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映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観る

映像鑑賞
11 /18 2023
映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観る。

最近は観たいというか、観ると決めた作品は封切直後に映画館に足を運ぶ。
でないとネットで漏れ出した情報に汚染され、観ても居ないのに観た気になって、結局観ないで終わるという馬鹿馬鹿しい結果に至る。
「ゲゲゲの鬼太郎」は幼少の頃からTVアニメで繰り返し製作され、水木しげるの原作も有名だが、取り立ててファンという訳でもなく熟読した経験もない。
だが水木しげるという唯我独尊的作家性と絵柄は何処か共感する。
こんな緻密で陰々滅滅とした作柄の作家がメジャーとして生涯を全う出来るのは本来あり得ない事。
おそらく「呪術的」なパワーを大戦中、徴兵された南方戦場のジャングルで「獲得」したのではないかと想像する。
水木に「何か」が憑依したのだ。

それはさておき、この映画は水木しげるの「戦争観」や「妖怪観」が下地になっているものの、絵柄自体が水木しげるテイストでないし(もっとも「ゲゲゲの鬼太郎」歴代アニメは原作の絵柄とはかなり異なっているのでこの作品に限ったことではないが)、内容は鬼太郎誕生秘話ということにはなっているが、鬼太郎も猫娘も冒頭と最後しか出てこないし、ねずみ男も頭巾をかぶった姿でないのでビジュアル的に鬼太郎テイストは薄い。
然るにある程度、水木しげるの原作やアニメを嗜んでいないと「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズというより「八つ墓村」等の金田一京助シリーズ邦画ホラーのアニメ版焼き直しという印象で終わってしまう。
それはそれで「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズを知らなくとも独立した単品映画としても成立するという事かもしれぬ。
原作で描かれている、水木の抱いた戦中戦後の「昭和大和魂高度成長的ガンバリ」に隠された怨念が漂ってはいるものの、テーマの重厚さには物足りなかったと感ずる。
しかし、同行した若い平成生まれの「鬼太郎ファン」は絶賛していたので、恐らく鬼太郎マニアにとっては満足出来る仕上がりだったのだろう。
それにしても猫娘の萌え進化は凄まじい。
次のシリーズではポリコレフェミの象徴として描かれるのだろうか?
恐ろしい。
レイトショーで観たので上映が終わったのは22時半過ぎ。
水木しげるの描いた魑魅魍魎妖怪漂うエネルギッシュな昭和は遥か過ぎ去って、活気の失せた令和初冬の夜道は、妖怪にすら見捨てられた空虚な闇に閉ざされていた。
数年前に描いた鬼太郎。
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10月の妄言その2

報道
10 /27 2023
正直どうでもよい話なのだが、熊。
今年は各地に出没し、人間に被害を与えているとか。
駆除することを「可哀そう」といえば、「住んでいる人間の安全を考えれば当然」だとか不毛な言い争いが香ばしい。
そもそも人間が本来熊を始めとする野生動物のテリトリーに進出したことが軋轢を生んでいる訳で、だったら人間がその場所から身を引くのが筋というもの。
だが人間は「自然」を切り崩すことで繁栄を謳歌してきた。繁栄のために人間は人間以外の生き物を抹殺することに躊躇しなかった。
結果、人間に滅ぼされた野生動物は枚挙に暇がない。
だったら熊も滅ぼすか?
狼も害獣としてこの国から完全に駆除された。
しかしその結果どうなったか?
狼という天敵が居なくなったことで鹿が増えすぎて森林や農作物が荒らされ放題に。
野良猫を追放した結果、ドブネズミが蔓延したのと同じである。
生体のバランスを崩せば必ず報いが人間に降りかかる。
熊も全滅させれば、同じような報いを受けよう。

