「アナログ」に還る時

パソコン
04 /09 2014
何やらパソコンの基本OSのサポートが終了して、新しいバージョンに乗り換えないと不都合が起こるという噂を聞いた。
「なんとか8・1」にしないとどうのこうの云々。
一方、マックOS8.6で使い続けているG3もサポート対応のアプリケーション、周辺機器が今やまったく存在しない。これで作ったファイルも新しいOSでは読めない可能性すら出てきた。
また、愛用しているアルプス電気の熱転写型プリンターも次第にサプライ品の生産終了が増えてきた。インクカセットがなければもうプリント出来ない。
MOも絶滅寸前。
更に著名な写真修正アプリも今後、パッケージ販売からネット配信に移行し月額制になるという。バージョンアップもネット配信のみとなろう。
つまり、金を払い続けないと使用できなくなるらしい。

1999年、15年前から導入したパソコンネット環境。
しかしここに来て明らかな「袋小路」状態に陥っている。
古い機器やアプリケーションを使い続けることに何の不都合もないのに、機器やソフトを更新しないとそれが維持出来ない仕組み。
これは自分の「生き方」にはまったく適していない。
己が思い込んだものをトコトン使い倒すタイプの人間にとって「デジタル」はその価値観が完全に異なる。

思うに今汎用されている周辺機器が15年前のそれに勝っているとは限らない。
たとえばプリンター。
インクジェットの滲んで濡れる出力。すぐに擦れる。早いインク切れ。原価の1000倍位する「血液より高い」純正補充インク。安く済ませようとすれば手が汚れるインク補充。使えば使うほど金が掛かるシステム。
こんな劣悪なインクジェットプリンターに比べたら、どれだけ熱転写型が良心的でクオリティーが高かったか論ずるまでもない。
なぜに「優れた」熱転写型が滅び、価格システム、品質共に「悪質」なインクジェットが生き残っているのか?
皆目理解に苦しむ。
それはバックアップメディアでも同様で、保存性の高いMOが滅んで、それに劣るCDが主流になるなんてどうかしている。
自分はこれからも熱転写型プリンターが必要だし、MOも使い続けたい。
しかしそれが出来ない。
こんなおかしいことがあるか?

先日、ラジオのニュースでバチカン図書館の貴重な歴史的蔵書をデジタルアーカイブする事業のことを流していた。
日本の電電公社が請け負うとの事らしい。
だが、そんなデジタルデータがいつまで「読み取れる」のか?
デジタルで保存したメディア、ファイル形式。そんなものが「永遠」な訳がない。
むしろ数十年も持ちはしまい。
結局のところ、デジタルは冗長性に著しく欠けるのだ。
数年おきに新しいシステム、メディアに置き換え続けなければ永遠に読めなくなる。
紙に記された書物なら100年放置していても読むことは可能だ。
しかしデジタルデータはそれが出来ない。

写真も然り。
昔、フィルムカメラで「100年プリント」というのがあった。
一方、「劣化がないはず」のデジカメで撮られた数多の「写真」は出力しない限り、数年で「消滅」してしまうのだろう。
MD,DAT、MO等、あれほど「劣化なく半永久的に保存出来る」と謳われたメディアはその保存寿命以前にドライバーが市場から消えて「読めなくなる」。

バチカンのデジタルアーカイブ事業も完遂する前に最初のデータが読めなくなるのがオチだろう。
で、結局オリジナルの紙の書物で読むと・・。
愚の骨頂である。


今後、数多のデータはメディアに依存することなく「クラウド」とか呼ばれるシステムでWebに吸い上げられるという。
しかしそれは同時に、数多の個人情報やデータがネットを牛耳る企業、組織、国家に掌握されるのと同意語だ。
先に述べた写真修正ソフトもネット配信のみで管理されるならば、ユーザーがこのソフトで描く内容すらリアルタイムで監視されることになろう。
ならば、その企業、国家、宗教に反する「作品」は即刻削除させられることも可能だ。
Web「管理者」の承諾なくしては、ソフトを使うこともデーターをダウンロードすることも出来なくなる日が来る。

