新聞を読んだ日

報道
04 /15 2017
桜も散り始め、新芽が覗くようになった。
だが、まだ夜は風が寒く感じ、コートは欠かせない。
久しぶりに新聞にじっくり目を通す。

「50年後に人口8808万人」(朝日新聞4月11日付け朝刊)
出生率1.44。
50歳まで一度も結婚したことのない人の割合「生涯未婚率」は男性で23.5パーセントという。
世間は経済力云々を理由に挙げるが、それはおそらく違う。
第2次世界大戦終了後、5年しかたっていない1950年。その時の「生涯未婚率」は男性で1.5パーセント。女性も同じ位。
ほぼ全員が結婚、出産を経験していた。
あの敗戦の混乱期が今より「裕福」だったなどと誰も思うまい。
結婚、出産しなくなった理由は他にある。
今後、いくら景気がよくなったとしても、日本人は結婚しないだろう。
たとえ年収1兆円になったとしてもますます「生涯未婚率」は上昇する。
恐らく遺伝子レベルで人口抑制トリガーが仕込まれているのだ。
ある程度の文明度まで達すると、人間は生殖活動を停止する。
その理由は恐らく地球レベルで許容以上の消費活動を抑えるために生物界が生み出した不文律のルール、あるいはホメオスタシスの一種なのかも知れぬ。
だがこのまま緩やかに人口減が続くとは思えぬ。
どこかで劇的に減るのだ。
恐ろしきカタルシスによって。

「化学兵器の貯蔵庫ない」(朝日新聞4月11日付け朝刊)
どこかの内戦続く中東国に北米軍事大国が巡航ミサイルを撃ち込んだという。
理由は化学兵器使用に対する制裁だとか。
本当かどうかは知らない。
ただ、戦争の歴史上、攻撃の口実を捏造した例は枚挙に暇がない。
ベトナム戦争トンキン湾事件。
湾岸戦争におけるイラク軍のクウェート人少女虐待事件等。
これらは後から「事実ではなかった」と報道されている。
北米軍事大国の攻撃は国際法違反だという。
笑止。
戦争が始まれば法律など無意味。
「勝てば官軍。負ければ賊軍」
発端が捏造だろうが、国際法違反だろうが、歴史と正義は「戦勝国」のものとなる。
それ以上でもそれ以下でもない。
だから「負ける戦争」はしてはいけない。

「フィギュア人生 悔いはありません」(朝日新聞4月11日付け朝刊)
有名フィギュアスケーター引退。
脂の乗りきった最初のオリンピックではわずかの差で年齢制限で引っかかり、出場出来ず。
4年後は強力なライバルの後塵を拝し、あとはジリ貧。
勝利の星の下に生まれなかった悲運のアスリート。
それを過剰に持ち上げたマスコミ。
本人は過酷な期待を背負わされ、「フィギュア人形」として弄ばれたのではないか。
星飛雄馬が「野球人形」として苦しんだように。
彼女は26歳になった今尚「ちゃん」付けされて呼ばれている。
これは幸いなのだろうか。
今や40代、50代でも「女子」だ。
永遠の氷上の妖精アイドルとして80歳を超えても「ちゃん」付けされ続けるのだろう。
ジャネット・リンが懐かしい。

「空母朝鮮半島近海へ」(朝日新聞4月11日付け朝刊)
ユーラシア大陸東端の半島北側の独裁国の動向に危惧して、北米軍事大国の空母機動部隊がオーストラリア沖から朝鮮半島近海へと移動とか。
米韓合同演習に呼応して北の国がミサイル発射や核実験を繰り返すのはいつものルーチン。
これで誰かが潤うのだろう。
本気で戦争始める気は更々ない。
新しい北米大統領は自国の利益を最優先に「世界の警察官は辞める」とか公約していたが、その最先鋒の閣僚が追い出され、いつの間に生粋の保守軍人層が周りを固め、大統領を操り始めた気配がする。
プロの軍人は思い付きで戦争は始めない。
だが、何かのきっかけで予想外のことが起こらないとは言えぬ。
これを機に世界の秩序の大転換を画策する者がいないとも限らない。