熊が何故人間を襲うのか?
熊が人間に敵意を抱いている筈もなく、ただ食料を求めて里に下りてきているだけである。
継承者が居なくなった耕作放棄エリアが増え、都市と森林の緩衝地が失われたことも原因と言われる。
耕作地が放棄されるとは如何なることか?
これ即ち、文明の衰退である。
森を切り開いて繁栄を推し進めた人間社会が超高齢化人口減で撤退を余儀なくされ、結局野生動物に押し返されているのだ。
熊の繁殖能力が衰えなければ、やがて熊が人間を支配するようになるだろう。
今や、森林に立ち入る事は勢力を盛り返しつつある熊との対峙を意味する。
これからの登山、ハイキングは熊との命懸けの格闘が前提となろう。
クマに襲われ、死ぬことも日常茶判事な出来事となる。
全ては自己責任。
熊のテリトリーに入っているのだから熊に襲われたって文句は言えぬ。
そのためハイカーは武装し、自分の身は自分で守るしかない。
然るにこれからの時代、小学校の遠足ではおにぎりと猟銃が必須アイテムとなろう。
昭和時から続いた人間が森を支配する時代は終わった。
森に入るには自然と直接対峙するしかない。


また今年もハロウィンのシーズン。
しかし年々規制は強化され、イベントも減ってきた。
渋谷区長は「ハロウィン目的で来るな」とか傲慢な姿勢を打ち出した。
千客万来で成り立っている街のくせに何を言うか?
ハロウィンはある意味、若年層のうっぷん晴らしの場でもある。
かつて1960~70年代、学生デモが頻繁に発生し、そこらじゅうで角材、投石、火炎瓶が砕け散った。
そんな世代が高齢者となった今、逆に若者のエネルギーを抑え込もうと躍起になるのは何とも皮肉である。
社会は祭りあってこそ成り立っている。
日本にとってハロウィンはかつての収穫祭の代替として近年勃興してきたともいえる。
農耕民族の血がまだ名残として身についているのだ。
それを強制的に抑え込むことは、この民族のエネルギーを削ぎ取る事でもある。
祀りに「大暴れ」は付き物だ。
問題を起こした者には自己責任で償わせばよいことて、祭り全体を潰してしまえという思考は世代エゴイズムでしかない。
それでもハロウィンを抑え込みたいのなら、渋谷全体に戒厳令でも発令し、鉄条網でも敷いたらどうだ。
ご希望通り「無人状態」になろう。
それで飲食街や繁華街が全く収入ゼロになっても「知ったことか」である。
これらはコロナ文革と同じく、過剰な規制さえすれば事が収まるみたいな亡国短絡思考がこの社会に蔓延しているからだ。
その思考回路こそ、この日本を超少子高齢化、人口減化させ、優秀な人材が消えていく一因にもなっているのだ。
寧ろ逆にハロウィン時には渋谷を「解放区」として酒池肉林の場に提供すべきである。
府中大國魂神社の暗闇祭りの如く、この時だけは無礼講で自由に男女の乱交が許される場にするのだ。
そうすれば少子高齢化対策にも貢献するだろう。
基本はこの國のスタンスを「産めよ増やせよ富国強兵」にシフトさせることである。
祭りのエネルギーを削ぐなかれ。
ハロウィン万歳。


いわゆる「ヲタク」議員が糞尿マスコミの女性スキャンダル報道で失脚の危機だとか。
何とも情けない。
国会議員たるものは妾を何十人と抱えてこそ男子の本懐。
往年の豪傑議員は妾の数こそが有能の証であった。
渋沢栄一が何人の妾を囲っていたのか知っているのか!
それをたかだだか「2号さん」一人であれやこれや批判される謂れはなかろう。
寄ってきた糞尿マスコミ陣には足蹴にでもして蹴散らせばよかったにも拘わらず、逆に低姿勢で謝罪など豪傑の風上にも置けない。
この「オタク」議員もみっともない低姿勢を返上し、国会議員たるもの妾の数こそ競うべしと、「増税メガネ」首相に直訴し、ゴミカスのような野党の追及を一蹴すればよいのである。
妾に子を産ませれば少子高齢化対策に大いに貢献する。
生産人口が増えれば増税する必要もない。
豊臣秀吉の側室「茶々」だって有能な女性だった。
妾の子供と蔑む風潮は許さない。
それこそがポリコレ的「政治的正しさ」というものだろう。
「産めよ増やせよ富国強兵」のスローガンの下、「日本男子よ!妾を作り吶喊せよ!」と訴える事こそ、子ども家庭庁を所管する政務次官として為すべきことだと早く気が付いてほしい。
それが國に仕えるという事だ。
このスキャンダルを逆に梃子にして一層奮励努力していただくことをこの「ヲタク」議員には期待する。

「10月の妄言その2」終わり。

 




