FC2ブログ

『戦略空軍命令』という映画

映像鑑賞
01 /30 2019
先日、『戦略空軍命令』という映画のDVDを購入。
1955年公開のアメリカ映画。
2018101400501706d.png
主演はジェームズ・ステュアートとジューン・アリスン。
当時のアメリカ戦略空軍を舞台に、再召集されたパイロット士官とその夫婦を描いた作品。
巨大爆撃機B-36や最初の本格的ジェット爆撃機B-47が余すところなくふんだんに登場し、資料的価値も高い。
航空ファンの間では知る人ぞ知る映画。
昔、東京12チャンネルか何かで放映されたのを観て以来、記憶に刻まれている稀有な映画だ。
実はこの『戦略空軍命令』は久しくDVD化されておらず、全編をじっくり鑑賞する機会がなかったのだが、やっと昨年あたりにパッケージ販売された。
一般洋画のDVDなどめったに買わぬのだが、これは特別だ。ネビル・シュート原作の『渚にて』以来、2枚目だ。
『渚にて』も1950年代作品。
和洋問わず、この時代の映画は今、一番熟成しきって芳醇な香りに満ちている。
未だ理由が解らぬが、この当時の映画は恐ろしく発色がよい。フィルムが特別なのだろうか。とにかく美しい。
当時のカラーと比べると、現在の映画はまるで色褪せたイメージ。
誰もそのことに言及していないようで実に不思議だ。
js04.jpg
それはさておき、『戦略空軍命令』。
改めて全編見終わって、様々な意味で素晴らしい。
(以下、本編内容物語結末描写あり注意)
いうまでもなくB-36とB-47の描写は格別だ。戦略空軍の全面協力の下、機内の細かな描写や優雅なBGMに合わてコントレイルを吐きながら成層圏を行く空撮は琴線に触れまくりだ。
それも全て実機の実写。
CGでは絶対表現出来ない、その時代の空気感まで伝わってくる。
1955年の匂いがするのだ。
米ソ冷戦下、大気圏内核実験華やかなりし時代、その優雅で美しい爆撃機の姿と相反する、第3次世界大戦の危機感こそが1950年代の魅力なのだ。
『戦略空軍命令』はそれを象徴的に描いている。
第2次世界大戦が終わってまだ10年。
主人公は戦争中、B29の搭乗員だったという設定。
復員してプロ野球選手として活躍していたが、人員不足に悩む戦略空軍からスカウトの誘いが。
主人公の上官は諭す。
戦略空軍は世界の平和を維持するために崇高な任務を担っていると。
核報復能力こそが平和を齎すのだと。JAPを焼き殺したように、再び敵をやっつける覚悟に目覚めるのがアメリカ人の義務だと。
主人公はその「崇高な任務」のためにプロ野球スタープレーヤーの座を降りて空軍の再召集に応じていく。
核兵器の運用こそが平和の実践だということを信じて疑わない1950年代の大らかさが絶妙だ。
sacmovie.jpg 
また、主人公と新婚まもない妻との関係も感慨深い。
再召集された夫に健気についていく専業主婦の妻。
夫の任務に不安を抱くもそれに耐える「女の強さ」が1950年代にはある。
当時はベビーブーム。妻が妊娠して出産するも、すぐに病院から追い出されるシーンもよろしい。
なぜなら後から後から出産予定の妊婦が入院してくるからだ。
主人公はいう。「戦略空軍では一ヶ月に1500人もの赤ちゃんが生まれるんだ」。
そんな描写も生き生きとした1950年代の活力を感じさせる(ちなみにこの時生まれた赤ちゃんは、2019年現在64歳。いわゆる団塊の世代)。
夫婦の食卓に並ぶ、ティーカップや角砂糖・・これらも1950年代、自分が子供だった頃に慣れ親しんだデザインだ。
当時の邦画でバヤリスオレンジが並んでいるのと同じ郷愁だ。
また基地内の将校宿舎もよい。
在日米軍のキャンプ廃墟には、当時の似たような宿舎が残っている。
まるでタイムカプセル。『戦略空軍命令』は映像まるごと、その「タイムカプセル」なのだ。
特選物のワインなのだ。
また映画の後半、太平洋を超えてB-47を渡洋運行するシーンでは横田や嘉手納も舞台の一部になっている。
ジェットストリームの向かい風で到着予定が遅れるエピソードも興味深い。
当時は日米講和条約からまだ4年しか経っていない。朝鮮戦争も終わったばかり。
日本の空はまだ我が物顔に米軍機が飛んでいた頃。
日本人に対する配慮などまったくなかった雰囲気も清々しい。
ちなみに2019年現在も「横田空域」は存在していて1955年当時と基本的に変わっていない現実も香ばしい。