我が世襲宰相は「北が核、あるいは毒ガスを搭載しだ弾道弾を撃ち込む恐れがある」と注意を喚起したとか。
いまさら何を言っているのか。
弾道ミサイルを撃ち込まれない体制を構築することがなによりも先決で、そもそも相手に撃ち込む隙を晒す時点で「戦争に負けている」のだ。
核武装には核武装で対抗するしかない。
迎撃ミサイルなど気休めにもならない。相手が飽和攻撃してきて1発でも着弾したらアウト。
だから相互破壊確証によって、核を使ったら同じダメージが自分にも降りかかるという「恐怖」を相手に抱かせればならぬ。
すれば、そもそも標的にされるはずもない。
核による「恐怖の均衡」が戦争回避の大原則。
少なくとも「負ける戦争」に巻き込まれずに済む。
それなくして戦争抑止は実践できない。

日本が核武装しておらず、攻撃しても反撃されないのなら核攻撃する誘惑を相手に与えてしまう。
半島の北もその後ろ盾の漢民族軍事国家も核武装国だ。
やるとなったら核武装していない日本に最初の一撃を加えるだろう。
北米軍事国家大統領側近の軍人達はこの際、日本は壊滅しても致し方ないと思っているかもしれない。
半島の北独裁国家に先制攻撃し、万一報復があったとしてもそれは今のところ日本が標的だろう。
北米本国は痛くもかゆくもない。在日米国人と在日米軍を性急に引き上げさせればあとは北と漢民族国家に好きにやらせればよい。
結果、北東アジアは漢民族軍事国家にくれてやる結果となるが、それでウインウインならば、まあ北米大統領も妥協せざるを得ないだろう。

「自分の国は自分で守る」
核搭載弾道弾を配備してこなかった日本にこの情勢下、生き残れる可能性は少ない。
この期に及んで、未だ1950年代の価値観で思考停止している対米追従世襲と原始宗教のような劣化紅衛兵の取っ組み合いで成り立っている日本の政に付き合っていたら滅びの階段を転げ落ちるだけ。
弾道弾に狙われているという時点で、この国は「負ける戦争」に突き進んでいる。
戦争を回避するならば核弾道弾を持てばいい。
思考的にいえば、半島北の独裁国のほうが余程マトモだ。
電話の一本や平和憲法の条文を見せれば、相手国の戦意が喪失するのなら、そう信じればよい。
「日本人は仏陀のように特別なフレンドなんだよ」と世界に知らしめればよいではないか。
幸い、エコノミックアニマルと呼称されていたのだ。
世界から「すごーい」と言われて特別扱いされるかもしれない。
だが日本は他の先進国同様、石油も買うし、食料も買う。貨幣を使って経済活動もする。どこにでもある俗な国だ。
戦争だけが特別免除されると信じているのは当の日本人だけだ。

「見守る人が犯人、どうやって子ども守れば…」(朝日新聞デジタル4月15日付)
「容疑者は保護者会の長」
南関東のどこかの県で起こった幼児誘拐殺人犯容疑者が「正義の味方」のはずの保護者の長だったことにマスコミは右往左往している。
「庶民の敵」とレッテルを貼ってきた「宮崎勤」予備軍の仕業というシナリオしか持ち合わせていなかったから、よもや「身内」の犯罪とは予想も付かず、どう報道してよいかも解らないらしい。
マスコミはいつものごとくレッテル張りに執心するしかないから、今度は保護者会が「庶民の敵」と祭り上げねばならぬところ、それは「自分の味方」なのでそれも出来ず、もはや自分で自分の頭を壁に打ち付けてもんどりうっている状態。
「見守り隊」を疑いの目で見るキャンペーンを敷くことも出来ず、これまでの誘拐報道が如何に偏向恣意に満ちていたかに思い知らされていることだろう。
そもそもレッテル張りが間違っているのであって、子供は親にだって殺される場合がある。だったら生まれた瞬間から子供は親から離れなければならぬが、そんなことは出来るわけがない。
すべてはマスコミの「人の不幸を飯の種にして犯人のレッテル張り」に執心した姿勢が悪い。それこそが罰せられるべきなのだ。
今度は「見守り隊」を飯の種にするのか、注視しておこう。
結局、保護者会すら「子供の敵」みたいなキャンペーンを始めざるを得なくなり、「子供は家から一歩も出ずに学校も教師とも接触を避けて引き篭もってじっとしていなさい!」とか言い出すのだろうか?
噴飯ものである。