10月の妄言その1

日常
10 /27 2023
2023年も10月半ば。
金木犀の香りも旬を過ぎてきた。
今年は秋の長雨や台風来襲がなくて未だ秋という実感がわかない。
晩夏をずるずると引きずるような気候が続く。
先日、久々に本屋に入る。
いつからか本や新聞がなくとも不便さを感じなくなったのかよく解らぬが、書棚に昔手に取っていたミリタリー等の雑誌が存在しているのを見て、恰も本屋そのものが博物館になっているような錯覚に陥る。
雪崩を打つように情報がWebに移行し、紙の媒体が過去のものになりつつあるのに、「昭和」の雑誌や文庫が生き残り続ける不思議さに眩暈がする。
この膨大な紙の媒体は何時まで存在できるのだろうか?
これが消え去った世界はきっと「虚無」に違いない。

AI
AI生成のイラストが急激に「進化」して恐るべき状況になっているようだ。
自分はAIを扱ったこともなく、実際の所はよくわかっていない。
しかし誰かがSNSに上げたAIイラストを観ると何かしら妙なザワツキを感じる。
指の数がおかしかったり、物理的な法則と合致していない構図とか、そういう描写は正直どうでもよい。
AIがどういう「思考回路」で描いているのは知らぬが、人間の感性に訴える「何か」を最優先に描き出す「能力」に驚かされる。
スタニスワフ・レムの小説『ソラリスの陽の下に』に出てくる思考する惑星ソラリスの「海」のように人間の脳をスキャンしているかの如きだ。
もはやこのようなAIによる「作画革命」を止める事は誰にもできまい。
写真の発明と同じ位のインパクトがある。
しかしこのようなレボリューションに大きな反発を抱くクリエーターも少なくない様だ。
AIは元々既存の膨大な人間の描いた作品を「学習」しアレンジして「注文主」のオーダーに応える。
つまりは元々「誰かの描いた」ものを加工しているのでAIが一から描いている訳ではない。
著作権等も相まってAIに対する憎悪を燃やしている者もいる。
だが待て。
人間だって既存の作品に影響を得て、それをアレンジしてオリジナル化していると考えればAIも人間もやっていることに大きな違いはない。
純粋なオリジナル作品などこの世には存在しない。
全ては既存作品の「模写」から始まる。
AIに反発を抱くクリエーターは何に対して怒っているのだろう。
AIというシステムそのものなのか?あるいはAIを使って「作品」を作っている者に対してなのか?
どっちにしろAIという「道具」がこの世に生まれてしまった以上、時を逆行させることは出来ない。
AIを打ち壊せとか、禁止にしろと叫んだところで誰も聞く耳は持つまい。
写真機が発明され、これまで画家が独占していた肖像画がシャッター一押しで「処理」できてしまったからといって、それ以降、画家という商売が絶滅したなんて話は聞かない。
AIは新たな独立した表現方法の一つに過ぎない。
人間が作り出す「創造物」を侵食するとか、排除するとかなんて危惧は滑稽でもある。
もし、AIに己の作品が「学習対象」にされたくないのであれば、Web上にアップしなければよかろう。
別人がアップすることを恐れるならば、そもそも何も描かずに己の脳の中にしまっておけばよい。
表現物というものは程度の差はあっても、誰かの目に留まればいずれ「学習」や「アレンジ」の対象にされる。
それがAIか人間かだけの話である。
AIは人間と違い、一瞬にして膨大な数の作品を劣化のないカタチで「模写」するが、それが「時代」というものだ。
汽車や車、飛行機という「文明の利器」によってそれまで何日もかかった旅がどんどん短縮されたから言って「熟練した御者が扱う馬車で要した時間を短縮するなんて許せん!」なんて怒ったところで相手にされないのと同じ。
クリエーターはこういう時代の宿命に適応していかねば生き残れまい。

いずれAIは進化が早すぎて近いうちに「袋小路」に突き当たるのは想像に難くない。
意外と10年以内にAI作成画像なるものは人間の理解不能な領域まで達するかもしれない。
その後、AIはAIなりに独立独歩で「表現活動」していくだろう。
守旧的な思考にしがみ付いたところで不毛である。見捨てられるだけ。
もはやAIは重要なツールの一つだ。
それを使いこなせる者だけが生き残れる。
 