いつしか市民はたった一つの中央コンピューターで管理監視される。
かつて近未来SFで描かれた「悪夢」の現実化だ。

1990年代、先駆的未来を目指すものは迷いなくネットに足を踏み込んで行ったであろう。
だが、今や状況は変わった。
2014年、むしろ如何にネットから手を引くかが賢き者の選ぶ道ではなかろうか。

電車の中を見渡せば、9割方の人がスマートフォンを駆使し、己の情報をネットに注ぎ込んでいる。
だがこれが如何に危険で愚かなことかと。
それらのデータが果たして何処に流れていくのか、当事者は制御不可能なのだ。
ネットは変質した。
利便性の追求を求めれば求めるほど、己を危険に曝す事になる。

パソコン導入してから15年。
様々な機器、アプリケーションを更新しなければどうにもならなくなってきた。
でも、発想を変え、もう全てのデジタルデーターから「さよなら」してアナログ界に帰っていく選択肢もあるのだ。
Webを支配する「巨大な影」の奴隷となるよりは、安全なのかもしれない。
恐らく「真の賢者」はWebを捨て、アナログに還っていることだろう。

Webはやがて急激な進化の果てに自壊する予感がする。
その前に足を洗う勇気が必要なのかもしれない。
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アップルコンピューターと「サザエさん」

パソコン
10 /06 2011
アップルコンピューターの創設者の一人が亡くなったという。

自分が初めて買ったパソコンはポリタンク型のパワーマックG3。
1999年に購入以来、未だ現役だ。
当時はアイマックが市場に投入されて、その斬新なデザインでパソコンのイメージを一新させて話題になった時代。
この頃、漫画やイラストをパソコンで作画することが一般に普及し始め、自分もその潮流に否応なしに飲み込まれていった。
知り合いにマックユーザーが多かったのでマックを選択する事は決まっていたのだが、購入タイミングを見計らいかねていた。
そんな時にポリタンク型マックG3が発売されたのだ。

アイマックや白青G3がマックユーザーの裾野を大きく広げた事は間違いない。
アイマックはこれまでパソコンを使った事のない人たちを数多く取り込んでいった。おそらく自分もその一人に含まれるのかもしれない。
今回、亡くなった創設者がアイマックや青白G3をこの世に送り込まなければパソコンを購入する時期はもっと遅くなったはずだ。
いや、もしかすると今でもパソコンを入手することはなかったかも。

このようなカリスマ経営者がアップルから去り、この会社はどうなっていくのだろう?
これに似た事例を探してみた。
「サザエさん」である。
「サザエさん」は昭和を代表した漫画であることは誰もが知るところ。
そして作者の長谷川町子が鬼籍に入った今日もアニメの「新作」が作られ続けている。
なぜなら「サザエさん」というブランドは、時代が平成になってもその影響力は絶大だからだ。
しかし、今日作られている「新作」の中身は奇妙奇天烈極まりない。
「サザエさん」独特の昭和テイストは入っているが、無理やり今日の社会風俗とすりあわせているため「歪な世界」が展開する。
家の中にはいつまでたっても黒電話一つと居間にブラウン管テレビ1台。
一見昭和なのに舞台は平成22年。
この矛盾した世界で尚も物語りは続いている。
いや、続けざるを得ないのだ。
もし、長谷川町子が生きていたら、サザエもカツオもパソコンや携帯を使いこなし、それに纏わる斬新で面白おかしいエピソードが次々作られるであろう。
しかし、その作者が存在しない今、その時代感覚に合わせた発想を生むことが出来ず、スタッフがひねり出した「新作」は時間軸が狂った1950年代をひたすら描き続けるしかない「奇妙な世界」が続くだけ。
結局、「サザエさん」は長谷川町子の発想力が生んだ作品であって、それ以上でもそれ以下でもない。
今のスタッフが勝手にサザエさんたちに携帯やパソコンを持たせることは出来ない。
なぜなら、どうしていいか解らないからだ。
それが出来るのは長谷川町子だけ。