映画の終盤、結局、主人公は右腕に怪我をして除隊。
野球選手に復帰することも出来なくなる。
しかし、妻の内助の功で、なんとかなるんじゃないかという雰囲気を匂わせて、物語は終了。
この映画のラストで上官はいう。
「戦略空軍は君達のような非常勤や民兵でなんとか維持されているのだ」と。
最後は主人公が育成したB-47部隊が編隊飛行してEND.
エンドロールもなし。
基本的にこの映画は戦略空軍のプロパカンダであるので、オチは身も蓋もないのだが、その単純かつ、ひねりもない描き方がまた清々しく、素晴らしい。

最初、テレビで観たときは爆撃機の描写ばかりに見惚れたが、今観ると1950年代の夫婦愛が、日本の高度成長期のそれと類似して「古き良き日東紅茶」の時代を思い出す。
いずれにしろ『戦略空軍命令』は核兵器万能と専業主婦が絶対だった時代を反芻出来る貴重な作品であることは間違ない。

展覧会三景~エドワルド・ムンク、吉村芳生、ヒグチヨウコ~

映像鑑賞
01 /22 2019
年末から年始にかけて展覧会を三つ。

東京都美術館『ムンク展』
20日で閉幕した東京都美術館『ムンク展』は、このブログでも何回か話題にした。
20代の頃より『ムンク展』が開かれる度に足繁く通ったものだ。
自分の部屋の本棚には、そのいくつかのムンク展フライヤーが貼ってある。
IMGP8313aa.jpg
日に焼けて色褪せてはいるが、それがまたムンクらしい。
最初の展覧会は1981年であったか。東京都近代美術館で開催されていた。
まだ学生時代、確かゼミの卒論も「ムンク」を題材にした記憶がある。
自分は『叫び』よりも『病める子』シリーズに惹かれていた。
だが最近は恐ろしくてダメになった。
死や病を観念的に戯れの対象と出来た頃は幸いである。
現実にその「闇」がひたひたと押し寄せてくると、絵画鑑賞どころではなくなるのだ。
フィヨルドに映る舌のような夕日にメランコリーを感じる若き頃は遠く過ぎて、老い朽ちる気配が聞こえてくると、もうどうしようもない。
ムンクは医者の家系に生まれたから、若き頃の苦悩を生きる糧にも出来たし、名声も得られた。
だから生涯独身であっても、晩年は過不足ない生活環境であったろう。
だが、老いて名声もなく、お金も地位もない独身男性は惨めだ。
若い頃の観念的な絶望が「現実」として襲い掛かるのだ。
真っ赤な蔓草。真っ赤に染まる夕日。
己を貫く絶望の叫びは青春の特権だ。
老いての絶望は声すら出せず、ただひたすらに孤独の闇の中で次第に衰えゆく心身に絶えるしかないのだ。
IMGP8111aa.jpg
今回の展覧会は盛況と見えて、入場30分待ち。
ロビーにあった動画風に動くムンク画が陳腐。
IMGP8117aa.jpg
動かしたいなら本物の独身絶望男性を真っ赤にペインティングして徘徊させればよいものを、小手先のごまかしではムンクの苦悩は表現出来ぬぞ。
やはり年老いて感性も鈍ったか、若い頃のように齧り付きで鑑賞するような情念はなくなってしまったが、キャンバスにぶつける様な描き方は忘れてはならない。
ただ形を追うだけの作画は無意味だ。
心の滾りを表現しなければならぬのだ。
それが出来るのは若い頃だけ。
今やってもただの老醜か、挙動不審の変質者。だがそれでも描くというのが絵描きの生業。
警官の職務質問に素直に従ってはならぬ。
狂気で対応してこそ表現者の最低条件だ。

