妄想に耽る時間が必要な事は確かだ。
青春期に恋愛を満喫した者にあのような文章は描けない。

賢治の童話には「いじめられっこ」が主人公の作品が多い。
「銀河鉄道の夜」も「よたかの星」も主人公は自分の属すコミュニティー集団からこっぴどくいじめられる。
今だったらイジメを誘発させるとかの理由で発禁になってもおかしくなかろう。
新聞誌上で「いじめられている君へ」などという笑止極まる偽善文でお茶を濁す事しか出来ぬ世だ。
だから、今の時代に決して賢治のような作家は生まれようがない。

それはさておき、賢治作品に描かれているようないじめられる少年は孤独と絶望に苛まれ、人間社会から逃げだすしかない。 
自ずと救いは天空や物の怪に向けられる。
そうだ。
人は取りあえず食べていける状態で、且つ孤独に立たされると宇宙エネルギーとコンタクト出来るウインドウが開くのかもしれない。
「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニはケンタウル祭の夜、一人仲間はずれにされて孤独の中、天気輪の柱が立つ丘の上に向かう。
茫漠たる漆黒の夜空に見たものは、気の遠くなるような天空を駆ける天の川。
音もなく天に掛かる銀河の姿に「自分に呼びかける得体の知れない偉大なる存在」を感じるのだ。

自分もジョバンニと同じく、夏の夜に一人屋根に登って星空を見上げたことが幾度もあった。
もっとも東京都心では天の川など殆ど観る事は不可能。
光害によって1等星すら探すのに苦労する場所だ。
しかしそんな夜空でも、マトモな恋愛を1度たりとも経験出来なかった童貞にとって唯一己を投射出来た時空間に成りえた。
一人夜空を見上げ、根拠のない宇宙エネルギーとチャネリングする妄想に耽る時間が設けられた事は後の人生にとって財産となる。
宮沢賢治も恐らくそんな時間に様々な童話の源泉を得たのだろう。
だから「銀河鉄道の夜」で最も共感できるのは、この「天気輪の柱」の一節だ。

ところでこの天気輪の柱とはなにか?
読む度に違うイメージが湧いてくる。
若い頃は黄道の塵に太陽光が反射して光の柱のように見える「太陽柱」かと思っていた。
しかし、読み返すうちに道祖神のような石の柱が天の川を背景にシルエットとして浮かび上がっている光景ではないかとも感じられる。
ウェキペディアでも諸説論じられているし、様々な説を考察しているサイトもあって興味深い。
だが、そんなことはどうでもよいのだ。
人それぞれが時々に様々なイメージを持てばよい。
重要なのは、ここが己の魂と全宇宙とがコンタクト出来ると信じられる唯一の場所である事。

本当に真っ暗で星明りでさえ影が投射されるような場所に憧れる。
そんなノッパラに寝転がって天空を見上げ、己の魂と対峙する時が一番安らぐ。

遠く風に乗って街の音が微かに聞こえる。
己の家であればJR中央線の走行音だ。
昭和の夏の夜。
103系国電車両が高円寺と阿佐ヶ谷の間をゴトゴト走る。
阿佐ヶ谷西友の電光照明がぼうっと南西の地平線に浮かぶ。
どこかマンションの屋上の野外灯が切れかけていて、パカパカと点滅している。
空には銀河は窺えぬものの、人工衛星の軌跡と航空機の点滅が天空を駆ける。
どこか遠くの花火大会の音。
そして東の地平で規則正しく点滅する新宿高層ビルの航空灯。
そう、それは恰もジョバンニが天気輪の柱の丘で一人孤独に耽った状況と似ている。

若い頃、我は思った。
「嗚呼、ボクと一緒に生涯を共にする女の子は何処に居るのだろう。そんな子と何処までも一緒にいきたいなあ」
そんな夏休みの夜は皆、ジョバンニになれたのだ。

いつしか天気輪の柱の妄想に喚起され、徒然なるままに鉛筆を走らせた。
「銀河鉄道の夜」に描かれたケンタウル祭の夜の如く、阿佐ヶ谷七夕祭の絵が出来上がる。
2012七夕色a

また夏が来た。
夜祭りに出かけ、あの孤独な少年時代をを反芻しようか。
BGMは冨田勲で。





早川書房刊『ローバー、火星を駆ける』を読む

読書
07 /18 2012
早川書房刊『ローバー、火星を駆ける』という本がある。
2004年に火星に着陸し、今尚火星上で活動している火星ローバーの開発ドキュメントを記している。
著者はアメリカの火星ローバー計画研究代表者スティーブ・スクワイアーズという人。
この本の醍醐味はローバー計画そのものよりも、著者が火星探査計画に興味を持ち、幾度となくプロジェクトを立ち上げるも、尽く頓挫失敗を繰り返していった挫折の歴史である。

この本によると科学技術の大プロジェクトには4つの基本的要素があるそうだ。
すなわち、コスト、スケジュール、成果、リスクの四つ。
火星探査プロジェクト決定権を持つNASAはその4要素を吟味し、計画の是非を下す。
科学者や技術者はその基本要素をクリアすべく孤軍奮闘する。

また著者はエンジニアにとって最も尊ぶべきはマージンであると説く。
マージンとは最低限出来なければならないことと、必ずできる事の差であるという。
本文によると「何かを作るときには必要とされる以上の能力を設計の段階で持たせておきたい。例えば3階の窓から飛び降りても理論的に命に別状がないと解っていれば、2階から飛び降りるのは3階や4階から飛び降りるよりも気持ちがずっと楽だろう。このゆとりがマージンということ」らしい。
マージンは活動期間、予算、納期等を計算する時に「ある程度のゆとり」を設定して遅れや不足分を補完するのに用いられる。
頭のいいエンジニアはどの部分にも適切なマージンをとって最低ラインだけを満たすように設計するそうだ。

火星探査計画は大凡2年ごとに好都合なウインドウが開く。
地球と火星の公転周期の違いによって、その時期が決まる。そのウインドウを逃すと次の2年後まで計画は延期せざるを得なくなる。
だからこのローバープロジェクトもスケジュールとの闘いだったようだ。
本書にはその様子が克明に記されている。

ことを進めるのは人間である。
計算しつくされたプロジェクトも硬直した官僚組織、限られた予算、タイムリミット、理不尽な予定変更、世論、技術的困難等によって次第に綻びが拡大していく。
そして大抵の企画は完遂半ばで頓挫するのだ。

如何に一つのプロジェクトを完遂させるのに多くの者の熱意と集中力が必要か、またタイミングや幸運すら味方に付けなければ為しえぬかを思い知らされる。

このような事例は、なにも国家主導の科学プロジェクトに限った事ではない。
個人レベルのあらゆる日常業務や創作活動においても基本は皆同じだ。


著者の目指した火星ローバープロジェクトはそんな何回もの頓挫の上に築き上げた末の稀有な成功例だ。
しかし、一貫した志さえあれば願いはいずれ成就するという信念は揺らがない。

因みに来月六日には新たな火星探査車「マースサイエンスラボ」が火星の地層露出が著明なクレーターに着陸予定である。



あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/