アップルも同じく、カリスマ亡き後も暫くはその絶大なるブランド名で「新作」は発表されつづけるだろう。
しかし、カリスマ経営者が去った今、「サザエさん」と同じく、思考停止のアイフォンやアイパッドの亜流を反芻するだけの退屈な会社に成り下がってしまうかもしれない。

カリスマは偉大である。
そして、偉大だからこそカリスマの周りには「イエスマン」しか集まらない。
「イエスマン」はカリスマの発想を迅速に処理出来る能力はあっても、カリスマに代わって斬新な「新作」を生むことは出来ない。

シロアリの女王が死ねばその巣は滅びる。
女王以外に卵を産む能力は、ない。

結局、アップルも「サザエさん」と同じように、カリスマの残滓を反芻して生き延びる以外に選択肢はないのだろう。
これからのマックユーザーは延々とアイフォンの亜流という「新作」でガマンするしかないのだ。

合掌。

CD-Rを焼き続ける

パソコン
09 /08 2011
3日間ぶっ続けでCDを焼く。
1999年に買ったマックG3に接続している外付けHDDから延々と5年間溜めたデータをCD-Rに焼き続けた。
疲れた。
へとへとだ。
これまでバックアップといえばMOだった。データ入稿では定番のメディアで御馴染みだった。
MOは記憶メディアの中の「優等生」と言われ、耐久性では他のメディアを寄せぬ性能を誇った。
何十年先もデータは安定的に保たれると。
だがいつしかこの記憶メディアは廃れ始め、今や風前の灯火。
いったいどういうことだ?
メディアの耐久年数よりも遥か短い年月でメディアもドライブも姿を消そうとしている。
まるで騙された気分だ。
果たしてMOユーザーはなぜ抗議の声を挙げないだろう?
どこからもそんな声は挙らない。
なぜなのだ?
MDもDATも大枚を叩いて購入していた者が大勢居たはずなのに。
「デジタルとはそういうものだ」で皆納得しているのだろうか?
データバックアップとしてまともに生き残っているのはCD-R。
しかし、耐久年数はMOよりかなり短いと聞く。
なぜそんな性能の低い記憶メディアが主流になったのか未だ理解しがたい。

果たしてデジタルデータバックアップはどれを選択すればよいのか?
人に聞けば皆てんでバラバラの事を言う。
「CD-Rが手軽でよい」といえば「CD-Rは耐久性がない。数年でデーターが消えるだめ」と否定される。
「HDDは安くなってるからお勧め」といえば「HDDは突然壊れるからだめだ。あれは消耗品だよ」と否定される。
「オンラインストレージが確実」といえば「サーバーが壊れたらお終いだ」と否定される。
果ては「デジタルは止めてポジフィルムに写して残せば?」とデジタル自体を否定する人も。

もはや途方に暮れるしかない。
じゃあどうしろというのだ?

恐らくはそのあらゆる記憶媒体に分散してコピーしておくのが最善の選択肢なのだろう。
だが、それをやっていたら1日中、データーのバックアップに明け暮れていなければならなくなる。

この3日間でCD-Rを100枚焼いたか。
CD-Rに焼く作業はストレスになる。1枚焼くのに30分近くも掛かり、その上時々エラーが出る。メーカーは国産で価格も高いメディアを使っているのにも拘わらず10枚に1枚は無駄になる。
こんなストレスを被る記憶メディアは辟易する。
しかし、他に方法がない。
OS8.6ではUSBメモリーにもDVDにもデータをコピー出来ない。
だからチマチマCD-Rに焼くしかないのだ。
ストレスなくMOにコピー出来た日が懐かしい。
焼いたCDをウインドウズXPで動くモバイルパソコンに移し、そこからオンラインストレージにアップする。
これもまた時間がかかる。
もうしんどくてしんどくてたまらない。
しかし、バックアップを軽視しているといつ何時、東日本大震災のような事態に遭遇しオリジナルを失うかもしれぬ。
その時に後悔せぬ為にもバックアップは大切だ。
だが、延々とCD-Rを焼いていると、ふと思ってしまう。
そこまでして残すべき価値があるデータなのだろうか・・と。