こんなメディアが半島危機云々を伝えても、信用に足る情報は微塵もない。


遅かれ早かれ、この国は「負ける戦争」に引き込まれ、50年後を待たずに人口は5000万人を割り込むだろう。
生涯未婚率など、もはやどうでもよくなる。
ある快晴の日、頭上で核の閃光が輝くだろう。
それで、おしまいだ。
そういう運命だったのだ。
生き残るために何もしなかった国の末路は、いつも決まっている。

結局、新聞を読んだ日は憂鬱になるしかない。





花見は続く

旅、訪問記
04 /10 2017
先週もまた花見三昧だった。
いっせいに咲き誇るようなソメイヨシノは結局先週末後半になってから。20度を超える日が何日かあったのでやっとだ。
5日は晴れて暖かく、絶好の花見日和だったので一人で自転車を使って近郊の善福寺川緑地へ。
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近所なのにもかかわらず、あまり足を運んだことがなかった。川沿いに大きく枝を伸ばすソメイヨシノ。
平日でも多くの家族連れが集っていた。午後から雲が出てきてやや気温が下がったがスケッチもする。
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8日土曜日は代々木公園で大学時代のサークル仲間と花見。
せっかくの満開時なのにあいにくの曇天時々小雨ぱらつく。風が吹くと花吹雪が舞い散る。
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まもなく60代を迎えんとするサークル仲間。生存確認のための集まりみたいなもの。年を重ねても中身は変わらない。
やがてこの桜のように散る人生。儚きぞ人生。
9日日曜日も雨模様。しかし花見は続く。この日は、大泉学園在住クリエーター仲間のお宅で花見。2階から公園に咲くソメイヨシノが眺められる。
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はらはらと散る桜を肴に超常現象などを語り合う。
この世界は地球外文明が創ったもの。桜もまた宇宙人の創造物。

桜が散れば新緑のシーズン。植物は芽吹き、華を咲かせ、種を実らせる。
動物たちは繁殖のために交尾し、次世代を作り始める。
だがいつしか人間だけが繁殖をしなくなった。
百年後の春にもこの列島にはソメイヨシノはいつものように咲き乱れるだろう。
ただし花見客の姿はどこにもない。
無人の廃墟に花びらの絨毯が広がるだけ。


恒例新宿御苑花見スケッチ

旅、訪問記
04 /05 2017
やっと4月に入って春らしい陽気に近づいた。
もう満開になっているだろうと思い、改めて新宿御苑に赴く。
新宿門は平日ながら相変わらず国際色豊かな客層で溢れていた。
園内に入ると染井吉野は未だ満開には至っておらず、土曜日と余り変わらない開花状況。
2月は20度の日もあったが逆に3月のほうが寒くていつもの開花パターンとは異なっているようだ。
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思えばいつ頃からか、花見に何回も興じるようになったのか。
30代位までは花見に殆ど関心がなく、桜シーズンなどどうでもよかったのに、最近は桜を愛でないと禁断症状になる程だ。
この国の風土が醸し出す、何かが魂とシンクロするのか。
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池の近くでスケッチ中に欧米系の観光客(?)から写真撮らせて欲しいとリクエストされた。
別段不都合がある訳ではないのでOKしたが、何か被写体として面白味でもあったのだろうか?
日差しがある場所は暑いくらい。
半袖になっても十分だ。すでに地面にはアリが這いずっている。
やっと陽気のパワーが風の寒さを凌駕するようになった。
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それにしても例年にも増して、外国人が増えている。ありとあらゆる国籍、人種、言語が行きかう。
いつしか御苑の花見は近隣日本人の嗜みから外国人の観光周遊基幹イベントになってしまった感がある。
観光客だけでなく、在留外国人と思われる人々も多い。
むしろ地元民がここに居ていいのかという錯覚にまで陥る。肩身が狭い。
別に日本人が締め出されているわけではない。積極的に訪れる客層が圧倒的に外国人が多いというだけなのだが、相対的に日本人の勢いの弱さが浮き彫りになる。
御苑は飲酒禁止なので宴が出来ないのもその理由なのかもしれないが、でもなんだかこのシーズンの御苑は外国人居留地の租界みたいで複雑な気持ちになる。
浮世絵等と同じく、日本文化や風習、自然の真の理解者は結局、外国人で、当事者の日本人はそれに疎くなってしまったのではないか。
そんな気がしてならない。
御苑スケッチ170404