映画『バービー』を観る

映像鑑賞
09 /08 2023
先日、映画『バービー』を観る。

基本的にこの手のジャンルは興味がないのだが、米国で同時期に公開された『オッペンハイマー』とのファンアートが何やら炎上していたのでそれを基に更なるオマージュ画を描いていたら、取り敢えず元の映画は観ておこうかという気になった。
その問題のファンアートは原爆開発の科学者オッペンハイマーがバービー役の女優を肩に乗せ、背後で原爆が炸裂しているという構図。
バービーファンアート
それに公式が「素敵な夏になりそうです」というコメントを入れたものだから、日本方面から顰蹙の波が立って炎上したというもの。
だが、現地米国では日本への原爆投下なんぞ眼中になく、『オッペンハイマー』で語られる原爆開発と『バービー』で描かれた露骨なフェミニズムが「世界を変える」みたいな意味での皮肉を込めたファンアートだそうだ。
米国にとっては別に原爆投下を反省する義務などなく、核武装こそが安全保障の最大の武器という普遍的常識からすれば、日本人があれこれ口出しする権利など存在しない。
勝てば官軍、負ければ賊軍。
負けた者が何を言っても「負け犬の遠吠え」だ。
映画会社が謝罪する筋もない。

それはさておき、映画『バービー』【以下ネタバレ注意】。
昨今のポリコレ、フェミファシズム旋風の世からすれば予想通りの内容。
スターリン政権下の共産党賞賛プロパガンダ映画か、毛沢東主義の文化大革命宣伝映画か、自己改革セミナーの洗脳ビデオと大して変わらず、例えればフェミファシストの男性撲滅運動キャンペーン動画といえようか。
真に受けたら気が狂うので最初からそれを理解し、警戒しながら鑑賞すれば取り敢えず最後まで我慢出来る内容。
尽く「恋愛」というものを否定し、性差を否定し、男女が反目し、拒絶し合う社会が「理想郷」と説いているので失笑しか漏れない。
ただ最後に、主人公のバービーが創造主に諭されて死ぬことのない「永遠の命」がある人形を「卒業」し、限りある生命の「人間」として生きる事を決断した結末は、結局のところフェミファシズムの行き着くところも「絶望」であるという事を暗に語っている印象だ。

所詮人間は如何に偉そうなことを言っても哺乳類という有性生殖で繁栄してきた。
雄雌の交わりなしには種の存続はあり得ない。
その闘争に下に生存競争を勝ち抜いてきたのだ。
それを今更、一世代にも満たないフェミファシズム思想で「女性だけの理想郷」が構築出来るなどという事自体、滑稽である。
そもそもこの思想自体が真の人権にあるのではなく、巧妙に仕組まれた「弱者ジェンダービジネス」であることはもはや論を待たない。
そんなものに「救い」なんてなく、一部の活動家の懐を肥やす商売でしかないのだ。
結局、「人生の勝者」は結婚し、子供を産み、育てた男女の上に輝く。
それを否定したいのなら、人形のようなレプリカントに魂を移植させるか、肉体を捨て、性差のないプラズマのような存在として空間を漂うしかない。
しかし、そんなものは一朝一夕で出来るものではなく、1000年~1万年オーダーの時を経た技術革新を待たねばならぬ。
そしてそれが真の意味での「幸せ」かどうかも怪しい。

結局のところ、バービーは玩具人形でしかなく、魂の器にもなりえないから、その限界を超えるには自らの寿命が限られた「人間」として生きなければならない。
そして次世代に希望を繋ぐにはとにもかくにも子供を産むしかない。
そのためには男女が結ばれなければならない。
しかし、この映画では男女の反目こそ「理想郷」と謳っている。
その矛盾を解消するため主人公のバービーは「人間」になり、「男」なしで子供を作る行動を模索する。
最後のシーンで主人公は「産婦人科」に立ち寄るのだが、納得できないフェミファシストは、出産の為ではなく、単に定期検診のために産婦人科に寄っただけだと喚き散らす。
笑止!
作品のラストが単に「コンビニに寄りました」みたいなエンディングになる訳がなかろう?
バービー創造主に諭され、「命懸け」の一大決心で「人間」世界に降りて来た主人公だ。
それで単に「定期検診しました。おわり」なんて馬鹿も休み休みに言え。
流石に監督に失礼だろう。
ここはやはり、「子供を産む」というステージが語られてこそのエンディングなのだ。

もしかするとそこで人間バービーは「優秀な遺伝子を持つ」男子の精液を購入し、人工授精で自らの遺伝子を未来に継ごうと画策したのではないか。
受精に必須な「恋愛」過程をスルーして「遺伝子」だけを手に入れる。
そうすれば人間社会における「男性優位性」を回避しつつ、未来へ希望を獲得する。
それがある意味、現代における女としての「暫定的理想郷」としたいのか?