会場中盤に掲げられた『叫び』『絶望』『不安』三部作。
立ち止まって観れないが、少し後ろに引けば全体像が解る。
『叫び』はムンク自身ではない。観る者が心に内在する恐怖の映し鏡。
核爆発にも似た真っ赤な空はサードインパクト。
マンガ論争原画1812baa
後半は、精神の嵐から抜けて穏やかな老年期の作品。
この辺りはあまり観るべきものはない。
人は年老い、落ち着かなければ心身が持たないからこれでいいのだ。
生涯独身のムンクではあったが、身の回りの世話人もいたろうし、国も文化功労者として手厚く保護したことは想像に難くない。
全ては地位と名誉とお金である。

そしてミュージアムショップ。
今回のムンク展でもいくつかのグッズを購入。
IMGP8236aa.jpg
1980年代は複製原画にポストカード、ポスター位しかなかったのに、今やアイドルグッズ並みのアイテムがこれでもかこれでもかと並ぶ。
お茶やジャムはまだしも、スナック菓子キャラクターにポケモンである。
ピカチューが「叫び」の真似をしているなど、不謹慎甚だしいと怒る者など誰も居らず、鑑賞者は我も我もグッズに飛びつく。
フィギュアやピンズのガチャガチャまである。
ムンクの苦悩は今や美術館の肥やしになってしまったのだ。
展覧会場を出ると、上野の森は冬晴れの快晴。
照り返しが眩しく、目も開けられぬ。
北欧フィヨルドの白夜とは対照的な空っ風の中を背を丸め上野駅に向かう。
パンダ以外にこれといって売りがない上野界隈の情景もまた、ムンクの描く絶望とは別のディストピアだ。

『吉村芳生 超絶技巧を超えて』。
年始になってからも二つのミュージアムに。
一つは東京駅にある東京ステーションギャラリーで開催されていた『吉村芳生 超絶技巧を超えて』。
一言でいえば、「人間テレタイプ」。
新聞や写真を細かな升目を通して鉛筆で濃淡10段階位のトーンでトレスしていく。
すると写真そっくりの「絵」が完成する。
現代芸術というものは、大抵誰かしら似たようなアプローチで表現するもの。
この作家のやっていることも、そんなに珍しい手法ではないが、その膨大なスケールと徹底した執着心が圧倒的に違う。
自画像や新聞紙を365日、ひたすらトレスするという「業」にも似た創作活動が継続できた環境にも秘密があろう。
その作品自体は平凡でも、その「工程」に意味がある。
元になった1970年代の写真や新聞も興味深い。
不思議に思うのはこれだけ膨大な作業だから一年中引きこもっていると思ったら、外国にも旅行するし、結婚して息子も設けたらしい。
作品よりもそのあたりのパラドックスが恐ろしい。
ちなみにこの美術館はレンガつくりの東京駅の中に設けられていて建物自体が重要文化財並みの価値がある。
IMGP8300aa.jpg