新年度の妄言

日常
04 /04 2017
新年度が始まった。
東京の桜は3月21日に開花宣言されたが、一日になってやっと「満開宣言」。
ところが実際はまだ五分咲きにも未たず。標準木とのギャップが著しい。
気温が低い日が続いたため、桜の開花はなかなか進まず、先週今週の夜桜見物はまるで耐寒修行。
やっと4月2日、気温も上がってお花見日和。新宿御苑に出かけてみた。
正午前の新宿門は行列が凄い。
海外からの観光客が相変わらず多く、様々な言語が耳に入ってくる。
新宿御苑もまだ全体として4分咲き程度。でも木によっては満開に近い。今年は歪な開花状況だ。
その満開の桜の下にレジャーシートを敷く。
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近くには中国の大学生グループが大学の横断幕まで掲げて陣取っていた。テントまで張っていたが警備員に注意され渋々畳む。
昭和時代なら日本大学生の専売特許みたいなことを今は中国人大学生がやっている。
日本の青年グループというのは本当に目立たない存在となった。
彼らはどこへ行ったのか?
休日なのに今、何をしているのだろう?
最近は学費捻出にも苦労していると聞く。自分で稼がないと学費すら間々ならないとか耳にする。
だから休みはバイト三昧なのか?
中国人大学生が御苑の花見で宴に興じ、日本の大学生はコンビニでバイト?
少し前だったら立場は逆だった。
もはやどちらが「先進国」だか解らない。

テレビでは恒例、「入社式」の様子が流されている。
社会人一年生。
毎年、この時期になって呟くのだが、会社組織の「歯車」として順応する才覚がない自分にとって「サラリーマン」ほど縁遠い職種はない。
薄ら寒い背広に煩雑なネクタイ。靴底がツルツルの革靴を着せられ、人に頭を下げるだけの仕事のために満員電車に揉まれる日常は「拷問」にしか映らなかった。「安定した給与と将来保障」というスローガン以前に、人間として耐え難かった。
特に自分が新卒だった1980年代初頭はまだまだ「終身雇用」「専業主婦」の時代で、そこから外れると人間扱いすらされなかった時代。
進学、就職という通過儀礼の度に「自分」を捨て去ることを強要され、「経済一兵卒」として鉄砲玉にされるしかなかったのだ。
基本、今の日本も大きくは変わっていない。
リクルートスーツを着た新人サラリーマン1年生が「経済一兵卒」を理解し、滅私奉社、手柄は上司、ミスは自分が被り、いざとなったら給与も休日も返上という覚悟を背負い、その試練にどれだけ耐えられるかが勝負なのだ。
そんな覚悟を背負ったとして、かつての唯一の幸せ人生コースである結婚、出産、子育て、定年退職、安定した年金生活が待っているとは限らない。
更には労働環境の改善とか「プレミアムフライデー」で金曜半ドンとか「育休」なんて超一流企業だけの話。
9割方の新人1年生サラリーマンは苦行だけが待ち受けている。
とはいえ、他にまともな選択肢はないのだから耐えるしかない。
新卒採用を選択しなかった新卒者は、結局今でも日本社会において「人間扱い」されることはない。
「2等市民」として冷遇されるのが現状だから労働条件が過酷でも自分の性格に合わなくとも新卒採用に縋りつくしかないのだ。

結局、御苑の花見で垣間見た「日本の凋落」が、この社会人1年生界隈にも感じられてしまう。
宴に興じる中国人青年たちの未来は明るい。
一方、同じ頃、バイトで学費を稼ぐしかない日本人青年に希望の未来があるとはとても思えない。
今の彼らは桜が咲く前に散っているのと同様なのだろう。

BSで『新世紀エヴァンゲリオン』旧作劇場版「まごころを君に」を放映していたのをチラッとみる。ラスト部分の陰々滅滅とした独白が延々と続くシーンに己を投射した日々からもう20年が経ってしまったのだ。
絶望的世紀末に浸っていられた季節も終わってしまい、それでも世界は動いている。
どこへ逝くのか、誰も知らないまま。