だが、そんな社会も上手く行くとは到底思えない。
結局、人工授精システムも財産や地位がある者だけの特権でしかなく、貧富の差を助長し、得られない者は益々出産機会を奪われ、ほんの一部の特権階級女子だけが僅かな優秀男子の精液を巡って奪い合うだけの話。
それに育児はどうするのか?
下男にでもやらせるのか?
所詮ハーレムの時代に逆戻りである。
大半の男女は何の利益も得られず、ただ反目し合い、老いていくだけの悲しい人生しか待っていない。
結局、この映画はフェミファシズムの限界を描いているに過ぎない。
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この先、文明が核戦争で崩壊し、新たなる「魂の器」たる人造人間「バービー」が出現しない限り、現世では男女が結ばれ子を育むことが唯一の「幸せ」となる。
それ以外は全て不毛にすぎないのだ。

 










ハムフェア、コミティア145お疲れさまでした。そして2023夏のおもひで。

同人イベント
09 /07 2023
コミケットに続いて8月19~20日ハムフェア、そして9月3日コミティアに続く一連の東京ビッグサイトでの同人誌頒布活動も何とか無事終了した。
猛暑の中、当サークル、及び委託スペースにお越し頂いた読者の方々にはこの場を借りて御礼申し上げる。
コロナ文革が一応の終焉を迎え、同人イベントのみならず馴染みの夏祭りも復活。
阿佐ヶ谷七夕祭り、立川、板橋の花火大会、高円寺阿波踊りも赴いて「真っ当な夏」を過ごした。
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猛暑日も続き、かなり過酷な状況ではあったが青空が広がる「夏らしい夏」であったのは幸い。
長雨で不順な天気が続く冷夏よりはよっぽどマシだ。
まだまだ夏を堪能し切れない感覚すらある。
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同人頒布活動に関しては、無線関連の新刊でもあり、ハムフェアでの委託頒布が順調で搬入分完売できたのは収穫であった。
一方で、同人イベントでの頒布は、相変わらず低調のまま。
コミケット頒布数もコロナ前の3分の一程度。コミティアも特段コロナ開けの恩恵はない。
一度離れた一般参加者がなかなか戻ってくる気配も感じられぬ。
今回のコミティアでは前日、午前4時位まで起きていたのも祟り、途中居眠りすらしてしまう状況。
訪れる参加者が引く手あまたならば眠気など出ない筈。
これはよくない。
暫く商業誌活動から離れているのも原因だろう。
かつては知り合いの編集者がコミティアの当スペースへ足を運んで頂いた頃もあったが最近は久しくない。
コミティアではトイレの帰りに「出張編集部」ブース辺りを見て回るが、何ともどうしたものかと思う。
少し前のコミティアでいくつかの出張編集部ブースに持ち込みしたことがあったが、完全に空気感が違った。
箸にも棒にもかからないという雰囲気で未デビューの新人漫画家志望レベルの反応しかない。
このような場所でのアプローチはもう無意味なのだろう。
基本的に商業雑誌の編集者が新たな漫画家を採用する際は、まだ若いエネルギッシュで今時の絵柄を精力的に描け、ストーリーも卓越したセンスがある者を探すだろう。
あるいは、既に売れた実績のある作家かのどちらかだ。
「出張編集部」では前者の候補を発掘する場だ。
後者は元々縁があろうから、こんな同人誌即売会で探す必要もない。
ある程度長く漫画家をやっていても、還暦を過ぎてヒットを飛ばしたことのない者は対象外なのだ。
だから、自分のような漫画家はこのような「出張編集部」に赴いても新しい連載の場を見つける事はほぼ期待できない。
結局は同人レベルで細々と創作活動を続けるしかないのだろう。
そういうレベルのベテラン漫画家がコミティアで個人サークルとして参加している姿をチラホラ見かける。
どういうカタチにしろ、創作活動を維持できる状況にあれば、まだアイデンティティーは保てる。
しかし、それが失われたらTHE ENDである。
そういう恐怖がじわじわと迫る感覚がコミティアに参加する度、強くなってくる。
コミティアに初参加したのは確か1994年頃だったので、すでに30年近く連続してサークル参加している。
30年も経てば状況は変わってくる。
人はもう60を数えたら、次世代に希望をバトンタッチする世代。
その希望を託す対象もなく、ただ朽ち果てるだけの存在となりつつある悲哀が漂う。
しかしそれも宿命である。
せめてあと20年はこの世界で藻掻き続けられれば上出来であろう。
コミティア終了後、1時間近く並んで宅配を出して帰路に就く。
この夏のビッグサイトの日々も終わった。
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赤く染まった茜色の晩夏黄昏雲に人生の儚さを想う。
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コミックマーケット102お疲れ様でした