「ヒグチユウコ展 CIRCUS」
次のミュージアムは芦花公園最寄の世田谷文学館で開催されている「ヒグチユウコ展 CIRCUS」だ。
こちらも吉村芳生に負けず劣らず超絶技巧の頭のおかしい女子作品。
こういった偏執狂的イラストを描く人間は、どこかイカレている場合が多い。
しかし、それがアートに向くと「偉大なる芸術家」となる。
IMGP8307aa.jpg
IMGP8306aa.jpg
ディズニーシーで売ってるジェラトーニの目玉を腐らせたようなキャラクターがアノマロカリスを抱いていたり、猫の顔なのに手が蛇で足が蛸という化け物を描いたりとキチガイレベルが高い。
そんなイラストがこれでもかこれでもかと展示されていて、それをおしゃれ女子が食い入るように鑑賞するという構図。
ここにもポケモンコラボのイラストが展示されていてムンクとヒグチヨウコの結節点を見た。
恐ろしい。
ヒグチヨウコの作品は絵本としても人気があるようでアートスティック一辺倒ではなく、子供受けもよい。
おしゃれ小物にはぴったりの作柄でもあるから、ミュージアムショップは大混雑。
初日は午後に行っても入場制限が掛かってグッズが買えないという有様に。
仕方ないのでガチャガチャをやる。一回500円。
ミュージアム設置のものは単価が高いが、これが相場なので躊躇する者は少ない。
出たのは例の手足が蛇と蛸の猫。
これもいずれアニメ化するのだろう。
ヒグチヨウコ印税がっぽりだ。
いずれにしろ、1日で吉村芳生とヒグチヨウコをまとめて鑑賞するのは脳が飽和状態となるのでお勧めしない。

IMGP8310aa.jpg

エドワルド・ムンク、吉村芳生、ヒグチヨウコ・・。たまたま集中鑑賞したアーティストに作品性も、テーマも、世代も、時代も、ジャンルも、生きた環境もリンクするものはまったくない。
ただひとつの共通点は世間に認められ、多くの観衆を集められるということ。
数多のアーティストは誰にも認められることなく、草葉の陰で惨めに死んでいくというのにこの違いは何だろう?
世田谷文学館から芦花公園駅に向かう暗い道をとぼとぼ歩みながら、還暦近くなっても成就程遠き我が人生にあるのは、ただただ嘆きのみであった。




2019年初妄言

報道
01 /08 2019
世間では年が明けて7日月曜日が実質的「仕事始め」になるようだ。
やっと年賀状を書き終えたと思ったら正月も終わっている。
2019年賀版下aa
年末ぎりぎりに阿佐ヶ谷の某BARで超有名漫画家さんとたまたま会話する機会があった。
国民的人気漫画を執筆し、アニメ化もされている作品を描かれている方だ。
漫画家に限ったことではないのだが、やはり世間に認められた存在は特別な後光を感じる。
つまり、己の身体を依り処として、その分野の「神」が憑依しているのだ。
この世で崇高な「創作」を司る「神人」として体内にその魂が降臨しているからステイタスが違う。
些細な俗世間の詰まらぬ事象に左右されるようなレベルには居ない。
こういう「選ばれし人」はSNSなどに手はつけない。していたとしてもそれは担当者が代わって広報活動に限り、活用しているに過ぎない。
所詮ツイッターなどのSNSは「貧民同士が潰し合う場」。
そんなところに条件反射的に書き込む段階で、もはや「神」から見放されている証。
人生諦めるしかない。

年明け早々に、新元号発表が4月1日に決まったとか。
よりに寄ってエイプレルフール。
新元号自体が「虚報」となる恐れがある。
これほどの不敬があるか。
悉く浩宮殿下は運がない。
「嘘」が許される日にご自身の元号が発布されては、その改元自体が「嘘」と全世界に看做されてしまう。
エイプレルフールの「不敬」が生涯付きまとい、浩宮殿下即位の時代は常に暗い影が付きまとうのだ。
何者かが、浩宮殿下を追い落とすための策謀かも知れぬ。
真にお労しいや、浩宮殿下。