後世に継ぐべきモノならば己が釈迦利器にならなくても誰かの手で残されていくだろう。
案外、本人が保存など望んでいない方のデータが残ったりするのだ。
この世は皮肉に満ちている。
それにいくらパックアップしようと消える時は消えるのだ。
デジタルと言えど、数十年先にJPGやフォトショップ形式のファイルが開けられる保証はない。

デジタルデータの寿命なんて案外20年も持たないんじゃないか?
記憶メディアドライブもメディアも市場から消え、記録方式が進化していくごとに過去のファイルは読めなくなっていく。
それこそアナログのポジフィルムに写しておいたほうが、半世紀後まで残るんじゃないかと。
そんなことを考えると、CD-Rを焼くことがどんどん馬鹿馬鹿しくなっていくのである。
疲れた。
本当に疲れた。
疲労はMOの生産を放棄した日本のメーカーに対する怒りに変換され苛立ちが募る。
MOさえしっかりしていればこんな苦労は強いられなかったのにと。

インクジェットプリンターの補充インクに花束を

パソコン
06 /15 2011
先日の伊集院光のラジオで、某秋葉原アイドルグループの「総選挙」についてなにやらトークしているのを聴く。
伊集院曰く、これは阿漕な商売なのではないかとのこと。
この旧ソ連突撃銃の名称に似たアイドルグループことはよく知らない。
芸能活動に飽き足らず、ついに参議院選挙全国区に立候補して青島幸男と共に政界にでも進出するのだろうか?
でも最近、国政選挙が告示されたという話も聞かないし。
チェキッ娘も選挙出るのだろうか?
少女隊は?少女隊と少女時代って同じグループなのか?
因みにポピンズとマナカナの差も解らない。リンリンランランの違いも解らない。
上野のパンダと中華料理店の名前も混同してしまった。

それはさておき、阿漕な商売で思い起こしたのは、先日、インクジェットプリンターのインクがなくなったので補充用カートリッジを買いに行った時の事。
純正品の価格がモノクロ、カラー合わせて5000円近くしたのを知り、愕然とする。
インクジェット補充インクが高いのは承知していたが、改めて値札を見ると商品の前で立ちすくんでしまう。
自分の所有しているプリンターの補充インクカートリッジはサードパーティーでは扱っていない型。
だから高い純正品を買う他ないのだ。
メーカーはプリンター本体を安く売って、インクで利益を上げる方式で商売しているのだろうが、些か常軌を逸していると感じざるを得ない。
3回補充したら、補充用インク代が本体よりも高くなるという仕組みはどう考えても、狂気の沙汰だ。
インク代に1000円加えたら隣の自転車売り場で1台新車が買えてしまう。
時給1000円のバイト5時間分。1日のバイト代がこれだけで吹っ飛ぶのである。
たかがインクにだ。
インクなるものは消耗品な訳だから実質、この10分の1程度の価格が相場であろう。
それを5000円で買わせるのは、怪しげなカルト宗教の「お布施」に近い感覚だ。
あるサイトでは「血より高いインク」と評して問題提起しているが、まさしく言い得て妙だ。
家にはインクジェットプリンターの他にアルプスの熱転写型プリンターがあるが、こちらのカセットインクは適性価格。
インクジェットだけがおかしなことをやっている。

15年近く前、テレビでやたら家庭用インクジェットプリンターのCMを見たことがあった。
その頃は、家庭でプリンターを使う需要などあまりなかったので、何でこんなに煩いほど宣伝しているんだと疑問に思っていたが、こういう仕掛けがあった訳か。
だが正直な話、インクに法外な価格を付けて買わせる商法はユーザーの心象を著しく不快にさせているのは間違いない。
万年筆やシャープペンよりも高いインクや芯があったら、そんな商品は誰も買わないだろう。
だがインクジェットプリンターだけがこんな胡散臭い商売でユーザーに負担を強いているのだ。
プリントアウトする度に不快な思いがこみ上げてくる。
これこそ、阿漕な商売の典型であろう。

これと似た感覚の「商品」で、パソコンのセキュリティーソフトがある。
1年更新で6000円近く取られる。
これも効果の程が解らず、本当に役に立っているのか定かでない。
穿った見方をすれば、どうせセキュリティー会社が自分でウイルスを撒き散らして「マッチポンプ」みたいなことやってるんじゃないのかと常に疑いたくもなる。
消耗品のインクや質量のないパソコンソフトに理解しがたい価格を付け、購入を強いるやり方はどうにも我慢ならない。
ただでさえ倹約を迫られる今日、こんな如何わしい商品にお金を支払う余裕はもはやなくなっている。
その気になれば、無理してインクジェットプリンターを使う必要もないし、ネットも辞めてしまってもいいのだ。
それとも端からそんな貧乏人を相手にしない覚悟で商売やっているのか?