同人イベント
08 /14 2023
コロナ文革も終焉し、5類になってから初の制限なしのコミックマーケット102。
今回も二日目13日にサークル参加。
台風7号の影響も心配されたが進路が西寄りに変って、東京地方は直接の影響は免れた。
前日、午前3時までコピー誌製本が押し、6時起床予定で目覚ましを掛ける。
睡眠時間が僅か3時間。
とはいえ、普段のコミケならある程度緊張感があるので寝坊経験はなかったのだが、今回は失態。
一旦目覚ましで起きたものの、二度寝してしまう。
売り子さんからの携帯着信で目を覚ますと待ち合わせ時間の8時を過ぎている。
この時点でまだ家とは驚愕!
慌てて飛び起き、急いでビッグサイトへ。
遅刻してまともに頒布出来なかったという夢を時々見ることがあるが、これでは正夢。
何とかサークル入場時間締め切りの午前9時半にはギリギリ間に合ったが、こんなことは初めてだ。
コミティアでは一度寝過ごしたことがあり、昼過ぎに会場到着というのがあったが、コミケでは流石にない。
更に現地到着後、宅配荷物に入れたはずの見本誌や値札POP類が見当たらず。
まるごと家に置き忘れたのだ。
前回のイベント片付け時に荷物から出してしまったことを完全に失念。
最近、スマホをうっかり紛失したり、原稿入稿時に印刷用の紙指定を間違えたりと、過去一度もミスしなかった事例が起き始めた。
60歳を過ぎて忘れっぽくなったり、探し物が多くなったり、50代までは普通に処理できたことが異常に時間がかかる等の状況に戸惑う。
加齢は恐ろしい。
それはさておき、売り子さんのフォローもあって何とか値札もビッグサイト内で付箋を購入し、事なきを得る。
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朝はとにかくバタバタしすぎた。
今回も「少年創作」は西ホール。
自分が配置された「島」は晴海時代からコミケ参加していたサークルが目立ち、初老のベテランメンバーが目立つ。
そんな中、お隣は若い外国人女性主宰のサークルだった。
10時半開幕。
入場制限なしのコミケではあったが、西ホールは然程込み合う事もなく、いつも通りののんびりした雰囲気。
ただ、異常な蒸し暑さには閉口。エアコンが全然効いていない。
受け取る1000円札も汗びっしょり。
売り上げもコロナ禍最中と然程変わらず、コロナ前の3分の一程度。まだまだ情況的には苦しい。
西館という事情もあるかもしれない。
更にサークル、一般参加者共にまだマスク率は高く、7~8割は装着。
ノーマスクのほうが目立ってしまう。
まだ正常化には程遠い。
あと、中国語を話す参加者が目立って増えた印象。
文化が近いのでコミケもいずれあっという間に中華圏へ飲み込まれてしまうのかも。

コミケにサークル参加し始めてからもうすぐ30年。
取り巻く状況も、一般参加者の世代も移り変わり、自分のコミケに対する参加スタンスも状況変化に合わせていかねばならないのかもしれない。
16時、何とか無事に閉幕。
撤収すると外はスコールのような雨。
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いずれにしろ、この猛暑の中、当スペースまで足を運んで下さり、様々な差し入れを頂き、感謝の極み。
この場を借りて御礼申し上げます。
やはり読者あってのサークル活動。
今後とも一層奮励努力して創作に励みたい。
来週はハムフェアーで委託販売。
更には9月3日にはコミティアサークル参加予定。
宜しくのお程を。

 






あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/