ここ数年、創作活動営業含めてWebへの移行を模索しているが、様々に鑑み見ていくうちに、これはギャンブル要素が多すぎることに気がつく。
Web上で「商売」していくとなると、恰も株トレーダーのごとく、24時間365日、ネット画面に張り付くことが必須条件となる。
そして時限通販商法等にあるような、あらゆるトリックを駆使して課金を促すテクニックも絶対条件。
しかし、たとえそれをやったとしても確実に収入を確保出来る保証はない。
これではまるでパチンコか賭けマージャンで生計を立てるレベル。
もはや博打である。
ユーチューバーとかが持て囃されているが、これだってまともに商売として成り立っているのはどれほどか?
こう考えていくと、アナログからデジタルへ商業活動の場を移したところで、結局は不毛で終わるということが解ってきた。
結局のところ、生きていくための生計はいつまでたっても生身のアナログ世界にしか活路がなさそうだ。
そもそも、この貨幣経済システムはアナログ社会が土台となっている訳で、Webでそれをシミュレーションしたところで所詮は虚像でしかない。やがてビットコインなるものもWebの海に霧散していくだろう。
Webは現実社会の貨幣システムに依存している限り、なんの利点もない。
一切の経済活動を捨てない限り、ネットに移行する理由もないのだ。
WEBは商売する場ではない。逆に貨幣の鎖から解き放たれる場なのだ。
しかし、そんな達観した人間は殆どいないし、そんな社会も100年経っても来ない。
だからWebはいつまでたっても虚無でしかない。

年が明けても、新聞やテレビは相変わらず虚しい「働き方改革」とか、出来そうもない空理空論を飯の種に民を騙そうとしている。
この日本では1950年代から、経済も政治も外交も軍事も文化も「思考停止」したままだ。
結局、恩恵を受けるのは終身雇用と専業主婦で、他は「その他大勢の不幸な民」という結論しかない。
いい加減、働き方の多様化、家族の多様化の模索云々などやめたらどうだ。
高給取りのマスコミ妄言に付き合うだけ徒労だ。
育メン、シェアハウス、女子会、断捨離、ミニマリスト、ゆとり世代、草食系、ハッピーマンデー、プレミアムフライデー云々。
もう辟易だ。これを実践してまともに幸せになれた人間などどれだけ居るのだ?
マスコミと超一流企業とフェミニスト活動家の飯の種のために翻弄されるだけ、時間の無駄。
女性の大多数は今も玉の輿しか願っていないし、男性も終身雇用で「歩くATM」として社会的地位を確保することが一番と考えている。
その何が悪い?
経済力のない男に何の価値がある?
答えは「なにもない」だ。
女性の社会的地位が先進国で最下位とか言われているが、そんなのは女性の可処分所得を搾取したいがための外国勢力の宣伝。
そもそも日本が先進国であることさえ、疑わしい。
鯨を食う野蛮人であるという自覚が足りないのだ。
所詮、そのレベルだから男女格差なんて意味を成さない。野蛮人らしく男尊女卑上等だ。
結婚し、子を設け、育てる。
この根本的基礎あってこその社会だ。
そのスタンダードルートから外れた場所に未来なんかない。
結婚も出来ず、子も設けられない独身者は惨めだ。
本人がそれで納得していれば他人がとやかく言うことではないだろう。
だが、生涯独身で得をするのは、抜きん出た奇才と抜群なる経済力を獲得した稀有な者だけだ。
その他大勢の経済力も妻子も設けられない独身絶望男性の行く末が「輝きに満ちた未来」になるとは、贔屓目に見てもありえない。
やがては老老介護に疲弊して孤独に死んでいくしかないのだ。

エドワルド・ムンクが、現代日本に生きていたら、恐らくこんな絵を発表していたろう。
手前に老老介護の独身男性と年老いた母親。
背景の岬には幸福そうな夫婦と子供達。
それに対する嫉妬と憎しみ、メランコリーがナウシカの玉蟲の目のように充血する。
空は絶望の叫びで真っ赤に染まるのだ。
これが現代日本の真の姿だ!
絶望2019色
嗚呼、絶望!絶望!
こんな社会に、もはや希望はない。