『モアナと伝説の海』、『暁斎(きょうさい)展』観賞感想他

映像鑑賞
03 /30 2017
気が付けばもう3月も末。2016年度も終わる。
いつ頃からこの時期がリクリートシーズンなったのか知らぬが、それに関連するCMや広告が巷に溢れていた。
たとえばブラスバンドをバックに会社訪問するCM・・。
あれ位のバンドを雇える財力が親にあれば、縁故でいくらでも就職先が見つけられるんじゃないかと思うのだが。
もっともあれは比喩であって、リクルート活動している女性を応援するという意味での演出なのだろうが、それでもなんか妙に感じた。
あと、少し前に電車のつり革広告で見た新卒者向けに教訓めいたスローガンを記した保険会社(?)の広告コピー。
若いときにたくさん失敗したほうが愛される人間になるとか、社長も最初は会社廻りで面接受けたとか、くすんだ美辞麗句が並んでいた。
だが、若いときに過失致死で何人も殺めた人間が愛されるとは思えないし、将来、社長になるような人材が、平社員同様な会社訪問などしない。
大企業ほどこういう「建前」で新卒者を欺くコピーを並べたがる。
一流企業は大半が縁故や有力者の子息で採用枠は埋まっている訳でCMや広告を信じた「一見さん」みたいな2流大学以下の新卒者など、最初から門前払いなのだろう。
下手に希望を与える広告を打つのは如何なものかと思うが。
希望する一流企業に就職するには親族や親が東大出身で様々な人脈を抱えているとか、最近、よく耳にする「政治家の口利き」がなければほぼ不可能だろう。
これが日本社会の本質であって、秀でた才能や技術を有しない限り、縁故や口利きに縁のない2流以下の大卒者に「終身雇用」の枠は廻ってこないのだ。
だから、まず将来を諦めることから始める。
それが大多数の2流大学以下新卒者の心得とすべきだろう。
決してリクルート関連のCMや広告にだまされてはいけない。

先日、渋谷の東急文化村で開催されている「暁斎(きょうさい)展」を観る。
暁斎に限らず、江戸、明治期の浮世絵には今の漫画の原点を連想させる作品も多かった。
これらは殆どが外国人コレクションによるもの。
つまり、日本本国には暁斎の作品が残っていないということか。
自国クリエーターの価値観を軽んじる国民性は今、現代に至っても変わっていない。
特に浮世絵から漫画に至る系譜周辺の分野においては、それが著しい。
日本の漫画原稿も遅かれ早かれ、海外に流出する日が来るのだろう。
嘆かわしい。
それはさておき、『鬼を蹴り上げる鍾馗』という作品が構図的に面白かったので家に帰って落書きしてみた。
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更にディズニーアニメ新作『モアナと伝説の海』も観賞す。
映像の完成度の高さは圧巻。
圧巻過ぎて感覚が狂う。これが当たり前になると目が肥えすぎて逆に陳腐なほうが新鮮に思えてしまう程。
大洋の夜空なんか、実際見たことがないのに、まるで体験したかのような錯覚に陥るほどのリアリティー。
内容も心打つものがあるが、なぜがディズニー映画はそれがあっという間に昇華してしまい、忘れるのも早い。
心に長く刻まれることがないファンタジー。
これほどのクオリティーの高さなのに、記憶に深く刻まれないというのは、単に自分の加齢のせいなのも知れぬ。
もっともディズニーのような子供向けアニメは単純明快で勧善懲悪が根本であるから、変に心に重く伸し掛かることなく、さらっと流すのが好まれるのだろうし、そういう作り方がスタンダードなのだろう。
因みに『モアナと伝説の海』も前回の『アナと雪の女王』同様に宮崎駿氏やジブリ、東映動画長編アニメを思い起こさせるシーンが多々あった。
船出のシーンとかが何となく『太陽の王子ホルスの大冒険』や『未来少年コナン』を髣髴とさせたのでモアナにラナの衣装を着せた落書きしてみるが、性格も体型も違うのであまり似合わない。
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そんなこんなでもうお花見シーズンである。


あびゅうきょ

漫画家あびゅうきょ
職業/漫画家
ペンネーム/あびゅうきょ
生年月日/19××年12月25日
血液型/O
星座/やぎ座
出身地/東京都
帝京大学法学部卒
徳間書店刊「リュウ」1982年5月号『火山観測所』でデビュー
著書/
大和書房刊『彼女たちのカンプクルッペ』(1987)
講談社刊『快晴旅団』(1989)
日本出版社刊『ジェットストリームミッション』(1995)
幻冬舎刊『晴れた日に絶望が見える』(2003)
幻冬舎刊『あなたの遺産』(2004)
幻冬舎刊『絶望期の終り』(2005)

公式ホームページ
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/