アイドルやタレントにいくらお金を突っ込もうとも本人の趣味、信条に由来するから損した気にはならないだろうが、生活必需品になりつつあるパソコンや関連商品に「阿漕な商売」を持ち込んでしまうと、そのメーカーはいつか消費者から総スカンを食らう可能性がある。
香水よりも高いプリンターインクなんてどう考えてもおかしい。

この際いっそのこと、インクを「魔法の色水」「パラダイスカラーウォーター」という商品名に変えたほうがいいんじゃないか?
そうすれば5000円でも安く感じると。
あと「このインクを使わないと不幸が訪れます」とか注意書きしとけば効果抜群。
ついでに「純正キャンディー」とか同封しておけば売り上げ10倍だ。
更に純正インク使わないとプリンターが自動的に発火するとかね。
サードパーティーのを使うと予め本体に仕込んでいた発火性薬品と反応して爆発するとか。
そうすればユーザーは高い純正品を買わざるを得なくなる。
そのうちプリンターメーカー社長は「教祖様」と崇められるかも。

素晴らしい商売だね。



デジタル化は「泡沫の夢」

パソコン
06 /04 2010
マックのハードディスクが満杯になったのでいつものルーティン通りにMOにバックアップを取ろうと思い、ふと気が付いた。
「もうMOでのバックアップは無駄ではないか」
1999年に初めてマックを購入し、バックアップにはMOと外付けハードディスクでずっと対応してきた。
バックアップメディアでは最も信頼性がおけて日本での普及率も高いMOを使っていさえすれば長きに渡って大切なデータを保存続ける事が出来ると。
しかし、2010年の今、もうMOを積極的に記憶メディアとして使おうとしている人はあまり聞かない。
原稿の版下入稿とかではまだまだ主流のようだが、一般ではもう殆ど誰も使っていない。
わずか630MBしか入らないのに1枚500円以上するのではないか?結局量産されなかったから価格も下がらないまま。
メディアもドライブも何時まで生産し続けられるか判らない。
メディアの寿命よりもドライブや読み取り方式が廃れ、結局読み出すことが出来ない事態が迫っているようだ。マックでフォーマットされたMOはウインドウズでは読み取れないし汎用性にも乏しい。
記憶容量も少なく、コストパフォーマンスが悪くなったメディアはMOに限らず、フロッピーディスクも淘汰されようとしている。
あれほど「MO」を信頼し、数多のファイルを記憶させていったのにこのままではただのプラスティックの円盤だ。
確かレーザーディスクも同じような感覚で廃れていった。
「半永久的に鮮明な画像でお気に入りの作品を手元に置ける」という「信仰」のもとに買い集めたLDも今やジャケットを眺めて映像の記憶を反芻するだけ。
結局のところ、デジタルメディア(LDは正確にはデジタルではないようだ)という類の短命さから学習するにあたり、そういったものに下手にお金を掛けると結局馬鹿を見るということだろう。
カセットテープからMDやDATに楽曲データを移行して、カセットを捨ててしまった人も多かろうが、結局、生き残ったのはカセットのほうでMD、DATを再生しようにもドライブがなくなってしまう時代が来る。
ハイビジョン映像で記録された貴重な記録や数々の「最新デジタルメディア」に残されたあらいる「文化遺産」もいずれドライブがなくなるから再生が不能となる。
結局、マイクロフィルムやアナログテープ、35mmフィルムで記録しておいたほうが「長持ち」するという皮肉。
「デジタル信仰」に煽られて元のアナログメディアを破棄してしまい、再生できない「死んだデジタルメディア」の山だけが残るという時代が来るかもしれない。
現在、主流のCD-R,DVD-R,ブルーレイ、USBメモリーなどのスマートメディアもいずれは例外なくMOと同じ道を辿ろう。
ある意味、「デジタル化」は人類文化遺産の喪失を意味しているのかもしれない。