終身雇用、専業主婦以外に幸福はやってこない。
1950年代から思考停止した妾世襲と劣化紅衛兵の偽政屋しか選択出来ない選挙制度では、今後1000年経ってもこの絶望は岩のごとく変わることはない。
やがて増長した北東アジア列強に飲み込まれ、矮小な辺境国として惨めにのた打ち回るのが関の山。
大震災でも来れば一巻の終わり。
今年は選挙の年というが、こんな塵屑から誰を選べというのか?
冗談にも程がある。


浩宮様の即位はその終わりの始まり。
新元号は「絶望」が相応しい。
他に何があろうか。 




謹賀新年&コミックマーケット95お疲れ様でした

同人イベント
01 /01 2019
謹賀新年。
本年もよろしくお願いいたします。

さて、大晦日のコミックマーケット95。
寒い中、当サークルスペースにお越し頂いた参加者各位にはこの場を借りて御礼申し上げます。
今回は東館サークル入場の導線が例年と違って、裏側の車道沿いに設定されていて戸惑った。
オリンピックでのビッグサイト会場変動に向けての準備なのかもしれないが、普段の正面入り口からの入場に比べて信号待ちや、ボトルネックの部分があって渋滞が発生、駅から会場まで30分近く掛かってしまい、危うく宅配受け取り時間に間に合わないところだった。
以前も何回かこのルートが設定されたことがあったが、無駄に時間が掛かる上に信号機毎にスタッフも配置しなければならないから得になるようなものは何もないように感じるのだが・・。
それはさておき、この日は終日自分のスペースに。
同じ「島」の誕生日席近隣サークルさんの絵を諸々垣間見る。
その中にライトノベル系の挿絵イラスト風の作品を頒布している方がいらした。
ピクシブ等でもよく見かける絵柄。
洋の東西を問わず、この手の絵柄は人気があるようで結構売れていた。
還暦近くになると、これらの作風は皆似たように見えてしまう。
結局それは己の感受性の老化が原因であって若い人から見たら其々個性的なのだろう。
それにしてもフルカラー16P位でワンコインの頒布設定では、相当刷らないと元が取れない。
オールカラー本の印刷費は高い。
にも拘らず結構このタイプの同人誌が近年コミケ頒布同人誌の主流のようだ。
人気サークルであれば黒字になるのだろうが、殆どは赤字覚悟で作っているのかも。
製作時間や経費を考えると、同様の同人誌を作る余裕がない。

自分のサークル同人誌は50円単位の頒布価格設定のアイテムが多いので、おつり用の小銭を予め用意しないといけない。
今回も先週ウイークデーに銀行で両替しようとしたが、手数料の高さにびっくり。
10枚以上は570円の手数料がかかる。それに50円玉10枚だけ両替しようとしても両替機では出来ない。
あまりの馬鹿馬鹿しさに両替を止めた。
こんな法外な手数料を取らないとやっていけない銀行の末路を感じた。
いずれキャッシュレス社会になっていくから、もう両替という概念も消えていくのだろう。

今回も何人かの方からスケブの依頼を受けた。
スケブに関しては様々な意見があるようだが、自分は基本的に全部受けている。
もっともそんなにたくさん依頼を受ける訳ではないから断る理由もない。
作画料金云々も賛否が分かれるところだが、有料にすると相応のクオリティーを保たねばならず、イベント会場で接客片手間状態では難しい。
なのでこういった場所でのスケブはあくまでファンサービスとして考え、今のところお金を取るつもりはないし、大抵は差し入れを頂くのでそれで相殺されるのかなと。
今回のスケブ絵の一つ。
IMG_20181231_193529aa.jpg
無論ケースバイケースなので条件が異なれば有料化もありだとは思うが。

16時に無事イベント終了。
お蔭様で平成最後のコミケも何とか乗り切った。
2018年も、年内に仕上げなければならないいくつかの依頼原稿が結局年越しとなってしまった。
申し訳ない。
時間の感覚が自分で調整できないほどに現実と離反してきて一つ一つの作業に膨大な時間が掛かる。これも老化のひとつと思うと恐ろしい。

明けて2019年。
御節、年賀状、初詣等の「儀式」はその意義が不明瞭でも強制的に実行している。
自由業だと己の時間に己自身で節目を付けないと今がいつだか解らなくなってしまい、そのうち自分自身の存在感も希薄になって消えてしまいそうになる。
元旦の昼間、毎年初詣に通う神社に行ってみると鳥居をはみ出すくらいの行列。
子供の頃、たいした参拝者も居らず、場末の公園みたいだった神社が、異様に立派になって近年ものすごい数の初詣客がわざわざ遠路から電車に乗って来るようになった。
大半の参拝者はここ数年前から通い始めているのだろう。比較的若い家族連れが目立つ。
自分のように子供の頃から参拝している近所の人のほうが少ない。
それにしても初詣客はどこも引きもきらない。
でも、「神頼み」する時点でもうダメなのだ。
そうなる前に何とかするのが人生だ。
しかし人生は多くが「運」で左右される。だから「神頼み」するしかない。
2019年は猪年。自分の干支でもある。
還暦となっては、もう己の遺伝子を残す可能性もないに等しい。
子供連れの参拝者を見れば見るほど、己の惨めさが身に染みて来る。

本年もよろしく。

愚の骨頂の鯨狩り

報道
12 /28 2018
2018年も1週間を切った。
平成最後の年末でもあるが、話題になるのは現天皇陛下の回顧ばかりで、来年即位する浩宮殿下に関しては何も出てこない。
つまり、次の元号時代に誰も希望を託していないのだ。

先日、やっと上野東京都美術館で開催されている『ムンク展』に赴くことが出来た。
なぜか知らぬがミュージアムショップには「ピカチュー」とのコラボグッズが並ぶ。
1980年代の「ムンク展」では絶対に考えられない企画だ。
アートとサブカルチャーの融合は今や当たり前なのか?
それはさておき、これでもかと「死と絶望、メランコリー、嫉妬」に彩られた作品群は圧倒的でもある。
これらはすべて若い息吹あってこそ、表現物として成り立つのだ。
同じテーマで還暦を迎えたら洒落にならない。
ただ醜悪で愚かでオゾマシイ汚物でしかなくなる。
それが今の日本なのだ。

日本が捕鯨の国際機関から脱退したそうだ。
当ブログでも事あるごとに触れてきたが、この期に及んで捕鯨が日本の国益になることなど微塵も有り得ない。
鯨が日本の伝統的食文化など嘘である。
細々とした沿岸捕鯨を除いて、日本の食卓に鯨肉が普遍的に並んだことなど戦後の一時期を例外とすれば一度たりともそんな歴史はなかった。
鯨油目的の欧米の捕鯨を後追いして遠洋に乗り出したのはほんの明治時代以降の事。
それを日本古来の食文化などとよく言えたものだ。
こういう馬鹿なデマゴギーを流しているのは、たまたま捕鯨で食っている選挙区から出てきた田舎偽政屋が妾世襲政権の有力者で、その既得利権固執のため騒ぎ立てているだけのこと。
彼らは愛国者でもなんでもない。己の利権のためなら国益なんてどうでもよい売国奴だ。
そんな愚者のせいで大多数の日本人が多大なる損害を被らねばならなくなる。
「これで鯨肉がたらふく食える」なんて喜ぶ輩が湧いて来るが、そんな人間に限って鯨肉など大して食ったことがないらしい。
かつて鯨肉を嗜んだ世代からすると、他の牛や豚肉に比べて格段に美味だという声は聞こえてこない。
これから毎日鯨肉しか選択肢がなくなったら、三日で辟易するのは論を待たない。
新聞やネット評論等によると、かつて南洋で捕鯨していた大手水産業者も商業捕鯨復帰する予定は更々ないそうだ。
ただでさえ、国内需要が少ないうえに、輸出などもってのほか。
採算など取れる見込みもないとか。
ウナギを食い尽くし、マグロも食い尽くし、今度は誰も欲していない鯨まで獲って何がしたい?
国際機関から脱退したので南氷洋や西太平洋からは撤退するしかないそうな。
一方で日本近海で商業捕鯨をすると、小笠原あたりのホエールウォッチングで盛んに屠殺するということか?
これでは観光あがったりである。
誰も食わない鯨肉を誰のために獲るというのか?
矮小な田舎馬鹿無能偽政屋の利権のためにか?
そんなものが日本の伝統か?
馬鹿を言うな。