数年後ごとに更新される「最新デジタルメディア」にこの全部の「デジタルデータ」を移し代える労力と工程上に生ずるデータの劣化を考えるとデジタル化は次世代に文化を受け継ぐ手法としては決してベストとはいえない。
最近はネット上でデータをバックアップするオンラインストレージというのがあるらしいが、これも果たして万能なのか判らない。
メディアに頼ることはなくなるだろうが、ファイル形式などが時代遅れになって結局将来、読み込めなくなる可能性もある。
こうなるとデジタル化させたものを長きに渡って保存させておく行為自体が、もはや破綻しているのではないだろうか?
そんなものに大金を叩いて保存させても数年後には読み取れる方策がなくなってしまうのであれば、こんな馬鹿馬鹿しいことはない。
結局は新しい記録メディアを投入するIT企業の意のままに投資しつづけない限り「デジタルデータ」は継承出来えないのだろう。
ipadだって「新しい書籍のカタチ」と持て囃されているが、所詮持っても5年だろう。
「紙に変わる新たな書籍のビジネスモデル」などという「信仰」は胡散臭い。速まって「紙」の書籍ビジネスを放棄し、ipad形式にすべて更新したところであっという間に廃れるから大損である。
所詮デジタルには質量がない。
価値があるのはそのプラットホームであって、そのプラットホームが刷新されるごとにフォーマットも最初から全部作り直さねばならない訳だ。
そんなことをしていたら本屋も出版社も利益どころの話ではない。新プラットホームごとに全部元から作り直しである。
「紙」で構成された元来の書籍フォーマットはもう何世紀にも渡って受け継がれており、出版社も本屋も読者もそのフォーマットを受け継いでいたから「安定したビジネスモデル」が確立した。
しかしipadみたいな「電子書籍」は数年毎にフォーマットが変わってしまうから将来を展望できる営業活動は保障されない。
また読者にとっても新しいプラットホームではもはや書籍を読み返す事すら出来ない。新方式になる度に新たに購入を強いられる。
「紙」の本を裁断してデータ化する人が居るが危険だ。本来の書籍ならいつでも読み返せるが、データ化したらそのリーダーが壊れたらおわり。データーを新しいリーダーに取り込めるとは限らないし、取り込めるとしてもお金と労力を強いられよう。
ipadも数年経ったら3DOやVHDのようになっているかもしれない。
結局、儲かるのは電子書籍プラットフォームを更新し続けるIT企業のみだ。
それを知ってかアップルなどはipadで配信する「電子書籍」に制限をつけて検閲まがいの事まで始めているという。
伊集院光もラジオで危惧していたな。
結局のところ、「電子書籍化」というのは世界の文化、芸術、風俗すべてを、増長するIT企業に委ねてしまうという危険性があるのだ。
すべてがデジタル化され、その閲覧が限られたIT企業の開発したプラットフォームのみでしか見られなくなったとしたら、ある意味恐ろしい。
デジタルに疎い一般の人も薄々この事に気が付き始めている。
デジタル化というのは、雲をを掴むような話で、そのような一瞬で霧散するものにすべてを置き換えるのは無謀すぎる。
結局、質量のないものに恰も価値があるように見せかけるシリコンバレーの錬金術に過ぎない。
対価は質量のあるものに生じる。
質量のないものにお金を掛けてはいけない。タダがデジタルの不文律。
そんなデジタルに取り込まれた数多の企業は遅かれ早かれすべて破綻するだろう。
そして最後に世界の富はアメリカIT産業の懐に収まると。
しかしこの「デジタル錬金術」もいずれは行き詰る時が来る。
原子力が万能エネルギーでなかったのと同じように。

デジタル化は、ある意味「泡沫の夢」なのだ。

あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/

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