反捕鯨国の殆どは欧米列強であることを忘れてはならない。
この日本の国際機関脱退によって、改めて日本は「野蛮なイエローモンキージャップ」であることを認識させられるであろう。
妾世襲偽政治屋が当事国に説明に回るというが、誰が取り合うか。門前払いがいいところだ。
まずは芸能芸術分野から日本に対するボイコットが始まるだろう。
スターの来日公演中止や観光の日本渡航自粛も加速する。
逆に日本からの文化交流も停止だ。
アニメ、、ゲームなどのコンテンツ産業は大打撃を受ける。
更には日本製品不買や日本人に対する嫌がらせなども広がる。
ただでさえ、中共に追い落とされたこの日本が更に、この脱退行為によって酷い目に合う。
かつてはジャパンマネーで我慢してきた欧米人も、凋落日本に気を使う必要はなくなったのだ。
今度こそ野蛮人ジャップを徹底的に懲らしめる時が来たのだと確信するだろう。
更に日本の自動車会社を救った欧米人経営者の逮捕はかつて日本軍が虜囚にした連合軍捕虜虐待を思い起こさせるだろう。
もはや日本沿岸での商業捕鯨すらも彼らは看過しない。
在日米軍をして日本の近海捕鯨船撃沈もありうるし、和歌山や山口の捕鯨基地空爆もあろう。
この期に及んで日米安保など有名無実化だ。
当然、東京オリンピックなどボイコットだ。欧米主要諸国はすべて辞退。
更には外国人労働者も働く先として敬遠されるに違いない。
傍で中国は大笑いである。結局2020年オリンピックは再び北京で開催されるはめに。
地団駄踏んだところでもう遅いのだ。

百害あって一利もない捕鯨に固執する妾世襲無能政権と、結局なんにも出来ない劣化紅衛兵キチガイ野党マスコミゴロツキ左巻きがこの日本を死に追いやっている愚。
ここまで来ると、嘆かわしいというより、滑稽で笑いしか出てこない。
宗主国トランプアメリカ様の真似をして、調子に乗って国際機関から脱退してみたところで、所詮イエローモンキー。
欧米列強から袋叩きに合うのが関の山。
超少子高齢化、大量死人口減時代に輪を掛けて無能馬鹿世襲田舎偽政屋しか選べない選挙制度の下、日本は悲惨な末路に転落していく。
それを象徴するのが、今回の捕鯨国際機関脱退である。
来年、即位なされる浩宮殿下はこんなどうしようもない臣民を率いなければいけないのだ。
世継ぎはおろか、臣民まで屑ばかりとは浩宮様の御心労如何ばかりか。
まさに運がない絶望世代。
皇軍を率いていた昭和天皇時代と比べたら鷹と線虫位の差である。

やがて日本人のほうがキャッチャーボートに駆られる日が来るかもしれない。
まあ、これほど愚かしい政しか出来ない臣民にお似合いの末路であろう。

ムンクの「叫び」は日本の断末魔の叫びでもある。
因果応報。
おとなしく滅びるしかなかろう。


あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/